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酒の感想ばかり

「ブラッド・メリディアン」 コーマック・マッカーシー

2018-10-08 16:00:31 | 読書
 
いきなり無茶苦茶な話から飛び出す。何の罪もない牧師が突然現れた判事に、根も葉もない中傷を受け、教会にいた人達からボロボロにされる。また少年はトイレに行く渡し板で通路を譲る譲らないで喧嘩を始める。譲る気はないし、話するのも面倒なので、いきなり相手を蹴りあげたのだった。不条理だ。
「ザ・ロード」的な無慈悲な世界と、「すべての美しい馬」のような、粗野な少年のロードムービー的なものがこの頃から萌芽している。
前半は少年がまだ未熟で、喧嘩っぱやいのはみてとれる。それはすべての美しい馬と同じだ。18歳のわりにはいきまいている。
インディアンの襲撃に遭う。コマンチ族だ。その攻撃は壮絶で無慈悲だ。作中では蛮族などと形容されている。一行はなすすべもなく壊滅状態となる。奇跡的に生き残った少年。追っ手を気にしながら逃げる。町へ逃げついたが、そこではつい先程所属していた大尉の酒漬けの頭部を見せられ、仲間かどうか糾弾される。他人と言い張ったが牢に入れられる。そこであの初っ端に喧嘩したトードヴァインと再会する。その後釈放され判事率いるインディアン狩のメンバーにトードヴァインとともに加えられる。
10章。仲間の中の元司祭のトビンとの会話が深い。人間は一生神の声を聴きながら生きている。少年がそんなものは聴こえないと答えると、声がやんだ時に一生の間ずっと聴こえていたのがわかる。司祭だが他の仲間同様やさぐれている。神の信者の割には荒々しい。
判事は登場するが得体の知れない人物だ。正体が全く語られない。ある時インディアンの襲撃に備え、仲間数人連れて火山に登る。何をするかと思えば硫黄を削り、持っていた硝石と木炭を混ぜ、さらに小便で粘土のように捏ね、即席の火薬を作り、インディアンをおびき寄せ皆殺しにする。インディアンたちは銃は持っているが火薬は尽きているだろうと踏んでいたので、想定外だったのだ。じつは読んでいて火薬を作っているのだろうとは思っていたが、爆弾を作り、一挙にドカンとやるのかと思ったが、さすがにそれはなく銃のための火薬だった。ただ、その火薬を使うと命中率が高くなるらしい。これは誇張してるのかもしれない。
12章。今までで一番残酷だ。頭皮狩り隊の一行が、今度はこの隊が殺戮を始める。その後アパッチの子供を判事が気に入って可愛がるが、次の場面ではその子供の頭皮を狩っているという残虐さ。それをみたトードヴァインがその残虐さに反応したのか、判事の頭に銃を突きつける。判事から今すぐ引き金を引くか、銃をしまうか判断を迫られ何故か引き下がってしまう。トードヴァインはいいやつなのか?
判事率いる集団の目的がわかる。武装インディアンから町を守るため知事からインディアン狩りを委託されているのだ。皆殺しにした証拠として、頭皮を引き剥がし、その数に応じて賞金を与えられる。そして凱旋した暁にはパーティーで祝宴が催され、食べ物、酒を平らげ尽くす。そして賞金を遊びにすべて使い尽くす。そのあげく借金したり踏み倒したりとめちゃくちゃだ。そしてまた仮に出る。その単純さに呆れるくらいだ。
殺戮の場面ははっきり言って酷いのだが、何故か乾いているというのか、無機質というのか、嫌な気持ちにはならない。それは登場人物たちの感情が無いからなのかもしれない。無いというのか、ほとんど書かれていない。起こった事象をただ記述しているだけだからか。これはコーマック・マッカーシーの小説全体に通じる。
13章。メキシコ人を守るためにインディアン狩りの契約をした一行だが、凱旋時の無法ぶりにメキシコ人から疎まれるようになる。逮捕するために兵士を送り込まれる。しかし返り討ちにした上、やはり頭皮を剥ぎ知事からたっぷりの褒賞金をせしめる。予算がつきたため、インディアン狩りの制度は終了する。その後判事の首に8000ペソの懸賞金がかけられる。
16章は何ともおぞましい。見世物小屋のオーナーが精神障害を持つ自分の弟を見世物として(まさにその実態として)飼っている。そして、いつかはアメリカに渡って一旗揚げたいを欲を持っている。判事は兵士を揃えることを条件にアメリカへ一緒につれていくという取引をする。精神障害者をみる判事の複雑な様子が気になる。
ここで、この頭皮狩り隊にはモデルがあるそうだ。グラントン団というらしい。率いるのは米墨戦争の終戦後も殺人を続けていたジョン・グラントンが率いる集団だ。小説同様、度々のアパッチの襲撃に頭を悩ませていたメキシコに対して、アパッチを殺戮し証拠として頭皮を狩り、それと引き換えに報奨を得る。そして、アパッチが減ってくるとメキシコ人をアパッチと偽ってその代わりとし、報償金を騙しとり続けたため、逆に指名手配される。その後も悪逆を続けるが、小説では今、この辺りか。http://www.acejapan.net/oasis/oasis2013/2-2013/2-13.html
17章は殺伐としたシーンはない。野営地の焚き火の前で判事が哲学的な話をみんなに聞かせる。ただ難しすぎてよく分からない。実際仲間のブラウンも遂に判事は狂ったかなどと呆れる。
、、と、ここまで、いわばアメリカの異教徒狩り?ネイティブに対する殺戮と、逆にネイティブ、つまりアパッチを含めたインディアンの反逆を描いていると思われていたのに、実はそうではないことに気づく。
つまり恥ずかしながら、復讐の連鎖を描いているのかと思った。白人はただネイティブを抹殺することだけを考え。ネイティブも、侵略者を排除しようとしているだけで、手段は残虐だが、その残虐さを見せつける小説ではない。多分最後の(かつて少年だったが成長して28才になった青年である)少年と判事のやり取りが主眼だ。
あれだけ頭皮狩り隊に同行して残虐な場面に立ち会ってきた少年だが、判事と対立して、次第に離れていく、再会したときに、恐らく少年は良心が多少あったのだろう、それは途中であった昔にとうに死んでいたミイラ化した老婆を助けようとしたことからも分かる。しかし、そんな多少の良心も打ち砕く判事の言葉。
少年も相当悪がき。しかし、それを覆すほどの、というか、そんな悪などちっぽけなものと思えるくらいの悪。
生を前提とした死の悲惨さを描く。しかし、生すら何とも思っていない人からして生への執着とは何なのか?
判事は絶対悪の象徴か。破壊と消滅だけ。
戦争こそが絶対で、勝ったものだけが、戦争の意味を知ることができる。
戦争は本物の躍りを踊ること。踊るスペースは1人分しかない。あとの者は名もない地獄へ送られる。
 
20180922読み始め。
20181008読了

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