モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

初期「私小説」論――序(1)日本文学への帰還

2024年01月11日 | 初期「私小説」論
私が日本の小説をよく読んでいたのは、中学・高校時代です。
中学生のとき中央公論社から「日本の文学」全80巻の刊行が開始されて、林芙美子の巻が発行されたときに母が買ってきて読んでいたのを、私もなんとなく本を開いて読み始めたのが始まりでした。

そこに書かれている男女の心理のあやのようなことは、中学生の私にはほとんど理解できなかったのですが、それでも読むのをやめるというのではなく、ずるずると読み続けていったのですね。
「世の中」という未知の世界がとても奥行きの深いことのように感じられ、私の若い心をその扉の向こう側の世界にいざなうかのような小説の素振りに惹かれていたと思います。

林芙美子を読み終わると、それ以降新しく配本される「日本の文学」シリーズは両親に購読してもらうことにして、既に配本済みの本は自分のお小遣いで毎月1冊づつ買って補填していきました。
余談ですが、当時、月の小遣いは500円で「日本の文学」は350円でしたので、残りの150円で1ヶ月を過ごしていました。

読んでいたのはもっぱら日本の文学一辺倒で、外国の文学へと進展していくことはありませんでした(たまにつまみ食いはしてましたけど)。
高校生のときは、文学好きの同級生たちはみんな外国の小説を読んでいて、日本の小説はちまちましていてつまらないと言ってました。
表向き私もそれに同調してうなずいてましたが、内心では日本の文学、しかも私小説とか心境小説と言われていた、「ちまちました世界」の味わいから離れることができませんでした。


高校1年性のときに同じ中央公論社から「世界の名著」シリーズが刊行され始め、それでニーチェやフロイトを読んだのをきっかけに哲学の方にも関心が向かい、日本文学と「世界の名著」と両方を読むようになりました。
大学では、関心はさらに美術や音楽の方にも向かっていって、小説の世界からは次第に遠のいていったのです。

大私にとっての文学上の決定的な出来事は、大学在学中に稲垣足穂の世界を知ったことです。
足穂の世界をひとわたり眺めとおして、文学の世界はひとまず卒業だなと感じました。

しかし自分の読書履歴においては、日本の文学は自分の源郷と認じていたので、いつか帰ることができる日を待ち望む気持ちもありました(死ぬまでに実現できるかどうかは天に任せるという気持ちで)。


ということで、これから「私小説」の世界を訪ねていこうということになった今、ついに自分の故郷への帰還を果すことになるのかな、という感慨にとらわれています。

私が日本文学の世界を卒業してからかれこれ半世紀が過ぎようとしています。
この間の「私小説」の領域は非常に拡散しまた深化もしていってるという印象を、その歴史経過を遠目に見てきて、持っています。
そしてそのほとんどを私は読んでいないし、作家一人一人の心的世界を覗き見ることもなくすごしてきました。

その意味では、このブログでこれから発していく私の言説は、「私小説」の世界ではすでに既定の事項となっていることも多々あるかと思います。
しかしそれは先人が切り開いてきた道を確認しながらの私なりの探索過程として受け止めていただきたいと思いますs

そしてこの先どういった事が待ち受けているか、楽しみにしてお付き合いいただければ嬉しく思います。





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