モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

遠近法から‟絵画の真実”へ

2019年08月13日 | 「‶見ること″の優位」

私たちは「見えている世界」をどのように見ているのかということを問うて、西洋の近世では、空間の三次元の見え方を遠近法という方法で表すことを発明しました。
しかし遠近法がなぜ二次元平面上に奥行きを現象させるのかということを改めて問うならば、「絵画の謎」すなわち「見ることの謎」は依然として謎であり続け、その限りにおいて、絵画は延々と描き続けられていくでしょう。

それはともかく、遠近法という奥行き表現の発明は、17世紀のバロック絵画やネーデルランドの絵画において、人間的な視界の表現方法として絵画の表現領域を大幅に拡大していきました。
なかんずくオランダ絵画の黄金期と言われるこの時代の絵画作品は、市民生活の中に見出される風景や室内空間において奥行き表現の可能性が探求され、それを実現することの画家としての喜びのようなものが、ひしひしと伝わってきます。



さてこの遠近法は、19世紀後半あたりからの印象派などの新しい絵画創作の考え方の中で徐々に否定されたり無視されていき、
20世紀に入るとむしろ逆に平面性を強調したり(クレー、モンドリアンなど)、遠近法を写実の原理としてというよりは、空間構成の技法の一つとして捉えなおされたりしていきます(デ・キリコ、ダリなど)。
この段階で、遠近法に基づいた写実絵画の歴史が、網膜上に映し出される現実をいかに精密に模倣していくかという課題に応えていくための技法であり、
それは“現実という一つのイリュージョン”を創り出していく技法であるということ、
そして絵画の物質的な在り様は飽くまでも2次元平面空間であるということが、認識されるに至ります。

“現実という一つのイリュージョン”とは平ったく言えば“だまし絵”ということであり、
実際、西洋の近世・近代の絵画の歴史においては、無数の“だまし絵”が創作されてきている(このジャンルでの傑作も多い)という事実からしても、
西洋の近世・近代絵画の本質は“だまし絵”に他ならないと言い換えることも可能です。

西洋の近世・近代絵画の本質は“だまし絵”に他ならないことに気が付くということは、
逆に言えば、“絵画の真実”を認識するに至ったことを意味しています。
“絵画の真実”とは、「絵は2次元空間上に創り出されたイリュージョン(もしくは現実)である」ということです。
この“絵画の真実”に目覚めて、“絵画の真実”の中で探求される“奥行き”の表現こそ、セザンヌ以降の現代絵画が取り組んできたテーマであると、総括することができます。



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