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南相馬

2012年04月21日 | 震災
南下の旅は、南相馬市内にある、原発20km圏の立ち入り禁止区域で終わりました。

放射能について、以前にも一度触れましたが、「地元」と「それ以外」の人の感覚に、大きな隔たりがあることが行ってきて分かりました。ここから先は「地元」の人の感情を害す表現になってしまうかもしれませんがすいません。

例えば岐阜に住む我々にとっては、福島県を含めた東北・関東辺りまでを丸々“危険”だと思っている節が少しあります。僕が今回東北へ行ってきたと話すと、「放射能は大丈夫なの」と冗談っぽく聞いてくる先生もいましたし、震災後、東京の大学に入学が決まった息子を辞めさせようか考えていた先生もみえたからです。しかし実際「地元」東北や関東の人たちは、当然そんなこと全く気にせずに生活しているわけです。
ところが、そんな東北に住む知り合いの先生に、飲みの席で「福島に行ってきました。」と話すと、一瞬顔をしかめたのが分かりました。宮城の人にとっても、福島は“危険”という認識なのかな、と想像するのには十分でした。しかし実際「地元」福島の人たちは、全く気にせずに生活しているわけです。

車で南相馬市内に入り、驚いたのは、「あと○kmで立ち入り禁止区域」という看板が並んでいるにも関わらず、近所の人は誰も防護服どころかマスクすらつけていなかったことです。国道沿いのコンビニや外食の店も普通に営業していましたし、マンションには普通に洗濯物が干してありました。ここで、「驚いた」という表現を使いましたが、正直言って、ここまで来て実際に見るまで、自分もこの辺りは流石に”危険”だと思っていましたから、この“普通”の状況に逆に驚く始末だったわけです。認識を改めながら進んでいき、立ち入り禁止場所を視認して、Uターンしました。

この場所から約20km先が福島第一原発です。この時点で1時40分過ぎだったので、ナビによるとあと30分ほどの道のりのようです。ついでにもう一本別の細い道で行ってみたら、そこは道だけ封鎖されていたものの、監視している人影は見当たりませんでした。徒歩で入ろうと思えば入れそうでしたが、流石にそんなことはしませんでした。

おそらく、この辺りに住んでいる方にとっては、あの立ち入り禁止の向こうが“危険”であるという認識なのでしょう。しかし、4月の現時点で南相馬市の立ち入り禁止はほぼ解除されていますから、この日に入れなかった所からさらに数kmまで入れるようになっているはずです。で、だからといって人が戻るのかどうか・・・それは、新たに解除された「地元」の人と「それ以外」の人が同じことを考えたとき、答えが真っ二つに分かれてしまうのではないでしょうか。この状態が「感覚の隔たり」だと思うのです。
(岐阜人)東日本は危険→(東京人)東北は危険→(東北人)福島は危険→(福島人)南相馬は危険→(南相馬人)原発周辺は危険
・・・この感覚の恐ろしいところは、根拠を伴っていないことにあります。

何故そうなってしまったかの大きな原因は、テレビやネットもひっくるめたメディアの情報発信のあり方にあるのは間違いありません。宇宙服のような防護服に身を包んだ一般人が家に帰宅する映像を何度も見せられれば、そこは宇宙のような「異界の地」に思えてきてしまいます。そして、自分の「地元」が安全であると言う実感から、勝手に「異界の地」を想定してしまうと言うわけです。
しかし、放射能と言うものは、低レベルであればあるほど、距離が遠いほど、浴びる時間が短いほど、人体の影響は少なくなるものであり、数値で測ることも一応可能なわけです。自分は福島に行く前の一関の宿でラジウム温泉に入りましたが、ここで1時間湯船に浸かって浴びた放射能の方が、おそらく南相馬市内にいた1時間で浴びた量よりもはるかに多いと思います。しかも、それでもまだ福島第一原発直下に比べたら、月とスッポンの生き血のヘモグロビン1個ほどの違いがあることでしょう(笑)数値で示され、基準がはっきりしていれば、心配する必要など元来ないのです。まあ、数値がいい加減だったり、基準が曖昧だったりしているのも問題ですけど、それでも何かに理由をつけて“危険”だと考えたくなる気持ちは、実は誰にでも少なからずあるものです。

要するに、この「感覚の隔たり」の犯人は、放射能ではなく、“ケガレ”の思想なのではないかと言うことです。元は神道の概念の1つで、究極的には死のケガレ、血のケガレなど、キレイでなく、人が敢えて避けたくなるものの総称を指します。例えば歯ブラシや箸は、仮に最新技術を駆使して完全に洗浄したとしても、他人の使ったものを使うのはどうしても抵抗があります。歴史的には、“ケガレ”は差別と結びつき、2000年前に天下を取った農耕民族である弥生人が、狩猟を生業としてきた縄文人への差別から始まり、今の同和問題にまで続いているという説もあるほどです。子どもの感覚でも、「エンガチョ」と言う形で広く浸透しています。物理的な汚れでなく、内面的かつ永続的なものなので、簡単にキレイにすることができない、非常に始末の悪い思想です。
それと同じように、聞きなれない「放射能」というものが、今回新たな“ケガレ”として、我々日本人の深層意識の中に刷り込まれてしまったのではないでしょうか。目に見える数値は出なくとも、目に見えない何かを恐れて、必要以上に避けようとしている現状を見ると、今後何十年かして原発周辺の放射能が落ち着いたとしても、「地元」の人以外の人が住みだすかどうか、疑問が残ります。

まあ、日本人の良いところは「水に流す」即ち「禊(みそぎ)」をすることでその“ケガレ”を払いますから、そのうちすっかり忘れて何事もなかったように日常生活を行いだすかもしれませんが。