書いても書いても、着地点が見えない原稿というのがある。
昨日書いていた酒蔵の原稿はまさにそれで。
それでもなんとか書き上げたものを、我が家の名ディレクター(夫)にまずは読んでもらう。
こういう時、同業者の夫婦でよかったなと思うのだ。
たくさんの朱書き。客観的な意見。自分ではわからない発見が必ずある。
結局、4章あるうちの最終章を全部書き直すことにした。
そこまでは夫の指示ではなかったのだが、1箇所指摘された箇所を直していると、芋蔓式にどんどん直さなければならなくなり、もういっそのことゼロから書き直そうと思ったのだ。
それに、冷静になって読み進めていると、作為的というか、人を感動させようと思って書こうとしている自分に気づいた。
その杜氏さんは「美しい酒を造りたい」と言った。
「美しい酒」という言葉が忘れられず、それを最後に持ってきて締めたいと思った。
だけど夫は「美しい酒というものがぼんやりしすぎてる。よくわからん」と言った。
その時は必死に「美しい酒」と自分が感じたことを説明したのだけれど、いざ書き直していると、この「美しい酒」にこだわりすぎているから着地点が見つからないのだということに気づかされた。
心にひっかかったワードから文章を展開するのはとても大事なこと。
だけど、3000字以上ある長い文章なのだから、もっと大事なのは構成だ。
つまり、「何を伝えたいのか?」ということ。
今回は「美しい酒」は全く関係のないテーマなのに、長年の経験とテクニック的な面から「このワードを最後に持ってきて締めたらカッコよく決まるな」と思った自分がいたのだった。
完全に独りよがりな文章になっていた。
あさはかだ・・・。
しかし、一旦書いた文章(800字くらいだけど)をゼロにするというのは、意外に勇気がいるもので。
だけど、思い切った。
もう一度、テーマを思い出し、最初から終わりまでの流れを重視して書き直した。
床で転がって寝て、布団で少し寝て、朝起きてまたパソコンに向かって、昼過ぎにようやく仕上がった。
夜中、ふと「夏が終わる」ことに気付き、今年も浴衣を着なかったことを思い出した。
浴衣をクローゼットの衣装ケースから出して、ちょっとはおってみた。(笑)
与謝野晶子の短歌が読みたくなって、本を開いてみたりも。
彼女の歌はとても難しくて、でもその意味が知りたくて、何度も何度も読んでしまう。
むしろ平安時代とか古典のほうがわかりやすい。
うつくしき命を惜しと神のいひぬ願ひのそれは果してし今
許したまへあらずばこその今のわが身うすむらさきの酒うつくしき
現実逃避で真夜中にそんなことをしながら、ようやく書けた原稿。
もっと文章が上手くなりたいと切実に思った。
というか、まずは取材だ。取材がちゃんとできていないから、満足いくものが書けないのだ。
自分の才能の無さに打ちのめされる夜がある。
これまでも何度もあった。
そういう夜をいくつも越えて、少しずつだけれど、書きたいものに近づいていっているのかもしれない。
40歳超えて、まだ悩んで打ちのめされて、成長したいと願える。
そういう仕事に出会えたことは、きっと幸運なんだろうな。
昨日書いていた酒蔵の原稿はまさにそれで。
それでもなんとか書き上げたものを、我が家の名ディレクター(夫)にまずは読んでもらう。
こういう時、同業者の夫婦でよかったなと思うのだ。
たくさんの朱書き。客観的な意見。自分ではわからない発見が必ずある。
結局、4章あるうちの最終章を全部書き直すことにした。
そこまでは夫の指示ではなかったのだが、1箇所指摘された箇所を直していると、芋蔓式にどんどん直さなければならなくなり、もういっそのことゼロから書き直そうと思ったのだ。
それに、冷静になって読み進めていると、作為的というか、人を感動させようと思って書こうとしている自分に気づいた。
その杜氏さんは「美しい酒を造りたい」と言った。
「美しい酒」という言葉が忘れられず、それを最後に持ってきて締めたいと思った。
だけど夫は「美しい酒というものがぼんやりしすぎてる。よくわからん」と言った。
その時は必死に「美しい酒」と自分が感じたことを説明したのだけれど、いざ書き直していると、この「美しい酒」にこだわりすぎているから着地点が見つからないのだということに気づかされた。
心にひっかかったワードから文章を展開するのはとても大事なこと。
だけど、3000字以上ある長い文章なのだから、もっと大事なのは構成だ。
つまり、「何を伝えたいのか?」ということ。
今回は「美しい酒」は全く関係のないテーマなのに、長年の経験とテクニック的な面から「このワードを最後に持ってきて締めたらカッコよく決まるな」と思った自分がいたのだった。
完全に独りよがりな文章になっていた。
あさはかだ・・・。
しかし、一旦書いた文章(800字くらいだけど)をゼロにするというのは、意外に勇気がいるもので。
だけど、思い切った。
もう一度、テーマを思い出し、最初から終わりまでの流れを重視して書き直した。
床で転がって寝て、布団で少し寝て、朝起きてまたパソコンに向かって、昼過ぎにようやく仕上がった。
夜中、ふと「夏が終わる」ことに気付き、今年も浴衣を着なかったことを思い出した。
浴衣をクローゼットの衣装ケースから出して、ちょっとはおってみた。(笑)
与謝野晶子の短歌が読みたくなって、本を開いてみたりも。
彼女の歌はとても難しくて、でもその意味が知りたくて、何度も何度も読んでしまう。
むしろ平安時代とか古典のほうがわかりやすい。
うつくしき命を惜しと神のいひぬ願ひのそれは果してし今
許したまへあらずばこその今のわが身うすむらさきの酒うつくしき
現実逃避で真夜中にそんなことをしながら、ようやく書けた原稿。
もっと文章が上手くなりたいと切実に思った。
というか、まずは取材だ。取材がちゃんとできていないから、満足いくものが書けないのだ。
自分の才能の無さに打ちのめされる夜がある。
これまでも何度もあった。
そういう夜をいくつも越えて、少しずつだけれど、書きたいものに近づいていっているのかもしれない。
40歳超えて、まだ悩んで打ちのめされて、成長したいと願える。
そういう仕事に出会えたことは、きっと幸運なんだろうな。
わたしもよく編集者さんにシメの部分を
「ぼんやりしてわかりにくい」と、指摘されます。
自分ではそれが締めくくりにちょうどいいと思ってるんだけど、こだわりすぎて盲目的になってるんやろねえ……。
そして直すと確かにめっちゃ良くなる(笑)
ちなみにわたしが前回指摘されたのは「ほんもの」というワードでした。うん。「うつくしい」も
「ほんもの」もその言葉だけでは、抽象的になってしまうのだろうね。
もっともっと勉強していい原稿書けるようになりたいねーー。取材させてくださった方の好意にこたえられるように。
頑張りましょー♡
いくつか指摘があって、その指摘を再考して書き直すと、あんなに苦しんでいたのがウソみたいに書けました。
やっぱり編集の力って、すごいわ。
モヤモヤしていたのがパーッと晴れる感じ。
それで、1文だけその方が足してくれたところがあったんだけど、その1文で急に原稿が締まってね。
わー!!ってなりました。(いろんな意味のわー!)
才能がないなら努力しかない。
もっと努力するわ。
自分は文章力以前に、心がダメなんだとも思った。
それはまたの機会に。
今日も追われます!がんばろう!
取り組み方に、いつも勉強させてもらっています。
圧倒的なものに打ちのめされる。これも、このところ考えていたことです。打ちのめされる経験があるのは、得なことだと思います。そこで立ち止まって、さあ、どうしよう。悩んで。その多くの人に、もう一生たどり着けない気持ちになったりして。だけど、ふと気付くんです。ああ、皆自分の得意な分野をやってるんだなって。するとまた、頑張る力が湧いてくるような気がします。
夢とか希望って、涙が出てきますよね。到達点じゃなくても、その果てしなき途上でも、涙が出てくるんです。
これでいいやとか、しょうがないとかだと、溜め息しか出てこない気がするんです。
私は足りないことだらけなので、とにかく気付きは多いです。
そう言っていただくのも恐縮です・・・
夢とか希望って、涙が出てきますね。本当に!
ずっとそういう涙を流していたいです!
ため息なんて、必要ないですね。
これからも、どんどん打ちのめされながら、しぶとく立ち上がっていきたいと思います。
自分がこれと思った道ならば、どんなに険しくても。