月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

愛しき「日常」が、再び。

2020-07-02 | 
月曜の夜、かどやと二人で飲んだ。
外で飲むという行為自体がおよそ4ヶ月ぶりのこと。
高槻の夜の街はどんな感じだろうかと思っていたが、閑散とするわけでなく、かといって元通りの人混みでもなく、ちょうどよく感じた。
若い女性がほとんどという客層の、カジュアルなイタリアンレストランに入り、ピザやアヒージョ、シーザーサラダなどを注文。
生ビールで乾杯したら、ああようやく「日常」だと思えた。急激に目に映る人やモノの色が濃くなったのを感じた。

久しぶりに会ったというのに、話題は無農薬野菜の育て方のこと。
「土が大切」「化学肥料はあかん」等、農家の人のように話すのを聞いていたら、なんだかおかしくなって笑ってしまった。
でも、そういう肩ひじ張らない会話が、私の心も体もゆるゆるとほぐしてくれるのを感じた。
あっと言う間に赤ワインのボトルが空になると、「ウイスキー飲みに行こう」とかどやが言うので、近くのJKへ。
エヴァンウィリアムスのロックに、スモークチーズ。
お酒が進めば、少し話題も深くなり、1時間のつもりがまた2時間。楽しい時間だった。

この日を皮切りに、週に1回程度、友達と会っていきたいと思っていたのだが、想定外のことが2つも飛び込んできて、結果的に3日連続で飲むことになった。
土曜、飲み友達でもあるカメラマンMさんからLINEがきて、「相談があるので電話していいですか?」とのこと。
彼がそんなことを私に言うのは珍しく、何か深刻なことのように思ったので、電話より少し会いましょうかと提案した。
そして、こういう時こそフリーランスの特権を活かして街に人があふれる前の「昼飲み」にしようと、火曜の15時に大阪駅に集合し、ルクアのバルチカへ。
福島駅近くにある「ジャックとマチルダ」の系列店がつい先日オープンしたと知っていたので、そこに行きたかったのだ。
(酒のアテも日本酒も美味しくリーズナブルな立ち飲み屋。同系列の福島の店や天満の店には何度も足を運んでいる)
立ち飲みのほうが2時間でさっと切り上げられるのもいい。
思った通り人もまばらで、感染リスクはかなり低そうだったのでホッとした。

Mさんからの相談事は身内のガンの話だったのだが、それ以外はいつものようにたわいもない話。
外で飲む日本酒も4ヶ月ぶりで美味しかった。
やっぱりリモートじゃダメだ。リアルじゃなきゃ。
若いころからずっとあちこち飲み歩き、人と会話を重ね、自分のエネルギーに変えてきた。
それが原点。
それが源。
自分の生活には、人生には、やはりこういう時間がないとダメだと実感した。

また、今は感染リスクを考えて、さくっと2時間で切り上げられるのもいい。
いつもなら「よーし!調子上がってきた!2軒目じゃ~!」と行くところ、17時になって人が増えてきたのと同時に、「では、また~」と程よいところでスムーズに帰宅できた。(私としては珍しいこと。リスクでもないと、とことん飲むはず)

そして昨日、これまた予定外でふみこと飲んだ。
月曜の夕方、かどやと会うために駅まで急いでいたら、仕事帰りのふみこに遭遇。(これだから近所は・・・)
「急やけど水曜なら仕事休みやから遊べる!」と言うので、その場で即決。駅前でランチしてからうちへ来て、飲みながらしゃべることになった。

うちでタロット占いもしてあげた。
実際に人を前にすると、とっさに言葉が出ないので難しい。
でも、「当たっている」かどうかより、カウンセリングじゃないけど、
「こういうことない?」
「あ、もしかしたらあのことかも」
「今、こんな気持ちじゃない?」
「思い当たる節はある。今こういう環境だから・・・」
みたいな感じで、私が一方的に未来を予想するような占いではなく、一緒に今の置かれている環境や心の動きを整理していくような占いができて、私もまた一段レベルが上がったように思った。(一体何を目指しているのだ、私は・・・)

瞑想の先生に言われていたことをふと思い出す。
私は「のど」が弱い。それは肉体的な意味(病気ということ)ではなく、ヒーラーとして見た時のこと。
「もっと言葉にして喉を使ったほうがいい」と言われていた。
それはなんとなく昔から私も思っていたことで、ペラペラとおしゃべりなように見えて、実は言いたいことを「話す」ということが苦手だ。「思考」→「話す」の流れがスムーズでなく、うまくまとまらないし、話しながら「あれ?こんなこと言いたいんじゃないのに」と思うこともよくある。
それが、「思考」→「書く」だと本当にスムーズで、自分の考えが脳の中で言葉として認識されるのと同時に書き表していくことができる。だからこそ、物書きになったわけだけど。

タロット占いも、A4用紙にびっしりと文章にしてまとめてあげるのはたやすいのだが、ふみこを目の前にして言葉を紡いでいく作業がとても難しかった。カードのイメージ・持つ意味は理解していて、もやっと心に浮かぶのだけど、それが喉を通して発するとなった時にするするとは出てこない。
でも、これは「のど」を使う、いい訓練になるなぁと思った。

そんなこともやりながら、ちびちびとビールやワインを飲み、ふみこがビールをぶちまけるというハプニングも乗り越え、なんやかんやで夜の9時までうちにいた。(これだから近所は・・・)
ちなみに夫は出勤だったので、終電で帰宅。

ふみこを玄関で見送った後、残ったミントハイボールを飲みながら、コロナ自粛が明けたと思ったら、いきなり濃厚な3日間だったなぁと振り返る。
今くらいの感染リスクなら、このくらいの行動範囲で、このくらいのリスク管理で、皆とまた以前のように過ごせることを確認。
私も休薬中だから、免疫力はほとんど普通の人と変わらなくなっているし、少し安心。まだ気を抜いてはいけないけど。

こうやって、1つずつ戻ってくる日常を、これまでとは違う気持ちで抱きしめる。
愛しく思うし、感謝もあふれる。
1年後、5年後、10年後、このブログに書かれたコロナ時代の私の想いを、未来の私はどんなふうに思い返すのだろうか。
あんなこともあったよねと、誰かと懐かしく笑い合える未来をつくるために、今日を真摯に生きて、綴る。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿