月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

良いメンバーと仕事ができる幸せ

2014-01-11 | 仕事
またもや朝5時起きで奈良へ取材。
酒造りの朝は早い。そして、寒い。

蔵ではなく、お寺でお酒を仕込むイベント。
詳しく書きたいけど、検索でひっかかるとイヤなので、ものすごく簡単に書く。
お寺の外で奈良の蔵が9蔵集まって、そこで今とは違う昔のやり方で酒母をつくるのだ。
その酒母を蔵が自分のところに持ち帰って、それでお酒を仕込む。
報道もたくさん入っていたし、一般人もお祭り気分で見に来ていた。
餅つきや粕汁のふるまい、試飲もあって、にぎやかだ。

そのイベント取材ということで、日本酒冊子のメンバーが集まった。
発行元(クライアント)であるHさん、I山さん、E本さん。それからライターのI田さんと私。
E本さんとI田さんは岡山から来ている。(朝5時に出発)

7日には、まず米を洗って、その生米と水をタンクに入れるという作業を終えている。
このタンクに電熱線を巻いてジャケットつけて、温度を30度くらいにする。
30度の生米が3日間放置されたらどうなるか?
簡単に言えばくさってくる。
すっぱい、発酵したヨーグルトみたいなものができるわけだ。
「そやし水」といって、これを使うのが今とは違うところ。その昔、夏場に行っていたという酒づくりだ。

11日の前日夕方にタンクから水を抜き、米と水に分ける。米には乳酸菌がうじゃうじゃ。
11日はその状態で造りが始まった。

これがそのタンク。
桶に入っているのが、抜いた水。


甑。お米を蒸す道具ね。


米を甑に入れて


蒸す


蒸し上がったら取り出して、広げてほぐす。


いい風景ね。


蒸米はこんなの。3日前に炊いた固いご飯みたいな感じかな。


冷めたらタンクに入れる


水と麹も入れて、混ぜるとこんな感じ。


これが10日経つと「酒母」といわれるものになるわけだ。
そして、蔵に持ち帰り、水と蒸米とを混ぜてタンクで仕込んで、それが発酵してお酒になる。
めっちゃ簡単に説明してみた。

いっぱい人が来ていた。


餅つき


粕汁のふるまい


最後はお坊さんがいいお酒ができるように祈祷して、終了。


蔵での酒造りと違って、ゆるーいイベント。
知り合いの蔵の方が「手伝ってもいいよ」と言って来たくらいだ。
わ、いいな、手伝いたいなと思ったけれど、そういう時、出遅れるのが私。
先にI田さんがすごいテンションで「はい!手伝います!嬉しい~!!」と喜んで駆けて行った。
そして、蒸米を広げる作業を楽しそうにやっていた。

こういう時、私はひどく落ち込んでしまう。
なんで引っ込み思案が出てしまうんだろう・・・。
別に手伝いは一人と決まっていたわけじゃないし、「私もやりたい!」と一緒に手をあげればいいのにそれができない。
カメラマンを任されていたということもあるけれど、結局、いいなぁと思いながら撮影するしかないのだった。
ダメな私・・・。

でも、空き時間にI田さんと二人で初めてゆっくりいろいろ話せたことは収穫だった。
彼女はとても真面目な人。とても誠実で一生懸命で、「こう」と決めたらまっすぐに突き進むような、そんな強さもある。
(長女っぽい)

とにかく真面目で、結構私の自由な発言や行動に引き気味だ。
例えば、先ほどのお坊さんの祈祷。
終わるまでじっと待っているのだけど、これが長くて長くて。
後ろに立っていたおばさんが一緒にお経を唱えているのが聞こえてきて「法事とかに行くと、うちのおかんくらいの年代以上の人って、必ずお経を一緒に唱えるよなぁ・・・どこで覚えるんやろ。そういえば、おかんは子供の頃にみんな覚えさせられるんやって言ってたなぁ。一体どの年代から覚えなくなるんやろ?」とか、そういうことを考えている。
「寒いなぁ・・・。早く終わらないかなぁ・・・」とも。

で、終わってすぐに「あー、長かったですね!」とI田さんに言うと、「そう?」と普通に返された
「いや、あの・・・。じっと立ってるの寒いなぁと思って」と慌てて言ったら、「うーん・・・。もう慣れたかなぁ」とまた普通に返された
なんだかとっても不謹慎な人みたいになってしまった私・・・。
I田さんはお経は唱えずとも、一緒になって「いいお酒ができますように」とお祈りしていたんだろうな。
そういう真面目さがある。(というか、普通に大人)

また、ある時は、HさんがE本さんのことを「これから営業まわるって言ってたけど、絶対車の中で寝るはずや。あいつはそういうやつや」と、私たちに言っていたことがあった。もちろん、冗談で。(マジな陰口ではない)
冗談だとわかっていたし、そういうことを言い合うような関係だから面白いと思って、Hさんのいない場で私がE本さんにその話をした。
「あいつは寝るはずやって言ってましたよー」と。
それを横で見ていたときのI田さんの表情!!
「この人、何を言うんや・・・。そんなこと普通、告げ口するか?信じられない!」という驚きと軽蔑の混じった顔で私を見ていた。
実際、E本さんがHさんに「こんなこと言っていたらしいですね!」と怒っていたが、「私がちくりましたー」と私が言って、なんだかもめてはいたけれど、まあ別に冗談で笑って終わったのだが(たぶん)。

え、そういうノリって、あかんの?
岡山の人やからかなぁ・・・
いや、やっぱり性格だろうな。
私はみんなから「なんで言うねん!」「調子乗るな」と言われることすら面白いと思えるけれど、そういうのが嫌なんだろうな。
ものすごく真面目で誠実な人なのだ。それがI田さんの素敵なところでもある。
まあ、向こうは私のこと、「空気よめへん人・・・」「不真面目な人・・・」「自由すぎる・・・」と思っているかもしれないけれど。

お酒の話もいろいろ聞けて、私の何倍も知識や経験があっても、I田さんはI田さんなりに悩んで苦労していたんだなとわかったし、「いいものを創りたい」という気持ちは同じなのだから、もっと教えてもらったらいいんだなと思えた。
なんだか自分1人で抱えて頑張らなければ!追いつかなければ!という気持ちでいたが、そうじゃなくて、頼ったり頼られたりしながら(頼られることは当分なさそうだが)、一緒に成長していけばいいんだと、本当に素直にそう思えた。

とにかくこのメンバーはみんな懐が広い!大人!(って、何度も言うけど、当たり前!)
夜は初めての合同新年会。
いつものメンバー以外にも、3名のカメラマンと、デザイン・制作をしてもらう会社のN西さんにも集まってもらったのだ。
北新地での楽しい一夜だった。
6時スタートで、10時まで!!
その後、タクシーで南森町まで移動して、11時半くらいまで飲んだ。
いやー・・・ほんま楽しかった!!!

実は、朝の取材が終わった後、私は岡山組の二人を連れて大阪へ行き、6時まで3人で飲んでいたのだが・・・。
世界のビールでビールを1杯と、駅ビルの日本酒を扱っている店で1合ずつ。
それから、阪神の地下で日本酒を試飲。
「新年会」の前に時間つぶしに飲むって・・・笑
こういうところもこのメンバーの良いところだ。

カメラマンの人たちも、みんな個性的でいい人。(一人は一緒に取材した。あと2人は初対面)
そして、みんなお酒大好き。
だから、食べ物があまり減らず、お酒がどんどんなくなっていくという・・・。
しゃべりすぎて、もう声がガラガラ。

Y口さんが最初に挨拶してくれた。
こういう素晴らしいメンバーが集まったこと、和食がユネスコ無形文化遺産に登録され、日本酒業界にとっても追い風であること、本当にタイミングがいいし、よかったと。
私もそう思う。こんな素晴らしいメンバーで仕事ができるなんて、最高だ。

Hさんは、社長秘書も務める優秀な人。キレ者。懐も一番広い。人としての優しさがある。成功者の器。理論的。でも面白いし、飾らないし、豪快だし、本当に「人」としてのレベルが高い人。

I山さんは、体育会系の礼儀正しい最年少・28歳。野球少年。まっすぐで熱い。あまのじゃくなところもある。気遣いがすごい(体育会系の気遣い)。気さくで裏表がない。若いのに人生設計がちゃんとしてる(家購入!)。

E本さんは、大らかで細かいことは気にしない。表現が面白い。私は一番しゃべりやすい。唯一の独身者。いじられやすい。

そして、Y口さん。私をこの仕事に推薦してくれた人。優しくて、物腰が柔らかく、穏やかで、人を包み込むようなところがあって、めちゃくちゃいい人で、信頼でき、誰からも慕われる。文章の先生でもある。気取ったところが一切なく、謙虚。

これからもずっとこんなメンバーでやっていくのだ。
私も皆から必要とされ、「あなたでなければ」と言ってもらえるような仕事をしていきたい。
そのためにはいいものを書くことはもちろん、もっと勉強して成長しなければ!!

皆で飲んでしゃべって、笑い転げた楽しい新年会。
改めてこの出会いに感謝し、いいものを創ろうと誓ったのだった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿