月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

言葉の居場所

2020-11-06 | 仕事
また11月後半から動く小冊子の案件が2つ入り、16社の取材が追加された。
1つは毎年やっている企業主導型保育事業に関するもの。今年で3年目だ。
ただ、今年はコロナ対策で、保育園に関しては取材NG。リモート取材となる。
移動時間がない分、1日に複数件の取材を入れられるから、効率的ではある。
とはいえ、私はリモート取材が好きではないから少し憂鬱。慣れていかないといけないのだろうけど。

今は「仕事がいくらでもある」という状態。
この「先が見えない」感じ、久しぶりだなぁ。わくわくする。

1つ、経産省の案件で、全国で開催されている企業向けのイベントをまとめていくものがある。
以前ならその場へ取材に行っていたのだろうが、「コロナ」「納期までがタイトなのに数をこなさないといけない」「予算がない」等の理由から、動画のURLが送られてくるとのこと。
つまり、開催されたイベント(トークショー)の動画を見て記事にすることになる。
こういうのも今の時代ならではだなぁと思う。
私は自分が取材した案件に関しては、「録音から文字起こしをする」ということがほとんどないので、今からそれが少し苦痛。
音声だけでなく動画だからまだマシだが、文字起こしほど嫌いなことはない。(だから極力やらない)
でも、トークショー自体は面白そうな内容だし興味もあるので、動画を見ること自体は楽しみだ。
また、かなり大きなプロジェクトなので、私を含めて4名のライターが投入され、手分けしてやっていくことになっている。
他のライターさんと同じ立ち位置で仕事をすることなどまずないので、他の人がどんなふうにまとめてくるのかを見るのも楽しみ。こんな機会は滅多にないので、いろいろ技を盗んで勉強させてもらおうと思っている。

最近、文章を書くことに関して刺激になったのは、友達が出身の地元の新聞に短いエッセイを投稿し、それが掲載されたこと。
じんわりとくる、とてもいい文章で、感動した。
私も自分の文章をもっと書いていきたいなと思わせられた。

彼女はライターではないが、国語の先生で、文章もブログなどで書いてきた。
私は彼女の文章が大好きで、いつもブログを楽しみに読み、特に気に入ったものは夫にも「見て~、すごくいいから!」と読んでもらっていたくらいだ。
読んでいて、とにかく心地がいいのだ。音楽にたとえるなら、音程を少しも外さない上手な歌を聴いているよう。
もう一人、最近、念願の校閲者になった友がいるが、彼女の文章も美しい。基本的に1センテンスが長いのに、それを感じさせないくらいスムーズに読ませる。
この2人の文章がどうして好きなんだろうか、どうして心地がいいんだろうかと考えていて、わかった。
それは「言葉をよく知っている」からだ。
「キャプテン翼」的に言えば、「ボールが友達」。それと同じで「言葉が友達」みたいなところがある。(なんだ、このたとえ)
国語の先生、校閲者(なんなら塾の講師でもあった)という二人は、言葉の1つ1つの意味をきちんと理解しているから、それが「あるべき場所」にスッと収まっているのだ。だから、引っかからない。
もっと言うなら、文法も句読点の位置も完璧なのだ。だから、読んでいてきれいに流れていく。

少し前に国語の先生の彼女に会った時、私はあなたの文章がとても好きだけど、それは「言葉の居場所」をよく知っているからだろうね、と伝えた。
言葉には表現に合った「居場所」があって、それがずれると気持ちが悪い。まるで、音痴な人の所々半音ずれた歌みたいに。
正しい「居場所」に言葉を置くためには、言葉の意味をきちんと知っていなければならない。それができるのは一握りの人だと思う。才能というよりも、それを意識しているかどうかも大きいし、子供の頃から言葉に深く触れてきたかどうかも関わっているだろう。

私も仕事の文章を書く時は、「言葉の居場所」を考える。
少しでも「ん?」と思ったら、必ず辞書を引く。
この間も「ざっくばらん」という言葉を使ってみたものの、自分が本当に「ざっくばらん」の意味を正しく理解しているのか気になって調べた。
それでニュアンス的に少し違っていたことに気づき、使うのをやめた。
日本語って複雑で難しいけれど、やっぱり好きだなぁ、面白いなぁと思う。

先日、夫と一緒に仕事をして、まだ3分の1くらいだけどいくつか書いたコピーを提出した。
ディレクターである夫から何カ所か指摘があり、すぐに修正した。
日本酒の雑誌のデスクもそうだけど、客観的に見てくれる立場の人(今回なら夫)の指摘が的確だと、私は1.5倍くらい力を出せるように思う。
もちろん修正ゼロを目指して提出するのだが、「ここが伝わりにくい」「ここ、もう少し省けない?」など細かく指摘されると、急に目の前がパーッと開ける気がするのだ。
道筋を示されてうまく歩き出せるようになるというか・・・。
いつも夫は「かおりは修正してからの伸び方がすごい」と言ってくれる。自分でもそうだと思う。
だから、誰と一緒に仕事をするのかは重要だ。(もっと力のあるライターなら自分の力だけで良いものが作れるのだろうけど)

ついでに言えば、いろんなライターと仕事をしている夫に褒められるのは嬉しい。
今回も「わかりやすくて読みやすいから、すぐに読み終わってしまった。読者のことも考えているし、クライアントにも寄り添っている」と、最上級の褒め言葉をもらった。
やっぱりこれは現場に行って取材をしたことが大きい。社長や社員の人たちの雰囲気、社内の空気感・・・、そういうものを肌で感じているからこそ、寄り添えたのだと思う。
(だから、逆にリモート取材は嫌なんだ)

そして、25年近くもライターをやってきて、何をいまさらと思うけれど、仕事が詰まってくると、むしろ思う。
「言葉を大事にしたい。」
やっぱりこれが基本。
言葉に救われてきた人生だから、私も言葉を大事に扱ってあげたいのだ。

そこまでの想いがあるのかはわからないけれど、私の好きな文章を書く二人の友も、言葉を大事にしていることは間違いない。
良い文章にたくさん触れ、私もまだまだライターとしてスキルアップしていかなければ。
これから忙しくなるけど、1つ1つを良いものにしていこうと気合を入れた。