月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

ようやく辿り着いた気がする。

2020-07-16 | 癌について
治療も入院もしない時間が1ヶ月以上続くと、自分がガン患者だということをつい忘れてしまう。
副作用の痺れがあと少し残っているくらいで、痛みも何もないから余計にそうなる。
コロナ感染が少し収まってきた時期と合致したものだから、人と会うこともできるようになり、それでますます勘違いした。
この2~3週間、もうすっかり「治った気分」になっていたのだ。

先週金曜日、予約していたセカンドドクターのところへ行ったのだが、前日はやめようと思っていたお酒を飲んでしまっていたので、少し自己嫌悪に陥っていた。
行きの電車の中で考えていた。

あれ? ガン再発で生活を変えたんじゃなかったけ?
ガンのメッセージを考えるんじゃなかったっけ? もう答えは見つかったのか?
この感じ、前と同じじゃないか。何も変わっていないじゃないか・・・。

先生に「最近はどうですか?」と聞かれたので(最近は高濃度ビタミンC点滴と簡単なカウンセリングみたいなものをしてもらっている)、正直に今のモヤモヤした気持ちを話した。
何をしていいのかわからない。
前と同じ生活に戻ってきている。
ただ焦りだけがある・・・。

すると先生はベストセラー『7つの習慣』からの引用で、「重要」と「緊急」のマトリックスを簡単に書き、「今、あなたに必要なのはここの部分だね」と第二領域(重要かつ緊急ではない)を指した。
言われてみると、最近の私は最も無駄な第四領域(重要ではない・緊急でもない)のこと、つまりは「暇つぶし」ばかりをしていたように思った。
かといって、第二領域に当てはまることで何をすればいいのかわからない。
そう自分を分析すると、先生は何でもないことのように言った。
「今やるべきことは、食箋と温浴でしょう?」と。
その言葉を聞いて、ハッとした。ガーンと殴られたような気分にもなった。

私はまだ「ガン患者」だった!!

今は休薬中というだけで、治ったわけではない。8月の半ばにはまた次の治療方針が決まってしまう。次の検査で良い結果を出して、これ以上は抗がん剤をしなくて済むようにしなければならない。
自分はステージ4で延命治療しかない、その治療法すら限られてきた、そういう崖っぷちの人間だと、どうして忘れていたんだろうかと思った。(本当にバカなのか?)

私は、カウンセリングの時に、もっと重要な「ガンのメッセージ」についてアドバイスをもらうつもりでいた。
人生において何をやりたいのか、今そのために何をすべきなのか。そんな類のことだ。それは、自分がもう治った気持ちでいたからだ。
でも先生にとったら、私は少しも治っていないガン患者で、崖っぷちにいる人だ。医者としてのアドバイスは、その崖っぷちから私を安全な場所へ引っ張る方法しかない。私が人生で何をやりたいかとか、生活をどうしようかとか、ましてやどんなものを書いていこうかなんて、先生にアドバイスができるはずもない。

横で私と先生の話を聞いていた瞑想の先生も、これはあかんと思ったらしく、午後の瞑想の時間に「こういうのはあまり好きじゃないけど、ワークをしてもらいましょう」と言った。
食箋、温浴、運動、そして「自分を褒める」。
この4つを自分のワークとして持ち帰り、やってくださいと。

目が覚めた。
次の検査まであと3週間、できるだけのことをやろうと誓った。

翌日、もらった「食箋」のレシピにしたがって、必要な材料を買いにいき、料理をした。
それを食べ、運動をし、温浴も始めた。
治療を受けていない今こそやるべきことは、自分の「治る力」、つまりは自然治癒力を高める努力をすることだった。

もう5日目になるが、朝ごはんはこんな感じ。
白湯からスタートし、人参と大根のすりおろしを混ぜたもの、小豆昆布、りんご、生アーモンド、熟成黒にんにく、サジージュース(ビタミンC)。



朝ごはん以外はがっちりと決めていないが、玄米を食べ(これは前からだけど)、肉(牛・豚)と糖分(砂糖)はできるだけ控えている。
病気になったら肉と糖分はいったんやめる、というのは自然治癒力を上げるための本にはだいたい書かれていることだ。(もちろん病気でない人は食べすぎなければいい)

温浴は、いわゆる半身浴だが、「温→冷→温→冷→温→冷」と交互にする。(冷は水シャワーを手足にかける)
必ず最後は「冷」で締めることが大事だという。
温浴や運動の前には、干し椎茸と切干大根を煮出したスープを飲む。

ようやく病人らしくなってきたな、と思う。(今頃かい!)
いや、もちろんこの1年も、食事内容は変えていたし、瞑想や水素吸入などもしてきた。ただそれは、抗がん剤の副作用を軽減したいという気持ちが大きかったし、何より毎月治療をしているから「病人」だという意識がちゃんとあったのだと気づいた。
それが、休薬したとたんに治った気分になって生活が乱れて自己嫌悪に陥ってしまうのなら、もしこのガンが治ったところでまた数年後に再発してしまうだろう。

ちゃんと、自分の体と向き合って、自分の力で治すんだ。
いろいろ面倒だけど、これが今の私がやるべきことなんだと言い聞かせる。緊急ではない最重要事項だ。
とにかく3週間、やってみる。

しかし、小豆昆布のまずさよ・・・。
まずいっていうか、「味のしない餡」を想像してもらえればいいかと・・・。
5日続けたら、ちょっと慣れたけれど、まだ「おいしい」とは思えない。(ああ、痺れるほど甘いぜんざいと、塩辛い昆布ならどんなにいいか!)

でも、自分の立場とやるべきことを自覚したら、急に知りたかった「ガンのメッセージ」もわかったのだ。
それについてはここには書かないけれど、再発して1年経って、ようやく答えを見つけたから、もう大丈夫だという気がしている。
起こることすべてに必ず意味はあると、また思う。

いろんなことがあった1週間だった。

2020-07-16 | 生活
いろいろ詳しく書きたいことが多すぎて、逆に書けない日が続いていた。(どうでもいいことなら10分で書けるからいいのだけど)
でも、そろそろ書かないと忘れていってしまうので、ざっと振り返る。

先週金曜は友達と京都の「丸太町やんがす」さんで食事。
初めて行った店だったけど、とても気に入った。お金のことを気にせずに飲み食いすると、一人1枚諭吉が飛ぶので、しょっちゅう足を運べる店ではないが、「おいしい和食をゆっくり食べて、おいしい日本酒を少し飲みたい!」という時にはぴったりだ。
店内はカウンターと小上がり(掘り炬燵)だけでこじんまりとしていて、明るく清潔。店主は若いが、料理の腕は確かだった。
おかげで、半年ぶりに会えた友達と、良い時間を過ごすことができた。
(いずれ詳しく紹介したい)
ただ、繁華街でもないので、わざわざ足を運ばないといけないためか、私たち以外にお客さんはいなかった。雨降りとはいえ金曜日。これでは厳しいだろうなと心配になる。
他の人と同じ空間で接しなくてよかったので、私たちは助かったが・・・。

日曜は、雨の止んでいるタイミングを狙って、夫と大山崎山荘美術館へ。家から徒歩30分弱なので、ちょうどよいウォーキングにもなる。
お目当ては「生誕130年 河井寛次郎展」。
開催中に絶対行こうと思っていたが、コロナ自粛でずっと閉館していたので、ようやく行けて嬉しかった。(6月18日から再開)



館内に入るずっと手前の休憩所でスタッフに止められ、そこで名前や電話番号を書き、検温とアルコール消毒をする。徹底してくれているので安心した。
どちらにしろ館内はガラガラで、1つの部屋にいるのはいつも私と夫だけか、多くてもあと1組くらいだった。

やっぱり寛次郎はいいなぁ・・・
久しぶりにたくさんの作品を見ることができて、幸せな気持ちになった。
海鼠釉が出す神秘的な青の美しさ、寛次郎にしか出せない辰砂の深い赤、晩年だからこそ表現できる泥刷毛の勢い、重み。
釉薬の魔術師といわれ、あれだけたくさんの釉薬を作りながら、晩年もまだ練上や三色打釉などにも果敢にチャレンジする。
若い頃から晩年まで「仕事」への情熱が衰えることは決してなかったのだと、作品を通して実感できた。

かなり満足。
いつものように別館のモネを見て、少しだけ庭を散策してから、また歩いて帰った。
池の周囲に咲く桔梗が美しかった。


残念ながら紫陽花はもう終わり。


月曜日は、1ヶ月前から計画していた日本酒大好きメンバーで集まる会があり、京都の「一献うるうる」さんへ。
私、70歳のM氏、37歳の女性2人というメンバー。いつもこのちぐはぐな4人で集まる。でも、コロナ自粛で集まるのは今年初!!
M氏がいろいろ段取りしてくれていて、料理は和食のコース、日本酒は飲み放題。すごいラインナップだった。
これもまたいずれ詳しく書きたい。
この日も大雨かつ月曜日ということもあってか、お客さんは私たちだけ。
誰とも接することなく、広いテーブル席を安心して使えたのでよかった。(お店の経営は心配だけど・・・)
久しぶりに外で日本酒をたくさん飲んで、複数名でおしゃべりして楽しかった。

火曜日は、午後から製薬会社の取材。
ここでとんでもないことが起きる。
製薬会社だけに感染対策もしっかりしていて、入口で検温があるのだが、「37.0℃以上あると入れない」とのこと。
低体温だというカメラマンさんは一発で入れたのだが、私と営業さんは、なんと37.4℃!!
歩いてきたところで体が熱くなっていること、ジャケットを着ていることなどを考慮してもらい、体を少し休めて(冷まして)から挑戦したのだが、二人とも体温が下がらない。
それでも3回目に営業さんは36.8℃まで下がったのだが、私は37℃台のまま!

いやいや・・・
平熱が36.2℃くらいの人なら37℃は微熱かもしれないが、私は36.5~36.8℃が平熱なので、ちょっと興奮したらすぐに37℃を超えるのだ。
平熱が1℃違う人と同じ基準にするのは無理がないか?
・・・というようなことを、丁寧に説明してお願いもしたけれど、「うちの規則なのですみません」とのこと。そう言われれば仕方がない。
再度チャレンジさせてもらったが、当然マスクもしたままなので熱はこもりっぱなし、冷房もあたっていないので体は冷えない、焦るのでさらに興奮して体温は上がる・・・
結局、37.0℃までしか下がらず、「今日のところはお引き取りください」と言われてしまった。

マジか・・・
そこで急遽、リモート取材に変更。カメラマンだけ撮影し、私は営業さんのオフィスへお邪魔して、そこでリモート取材となった。
取材そのものはうまくいったし、原稿を書くのに問題はないのだが、なんだかショックだった。
まあ、製薬会社なので特別なのかもしれないが、37.0℃基準だとこれからも私は厳しいなぁ。(一般的な37.5℃基準ならセーフ)
体温が高くて困る日が来るとはね・・・

そして昨晩、大阪の感染者が60名を超えたと聞き、また絶望的な気持ちになった。
この3週間ほど、気を付けていれば会食できていたけど、大人数は厳しい。月曜の4人の会も、来週なら延期しようという話になっていたかもしれない。
ずっと延期されていたWEB制作の仕事の打ち上げが来週あるのだが、さっき泣く泣く欠席の連絡をした。
信頼できる相手と2人ならいいが、8~9人ほどの大人数の飲み会なので、さすがに避けたほうがいいだろうと判断。楽しみにしていたのにな・・・
でも、免疫力が低い私が参加して感染したら、同席した皆にも迷惑がかかる。1週間後の状況がわからないので(倍増している可能性もある)、早めの欠席連絡をしておいた。

8月の夏休みに、夫と北海道キャンプの予定だったけど、それも予約はまだしないほうがよさそう。
元の生活に戻りつつあった時だけに、なんだかショックも大きかった。

マスク警察にも自粛警察にもなるつもりはまったくないが、電車で子供連れのお母さんがマスクもせずに大声でずーっと子供に話しているのを見て、「心臓強いなぁ」と思った。
同じ車両の人は全員黙っていてもマスクをしているのに、しゃべっているその人だけがマスクをしていない。(当然、子どもも)
私なら、周りの白い目に耐えられないが・・・と思い、「怖い」というよりもその人の「心臓の強さ」に驚いて目が離せなかった。

でも、こういうリスク管理は、人それぞれ。
あの、みんながひたすら我慢を強いられた自粛期間中、5月のGW前後でも、スーパーに家族総出で買い物に来ている人もいたし。
とはいえ、経済をまわすことも絶対に大事だから、もう自粛ばかりもしていられない。
健康な人は「感染対策」と「経済まわし」をバランスよくやっていく。私のようなリスクの高い人は他の人よりもう少しだけ対策を強めにする。
それしかないのだろうなと思う。

月末に、県を越える遠方取材が入っているが、それも実施されるのか怪しくなってきた。
もう延期は嫌なんだけどな・・・。はぁ・・・