月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

幸せな子供

2019-12-03 | 癌について
先週金曜日にまたセカンドドクターのところへ。
CT結果を伝えると、余計なことは言わず、「概ね良好じゃないですか」と喜んでくれた。やっぱりいい先生だなと思う。
この日も50gの高濃度ビタミンC点滴を1時間半ほどかけて行った。
ここはいつも優しい空気が流れていて、私はとても安心できる。心地よい時間だった。

お昼を挟んで、午後は瞑想。
今回はN先生に「シンプルな瞑想の後で、10歳までに過ごした家の中のことを思い出してもらいます」と言われた。
そのお題を聞いた瞬間、ああ、きっと私はネガティブなことしか思い出さないだろうなと思った。
わずか7歳にして「生きていくのは大変だな」とつぶやいていたような人間だから。

いつものように体をほぐすことから始めて、瞑想に入り、10分後に例のお題が出された。
10歳以下の時に暮らした実家は今も同じで、たまに行くのでリアルに思い出せる。
子供の頃の自分を想像すると、すぐにその私が向かったのは庭だった。
私が一番好きな場所だ。母の庭はいつも美しかったし、私は花に囲まれていればそれで幸せだった。
それから自分の部屋。大好きなたくさんのぬいぐるみたち。全員の名前も顔も思い出した。毎日全員を並べて寝ていた。
母の手芸の部屋。ボタンがたくさん入った空き缶。その中の好きなボタン。いつまでも飽きずに触っていた。
突然、廊下から父が現れた。子供の頃に見ていた若い父の顔。ふざけて私を脅かして、私はきゃあきゃあ笑って逃げる。
編み針。毛糸。せっせと編み物をして。はぎれでモンチッチの洋服を作るためにカタカタとミシンをかけて。
なんて楽しい時間。なんて幸せな子供時代。花とぬいぐるみと手芸のものと、その頃は好きだった父と。
好きなものがたくさん次から次へと出てきて、瞑想中も思わず笑みがこぼれた。
不思議だけど、母のモノはたくさん出てきたのに、母自身は現れなかった。ついでに言うと姉も。

先生の声がして、現実にゆっくり戻る。
起き上がるといつものように頭がすっきりとしているのを感じた。
先生が「内容をシェアしてもらっていいですか?」と言うので、今見たことをいろいろと話した。
先生はうんうんと聞いて、時々一緒に笑って、「聞いていてこちらまで楽しくなりました」と言ってくれた。

「実は私、ネガティブなことしか思い出さないと思っていたんです」と言った。「でも、楽しいことばかりでした」と。
瞑想はそういう新しい気づきがあるのだと、先生は自分の経験も含めて話してくれた。

なんだかとんでもない経験をしたような気分だった。
先生にお礼を言って病院を出た後も、何か憑き物が落ちたような感じがしていた。
前回は涙が出たが、今回は笑みがこぼれた。
自分が何をしていたら一番楽しいのか、何をしていたら幸せなのか、そんなことも少しわかった気がした。

Googleでも瞑想を採り入れているそうで、アメリカ全体で流行っているし、日本でもその影響を受けて「マインドフルネス」は注目されつつある。今日もニュース「ZERO」で取り上げられていた。
私もずっと続けるつもりだ。ある程度できるようになれば、先生に習うのはやめるかもしれないが。
でも、数回やってみて思うのは、知識や自己流でやるのではなく、こうやって先生と一歩ずつやって、気づきをシェアするということがものすごく大事なのではないかということ。
だから、しばらくは先生と一緒に続けてみたい。いろいろな気づきが今は楽しいから。