月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

地震の日、秋田へ

2018-06-20 | 生活
伊丹空港で秋田へのフライトを待っている時だった。
ガタガタと建物が音を出し始め、壁がしなっているのではないかと思うほど、大きく揺れた。
地震だ!と思った。その間、数秒だと思うが、あまりに大きな揺れなのでこのまま崩れるのではないかと一瞬思う。
椅子の下にもぐれるか?PCで頭を防ごうか?
数秒の間にいろんな考えがフラッシュのように浮かんだが、どれも実行に移す前に揺れは止んだ。

しかし、空港にいるたくさんの人達の携帯が一斉に警報を鳴らしていて、それだけでも縮み上がるほど恐ろしい。
あちらこちらでいろんな声がする。
自分のスマホの警報も止めて、気持ちを落ち着かせた。
すぐに夫に連絡すると、家は物が少し落ちた程度だというので一安心。
「棚の二段目のぐいのみが落ちた」という文字を見た時は血の気が引いたが、奇跡的に割れなかったと聞いて、またホッとする。
金額はともかく、二度と手に入らないものばかりなので、これが割れることだけが怖い。

どこかのガラスが割れたようで、「窓から離れてください」というアナウンスが入る。
スタッフはバタバタと駆け回る。
飛行機は点検をしてから飛ぶということで、なかなか搭乗できない。
その間にも、いろんな人からLINEやメッセージが次々に入ってきて、自分が感じていたより大きな地震だったのかと気づいた。
ニュースを見ると、高槻や茨木で大きな被害が出ているとのこと。
友達はもちろんだが、熊本で仲良くなった飲み屋の女将さんや、滋賀県の酒蔵の社長、以前仕事でお世話になっていた社長、神戸に住むクライアントなど、普段はほとんど接触のないような人たちからも安否を気遣ってもらった。

1時間遅れで飛行機は無事に飛んだ。
秋田行きは需要が少ないから、新幹線の1輌分くらしかないような小さな飛行機で、乗っているとブルブルとプロペラの回る音が聴こえるほど頼りない。
地震よりこっちのほうが怖いわ・・・とひやひやした。

秋田に到着して、他の3名と合流し、この日は1蔵見学させてもらった。
今回の秋田ツアーは取材ではなく、祇園のバーの店長と従業員で行く勉強会&商談。
個人ではなかなか見学させてもらえない蔵だったので、何が何でも来たかったのだ。
翌日も1蔵行ったのだが、実は両方とも2013年に取材をさせてもらっている。
酒蔵の雑誌がスタートして、最初に取材した2蔵なのだ。そういう意味でも私にとっては思い入れの強い蔵であるし、この4年で蔵がどんなふうに変わったのかを見たかった。
何よりも、私自身はこの4年で60蔵も取材して、知識もあの頃とは全く違う。そういう自分があの最初の蔵を見た時、何を思うのか、新たな気づきはあるのか、そういうことも確かめてみたかった。

実際、4年前には何を言っているのかわからなかった内容がスムーズに頭に入ってきたし、とんちんかんな質問もしなくて済んだ。
そして、この蔵の“進化”を確かに感じることができた。
うまい酒を造る蔵というのは、常に進化し続けているのだ!
酒は工業製品ではなく、微生物を相手にしているから、果てがない。ゴールがない。
もっとうまくなるのではないかと、いつも考えて新しいことに挑戦し続けている。
だから面白いし、私も何十蔵見ても飽きないし、同じ蔵に数年後に来ることもまた大きな意味があるのだと思った。

また、案内してくれた営業部長さんがとても熱い人で、とにかく語る語る。
酒造りを愛している人の話は、時折ぐっときて涙が出そうになるほど心に響く。
あとで同行していたスタッフに「かおりさん、目がきらきらしていましたよ」と言われた。
取材じゃないのだからあまり出しゃばらないようにしようと思ったのだが、気づくとつい店長より前に出てしまっていた。反省。

夜もみんなでたくさん秋田の酒を飲んだ。
地元食材の料理もいろいろ食べた。

黒そいの刺身


ハタハタの唐揚げ


根曲がり竹の焼き物


などなど・・・。

私はみんなと飛行機が違ったので、秋田駅で別れた。
一人で稲庭うどんと明太しらす丼のセットを食べた。


その後、まだフライトまで時間があったので、秋田県立美術館へ。
ここはもう3回目かな。
展示は少ないけど、2階にゆったりとしたカフェがあるのだ。
目の前はこんな景色。


ここで静かにコーヒーを飲んだ。

大阪へ戻って、いつものようにモノレールで帰ろうとしたら止まっていて、ああ、地震があったんだったと思い出す。
バスで新大阪まで出てJRで帰るが、JRも35分遅れ。
やや浦島太郎状態。
そうだ、そうだった、まだ避難している人もいるんだったと、無理やり日常に自分を戻す。

もう大きな地震が来なければいいけれど。
自分の町にも、日本のどこにも。