月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

うつくしいもの

2014-08-25 | 仕事
書いても書いても、着地点が見えない原稿というのがある。
昨日書いていた酒蔵の原稿はまさにそれで。
それでもなんとか書き上げたものを、我が家の名ディレクター(夫)にまずは読んでもらう。

こういう時、同業者の夫婦でよかったなと思うのだ。
たくさんの朱書き。客観的な意見。自分ではわからない発見が必ずある。

結局、4章あるうちの最終章を全部書き直すことにした。
そこまでは夫の指示ではなかったのだが、1箇所指摘された箇所を直していると、芋蔓式にどんどん直さなければならなくなり、もういっそのことゼロから書き直そうと思ったのだ。

それに、冷静になって読み進めていると、作為的というか、人を感動させようと思って書こうとしている自分に気づいた。

その杜氏さんは「美しい酒を造りたい」と言った。
「美しい酒」という言葉が忘れられず、それを最後に持ってきて締めたいと思った。
だけど夫は「美しい酒というものがぼんやりしすぎてる。よくわからん」と言った。
その時は必死に「美しい酒」と自分が感じたことを説明したのだけれど、いざ書き直していると、この「美しい酒」にこだわりすぎているから着地点が見つからないのだということに気づかされた。

心にひっかかったワードから文章を展開するのはとても大事なこと。
だけど、3000字以上ある長い文章なのだから、もっと大事なのは構成だ。
つまり、「何を伝えたいのか?」ということ。
今回は「美しい酒」は全く関係のないテーマなのに、長年の経験とテクニック的な面から「このワードを最後に持ってきて締めたらカッコよく決まるな」と思った自分がいたのだった。
完全に独りよがりな文章になっていた。

あさはかだ・・・。

しかし、一旦書いた文章(800字くらいだけど)をゼロにするというのは、意外に勇気がいるもので。
だけど、思い切った。
もう一度、テーマを思い出し、最初から終わりまでの流れを重視して書き直した。
床で転がって寝て、布団で少し寝て、朝起きてまたパソコンに向かって、昼過ぎにようやく仕上がった。

夜中、ふと「夏が終わる」ことに気付き、今年も浴衣を着なかったことを思い出した。
浴衣をクローゼットの衣装ケースから出して、ちょっとはおってみた。(笑)

与謝野晶子の短歌が読みたくなって、本を開いてみたりも。
彼女の歌はとても難しくて、でもその意味が知りたくて、何度も何度も読んでしまう。
むしろ平安時代とか古典のほうがわかりやすい。


 うつくしき命を惜しと神のいひぬ願ひのそれは果してし今

 許したまへあらずばこその今のわが身うすむらさきの酒うつくしき


現実逃避で真夜中にそんなことをしながら、ようやく書けた原稿。
もっと文章が上手くなりたいと切実に思った。
というか、まずは取材だ。取材がちゃんとできていないから、満足いくものが書けないのだ。

自分の才能の無さに打ちのめされる夜がある。
これまでも何度もあった。
そういう夜をいくつも越えて、少しずつだけれど、書きたいものに近づいていっているのかもしれない。

40歳超えて、まだ悩んで打ちのめされて、成長したいと願える。
そういう仕事に出会えたことは、きっと幸運なんだろうな。