植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇前田土佐守家資料館 勉強会

2020-09-26 04:20:24 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1894)

◇前田土佐守家資料館 勉強会

9月19日(木)金沢PHPほんとうの時代友の会「飛び出せ例会」を前田土佐守家資料館で開催した。友の会打合せの後、竹松幸香学芸員の解説で、前田土佐守家の歴史や、芳春院(おまつの方)は孫直之をかわいがり利常に勧め、家臣となり、また自身の石高を引き継ぎ1万石以上にした。芳春院自筆消息では古文書の読み方など解りやすく解説していただきました。
その後、館内の自由内覧を行った。



〇前田土佐守家資料館

前田土佐守家資料館は、加賀藩祖前田利家の次男前田利政を家祖とする前田土佐守家所蔵の資料、約9,000点(石川県指定文化財)を保管、その一部を展示する施設です。 当館所蔵の資料は、土佐守家歴代当主が文書の保存・整理に努めてきたため、散逸や損傷等が少なく、膨大な歴史資料が良好な状態で保存されております。 また、土佐守家は加賀藩の重臣として、常に藩政の中枢に位置する家であったことから、土佐守家の草創期(天正期)から明治にいたる間の様々な分野にわたる史料がみられ、加賀藩政、文化史研究を進めてゆく上でも、その重要性が広く知られています。



〇前田家と前田土佐守家

前田土佐守家すなわち直之系前田家は、藩政期においては利政から直信までの10代を数え、初め1万50石、4代直堅以降は1万1000石の禄を世襲した。当家の家祖となる前田利政は、加賀藩祖前田利家・その夫人まつの次男である。したがって当家は加賀藩主前田家の分家筋にあたる。
家祖利政は七尾城にあって能登国22万石余りを領有していたが、関ヶ原の戦いで徳川家康の出兵要請に応じなかったことにより領知を没収された。その後京都に隠棲し、かの地では多くの文化人や豪商たちと交流を重ね、寛永10年(1633)京都で没した。
利政の嫡男である2代当主直之は、幼少時に祖母芳春院(前田利家夫人まつ)にひきとられて養育された。祖母芳春院の尽力があって、元和元年(1615)12歳の時、3代藩主前田利常に召し抱えられた。これ以後、前田土佐守家は藩政期を通じ1万余石の禄高をもって代々「八家」の一つとして藩の要職を歴任し、10代当主直信の時に明治維新を迎えた。
(前田土佐守家資料館HP)より



〇歴代当主

家祖利政(としまさ)- 従四位下・侍従、賜羽柴姓。通称羽柴能登侍従。
2代直之(なおゆき)- 無官。
3代直作(なおなり)- 無官。「加賀八家の前田土佐守家」初代といえる。
4代直堅(なおかた)- 近江守。
5代直躬(なおみ) - 土佐守。
6代直方(なおただ) - 土佐守。
準代直養(なおやす)- 直方より早逝した。
7代直時(なおとき) - 土佐守。
8代直良(なおさだ) - 近江守。
9代直会(なおより) - 夭折のため無官。
10代直信(なおのぶ) - 土佐守。
11代直行(なおつら) - 男爵。
12代(政雄) - 直行に先立って死去し、実際には家督を相続していないが、名目上12代当主として扱われる。
13代正昭 - 男爵。
14代直大 - 前田土佐守家資料館々長(金沢在住)

■写真は竹松幸香学芸員の解説



■写真は1F、2F展示室(展示室は撮影禁止のためHPより)





〇企画展「雅堂文庫」

雅堂文庫は、前田土佐守家11代当主前田直行が昭和16年(1941)に、
前田土佐守家伝来の書物や自身の蔵書の一部を、現在の金沢市立玉川図書館
の前身である大礼記念金澤市立圖書館に寄贈したもので、同館にて整理・分類
され、直行の号を冠した「雅堂文庫」として公開されて広く知られるように
なった。

■写真は1F展示室と庭





■写真は2F

□前田土佐守家資料館

(つづく)

◇金沢の秋2020 金沢寺町寺院群散歩Vol.3 ②

2020-09-24 04:21:00 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1893)

◇金沢の秋2020 金沢寺町寺院群散歩Vol.3 ②(ユーチューブ連動解説版)

〇神明宮

金沢旧五社の一で、古来神明宮と称し、全国七神明、又は三神明の一と云われ、通称は、お神明(しんめい)さん。加賀の大社として、歴代藩主、庶民の信仰厚く、祓宮(はらいのみや)として知られ、春秋のあぶり餅祭は全国只一の特殊神事。又、当宮の左義長は金沢の左義長の元祖である。







■写真は神明宮(オオケヤキとあぶり)

□神明宮紹介ページ①

□神明宮紹介ページ②

□神明宮「あぶり餅神事」紹介ページ

〇千日山雨宝院

本尊は、金毘羅大権現。 開祖は、聖武天皇の時、天平8年(736)、越智の泰澄大師が白山の妙理大菩薩に霊告と六句の秘文を受け、大日如来を本尊とし、当地において秘法蜜場として創建したことが起こり。 850年余を経て、文禄4年(1595)、大和の国の大徳・雄勢が伊勢神宮1000日参詣し、満願の暁に霊告を受け、来錫。堂宇を再興して今日に至る。更に、雄勢は泉野原で伊勢神宮に向かって5000日の修行を行い、慶安2年(1649)、96才で入定した。その地を「千日塚」と言ったが、今は不明で石碑分が境内にある。 金沢の文豪・室生犀星は、当院22世眞乗法印の養嗣子となり、幼少から青年期にかけて当院で過ごした。「愛の詩集」「性に目覚める頃」「杏っ子」をはじめ数々の名作を残している。(看板より)室生犀星は当院で過ごした。





■写真は雨宝院(仏殿と室生犀星資料展示館)

□雨宝院紹介ページ



〇室生犀星記念館

金沢三文豪のひとり、室生犀星の生家跡に建つ記念館です。平成14年8月1日、犀星の誕生日に開館した。「ふるさとは遠きにありて思ふもの…」の詩(「小景異情 その二」)で知られる犀星はこの地で生まれ、すぐ近くの寺院、雨宝院で育ちました。館内では、はじめて犀星を知る人でも、犀星の生き方やその文学世界の魅力と出会い、ふるさとや命に対する慈しみの心への強い共感を呼び起こしていただけるものと思う。



□室生犀星記念館ブログページ①

□室生犀星記念館ブログページ②

□雨宝院、室生犀星ブログページ③

■写真は室生犀星記念館



〇寺町薬屋カフェ(安藤薬局ビル)

安藤薬局は嘉永2年(1849)の創業の老舗。道路拡張により、2017年4月に新ビル建替し、同時にオープンした。こだわりのインテリアとコーヒー、薬膳カレーなどもメニューにある。寺町、にし茶屋街の取材の時には訪れている。







■写真は寺町薬屋カフェ

(つづく)



□ユーチューブ金沢寺町寺院群散歩2020 Vol.3

金沢の秋2020 金沢寺町寺院群散歩Vol.3 ①

2020-09-23 04:41:17 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1892)

◇金沢の秋2020 金沢寺町寺院群散歩Vol.3 ①(ユーチューブ連動解説版)

〇瑞亀山松月寺
斉藤刑部宗忠が、白峰和尚のために越前(福井県)堀井庄において起こした寺であるが、加賀藩初代藩主・前田利家の入国後、金沢に移り、宗忠が願って小立野に造営し、元和二年(1616)には現在地に移った。 当時の境内には有名な老桜があり、「大桜」とも「御殿桜」とも言われる。これは、中興至岸和尚が三代藩主・前田利常から小松城内にあったものを拝領したと伝えられる桜である。樹種は山桜に近く、花茎五センチ内外、四月中旬開花する。樹齢は定かではないが、周囲約六メートル、高さ十四メートルの大木である。昭和十八年八月、文部省から天然記念物に指定された。泉鏡花の作品「桜心中」では、「この桜は名木です」と記している。(看板より)



■写真は松月寺の大桜(学名:ショウゲツザクラ)





■写真は松月寺

□松月寺大桜紹介ページ

□松月寺紹介ページ



〇岌松山浄安寺
加賀藩初代藩主・前田利家と同じ尾張荒子の出である貞蓮社白誉笈松上人が、天正三年(1575)に利家の命を受け、金沢に入部し古寺町(現・片町)に建立した。 元和二年(1616)、三代藩主・前田利常に請うて、寺地を得て現在地に移った。当時の「寄木造り阿弥陀如来像」は、延宝元年(1673)に建立され、金沢四大仏の一つに数えられる。宝暦九年(1759)の大火で建物は全焼したが、壇信徒によって大仏や御像などは無事に運び出され、その後寺も再建された この他、八臂弁財天、大黒天、毘沙門天の三体を奉る寺である。(看板より)





■写真は浄安寺

□浄安寺紹介ページ



〇安養山極楽寺

南北朝騒乱の時、後醍醐天皇の第八皇子宗良親王は越後、信濃に潜伏していたが、延元二年(1337)、越中国射水郡牧野村(富山県高岡市)に至り、仮の御所を造り居住していた。その後、落飾して牧野の地に草庵を結び、仏門に入り極楽寺と号したことに始まる。宗良親王は佛眼上人明心法親王と尊称された。 寺院来歴記によれば、天正年間(1573~92)、後の加賀藩三代藩主・前田利常が越中(富山県)守山に在城中、守山極楽寺の第一世・暫誉上人に深く帰依したと伝えられる。 よって慶長四年(1599)、利常が金沢に入城した際、極楽寺の住職・暫誉上人を召寄せ、元和元年(1615)には現在地に寺地千五百坪を賜った。 暫誉上人は文禄三年(1594)、上京参内して紫衣の勅許を蒙り、加賀一国中浄土宗寺院群の触頭を勤めたとある。 寺中に清覚院・不捨院があったが、宝暦九年(1759)の罹災の後は再建されていない。 当時の開祖・明心仏眼法親王の木造が安置されている。 本堂前に朱塗りの欄干が設けられているのも、皇子が創設された寺としての格式を表わしたものといわれている。(看板より)







■写真は極楽寺

□極楽寺紹介ページ



〇高養山成学寺
正保4年(1647)松平又右衛門夫人が、加賀藩三代藩主前田利常に請うて、梵宅上人を招き、もと玉泉寺の寺領に亡夫の菩提所として建立したのが起こりである。寺名は、又右衛門の戒名である成学居士から名付けられた。





■写真は成学寺と芭蕉句碑

□成学寺紹介ページ①

□成学寺紹介ページ②



〇宝池山大蓮寺

慶長9年(1604)加賀藩祖前田利家に仕えた荒子七人衆の一人、小塚淡路守秀正(7千石)が利家に従って金沢城入城後に、七尾の浄土宗西光寺住職であった衍連社広誉怒白上人を招請し、御馬屋町(現:木ノ新保)に建立されたが、後に当地が御用地になったため、野町に替地を拝領して現在に至る。
豪姫の菩提寺。利家公の四女豪姫、宇喜多秀家の供養塔がある。



■写真は大蓮寺



■写真は前田利家公四女豪姫と宇喜多秀家の供養塔

□大蓮寺紹介ページ

(つづく)



□ユーチューブ「金沢寺町寺院群散歩2020 Vol.3


◇金沢の秋2020 金沢寺町寺院群散歩Vol.2 ②

2020-09-21 04:34:37 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1891)

◇金沢の秋2020 金沢寺町寺院群散歩Vol.2 ②(ユーチューブ連動解説版)

〇五智山大円寺

寛永元年(1624)、開山は仰誉是伯上人で、大阪夏の陣で戦士した父、大円宗吟大居士の供養のため、草庵を建立した。元禄十三年(1700)三代・心岩上人の時、現在地に再建されたが、宝暦の大火に遭い焼失。地蔵堂、庭園が当時を伝えている。当時に祀られている「人骨地蔵尊」は、心岩上人の作で、誰にも拝まれることない人骨を哀れみ、顔・首・胸・両手足に人骨を塗り込めた、高さ四メートル三三センチ、極彩色の衣をまとった延命地蔵尊である。 また、什物堂には心岩上人の書画工芸品、自画像図(市文化財指定)、血判浄土三部経、念仏書、来迎図、当山歴代の什物等が陳列されている。(看板より)



〇人骨地蔵尊



□大円寺紹介ページ①

□大円寺紹介ページ②

■写真は大円寺



〇鶴雲山長久寺

長記によれば、慶長13年(1608)創建。高畠石見守定吉の後室長久院(生前は長寿院)のために栖覚寺を郊外にあたる大豆田高畠氏の下邸に建てたが、その化粧料300石を寺領として寄進し、その15年後長久寺と改めた。宝永12年(1635)には泉寺町(現寺町)の玉泉寺前に転じ明暦元年(1655)寺封を増して50石とし、覚源寺の遺址である現在地に移って長久寺を建立したとある。当寺は、前田利春の三女で、前田利家の妹津世の菩提寺である。境内には芭蕉の「秋涼し 手毎にけむや 瓜茄子」句碑がある。また樹齢400年近くになる金沢市保存林の銀木犀があり9月には開花する。(看板より)高畠石見守御夫婦の肖像画が市の文化財。







□長久寺紹介ページ


■写真は長久寺



〇正栄山妙典寺

天正十三年(1585)、仏蔵院日敬が越中高岡で創建。神保氏張の室が開基となった。 慶長十四年(1609)、三輪長好が加賀藩三代藩主・前田利常に請うて、金沢河原町に移り、元和二年(1616)、現在地に転じた。 宝暦九年(1759)に焼失したが、後に再建された。 当寺にある釜師宮崎彦九郎義一の「鋳造三具足」は、金沢市の指定文化財である。(看板より)



〇寺宝の鋳造三具足(金沢市指定文化財)



□妙典寺紹介ページ

■写真は妙典寺



〇諏訪神社

当神社の発祥は、室町時代の初期、正長2年に当時の豪族、富樫氏の周遊の地、泉野領桜畑に同氏の起請によって創建された『八幡宮』に起源する。加賀藩主、前田利常公の時代に信州・諏訪の神(鷹の守護神)を鷹匠頭、野村宗順(食禄二千石・寛永元年没)、大平右京らが勧請併祀して、鷹の祈祷を修めたと貞享2年の由来書に載せられている。御社名は、明治初年ごろまで通称『諏訪八幡宮』と一般に呼ばれていた。

□諏訪神社紹介ページ

■写真は諏訪神社



〇行基山伏見寺

もとは、石川郡山科村にあったが、元和元年(1615)、同寺中興、快存和尚が現在地に寺地を賜り移転した。本尊の阿弥陀如来像は、平安初期の金剛仏の力作とされ、国の重要文化財に指定されている。行基菩薩を開眼供養の導師とする。また、護摩堂には木像の不動明王坐像(金沢市指定文化財)があり、弘仁期(810~24)の作かと言われている。金沢の地名発祥のもとになった「芋掘藤五郎の伝承」が残る寺としても知られ、藤五郎夫妻の像や墓もある。その他、観世音菩薩像(金沢観音霊場第十四札所)など古仏も多い。(看板より)

□伏見寺紹介ページ

■写真は伏見寺

(つづく)




ユーチューブ「金沢寺町寺院群散歩Vol.2 」


◇金沢の秋2020 金沢寺町寺院群散歩Vol.2 ①

2020-09-19 04:14:00 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1890)

◇金沢の秋2020 金沢寺町寺院群散歩Vol.2 ①(ユーチューブ連動解説版)

〇寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、68の寺社(2020.1現在)が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。



〇大蓮山妙法寺

天正元年(1573)に圓智院妙浄法尼が開基となって、尾張、荒子に建てられました。その後、領主の移転とともに、越前府中、能登府中、金沢尾張町と移り、元和元年(1615)現在地に伽藍を構えて今日に至ります。妙法寺には石川県指定文化財「圓智院妙浄(篠原一孝夫人)画像 附紺紙金泥妙法蓮華経 漆塗経箱」が伝来しています。



〇寺宝公開の仏涅槃図






□妙法寺紹介ページ

■写真は妙法寺



〇永隆山妙福寺

慶安二年(1649)、実成寺八世・本覚院日誉の創建。本堂は、宝暦九年(1759)の大火で焼失したが、本堂の向拝の操形には創建当時のものが見られる。また、当寺は加賀藩士・岡本右太夫ゆかりの寺でもある。岡本右太夫は明和年間(1764~72)に初めて江戸より金沢へ孟宗竹を移植した人物で、石川県におけるタケノコ生産の元祖といわれている。(看板より)



〇岡本家の墓



□妙福寺紹介ページ

■写真は妙福寺



〇長久山本性寺

天正十四年(1586)、三田村作内と橋本総右衛門の二人が、加賀藩初代藩主・前田利家に請うて、本性寺を枯木町に建立。越前府中本興寺の子院・教行院の僧を招いて寺主とした。後に小立野に移り、次いで河原町、そして元和二年(1616)現在地に移った。境内には、建仁寺流の宮大工・山上善右衛門の墓がある。山上善右衛門は加賀藩三代藩主・前田利常の招きで加賀藩に仕え、富山県の国宝・瑞龍寺、羽咋市の妙成寺、気多大社、小松市の梯天満宮、那谷寺などを建立した名棟梁である。また、平家関氏の墓も境内にある。関氏は、平重盛の次男・資盛が伊勢国鈴鹿郡関の谷に隠れて関と姓し、源氏の討伐から逃れた。子孫は能登の長氏に仕え、現在に及ぶ。(看板より)



■写真は本性寺



〇寺町鐘声園

寺町寺院群(寺町5丁目交差点近く)にある休憩施設。池や築山を配した回遊式の枯山水の庭園では、四季折々の風情を楽しむことができます。



■写真は寺町鐘声園

(つづく)



ユーチューブ「金沢寺町寺院群散歩Vol.2 」

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◇金沢の秋2020 兼六園

2020-09-18 07:45:05 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1889)

◇金沢の秋2020 兼六園

〇兼六園概況

加賀百万石の文化を映す、歴史的文化遺産である。水戸偕楽園、岡山後楽園とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。



■写真はことじ灯篭





■写真は霞ヶ池と剪定された唐崎松





■写真はカリン



■写真はズミの実







■写真は通り雨で奇観亭でお団子三昧



■写真は桂坂の名の由来「桂」(ひこばえが大きくなっている)

(つづく)

◇金沢の秋2020 金沢城公園 ②

2020-09-16 04:25:02 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1888)

◇金沢の秋2020 金沢城公園 ②

〇金沢城公園概況

加賀藩の居城であった金沢城の城址を整備してつくられた公園。園内には、石川門や三十間長屋などのの藩政期建築物。木造城郭建築として五十間長屋や菱櫓、橋爪門続櫓、橋爪門などの歴史的建造物が復元されています。 また、兼六園より歴史のある玉泉院丸庭園も再現され、今年7月には鼠多門の復元と鼠多門橋が再現され尾山神社までつながった。





■写真は河北門より橋爪門、五十軒長屋、菱櫓





■写真は三の丸のオミナエシ



■写真は井戸の枠(戸室石の8枚の石を組み合わせたもの)









■写真は橋爪門、五十軒長屋、菱櫓、二の丸下石垣



■写真は二の丸発掘調査

(つづく)

◇金沢の秋2020 金沢城公園①

2020-09-15 04:41:32 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1887)

◇金沢の秋2020 金沢城公園①

〇金沢城公園概況

加賀藩の居城であった金沢城の城址を整備してつくられた公園。園内には、石川門や三十間長屋などのの藩政期建築物。木造城郭建築として五十間長屋や菱櫓、橋爪門続櫓、橋爪門などの歴史的建造物が復元されています。 また、兼六園より歴史のある玉泉院丸庭園も再現され、今年7月には鼠多門の復元と鼠多門橋が再現され尾山神社までつながった。

■写真は新丸広場より河北門









■写真は新丸広場湿生園スイレン





■写真は新丸広場湿生園コウホネ













■写真は河北門

(つづく)

◇加賀逆立狛犬 金沢市編(ユーチューブ連動解説版)

2020-09-13 06:04:49 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1886)

◇加賀逆立狛犬 金沢市編(ユーチューブ連動解説版)

〇金沢市内の神社と狛犬

私の調査では、金沢市内には342神社があり、280社の313対の逆立狛犬があった。その内36社37対の逆立狛犬があった。(構成比約12%)

■写真は椿原天満宮・建立安政6年(1859)



〇加賀逆立狛犬

金沢を中心とした加賀地方の逆立狛犬は全国的に珍しく、金沢市内には37対を確認した。また、県内には115対あるとの情報で現在確認中。
全国を見ても岩木山神社(青森県)や、長崎諏訪神社などに逆立した狛犬も存在するが、加賀逆立狛犬は独特であり加賀地方の大きな文化である。
なお、建立年を確認できたもので最古は椿原天満宮の安政6年(1859)、最新は
西念出雲神社令和元年(2019)。

◆金沢市内編バックナンバー

◇加賀逆立狛犬-1 金沢市内編① プロローグ



◇加賀逆立狛犬-2 金沢市内編② 石浦神社、西念出雲神社、玉鉾野間神社、宇多須神社、卯辰三社

■写真は西念出雲神社・建立令和元年(2019)

◇加賀逆立狛犬-3 金沢市内編③ 児安神社、鹿島神社、浅野神社、小坂神社、椿原天満宮



◇加賀逆立狛犬-4 金沢市内編④ 国造神社、四十万八幡神社、額東神社、大額稲荷神社

■写真は大額稲荷神社・建立平成12年(2000)

◇加賀逆立狛犬-5 金沢市内編⑤ 禅ヶ峰神社、円光寺白山社、増泉春日神社、増泉春日神社、野田日吉神社、寺町諏訪神社

◇加賀逆立狛犬-6 金沢市内編⑥ 南新保八幡神社、清瀧神社、直江八幡神社、御経田住吉神社、桂神社



◇加賀逆立狛犬-7 金沢市内編⑦ 佐那武神社、東蚊爪須岐神社、誉田別神社、須天八幡神社、産王神社、普正寺八幡神社

■写真は浅野神社・建立大正3年(1914)

◇加賀逆立狛犬-8 金沢市内編⑧ 福増八幡神社、打木濱神社、袋板屋町板谷神社、末町日吉神社、俵町八幡神社

(つづく)



□ユーチューブ「加賀逆立狛犬 金沢市編」アップしました。

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◇金沢城公園「石川門」門内見学

2020-09-11 07:32:54 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1885)

◇金沢城公園「石川門」門内見学(ユーチューブ連動解説版)



〇金沢城公園概要

 金沢城の歴史は加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が、天文15年(1546)に金沢御堂(尾山御坊)を建てた地に、天正8年(1580)佐久間盛政が築城を開始、天正11年(1583)、加賀初代藩主前田利家が能登から入城し、本格的に城造りがなされた。慶長7年(1602)に天守が落雷による火災により焼失し、その後は江戸幕府への遠慮から再建されなかった。
 金沢城は、金沢市の市街地に位置し、犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端に立地する平山城で、規模は東西500m、南北760m、面積約30haである。新幹線開業以降入場者も増え、金沢市内の人気スポットとなっている。2020年7月には鼠多門、鼠多門橋がオープンし、長町~尾山神社~金沢城公園~兼六園などの「加賀百万石回遊ルート」が完成した。



〇石川門

 金沢城の搦手門(からてもん・裏門)として重要な位置にあり、河北門、橋爪門とともに金沢城の「三御門」と呼ばれた。一の門(高麗門)、二の門(櫓門)、続櫓と二重三階建ての石川菱櫓の重厚な枡形門に造られている。
 宝暦の大火宝暦9年(1759)の後、天明8年(1788)に再建され、
現在に伝わっている。銀色に輝く鉛瓦に白の塗籠壁と海鼠壁が巧みに組み合
わされた城門の代表です。 昭和25年(1950)国の重要文化財に指定。

〇石川門航空写真で石川菱櫓のひし形がわかる。(鈍角84°鋭角96°)



■写真は石川菱櫓





■写真は枡形石垣。左は粗加工積み、正面は切石積み。







■写真は二の門





■写真は石川菱櫓







■写真は菱櫓から続櫓内部と一の門を見る





■写真は二の門梁と内部

□石川門紹介ページ

◇金沢城公園巡り21 石川門内部レポート1

◇金沢城公園巡り21 石川門内部レポート2(完)

◇金沢城公園巡り3 石川門レポート(その1)

(つづく)

□ユーチューブ金沢城公園「石川門」内部見学

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◇金沢の夏2020 金沢寺町寺院群散歩②

2020-09-09 05:43:02 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1884)

◇金沢の夏2020 金沢寺町寺院群散歩②(ユーチューブ連動解説版)

〇恵光山西方寺

前田利家公は天正2年(1574年)越前一向一揆の鎮圧に従事し越前小丸城入城した頃、仏の教えを被(こうむ)る為 比叡山の僧盛尊和尚を城に招いた所、その法徳に深く感銘を受け、盛尊和尚を心の師と仰ぎ親交を深め西方寺を自身の信仰の場とした。元和2年(1616)現在地移転。



□紹介ページ

◇寺町寺院群文化財特別公開2019めぐり⑤ 西方寺

■写真は西方寺



〇真如山三光寺

開山は、小松仏徳寺の学誉超竜と伝えられるが、その年代は、定かではない。寛永12年(1635)、二世願誉の時、加賀藩三代藩主・前田利常の命により寺地四百歩を拝領し、現在地に建立した。 明治11年(1878)、当時の内務卿・大久保利通を東京・紀尾井町で暗殺した島田一良や長連豪らの集会所であったことで知られる寺でもあり、事件の首謀者たちはこの寺を本拠地としていたために、「三光寺派」と呼ばれた。山門は、平成3年(1991)に仁王門として住職の彫刻で再建された。(看板より)





■写真は三光寺



〇摩頂山国泰寺

国泰寺は当初、金沢市長土塀に富山県高岡市の国泰寺(臨済宗国泰寺派大本山)の別院として開創されたといわれているが、開創年は不詳である。1616年現在地に移っている。

■写真は国泰寺



〇神照山香林寺

慶安4年(1651)、加賀藩士であった青木五兵衛が加賀藩三代藩主・前田利常に願い出て現在地を拝領し、長岩和尚を開山として創建された。青木は、利常の恩に報いるために、御影堂を造り、利常の位牌を安置した。また、青木家の家伝・菅原道真の画像を納めた。ところが、何時の頃か神殿より出火し、寺も類焼、御影堂を焼失している。なお、天保4年(1833)作の不動明王は、霊薬不動尊として知られている。(看板より)



□紹介ページ

◇寺町寺院群巡り 香林寺①

◇寺町寺院群巡り 香林寺②

■写真は香林寺



〇泉野菅原神社

本神社は建武元年越中国守畠山卜三、同国新庄に社殿を造営して菅原道真の神像を祀りたり。慶長10年前田利長富山に在城し給い玉泉夫人と共に菅神を崇敬し給いしにより、利長高岡へ入城の後慶長16年社殿を同地に移さる。利長死後玉泉夫人金沢へ移ると共に泉野に社殿を造営し高岡より遷座せらる。

■写真は泉野菅原神社



〇六斗広見

広見というのは、藩政時代、延焼を防ぎ大火としないための町づくりの一つとして設けられたものであり、金沢のあちこちにあった。地名は加賀国住人林六郎光明の郎等六動太郎光景に由来し、ここから六動林、六斗林、六斗になったといわれている。金沢には何箇所かあり、六斗の広見はその中でも最も広い、と言われている。

■写真は六斗広見

(つづく)
□ユーチューブ金沢寺町寺院群散歩 Vol.1

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◇金沢の夏2020 金沢寺町寺院群散歩①

2020-09-08 05:20:55 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1883)

◇金沢の夏2020 金沢寺町寺院群散歩①(ユーチューブ連動解説版)

〇つば甚

金沢で一番歴史がある料亭。つば甚の魅力はその歴史だけではなく、お料理のレベルが高く評価されている。
つば甚の歴史は、加賀百万石の礎を築いた前田利家が、尾張に居を構えていた頃から代々のお抱え鍔師だった鍔家で、三代目甚兵衛が宝暦2年(1752)に 鍔師の傍ら営んだ小亭・塩梅屋「つば屋」が「つば甚」の始まり。「ミシュランガイド富山石川(金沢)特別版2016」1ツ星獲得。伊藤博文、室生犀星、芥川龍之介、三島由紀夫、横山大観、山下清など、歴史上の偉人が訪れている。

■写真はつば甚



〇谷口吉郎・吉生記念金沢建築館

金沢出身の建築家で、東宮御所や東京国立近代美術館の設計で知られる故谷口吉郎氏(1904~1979)の生家跡に、建築文化を発信する「谷口吉郎・吉生記念金沢建築館」で、設計したのは鈴木大拙館、ニューヨーク近代美術館などをデザインした長男で建築家の吉生氏(81歳)。
金沢建築館は、建築・都市についてのミュージアムです。金沢の名誉市民第一号の建築家 谷口吉郎氏の住まい跡地に、吉郎氏の長男で、国際的に著名な建築家である谷口吉生氏の設計により建設された。



□紹介ページ
谷口吉郎・吉生記念金沢建築館オープン!‐①

谷口吉郎・吉生記念金沢建築館オープン!‐②

■写真は谷口吉郎・吉生記念金沢建築館



〇太白山寶勝寺

禅僧として著名な千岳宗初禅師が、美濃(岐阜県)から金沢へ来て小庵を結んでいたが、寛永八年(1631)、現在地に寺地を拝領し、創建した寺。千岳禅師は、とくに加賀藩三代藩主・前田利常からの信頼が厚く、衰弱していた伝灯寺の復興を命ぜられた。また、能筆で文章力にも優れていたため、利常から小松の梯天満宮の棟札を揮毫するよう命じられたりした。千岳は後に、隠居所として三間道の小林寺を建て、与えられたという。山門および本堂は、創建当初の建物と考えられる。(看板より)



□紹介ページ
にし茶屋街・寺町めぐり 2014③ 寺町寶勝寺1

にし茶屋街・寺町めぐり 2014④ 寺町寶勝寺2

■写真は太白山寶勝寺



〇長遠山本長寺

享徳2年(1453)、越中砺波福光城主・石黒氏が、菩提寺として創建したと伝えられる。その後、一向宗との抗争で何度も焼失、蓮沼・守山・富山などに移転・再建を繰り返し、天正13年(1585)に金沢に移った。元和元年(1615)現在地に寺領を拝領し、再建した。現在の本堂は、宝暦12年(1762)出火により焼失の後、文化9年(1812)らにより再建されたもの。境内裏庭には、推定樹齢二百年余り、樹高九メートルの大楓(いろはかえで)がり、昭和56年、金沢市から保存樹に指定された。境内には、芭蕉の「春もややけしきとのふ月と梅」の句碑が建っている。境内墓地に、加賀藩の農制書「河合録」を著した河合祐之の墓がある。長尾流躰術中興の祖・雨屋夜覚右衛門の墓がある。(看板より)2007年より本堂内の壁28面にフレスコ画を描いて彩っている。



■写真は本長寺



〇正久山妙立寺

加賀藩第三代藩主前田利常が創建した。複雑な建築構造と外敵を欺く仕掛けから、忍者寺(にんじゃでら)とも呼ばれる。



□紹介ページ
◇人、呼んで忍者寺(妙立寺)探訪レポート(その1)

◇人、呼んで忍者寺(妙立寺)探訪レポート(その2)

◇人、呼んで忍者寺(妙立寺)探訪レポート(その3)

■写真は妙立寺

(つづく)

□ユーチューブ金沢寺町寺院群散歩 Vol.1

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◇ユーチューブ「植ちゃんの金沢のツボ」30本アップしました。

2020-09-06 05:40:52 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.18)

◇ユーチューブ「植ちゃんの金沢のツボ」30本目をアップしました。

今年5月に開設したユーチューブ「植ちゃんの金沢のツボ」30本の内容は下記の通りです。今後ともこの「植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました」と連携しながら、アップしますので、ぜひご覧ください。

□ユーチューブ「植ちゃんの金沢のツボ」30本リスト(ナンバーは作品順)

◆兼六園シリーズ
2)兼六園の四季2020

4)「兼六園の梅2020」Vol 1

5)「兼六園の梅2020 」Vol 2



6)「兼六園の桜2020 」Vol 1

7)「兼六園の桜2020」 Vol 2

8)「兼六園の桜2020」 Vol 3


18)「クイズでわかる兼六園」兼六園の六勝とは?

12)「兼六園椿2020 Vol 1」

13)「兼六園の椿2020 Vol 2」


24)兼六園のツボVol.1 瓢池エリア

27)兼六園のツボVol.2 千歳台エリア

28)兼六園のツボVol.3 山崎山・梅林・栄螺山エリア

◆金沢城シリーズ


10)「クイズでわかる金沢城」金沢城の特徴とは?


22)「鼠多門・鼠多門橋完成」約140年ぶりに蘇った!

◆金沢市内シリーズ
1)大乗寺丘陵公園2020

3)金沢の狛犬たち中心編」2020


9)「金沢港クルーズターミナル」 クルーズ船操船体験!

11)「 南総合運動公園バラ園2020」

14)「金沢中央観光案内所プレオープン」

16)「井上靖の四高通学路を歩く!」


17)「クイズでわかる金沢①キャッチフレーズは」

19)尾山神社茅の輪くぐり2020

20)金沢の芭蕉句碑巡り2020 Vol.1

21)金沢の芭蕉句碑めぐり2020 Vol.2

23)加賀百万石回遊ルート2020 (速報)

25)谷口吉郎・吉生の建築巡り2020


26)金沢駅西口「クロスゲート金沢」OPEN

◆寺院群シリーズ


30)金沢寺町寺院群散歩2020 Vol.1


◆石川県内シリーズ

15)「能登逆立狛犬となぎさのドライブウエイ2020」

29)一度は走りたい「手取キャニオンロード」サイクリング!

□ユーチューブ「植ちゃんの金沢のツボ」ホーム

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(つづく)

◇金沢の夏2020-長町武家屋敷跡②

2020-09-04 04:51:03 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1881)

◇金沢の夏2020-長町武家屋敷跡②



〇野村家屋敷跡

1583年(天正11年)金沢城に入場した藩祖前田利家の直臣として従ったのが野村伝兵衛信貞。明治3年の廃藩まで12代に渡って1000坪の屋敷を拝領した野村家(1200石)の屋敷跡。樹齢400年以上といわれる山桃の木や、曲水・落水・名石を配した庭園は見応えがある。残念ながら屋敷は取り壊されて、北前船の商人の豪邸の一部を移築したもの。2009年ミシュランの二つ星に指定された。



■写真は野村家

□観光施設で抹茶を飲む(5)武家屋敷跡 野村家紹介ページ




■写真は茶菓工房たろう



〇旧加賀藩士高田家跡

加賀藩に仕えた中級武士高田家の武家屋敷跡。現在は藩政時代の長屋門を修復して一般公開している。敷地内には大きな池を中心に配し、周囲をめぐりながら、江戸時代の代表的な庭園造りである池泉回遊式庭園がある。ほかにも、仲間(奉公人)部屋、厩なども見学することができ、当時の武士の生活がうかがえる。





■写真は高田家跡



〇金沢市足軽資料館

加賀藩では武士が約11,000人いたうち約5,800人が足軽であったという、他の藩では足軽は長屋住まいであるが、この資料館の通り敷地は足軽で約50坪、足軽小頭で70坪で一戸建てと優遇されていたと言える。清水家は平成2年まで、高西家は平成6年まで実際に住居として使われていた。その後、住人から金沢市に建物が寄贈され平成9年11月に現在の地に移築された。藩政時代の生活が想像できる貴重な建築物である。

■写真は清水家

◇長町足軽資料館訪探レポート(清水家①)

◇長町足軽資料館訪探レポート(清水家②完)



■写真は高西家

(つづく)

◇金沢の夏2020-長町武家屋敷跡①

2020-09-02 04:21:25 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1880)

◇金沢の夏2020-長町武家屋敷跡①

〇長町の由来

長町は前田八家の一つ長氏の屋敷があったこと、鞍月用水と大野庄用水に囲まれた長い町ことなどから名付けられたといわれている。現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級武士から中級、下級武士などが住んでいました。現在では、当時の武家屋敷は殆ど残っていませんが、その中で中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子を伺うことができます。



〇前田土佐守家資料館

前田土佐守家資料館は、加賀藩祖前田利家の次男前田利政を家祖とする前田土佐守家所蔵の資料、約9,000点(石川県指定文化財)を保管、その一部を展示する施設です。 当館所蔵の資料は、土佐守家歴代当主が文書の保存・整理に努めてきたため、散逸や損傷等が少なく、膨大な歴史資料が良好な状態で保存されております。 また、土佐守家は加賀藩の重臣として、常に藩政の中枢に位置する家であったことから、土佐守家の草創期(天正期)から明治にいたる間の様々な分野にわたる史料がみられ、加賀藩政、文化史研究を進めてゆく上でも、その重要性が広く知られています。

■写真は前田土佐守家資料館



■写真は老舗資料館



■写真は大野庄用水











■写真は鏑木商店(支店、本店)





〇大屋家住宅
藩政時代の直臣平士級の武家屋敷の遺構です。門を構え、敷地周辺に土塀を巡らし、広い庭があります。建物は、内部や建具も含めて当時の状態をよく残している。正面に高く広い妻面のあるアズマダチの屋根は、元々は板葺き石置き屋根でしたが明治時代に瓦屋根に葺き替えられました。屋根裏には、板葺き石置き屋根だった頃の低い小屋組みが現在も残っています。武家屋敷を構成した主な要素を全て残している貴重な遺構です。平成15年4月21日に金沢市保存建造物(日本建築)に指定され、国の登録有形文化財。



■写真は大屋家住宅



〇新屋家長屋門

長町武家屋敷跡に残る金沢を代表する長屋門。屋敷は離れを残して今はありませんが、藩政期には桑島氏が居住してた。長屋門は、赤戸室でやや反りをもった亀甲積みの基礎の上に、壁は太い押縁の付いた下見板部と軒下の白漆喰の小壁とが好対照をなしている。屋根は、現在瓦葺きだが、昭和3年(1928)までは板葺き石置きだった。



■写真は新屋家長屋門

(つづく)