植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇寺町寺院群巡り-17(完)浄安寺、妙慶寺、成学寺、常徳寺 

2020-02-29 04:28:48 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1757)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-17(完)浄安寺、妙慶寺、成学寺、常徳寺 

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。
*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



65)岌松山浄安寺(じょうあんじ)

宗派:浄土宗
由緒:
加賀藩初代藩主・前田利家と同じ尾張荒子の出である貞蓮社白誉笈松上人が、天正三年(1575)に利家の命を受け、金沢に入部し古寺町(現・片町)に建立した。 元和二年(1616)、三代藩主・前田利常に請うて、寺地を得て現在地に移った。当時の「寄木造り阿弥陀如来像」は、延宝元年(1673)に建立され、金沢四大仏の一つに数えられる。宝暦九年(1759)の大火で建物は全焼したが、壇信徒によって大仏や御像などは無事に運び出され、その後寺も再建された この他、八臂弁財天、大黒天、毘沙門天の三体を奉る寺である。(看板より)
住所:金沢市寺町5-5-18



■写真は浄安寺

□紹介ページ(植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました。)



66)安養山妙慶寺(みょうけいじ)

宗派:浄土宗
由緒:
宗良親王(佛眼上人明心法親王)が、越中国射水郡牧野村(富山県高岡市)に一の字の草庵を結び、仏門に入り安養山極楽寺と号したことに始まる。 開山は、寂蓮社城誉円阿であり、もと越中射水郡牧野村安養山極楽寺の僧であった。天正十三年(1585)前田利家が越中国(富山県)の佐々成政と戦った時、松平康定は牧野村極楽寺を本陣にした。当時前田利家の家臣であった康定は佐々の敗北後は後の二代藩主利長の家臣となり、極楽寺を康定の菩提所としていた。康定が越中から金沢に移ったのに伴って、金沢へと寺を移した。当初、極楽寺は康定の屋敷内にあったが、康定の母・妙慶尼の菩提寺に取り立てられ、寺号も妙慶寺と改めて、元和元年(1615)、三代藩主・利常から現在地に寺領を拝領し、移った。その当時、末寺として成学寺、三光寺、弘願院と搭司として養寿院、宝珠院、慈願院があったが、搭司の各院は廃滅し、残りの寺院は現在は独立し、現存している。 また、当時は松平家の菩提寺で、江戸末期の家老大 、ミュンヘンオリンピック金メダルの男子バレーボール監督・松平康隆、日本の初代国連大使・松平康東などの先祖の墓がある。(看板より)
住所:金沢市野町1-1-12



■写真は妙慶寺



67)高養山成学寺(じょうがくじ)

宗派:浄土宗
由緒:
正保4年(1647)松平又右衛門夫人が、加賀藩三代藩主前田利常に請うて、梵宅上人を招き、もと玉泉寺の寺領に亡夫の菩提所として建立したのが起こりである。寺名は、又右衛門の戒名である成学居士から名付けられた。
住所:金沢市野町1-1-18 





□紹介ページ①(植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました。)

□紹介ページ②(植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました。)

■写真は成学寺



68)鵜川山常徳寺(じょうとくじ)

宗派:真宗大谷派
由緒:
文政元年(1444)本願寺代五世・綽如上人の実子・鸞芸法師が、能美郡西山に一宇を創建し、浄徳寺と号する。やがて、聖徳太子の夢告によって同郡鴨川に移転。本願寺第十五世・常如上人の時一字を賜り、常徳寺と改称する。万治三年(1660)現在地に移る。 梵鐘は初代・寒雉の作で、金沢市の指定文化財となっている。(看板より)
住所:金沢市寺町5-1-29



■写真は常徳寺

(寺町寺院群巡り(完))

今回、寺町寺院群巡りをしてみて、加賀藩三代藩主利常が一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院を集めた時代に思いを馳せた。
現在(2019.12)65寺院、3神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。中には時代の変化に耐えきない寺院もあったが 、楽しくめぐることができた。

◆寺町寺院群巡り2019バックナンバー(11~16)

〇寺町寺院群巡り-1~10は、寺町寺院群巡り-10ご覧ください。
◇寺町寺院群巡り-10 本是寺、龍徳寺、林幽寺、龍雲寺

◇寺町寺院群巡り-11 興徳寺、宝集寺、桂岩寺、闕野神社


◇寺町寺院群巡り-12 永福寺、融山院、玄光院、昌柳寺

◇寺町寺院群巡り-13 善隆寺、妙法寺、実成寺、本性寺

◇寺町寺院群巡り-14 法光寺、立像寺、大円寺、妙福寺 

◇寺町寺院群巡り-15 本因寺、長久寺、高岸寺、妙典寺

◇寺町寺院群巡り-16 本妙寺、諏訪神社、伏見寺、松月寺



◇寺町寺院群巡り-16 本妙寺、諏訪神社、伏見寺、松月寺 

2020-02-27 04:40:45 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1756)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-16 本妙寺、諏訪神社、伏見寺、松月寺 

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。
*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



61)玄秘山本妙寺(ほんみょうじ) 金沢市寺町5-2-37

宗派:法華経
由緒:
元和9年(1623)、越中高岡本陽寺の弟子・円重院日覚が創建した。開基旦那は、加賀藩二代藩主・前田利長に仕えた中将という女中で、中将は日覚の姉に当たる。本堂は、文化九年(1812)建立の建物であり、当山第九世宣妙院日慈建立当山中興也と記録されている。加賀騒動の際、お貞(真如院)とかかわりのあった半田家の墓もある。(看板より)

住所:金沢市寺町5-2-37

■写真は本妙寺



62)諏訪神社(すわじんじゃ)

御祭神:建御名方命 誉田別命 応神天皇
由緒:
当神社の発祥は、室町時代の初期、正長2年に当時の豪族、富樫氏の周遊の地、泉野領桜畑に同氏の起請によって創建された『八幡宮』に起源する。加賀藩主、前田利常公の時代に信州・諏訪の神(鷹の守護神)を鷹匠頭、野村宗順(食禄二千石・寛永元年没)、大平右京らが勧請併祀して、鷹の祈祷を修めたと貞享2年の由来書に載せられている。御社名は、明治初年ごろまで通称『諏訪八幡宮』と一般に呼ばれていた。
住所:金沢市寺町5-2-41



■写真は諏訪神社



63)行基山伏見寺(ふしみじ)

宗派:高野山真言宗
由緒:
もとは、石川郡山科村にあったが、元和元年(1615)、同寺中興、快存和尚が現在地に寺地を賜り移転した。本尊の阿弥陀如来像は、平安初期の金剛仏の力作とされ、国の重要文化財に指定されている。行基菩薩を開眼供養の導師とする。また、護摩堂には木像の不動明王坐像(金沢市指定文化財)があり、弘仁期(810~24)の作かと言われている。金沢の地名発祥のもとになった「芋掘藤五郎の伝承」が残る寺としても知られ、藤五郎夫妻の像や墓もある。その他、観世音菩薩像(金沢観音霊場第十四札所)など古仏も多い。(看板より)
住所:金沢市寺町5-5-28



□紹介ページ(植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました。)

■写真は伏見寺



64)瑞亀山松月寺(しょうげつじ)

宗派:曹洞宗
由緒:
斉藤刑部宗忠が、白峰和尚のために越前(福井県)堀井庄において起こした寺であるが、加賀藩初代藩主・前田利家の入国後、金沢に移り、宗忠が願って小立野に造営し、元和二年(1616)には現在地に移った。
境内には有名な老桜があり、「大桜」とも「御殿桜」とも言われる。これは、中興至岸和尚が三代藩主・前田利常から小松城内にあったものを拝領したと伝えられる桜である。樹種は山桜に近く、花茎五センチ内外、四月中旬開花する。樹齢は定かではないが、周囲約六メートル、高さ十四メートルの大木である。昭和十八年八月、文部省から天然記念物に指定された。泉鏡花の作品「桜心中」では、「この桜は名木です」と記している。(看板より)
住所:金沢市寺町5-5-22





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■写真は松月寺と大桜

a href="https://blog.goo.ne.jp/kanazawa-uechan/e/8434a19b673b529d80cd5a99f263812b">◇寺町寺院群巡り-11 興徳寺、宝集寺、桂岩寺、闕野神社

◇寺町寺院群巡り-12 永福寺、融山院、玄光院、昌柳寺

◇寺町寺院群巡り-13 善隆寺、妙法寺、実成寺、本性寺

◇寺町寺院群巡り-14 法光寺、立像寺、大円寺、妙福寺 

◇寺町寺院群巡り-15 本因寺、長久寺、高岸寺、妙典寺

◇寺町寺院群巡り-17(完)浄安寺、妙慶寺、成学寺、常徳寺

(つづく)

◇寺町寺院群巡り-15 本因寺、長久寺、高岸寺、妙典寺

2020-02-26 04:37:03 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1755)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-15 本因寺、長久寺、高岸寺、妙典寺

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。
*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



57)興冨山本因寺(ほんいんじ)

宗派:法華経
由緒:
元和元年(1615)、京都本能寺第十二世伏見宮日承の弟子・真浄院日得を開山に迎え創立、横山康玄乳母の菩提所となる。その後、横山家の懇願により今の寺地を拝領した。北条氏直の重臣であった松田家や関家(関流剣術・関重秀)加賀藩初代御茶堂頭の市井友仙等の菩提所でもある。現在の建物は、延享元年(江戸中期)に再建されたものである。(看板より)

住所:金沢市寺町5丁目2-15
■写真は本因寺



58)鶴雲山長久寺(ちょうきゅうじ)

宗派:曹洞宗
由緒:
長記によれば、慶長13年(1608)創建。高畠石見守定吉の後室長久院(生前は長寿院)のために栖覚寺を郊外にあたる大豆田高畠氏の下邸に建てたが、その化粧料300石を寺領として寄進し、その15年後長久寺と改めた。
宝永12年(1635)には泉寺町(現寺町)の玉泉寺前に転じ明暦元年(1655)寺封を増して50石とし、覚源寺の遺址である現在地に移って長久寺を建立したとある。
当寺は、前田利春の三女で、前田利家の妹津世の菩提寺である。境内には芭蕉の「秋涼し 手毎にけむや 瓜茄子」句碑がある。また樹齢400年近くになる金沢市保存林の銀木犀があり9月には開花する。(看板より)
高畠石見守御夫婦の肖像画が市の文化財。


住所:金沢市寺町5-2-20



□紹介ページ(植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました。)

□紹介ページ(植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました。・オテラート)

■写真は長久寺



59)妙榮山高岸寺(こうがんじ)

宗派:日蓮宗
由緒:
当寺は、もと加賀国白山にあり白山城主で前田家家臣の高畠石見守の菩提寺として建立された。 天正十五年(1587)の創建で、開山は石見守弟、和泉堺の成就寺十一世妙覚院日饒上人である。はじめは石見守下屋敷にあり、のち寛永十三年(1636)、現在地に移る。高畠家は、加賀藩初代藩主・前田利家の正室まつの方の実家であり、石見守の奥方は利家の妹、津世である。 茶屋「犀枩軒」の額は、三代藩主・前田利常の命名で十三代斉泰の揮毫である。 墓所には、真田氏、織田氏、前田家ゆかりの書道家二木氏、易学者鶴見氏、久谷焼絵付の祖である後藤才次郎、藤尾の局、内藤家の墓などがある。(看板より)
住所:金沢市寺町5-2-25





■写真は高岸寺



60)正栄山妙典寺(みょうてんじ)

宗派:日蓮宗
由緒:
天正十三年(1585)、仏蔵院日敬が越中高岡で創建。神保氏張の室が開基となった。 慶長十四年(1609)、三輪長好が加賀藩三代藩主・前田利常に請うて、金沢河原町に移り、元和二年(1616)、現在地に転じた。 宝暦九年(1759)に焼失したが、後に再建された。 当寺にある釜師宮崎彦九郎義一の「鋳造三具足」は、金沢市の指定文化財である。(看板より)
住所:金沢市寺町5-2-33



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■写真は妙典寺

a href="https://blog.goo.ne.jp/kanazawa-uechan/e/8434a19b673b529d80cd5a99f263812b">◇寺町寺院群巡り-11 興徳寺、宝集寺、桂岩寺、闕野神社

◇寺町寺院群巡り-12 永福寺、融山院、玄光院、昌柳寺

◇寺町寺院群巡り-13 善隆寺、妙法寺、実成寺、本性寺

◇寺町寺院群巡り-14 法光寺、立像寺、大円寺、妙福寺 

◇寺町寺院群巡り-16 本妙寺、諏訪神社、伏見寺、松月寺

◇寺町寺院群巡り-17(完)浄安寺、妙慶寺、成学寺、常徳寺

(つづく)

◇寺町寺院群巡り-14 法光寺、立像寺、大円寺、妙福寺 

2020-02-25 04:18:24 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1754)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-14 法光寺、立像寺、大円寺、妙福寺 

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。
*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



53)本照山法光寺(ほうこうじ)

宗派:日蓮宗
由緒:
天正9年(1581)了覚院日養が越中守山に建立した。元和3年(1617)二世・日詮の時に、現在地に移った。開基檀越は、加賀藩三代藩主・前田利常の側室・お保の方であり、了覚院日養の墓碑を建立している。元和6年(1620)には、失火焼失している。
住所:金沢市寺町5-3-10

■写真は法光寺



54)妙布山立像寺(りつぞうじ)

宗派:日蓮宗
由緒:
永仁2年(1294)、日像上人が越前南条郡府中(福井県武生市)立像庵を建立。この庵を日治の代に妙布山立像寺と号した。天正十一年(1583)、後の加賀藩二代藩主・前田利長が松任入城の時、日治も従い小松に建立、続いて利長越中守山に移るときも、日治再び従い寺地を高岡に、さらに利長が富山に移るときも従い富山に寺地を与えられた。利長が金沢城主となり、初めは金沢の河原町(現・片町)に寺地拝領、その後、現在地に移った。三代藩主・利常の生母寿福院の母であり、利常の祖母寿命院の再婚先、小幡家が木材を寄進、小幡家の定紋松皮菱が欄間に彫られている。第二十二世日輝は、子弟訓育の充洽園を創設し、日蓮宗近世教学の発祥地とも言われた。本堂は、向拝柱の面が大きく桃山時代の様式を示している。境内には、キリシタン灯篭や六代目横綱・阿武松緑之助の墓がある。(看板より)
住所:金沢市寺町4-1-2





■写真は立像寺



55)五智山大円寺(だいえんじ)

宗派:浄土宗
由緒:
寛永元年(1624)、開山は仰誉是伯上人で、大阪夏の陣で戦士した父、大円宗吟大居士の供養のため、草庵を建立した。元禄十三年(1700)三代・心岩上人の時、現在地に再建されたが、宝暦の大火に遭い焼失。地蔵堂、庭園が当時を伝えている。当時に祀られている「人骨地蔵尊」は、心岩上人の作で、誰にも拝まれることない人骨を哀れみ、顔・首・胸・両手足に人骨を塗り込めた、高さ四メートル三三センチ、極彩色の衣をまとった延命地蔵尊である。 また、什物堂には心岩上人の書画工芸品、自画像図(市文化財指定)、血判浄土三部経、念仏書、来迎図、当山歴代の什物等が陳列されている。(看板より)
住所:金沢市寺町5-3-3

□紹介ページ①(植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました。)

□紹介ページ②(植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました。)



■写真は大円寺



56)永隆山妙福寺(みょうふくじ)

宗派:法華経
由緒:
慶安二年(1649)、実成寺八世・本覚院日誉の創建。本堂は、宝暦九年(1759)の大火で焼失したが、本堂の向拝の操形には創建当時のものが見られる。また、当寺は加賀藩士・岡本右太夫ゆかりの寺でもある。岡本右太夫は明和年間(1764~72)に初めて江戸より金沢へ孟宗竹を移植した人物で、石川県におけるタケノコ生産の元祖といわれている。(看板より)
住所:金沢市寺町3丁目2-33




□紹介ページ(植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました。)


■写真は妙福寺

a href="https://blog.goo.ne.jp/kanazawa-uechan/e/8434a19b673b529d80cd5a99f263812b">◇寺町寺院群巡り-11 興徳寺、宝集寺、桂岩寺、闕野神社

◇寺町寺院群巡り-12 永福寺、融山院、玄光院、昌柳寺

◇寺町寺院群巡り-13 善隆寺、妙法寺、実成寺、本性寺

◇寺町寺院群巡り-15 本因寺、長久寺、高岸寺、妙典寺

◇寺町寺院群巡り-16 本妙寺、諏訪神社、伏見寺、松月寺

◇寺町寺院群巡り-17(完)浄安寺、妙慶寺、成学寺、常徳寺

(つづく)

◇寺町寺院群巡り-13 善隆寺、妙法寺、実成寺、本性寺

2020-02-23 04:15:48 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1753)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-13 善隆寺、妙法寺、実成寺、本性寺

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。
*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



49)恵光山善隆寺(ぜんりゅうじ)金沢市寺町3-2-30

宗派:日蓮宗
由緒:
開山は立像寺三世日淳の弟子である善光坊で、寛永20年(1643)、立像寺内に草庵を建て、後に、慶安2年(1649)、京都の立本寺の末寺となって寺号を受けた。明治以前に一時廃寺となったが、明治41年(1908)に再建されたももである。

住所:金沢市寺町3-2-30



■写真は善隆寺



50)大蓮山妙法寺(みょうほうじ)

宗派:日蓮宗
由緒:
天正元年(1573)に圓智院妙浄法尼が開基となって、尾張、荒子に建てられました。その後、領主の移転とともに、越前府中、能登府中、金沢尾張町と移り、元和元年(1615)現在地に伽藍を構えて今日に至ります。妙法寺には石川県指定文化財「圓智院妙浄(篠原一孝夫人)画像 附紺紙金泥妙法蓮華経 漆塗経箱」が伝来しています。
住所:金沢市寺町4-2-6







□紹介ページ(植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました。)

■写真は妙法寺



51)永正山実成寺(じっしょうじ)

宗派:法華宗
由緒:
貞享二年(1685)の由来書によれば、永正十四年(1517)、日授が石川郡野々市に創立したのが起こりと伝えられる。後に、金沢の小立野に転じ、加賀藩三代藩主・前田利常の時に河原町(現・片町)に移され、さらにその後、現在地に移った。た文化三年(1806)の由来書によれば、十代藩主・前田重教の生母・実成院から国家安泰の祈祷を命ぜられ、宝暦十一年(1761)に実成院が没すると、当寺において葬礼が行われ、後に、霊屋を設けて霊供米十石が寄進されたとある。実成院の法号は、当寺号を採ったものと思われる。(看板より)
住所:金沢市寺町4-2-2



■写真は実成寺



52)長久山本性寺(ほんしょうじ)

宗派:法華宗
由緒:
天正14年(1586)、三田村作内と橋本総右衛門の二人が、加賀藩初代藩主・前田利家に請うて、本性寺を枯木町に建立。越前府中本興寺の子院・教行院の僧を招いて寺主とした。後に小立野に移り、次いで河原町、そして元和二年(1616)現在地に移った。境内には、建仁寺流の宮大工・山上善右衛門の墓がある。山上善右衛門は加賀藩三代藩主・前田利常の招きで加賀藩に仕え、富山県の国宝・瑞龍寺、羽咋市の妙成寺、気多大社、小松市の梯天満宮、那谷寺などを建立した名棟梁である。また、平家関氏の墓も境内にある。関氏は、平重盛の次男・資盛が伊勢国鈴鹿郡関の谷に隠れて関と姓し、源氏の討伐から逃れた。子孫は能登の長氏に仕え、現在に及ぶ。(看板より)
住所:金沢市寺町4-1-6



■写真は本性寺

a href="https://blog.goo.ne.jp/kanazawa-uechan/e/8434a19b673b529d80cd5a99f263812b">◇寺町寺院群巡り-11 興徳寺、宝集寺、桂岩寺、闕野神社

◇寺町寺院群巡り-12 永福寺、融山院、玄光院、昌柳寺

◇寺町寺院群巡り-14 法光寺、立像寺、大円寺、妙福寺 

◇寺町寺院群巡り-15 本因寺、長久寺、高岸寺、妙典寺

◇寺町寺院群巡り-16 本妙寺、諏訪神社、伏見寺、松月寺

◇寺町寺院群巡り-17(完)浄安寺、妙慶寺、成学寺、常徳寺

(つづく)

◇寺町寺院群巡り-12 永福寺、融山院、玄光院、昌柳寺

2020-02-22 04:01:02 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1752)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-12 永福寺、融山院、玄光院、昌柳寺

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。
*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



45)宝光山永福寺(ようふくじ)浄土宗 金沢市寺町1-3-18

宗派:浄土宗
由緒:
当初、珠洲郡上戸村にあったが、泉野の地で寺領を拝領し、天明元年(1781)当地に移りました。中興は弁誉和尚であり、現在の建物は江戸後期のものです。
住所:金沢市寺町1-3-18



■写真は永福寺



46)円通山融山院(ゆうざんいん) 金沢市寺町2-1-4

宗派:曹洞宗
由緒:
元和9年(1623)開山融山泉祝和尚は、当寺丹波の国 圓通寺の住持であったが、加賀藩家老横山長知の請を受け、市内八坂町(現東兼六町)に松山寺を建立し開山となりました。後、隠棲して横山家邸内に庵を結びました。これが融山院の始まりであります。寛文7年(1667)4世州屋和尚に至り野田寺町(現在地)に横山家下屋敷拝領し3,000坪の境内地を有する大刹となったが、幕末の拝佛毀釈の災に遭い堂宇は消滅したが明治末27世園地和尚により再建したが、昭和の大戦後破損甚大となり現仮本堂となっています。
住所:金沢市寺町2-1-4



■写真は融山院



47)護念山玄光院(げんこういん)

宗派:浄土宗
由緒:
承応元年(1652)、根誉源政の創立になる。大正2年(1913)、永福寺を合併した。 現在の建物は、江戸後期のものである。この寺の本尊は、善光寺式の阿弥陀如来立像で、やさしく温顔をたたえ黄金色の立派な仏像である。また、両脇には観音、勢至の両金銅製の菩薩像が待立している。 本寺は、春の法然上人御忌会、秋の十日十夜法会等の法要を行っている。(看板より)
住所:金沢市寺町2-13-25

■写真は玄光院



48)徳本山昌柳寺(しょうりゅうじ)

宗派:本門佛立宗
由緒:
文禄4年(1595)七尾城主であり富田流剣法中興の祖・富田治郎左衛門興五朗影家が桜畠に母の菩提寺として創建したことが起こり。昭和22年(1947)本門佛立宗の一宗独立に伴い、今日に至る。
住所:金沢市寺町3-6-22

■写真は昌柳寺

a href="https://blog.goo.ne.jp/kanazawa-uechan/e/8434a19b673b529d80cd5a99f263812b">◇寺町寺院群巡り-11 興徳寺、宝集寺、桂岩寺、闕野神社

◇寺町寺院群巡り-13 善隆寺、妙法寺、実成寺、本性寺

◇寺町寺院群巡り-14 法光寺、立像寺、大円寺、妙福寺 

◇寺町寺院群巡り-15 本因寺、長久寺、高岸寺、妙典寺

◇寺町寺院群巡り-16 本妙寺、諏訪神社、伏見寺、松月寺

◇寺町寺院群巡り-17(完)浄安寺、妙慶寺、成学寺、常徳寺



(つづく)

◇寺町寺院群巡り-11 興徳寺、宝集寺、桂岩寺、闕野神社

2020-02-21 04:49:01 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1751)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-11 興徳寺、宝集寺、桂岩寺、闕野神社

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。
*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



41)金昌山興徳寺(こうとくじ)

宗派:高野山真言宗
由緒:
興徳寺は日蓮宗の寺院で、もともと羽咋郡滝谷妙成寺の末寺で、正保元年(1644)
秀閑日受が宝達山に建てた寺が起こりと伝えられている。慶安4年(1651)金沢に出て三宝寺に借地して草庵を結び、延宝12年(1674)に現在地に移る。本堂は切り妻の大屋根に、本堂の向拝とその左側に鬼子母神の向拝がある。
住所:金沢市寺町5丁目12-16



■写真は興徳寺



42)倶利伽羅山宝集寺(ほうしゅうじ)

宗派:高野山真言宗
由緒: 
河北郡倶利伽羅山の長楽寺の僧弘誉を開山とした。僧惲獄の時、承応元年(1652)、加賀藩士・津田伊織盛尚が堀川讃岐町(堀川町)に創立して、その母の位牌所としたが、正徳四年(1714)、今の地に移った。不動明王、歓喜天、毘沙門天、千手観音を祀る。
加賀藩十代藩主・前田重教の頃より、前田家の祈願寺となる。本尊は不動明王。大仏さまの六角堂として有名である。加賀藩十二代藩主・前田斉広の産母貞林院の発願により建立した。(看板より)
住所:金沢市寺町1-6-39





■写真は宝集寺



43)天祥山桂岩寺(けいがんじ)

宗派:曹洞宗
由緒:
天祥山と号し、曹洞宗に属する。 寛永19年(1642)、伝馬町(現・片町、中央道、長町)に創建。享保14年(1729)大火のため焼失、翌年、現在地に再建された。 文化6年(1809)、海運天麟和尚が五百体羅漢安置を発願し、二百余体を勧進したが、志し半ばにして文化11年(1814)、示寂した。後師兄二十世・円戒和尚が志しを嗣ぎ百六〇体を勧進し、文政6年(1823)示寂。二十一世・欄牛和尚が文政8年(1825)に残りの尊像を勧進教化、三月十八日に完成し法要を営んだ。後の昭和37年4月29日、小学生の火遊びから本堂と五百羅漢等を焼失したが、それより復興を発願し、昭和62年11月1日、完成奉賛法要を営んだ。正面に安置の御本尊は、華厳の釈迦といい、華厳経を説いている姿と言われている。頭には宝冠を頂き、頸には衆の宝珠や瓔珞を付け荘厳されているので、観音様と間違えられることも多い。(看板より)
住所:金沢市寺町1丁目6-46





■写真は桂岩寺



44)闕野神社(がけのじんじゃ)

祭神:応神天皇
由緒:
当社は初め能美郡安宅浦に勧請し、後現在地に移転す。加賀守富樫氏の崇敬ありしといい伝う。天正12年(1583)創立と思われる。明治5年(1872)11月村社に列格、大正7(1918)年3月神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
住所:金沢市十一屋町3-32





■写真は闕野神社

◇寺町寺院群巡り-12 永福寺、融山院、玄光院、昌柳寺

◇寺町寺院群巡り-13 善隆寺、妙法寺、実成寺、本性寺

◇寺町寺院群巡り-14 法光寺、立像寺、大円寺、妙福寺 

◇寺町寺院群巡り-15 本因寺、長久寺、高岸寺、妙典寺

◇寺町寺院群巡り-16 本妙寺、諏訪神社、伏見寺、松月寺

◇寺町寺院群巡り-17(完)浄安寺、妙慶寺、成学寺、常徳寺

(つづく)


◇冬の金沢2020-12(完) 冬の金沢市内

2020-02-19 04:27:37 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1750)

◇冬の金沢2020-12(完) 冬の金沢市内

2月6日(木)金沢市内に、ついに雪が積もりました。しいのき迎賓館他を紹介します。

■写真は四高記念館





■写真はしいのき迎賓館





■写真はしいのき広場









■写真は金沢市総合体育館の椿(2002.2.14)







■写真は21世紀美術館(2020.2.15)

(冬の金沢 完)

◇冬の金沢2020-12 雪の兼六園②

2020-02-18 04:28:00 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1750)

◇冬の金沢2020-12 雪の兼六園②

2月6日(木)金沢市内に、ついに雪が積もりました。雪の金沢城公園、兼六園をリポートします。

○兼六園の概要

加賀百万石の文化を映す、歴史的文化遺産である。水戸偕楽園、岡山後楽園とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。

兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。入場者数18年度入場者数275万人(前年比98.2%)であった。



■写真は緋の司





■写真は鶯宿



■写真は青軸



■写真は志那満作

















撮影日:2020.2.6

(つづく)

◇冬の金沢2020-11 雪の兼六園①

2020-02-17 04:11:24 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1749)

◇冬の金沢2020-11 雪の兼六園①

2月6日(木)金沢市内に、ついに雪が積もりました。雪の金沢城公園、兼六園をリポートします。

○兼六園の概要

加賀百万石の文化を映す、歴史的文化遺産である。水戸偕楽園、岡山後楽園とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。

兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。入場者数18年度入場者数275万人(前年比98.2%)であった。























撮影:2020.2.6

(つづく)

◇冬の金沢2020-10 雪の金沢城公園②

2020-02-15 04:42:13 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1748)

◇冬の金沢2020-10 雪の金沢城公園②

2月6日(木)金沢市内に、ついに雪が積もりました。雪の金沢城公園、兼六園をリポートします。

○金沢城公園の概要

加賀藩の居城であった金沢城の城址を整備してつくられた公園。園内には、石川門や三十間長屋などのの藩政期建築物。木造城郭建築として五十間長屋や菱櫓、爪門続櫓、橋爪門などの歴史的建造物が復元されています。
また、兼六園より歴史のある玉泉院丸庭園も再現され今年夏(2020)には鼠多門の復元と鼠多門橋が再現され尾山神社まで接続される。



〇金沢城公園の鼠多門復元、鼠多橋再現工事

金沢城公園の整備事業の目的は①歴史的建造物を継承②兼六園と並ぶ金沢のシンボル公園化③文化、伝統、歴史を引き継ぐことの具現化が柱となり、その流れの一環で、金沢城の新たな名所となる、鼠多門復元、鼠多門橋再現工事が行われている。今年夏(2020)には完成し、尾山神社まで接続され、新たな回遊ルートが完成する。





■写真は三十間長屋



■写真は戌亥櫓跡より菱櫓

〇二の丸御殿復元
二の丸広場には二の丸御殿があった。昨年内装の詳しい二の丸御殿「仕様書」が発見され、二の丸御殿調査検討委員会が復元可能との報告し、谷本知事が玄関部分から段階的に復元すると表明した。御殿の内「表向き」約1,800坪を20年かけて段階的に復元し、総工費200億円とか??



■写真は二の丸広場













■写真は玉泉院丸庭園





■写真は復元の鼠多門と再現の鼠多門橋

(つづく)

◇冬の金沢2020-9 雪の金沢城公園①

2020-02-14 04:36:12 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1747)

◇冬の金沢2020-9 雪の金沢城公園①

2月6日(木)金沢市内に、ついに雪積がありました。雪の金沢城公園、兼六園をりポートします。

○金沢城公園の概要

加賀藩の居城であった金沢城の城址を整備してつくられた公園。園内には、石川門や三十間長屋などのの藩政期建築物。木造城郭建築として五十間長屋や菱櫓、爪門続櫓、橋爪門などの歴史的建造物が復元されています。
また、兼六園より歴史のある玉泉院丸庭園も再現され今年夏(2020)には鼠多門の復元と鼠多門橋が再現され尾山神社まで接続される。









■写真は三の丸広場より







■写真は鶴丸休憩館より



■写真は鶴丸倉庫





■写真は丑寅櫓跡より



■写真は辰巳櫓跡より

(つづく)

◇冬の金沢2020-8 石浦神社 拝殿狛犬

2020-02-13 04:27:30 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1746)

◇冬の金沢2020-8 石浦神社 拝殿狛犬

例年は「雪の金沢」を紹介しているが、2/2現在金沢市内には永住12年目で初めて積雪がありません。例年の約2%とかで累計積雪2Cmで観測史上最低となった。(20.2.3現在)今年は雪のない金沢を紹介します。



〇石浦神社
加賀国石浦村始め七ヶ村の産土神で、旧藩時代には俗に石浦山王社或いは地主権現と呼ばれ、別当所を長谷山慈光院と号した。社記によれば聖武天皇の天平11年(739)の創建で、延喜式名帳に記載されている加賀十三座中の三輪神社は実に当社であるといわれる。金沢城地の土地神として歴代藩主の崇敬をうけ、旧藩中家老を始め市中士民の信仰又篤かった。明治元年神仏混淆禁止の際別当を廃し、明治2年(1869)旧称を除き石浦神社と改称、同5年(1872)郷社に列せられた。昭和19年(1944)県社に昇格。

・御祭神:大物主神 大山咋神 天照大神 菊理媛神
・住所:金沢市本多町3-1-30

拝殿に狛犬が3対もいました。





















撮影日:2020.1.26

(つづく)

◇冬の金沢2020-7 金沢市内 

2020-02-11 06:34:21 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1745)

◇冬の金沢2020-7 金沢市内 

例年は「雪の金沢」を紹介しているが、2/2現在金沢市内には永住12年目で初めて積雪がありません。例年の約2%とかで累計積雪2Cmで観測史上最低となった。(20.2.3現在)今年は雪のない金沢を紹介します。







■写真は大円寺の蝋梅



■写真は桜橋から医王山



■写真は開渠工事中の外総構堀(武蔵地区)





■写真は鞍月用水のせせらぎ通り





■写真は鞍月用水の石垣から根が!12年間気が付かなかった。

(つづく)

◇冬の金沢2020-6 兼六園⑤ 椿-3

2020-02-10 04:01:10 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1744)

◇冬の金沢2020-6  兼六園⑤ 椿-3

例年は「雪の金沢」を紹介しているが、2/2現在金沢市内には永住12年目で初めて積雪がありません。例年の約2%とかで累計積雪2Cmで観測史上最低となった。(20.2.3現在)今年は雪のない金沢を紹介します。

〇兼六園の椿
兼六園には多くの椿がある、椿の種類は7,000品種がある言う、また、咲く時期が10月から翌年4月ごろまでと長期にわたり、かつ判定するのは難しい。現在の確認、撮影できたものは25種です。



7)シュンショッコウ(春曙紅)

産地:埼玉県。八重咲き、筒割りしべ、中輪。奇観亭前右にある。・来歴:安行の皆川『椿花集』(1932・昭和7年度版)に記載





■写真は春曙紅(2020.1.9-1.14)



8)ベニワビスケ(紅侘助)

産地:関東。一重・筒咲き、侘芯、小輪。茶花として愛用されている。梅林内舟之亭近くにある。・来歴:伊藤『椿花集』(1879)に記載、類似に寒咲赤侘助





■写真は紅侘助(2020.1.11-1.17)



9)ミカワスキヤ(三河数寄屋)

産地:愛知県。一重・猪口咲き、極小輪。ワビスケ系の三河古種。花弁先は反って開く。梅林内舟之亭近くにある。





■写真は三河数寄屋(2020.1.14-1.24)



10)リュウセキツバキ(竜石椿)

一重・ラッパ咲き、中輪。竜石椿は、ピンク地に白い斑紋が不規則に入る。







■写真は竜石椿(2020.1.21-1.24)

(つづく)