植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

金沢名建築物巡り 尾張町界隈 ②

2016-06-29 04:30:08 | 日記


金沢の観光スポットレポート その525(No.805)

◇金沢名建築物巡り 尾張町界隈 ②

4)金沢町民文化館

市内で唯一屋根に鯱がついている建物は、旧金沢貯蓄銀行で明治
4年(1907)建設。昭和51年(1976)に北陸銀行尾張町支店と
しての役割が終了。昭和52年(1977)に県が取得し、県立郷土
資料館分館・町民文化館として会館。
外観は黒漆喰の土蔵造りで内部はアメ色のギリシャ風エンタシス
の柱と共に不思議な歴史的調和を持っている。

■写真は金沢町民文化館全景





■写真は残されているカウンター



■写真は展示品



■写真は元頭取室



■写真は地下金庫入口



■写真は元事務室全景



5)尾張町老舗交流館

平成8年に眼鏡店跡を改装してオープン。金沢らしい商家の雰囲
気を持ち大和風炉、階段箱、セドへ通じる通り庭など大正ロマン
が漂う。館内に入ると明治~昭和初期当時の尾張町界隈の写真が
展示されている。

■写真は尾張町老舗交流館全景





■写真はメガネ展示ケースを利用している。







■写真は館内展示の様子



6月18日(土)開催された、歴史伝統文化講演会の「兼六園そ
の価値を知ろう」上田輝喜金沢城・兼六園研究会相談役に参加し
ました。兼六園の歴史や藩主の思いなど大変参考になりました。
この講演会は今年3年目で年10回開催される。

■写真は講演中の上田相談役

(つづく)

金沢名建築物巡り 尾張町界隈 ①

2016-06-27 04:28:36 | 日記


金沢の観光スポットレポート その524(No.804)

◇金沢名建築物巡り 尾張町界隈 ①

観光ボランティアガイドまいどさんの同期会「よるまっし16」
の勉強会で金沢名建築物巡り尾張町界隈を巡りました。



1)北國銀行武蔵が辻支店

旧加能合同銀行本店の建物。建築家・村野藤吉の若き日の貴重な
建築物。外観は手焼きの焦げ茶色のスクラッチタイルを貼った直
方タイルに、2階部分までの高さもつ大きな表現派的な3つのシ
ェルアーチ(砲弾型アーチ)を付けている。
アーチの内部に見える格子状の棚など、その装飾を見張る。近年
改装を行い、1階に銀行の支店に加えてカフェを併設。3階のギ
ャラリーにはかつて使用されていた金庫扉の展示などがあり、内
部空間も気軽に楽しめるようになった。

・建築年:昭和7年(1932)
・設計:村野藤吾、村野建築事務所



■写真は北國銀行武蔵が辻支



2)不室屋本店

慶応元年(1865年)創業。和菓子老舗の森八や俵屋など金沢を代表
する老舗の一つ。不室村出身の土地豪族末裔だった久右衛門が尾
張町(現在の本店)に住居を構え、その嫡子、六右衛門が慶応元年
2月頃に麩の製造を始めたことが創業の由来とされている。その
際に、発祥地だった不室村にちなんで「不室屋」と屋号を定めた
とされている





■写真は不室屋本店全景



3)寿屋

藩政期の町家。元羽二重問屋の商家。昭和8年(1932)隣家を買
い求め、精進料理専門の料亭となる。

■写真は寿屋全景

(つづく)

純喫茶「ローレンス」金沢市片町

2016-06-24 04:34:56 | 日記


金沢の観光スポットグルメレポート その18(No.803)

◇純喫茶「ローレンス」金沢市片町

金沢に住み9年。一度は行ってみたかった純喫茶「ローレンス」
ついに実現した。
店は急な階段を登り3階ににある。作家五木寛之さんが足繁く通
ったことで有名な店。

■写真はタンザニア産キリマンジェロ



店内はドライフラワーなどが置かれてあり、この席が五木さんが
「蒼ざめた馬を見よ」を書いたテーブルとのこと。

*青ざめた馬を見よは昭和42年(1967)に著した短編小説。雑
誌別册文芸春秋98号(昭和41年12月)初出。第56回直木賞受賞作。

お店は何年にオープンしたんですか?とママに聞いたら昭和41
年ということ。

■写真は代表作「蒼ざめた馬を見よ」



□五木寛之プロフィール

ペンネーム五木寛之昭和7年(1932)9月30日て福岡県八女郡
生まれ、小説家、随筆家、作詞家。
昭和32年(1957)早稲田大学中退、昭和40年(1965)石川県
選出の衆議院議員(のち金沢市長)岡良一の娘で、学生時代から
交際していた岡玲子と結婚、夫人の親類の五木家に跡継ぎがなか
ったので五木姓を名乗る。

代表作:蒼ざめた馬を見よ(1967年)、「風に吹かれて」(1968
年、随筆)、「青春の門」(1970年 - 1993年)、「大河の一滴」
(1998年、随筆)、「親鸞」(2010年)



■写真は五木寛之さんの定席



○純喫茶「ローレンス」

住所:〒920-0981 石川県金沢市片町2丁目8-18
電話:076-231-1007

■写真はドライフラワー





■写真は鞍月用水とローレンス



■写真は五木文庫のある金沢文芸館

(完)

北陸新幹線開業で変わった文化??

2016-06-22 04:25:15 | 日記


金沢の観光スポットレポート その523(No.802)

◇北陸新幹線開業で変わった文化??

平成27年3月北陸新幹線金沢開業からはや1年3ヶ月が
過ぎました。新幹線効果により関東方面からの入り込人口
は前年比約3倍となり金沢市内の文化が大きく3つの変化
があったと筆者は思います。

■写真は北陸新幹線車両



1)町のにぎわい

北陸新幹線金沢開業による2015年度実績。

①関東方面からの輸送人員、昨年比約3倍(JR西日本発表
 糸魚川~上越間乗車、15/3/14~16/3/13)
②兼六園入場者数308.9万人(前年比152%)
③金沢城公園238.3万人(前年比175%)
④まちのり(レンタサイクル)20.8万件(前年比165%)

■写真は和服レンタルが好評兼六園(6/5)



2)歩く文化

金沢人は300メートル先のたばこを買いに行くのも自動
車や自転車という土地柄。関東方面の方は近江町や金沢城
であれば歩く距離。キャリーバックも転がしてしまう。

■写真はキャリーバックを引く観光客(5/14)



■写真は歩道の観光地距離表示



3)並ぶ文化

金沢人は15分位は並ぶが、それ以上は並ばない文化だっ
たのが、1時間くらいは楽しんで並んでしまう。
近江町の10時ごろから並んでいる??(朝食?昼食?)

■写真は近江町の寿司屋(4/3午前10時ごろ)



■写真は片町グリル・オオツガ(4/9)

(完)

金沢の広見巡り ⑧

2016-06-20 04:11:02 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その522(No.801)

◇金沢の広見巡り ⑧

今回の広見巡りは、金沢駅よりスタートし安江町、彦三町、
東山、小立野、本多町、片町周辺、長町、長土塀、犀川大
橋、寺町の21ヶ所を巡る。

20)長町3丁目の広見

長町五の橋と六の橋の間。現足軽資料館の大野庄用水向側
の三角地。戦後用水沿いに児童図書館・善隣館があった。

住所:長町3丁目1番先(足軽資料館前)
面積:170平方メートル

■写真は長町3丁目の広見(北方面から)



■写真は足軽資料館



■写真は長町3丁目の広見(南方面から)



■写真は地図



21)村井家の広見

四ツ橋付近だが判然しない。現中央小学校は慶長17年
(1612)頃から明治初年まで村井家の屋敷地。その後金沢
製糸場から倉庫精練。

住所:長町1丁目10番先(中央小学校横)
面積:不明

■写真は村井家の広見(南方面から)



■写真は村井家看板



■写真は村井家の広見(北方面から)



■写真は地図



■写真は尾山神社

(金沢の広見巡り 完)

金沢の広見巡り ⑦

2016-06-18 04:31:47 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その521(No.800)

◇金沢の広見巡り ⑦

今回の広見巡りは、金沢駅よりスタートし安江町、彦三町、
東山、小立野、本多町、片町周辺、長町、長土塀、犀川大
橋、寺町の21ヶ所を巡る。

17)長町2丁目の広見

城下町絵図に広見の名が残る数少ない箇所のひとつ。文政
6年、武士町細見図に記載されている。

住所:長町2丁目5番先(法船寺付近)
面積:230平方メートル

■写真は長町2丁目の広見(南方面から)



■写真は長町2丁目緑地



■写真は長町2丁目の広見(西方面から)



■写真は地図



18)長土塀(ながどへい)の広見

当初は現在よりも広かったと考えられ、民家が建てられ狭
くなっている。現在横断陸橋を渡り切った近くと思われる。

住所:長土塀2丁目1番先
面積:100平方メートル

■写真は長土塀の広見(南方面から)



■写真は長土塀の広見(北方面から)



■写真は地図



19)浄住寺の広見

かつて三角形の形をしていた広見の中心部に民家が建てら
れたと考えられる。旧高儀町北側。浄住寺は法苑山で曹洞
宗寺院。

住所:長町3丁目14番先
面積:390平方メートル

■写真は浄住寺の広見(南方面から)



■写真は浄住寺の広見(北方面から



■写真は浄住寺本堂



■写真は地図

(つづく)

金沢の広見巡り ⑥

2016-06-15 21:03:14 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その520(No.799)

◇金沢の広見巡り ⑥

今回の広見巡りは、金沢駅よりスタートし安江町、彦三町、
東山、小立野、本多町、片町周辺、長町、長土塀、犀川大
橋、寺町の21ヶ所を巡る。

14)犀川大橋左岸の広見

川下に雨宝院、川上に蛤坂。広小路から大橋に入る坂は瓶
割坂。現在は国道157号線の道路地に取り込まれている。

住所:野町1丁目、2丁目先(犀川大橋南詰交差点)
面積:270平方メートル

■写真は犀川大橋左岸の広見(東方面から)



■写真は犀川大橋左岸の広見(西方面から)



■写真は地図



■写真は雨宝院



15)千日町の広見

幅員2m前後の変則4叉路の交差点。周辺は低層の民家が
立ち並ぶ。雨宝院の山号から命名された。

住所:千日町5-1番先
面積:280平方メートル

■写真は千日町の広見(南方面から)



■写真は千日町の広見(北方面から)



■写真は地図



■写真は妙立寺(忍者寺)



16)六斗の広見

旧鶴来街道に位置し、藩政期には幕府の巡検使の出迎えの
場所であった。また、藩主の白山咩神社参拝の待機場所と
しても利用された。金沢市内の広見でも一番広く藩政期の
面影を残す。

住所:寺町5丁目6番先
面積:1,290平方メートル

■写真は六斗の広見(東方面から)



■写真は泉野菅原神社



■写真は玉泉寺



■写真は六斗の広見(西方面から)



■写真は六斗の広見石柱



■写真は地図

(つづく)

金沢の広見巡り ⑤

2016-06-13 04:28:24 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その519(No.798)

◇金沢の広見巡り ⑤

今回の広見巡りは、金沢駅よりスタートし安江町、彦三町、
東山、小立野、本多町、片町周辺、長町、長土塀、犀川大
橋、寺町の21ヶ所を巡る。

11)里見町の広見

市役所の裏手。鞍月用水沿いに位置する。藩士・里見氏
の屋敷があったことに由来。

住所:里見町46番先(あかねや橋詰)
面積:160平方メートル

■写真は里見町の広見西方面から



■写真は里見町の石柱



■写真は里見町の広見東方面から



■写真は里見町のあかねや橋



■写真は地図



12)柿木畠(かきのきのばたけ)の広見

藩政期には、鞍月用水に架かる橋の袂に存在していたが、
現在は暗渠された鞍月用水を含んだ広見となっている。は
じめは防火のための柿木を植栽したという。

住所:広坂1丁目1番先
面積:960平方メートル

■写真は柿木畠の広見東方面から



■写真は鞍月用水



■写真は柿木畠の広見西方面から



■写真は地図



13)犀川大橋右岸の広見

現在は国道157号線の道路施設に取り込まれている。藩
政期のは、犀川大橋東側で河原町、川南町、五枚町に接す
る地域。

住所:片町1丁目、2丁目先(犀川大橋北詰交差点)
面積:690平方メートル

■写真は犀川大橋右岸の広見東方面から



■写真は犀川大橋右岸の広場



■写真は犀川大橋右岸の広見西方面から



■写真は地図

(つづく)

金沢の広見巡り ④

2016-06-10 04:42:23 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その518(No.797)

◇金沢の広見巡り ④

今回の広見巡りは、金沢駅よりスタートし安江町、彦三町、
東山、小立野、本多町、片町周辺、長町、長土塀、犀川大
橋、寺町の21ヶ所を巡る。

■写真は天徳院の広見(南方面から)



◇広見とは

広見とは金沢独特の呼び方で、街路の一部が広くなってい
る部分をさし、広見、橋詰広場、枡形なども含めたもので
現存最古の寛文7年(1667)古地図での調査では101ヶ
所あったと思われる。

近世の城下町の特徴のひとつに「広見、枡形、橋詰め広場、
街路の屈折」より都市空間を分節し人間的スケール感をも
つ空間がデザインされたと思われる。

広見の使われ方には伏兵を配置するための戦略的計画や、
荷車の回転場所、火消しの結集地点、藩の高札や辻説法な
どと言われている。藩政期後半には火災予防が主な目的と
なったようである。

参考資料:金沢城下の広見の起源と配置について
     著者 馬場先恵子氏
     宮武 利男氏資料

■写真は広見地図



8)天徳院の広見

天徳院前に位置する。天徳院は三代藩・前田主利常の正室
・玉姫の菩提寺である。円宝寺と共に曹洞宗の触頭を勤め
る。金竜山、本尊は釈迦如来。

住所:小立野4丁目4番地先
面積:1,220平方メートル



■写真は天徳院山門



■写真は天徳院周辺地図(Google)


□天徳院紹介ページ①

□天徳院紹介ページ②



9)本多町の広見

この広見のある地域は藩政期、加賀藩の老臣・本多氏の下
屋敷のあったところ。周囲の道路は、約3~5m程度と狭
いが、この場所は9mの幅員がある。

住所:本多町1丁目3番先
面積:540平方メートル

■写真は本多町の広見(南方面から)



■写真は高木屋



■写真は本多町の広見(北方面から)



■写真は本多町の広見地図



■写真は鈴木大拙生誕地



10)油車(あぶらぐるま)の広見

市役所裏鞍月用水沿いで竪町方面への通り抜け。坪野屋
(多田)与助が城下に初めて絞油水車を設け、菜種油精
した。(亀の尾の記)宝暦9年(1759)に竪町に移宅。

住所:油車7番地先(丸田橋詰)
面積:120平方メートル

■写真は油車の広見(南方面から)



■写真は油車石柱



■写真は油車の広見(北方面から)



■写真は油車の広見地図

(つづく)

第13回加賀百万石ツーデーウオーク開催!

2016-06-08 04:46:33 | 日記


第13回加賀百万石ツーデーウオーク開催!(No.796)

6月4日(土)~5日(日)金沢駅もてなしドーム地下
を会場に、第65回金沢百万石まつり協賛「第13回
加賀百万石ツーデーウオーク」が開催された。



2日間延べ約3600名の参加者が金沢市内を中心とし
た8キロ~30キロの6コース、観光ガイドの案内する
「まいどさんコース」、親子で参加する「歩育コース」
の合計8コースを歩いた。

■写真は4日出発式式



■写真は金沢駅もてなしドームの参加者



■写真は長町武家屋敷の参加者



■写真はにし茶屋街の参加者



■写真は忍者寺(妙立寺)の参加者



■写真は犀川右岸の参加者



■写真は辰巳用水の参加者





■写真は5日出発式



■写真は金沢駅もてなしドームの参加者



■写真は主計町の参加者



■写真はひがし茶屋街の参加者



■写真は兼六園



■写真は金沢城公園

第65回金沢百万石まつり「時代絵巻・・百万石行列!

2016-06-06 05:05:20 | 日記


第65回金沢百万石まつり「時代絵巻・・百万石行列!(No.795)

加賀藩初代藩主・前田利家が金沢城に入城した様子を再
現した「百万石行列」が4日、金沢市内で行われた。今
年も県内外から多くの見物客が訪れ、目前で繰り広げら
れる時代絵巻に沿道を埋めた約42万人の見物客からは
大きな拍手が送られた。



金沢の初夏を彩る「金沢百万石まつり」のメインイベント
で、利家役に俳優の袴田吉彦さん、妻・お松の方役に女
優の笛木優子さんを迎え、甲冑や陣羽織を身に着けた市
民ら約2500人の武者行列が金沢駅から金沢城公園ま
での約3・1キロを練り歩いた。





写真提供:越坂昇氏

第65回金沢百万石まつり①

2016-06-01 04:25:32 | 日記


第65回金沢百万石まつり①(No.793)

金沢百万石まつりは、加賀藩祖・前田利家公が天正11
(1583)年6月14日、金沢城に入城し、金沢の礎を築いた
偉業をしのんで開催されています。6月14日の日付は尾
山神社誌に基づきます。

尾山神社での封国祭に合わせて、大正12年から昭和
20年まで金沢市祭として行われてきた奉祝行事がルー
ツで、終戦後は進駐軍の指導により昭和21年から6年
間、尾山まつりとして尾山神社奉賛会によって開催され
ました。

■写真は昨年の鼓門イベント



現在の金沢百万石まつりは、昭和27年に金沢市と金沢商
工会議所が中心となって開催した商工まつりが第1回目
となります。その後、豪華絢爛な百万石行列をはじめ、
400年にわたり受け継がれてきた金沢ならではの伝統
ある行事が賑やかに繰り広げられる現在の姿に発展しま
した。

第65回金沢百万石まつりは6月3日(金)~6日(日)
開催されル。メーンイベントである「百万石行列」の主
役、前田利家公役に袴田 吉彦さん、前田利家公の正室、
お松の方役に笛木 優子さんです。

■写真は65回パンフレット


□今年の利家公、お松の方



□金沢百万石まつりホームページ


(資料は金沢百万石ホームページより)

■写真は昨年の加賀鳶



■写真は昨年の内藤剛志さん、菊川玲さん