植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇金沢の夏2020 金沢寺町寺院群散歩①

2020-09-08 05:20:55 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1883)

◇金沢の夏2020 金沢寺町寺院群散歩①(ユーチューブ連動解説版)

〇つば甚

金沢で一番歴史がある料亭。つば甚の魅力はその歴史だけではなく、お料理のレベルが高く評価されている。
つば甚の歴史は、加賀百万石の礎を築いた前田利家が、尾張に居を構えていた頃から代々のお抱え鍔師だった鍔家で、三代目甚兵衛が宝暦2年(1752)に 鍔師の傍ら営んだ小亭・塩梅屋「つば屋」が「つば甚」の始まり。「ミシュランガイド富山石川(金沢)特別版2016」1ツ星獲得。伊藤博文、室生犀星、芥川龍之介、三島由紀夫、横山大観、山下清など、歴史上の偉人が訪れている。

■写真はつば甚



〇谷口吉郎・吉生記念金沢建築館

金沢出身の建築家で、東宮御所や東京国立近代美術館の設計で知られる故谷口吉郎氏(1904~1979)の生家跡に、建築文化を発信する「谷口吉郎・吉生記念金沢建築館」で、設計したのは鈴木大拙館、ニューヨーク近代美術館などをデザインした長男で建築家の吉生氏(81歳)。
金沢建築館は、建築・都市についてのミュージアムです。金沢の名誉市民第一号の建築家 谷口吉郎氏の住まい跡地に、吉郎氏の長男で、国際的に著名な建築家である谷口吉生氏の設計により建設された。



□紹介ページ
谷口吉郎・吉生記念金沢建築館オープン!‐①

谷口吉郎・吉生記念金沢建築館オープン!‐②

■写真は谷口吉郎・吉生記念金沢建築館



〇太白山寶勝寺

禅僧として著名な千岳宗初禅師が、美濃(岐阜県)から金沢へ来て小庵を結んでいたが、寛永八年(1631)、現在地に寺地を拝領し、創建した寺。千岳禅師は、とくに加賀藩三代藩主・前田利常からの信頼が厚く、衰弱していた伝灯寺の復興を命ぜられた。また、能筆で文章力にも優れていたため、利常から小松の梯天満宮の棟札を揮毫するよう命じられたりした。千岳は後に、隠居所として三間道の小林寺を建て、与えられたという。山門および本堂は、創建当初の建物と考えられる。(看板より)



□紹介ページ
にし茶屋街・寺町めぐり 2014③ 寺町寶勝寺1

にし茶屋街・寺町めぐり 2014④ 寺町寶勝寺2

■写真は太白山寶勝寺



〇長遠山本長寺

享徳2年(1453)、越中砺波福光城主・石黒氏が、菩提寺として創建したと伝えられる。その後、一向宗との抗争で何度も焼失、蓮沼・守山・富山などに移転・再建を繰り返し、天正13年(1585)に金沢に移った。元和元年(1615)現在地に寺領を拝領し、再建した。現在の本堂は、宝暦12年(1762)出火により焼失の後、文化9年(1812)らにより再建されたもの。境内裏庭には、推定樹齢二百年余り、樹高九メートルの大楓(いろはかえで)がり、昭和56年、金沢市から保存樹に指定された。境内には、芭蕉の「春もややけしきとのふ月と梅」の句碑が建っている。境内墓地に、加賀藩の農制書「河合録」を著した河合祐之の墓がある。長尾流躰術中興の祖・雨屋夜覚右衛門の墓がある。(看板より)2007年より本堂内の壁28面にフレスコ画を描いて彩っている。



■写真は本長寺



〇正久山妙立寺

加賀藩第三代藩主前田利常が創建した。複雑な建築構造と外敵を欺く仕掛けから、忍者寺(にんじゃでら)とも呼ばれる。



□紹介ページ
◇人、呼んで忍者寺(妙立寺)探訪レポート(その1)

◇人、呼んで忍者寺(妙立寺)探訪レポート(その2)

◇人、呼んで忍者寺(妙立寺)探訪レポート(その3)

■写真は妙立寺

(つづく)

□ユーチューブ金沢寺町寺院群散歩 Vol.1

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