植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

石川県歴史博物館「大鉄道展」②

2015-08-31 04:30:00 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その419(No.648)

◇石川県歴史博物館「大鉄道展」②

2015年7月18日(土)~8月23日(日)まで石川県歴史
博物館にて「大鉄道展」が開催され、最終日にようやく訪れるこ
とができた。

■写真は杉本コレクション





■写真は東海道モデル



■写真は東海道新幹線資料



■写真は北陸新幹線パネル



■写真は北陸新幹線模型



■写真は新幹線の歩み



■写真は金名線資料



■写真は鉄道ジオラマ

○石川県歴史博物館ホームページ
http://ishikawa-rekihaku.jp/index.php

(完)

石川県歴史博物館「大鉄道展」①

2015-08-29 05:49:39 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その418(No.647)

◇石川県歴史博物館「大鉄道展」①

2015年7月18日(土)~8月23日(日)まで石川県歴史
博物館にて「大鉄道展」が開催され、最終日にようやく訪れるこ
とができた。

今回は、北陸新幹線金沢開業と歴史博物館のリニューアルオープ
ンを記念した夏季特別展として企画された。

■写真は石川県歴史博物館外観



1964(昭和39)年の東海道新幹線開通から北陸新幹線の金
沢開業まで50年の歴史をもつ新幹線。模型や写真、駅名看板や
パンフレットなど多彩な資料約250点が新幹線をはじめ、鉄道
の歴史と魅力を伝えていた。

■写真はエントランス



日本の鉄道の歴史や北陸線の歴史、「雷鳥」「しらさぎ」ののフ
ロントエンブレム、列車模型の展示。川島、杉本コレクションの
車両模型、制服、資料、ジオラマなど見入ってしまった。これほ
どの展示は大変だったのではと思った。

■写真は特別展2F階段



■写真は2F第一展示室入口



■写真は日本、北陸線歴史



■写真は北陸線SL、電気機関車



■写真は北陸線特急エンブレム



■写真は北陸線特急模型

○石川県歴史博物館ホームページ
http://ishikawa-rekihaku.jp/index.php

(つづく)

兼六園の石灯籠 巡り ⑥

2015-08-28 05:32:31 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その417(No.646)

◇兼六園の石灯籠 巡り ⑥

兼六園にはことじ灯篭をはじめ多くの灯篭があります。由来など
わからないものもありますが、紹介します。

21)瓢池の雪見灯籠

瓢池の三好庵の池にある雪見灯篭。初夏には藤の花が咲く。



■写真は瓢池の雪見灯籠





22)噴水横の春日灯籠(かすがとうろう)

春日神社の灯籠に由来する春日灯籠は国内で最も多い。



■写真は噴水横の春日灯籠



23)成巽閣の灯籠と手水鉢

■写真は成巽閣の灯籠と手水鉢



24)金沢神社奉納灯籠



■写真は沢神社奉納灯籠



番外編
25)梅園近くにある灯篭(木製)



■写真は梅園近くにある灯篭

参考資料:兼六園図鑑より

(兼六園の石灯籠 巡り 完)

兼六園の石灯籠 巡り ⑤

2015-08-26 04:18:12 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その416(No.645)

◇兼六園の石灯籠 巡り ⑤

兼六園にはことじ灯篭をはじめ多くの灯篭があります。由来など
わからないものもありますが、紹介します。

16)時雨亭庭園の変形灯籠

長谷池の右側奥にある変形灯籠

■写真は時雨亭庭園の変形灯籠



17)時雨亭庭園の織部灯籠

■写真は時雨亭庭園の織部灯籠



18)時雨亭庭園の春日灯籠

■写真は時雨亭庭園の春日灯籠



19)時雨亭庭園の雪見灯籠

■写真は時雨亭庭園の雪見灯籠



20)夕顔亭横の春日灯籠

夕顔亭に向かって左にある春日灯籠。春日神社の灯籠に由来する
春日灯籠は国内で最も多い。



■写真は夕顔亭横の春日灯籠

参考資料:兼六園図鑑より

(つづく)

兼六園の石灯籠 巡り ④

2015-08-24 04:30:00 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その415(No.644)

◇兼六園の石灯籠 巡り ④

兼六園にはことじ灯篭をはじめ多くの灯篭があります。由来など
わからないものもありますが、紹介します。



12)梅林の春日灯籠

■写真は梅林の春日灯籠



13)梅林の変形灯籠

■写真は梅林の変形石灯籠


  
14)長谷池男滝の雪見灯篭

◇長谷池とは

明治の初め、長谷池周辺には金沢の2代目市長、長谷川準也の住
居があった。長谷池はその時代につくられた私設庭園の池である。
平成12年(2000)に長谷池周辺整備事業が竣工。長谷池のそばに
は明治時代に取り壊された時雨亭が復元された。

園内の石灯籠は24基あり、そのうち雪見灯籠で最も多い。長谷
池の男滝および女滝それぞれの横にあり。時雨亭庭園には他に3
基の灯籠がある。



■写真は長谷池男滝の雪見灯篭



15)長谷池女滝の雪見灯籠

女滝の雪見灯籠は梅林側からの撮影

■写真は長谷池女滝の雪見灯籠



■写真は時雨亭の縁側

参考資料:兼六園図鑑より

(つづく)

兼六園の石灯籠巡り ③

2015-08-21 04:27:34 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その414(No.643)

◇兼六園の石灯籠巡り ③

兼六園にはことじ灯篭をはじめ多くの灯篭があります。由来など
わからないものもありますが、紹介します。

7)蓮華寺型灯籠(れんげじがたとうろう)

鶺鴒島の上流、曲水のほとりに立つ、園内唯一の蓮華寺型灯籠。
高さは1m90cm。笠の背が高いのが特徴。石質は、笠が御影石、
火袋は越前石、中台は青戸室石とそれぞれ異なっている。笠裏に
は「たるき」がつけられ、蕨手にあたる部分の先端に6個、中台の
各面には3個ずつ定紋模様があるなど、技巧が凝らされた灯籠で
ある。



◇蓮華寺とは

蓮華寺は京都市左京区にある天台宗の寺院。山号は帰命山(きみ
ょうざん)。近世初期に造営された池泉鑑賞式庭園によって知ら
れる。

鴨川源流のひとつの高野川のほとり、かつての鯖街道の京都口の
傍ら、上高野の地にある。もとは七条塩小路(現在の京都駅付近)
にあった西来院という時宗寺院であり、応仁の乱に際して焼失し
たものを江戸時代初期の寛文2年(1662年)に、加賀前田藩の家
臣今枝近義が再建したものである。



■写真は蓮華寺型灯籠



8)龍石と雪見灯篭

■写真は龍石と雪見灯篭



9)内橋亭前の寄石灯籠

寄石灯籠は園内に2基。1基は山崎山の北西、もう1基は内橋亭右
前にある。

内橋亭の灯籠は、高さ2m30cmの大型で、笠部分も径1m50cmと大き
くどっしりしている。約1mの竿の部分は虫食い石が使われている。



■写真は内橋亭前の寄石灯籠



10)内橋亭前の春日灯籠

春日神社の灯籠に由来する春日灯籠は国内で最も多い。兼六園内
では5基を数える。場所は夕顔亭敷地、噴水の後、蓬莱島、内橋亭
左前、梅林、栄螺山西南。

写真は噴水の後。

■写真は内橋亭前の春日灯籠



11)長谷坂付近のの春日灯籠

■写真は長谷坂付近の春日灯籠

参考資料:兼六園図鑑より

(つづく)

兼六園の石灯籠巡り ②

2015-08-19 04:30:00 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その413(No.642)

◇兼六園の石灯籠巡り ②

兼六園にはことじ灯篭をはじめ多くの灯篭があります。由来など
わからないものもありますが、紹介します。

3)七福神山近く曲水の雪見灯籠(ゆきみとうろう)

園内の石灯籠は24基あり、そのうち雪見灯籠で最も多い。
雪見灯籠があるのは、瓢池北端、雪見橋下手、明治紀念之標の
右手前、「龍石の椿」の下、山崎山の北西麓、長谷池の男滝およ
び女滝それぞれの横。

■写真は雁行橋と雪見灯篭





■写真は雪見灯篭



4)記念碑前の雪見灯篭

明治記念碑(日本武尊)横右手向の松の下にある雪見灯篭。



■写真は日本武尊と手向の松



■写真は記念碑前の雪見灯篭



5)山山下の雪見灯籠

山山下の、曲水取水口のそばにある雪見灯篭。



■写真は山山下の雪見灯籠



6)山山下の寄石灯籠(よせいしとうろう)

寄石灯籠は園内に2基。1基は山崎山の北西、もう1基は内橋亭右
前にある。
山山下の灯籠は素朴で無骨な造り。見張りの武士が敵と間違え
て斬りつけた跡が残っていると伝わる。また、かつてこの辺り一
面はススキの原で、灯籠に火が入るとススキの穂が揺れ、その不
気味さからおばけ灯籠とも称された。



■写真は山山下の寄石灯籠2

参考資料:兼六園図鑑より

(つづく)

兼六園の石灯籠巡り ①

2015-08-17 20:19:11 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その412(No.641)

◇兼六園の石灯籠巡り ①

兼六園にはことじ灯篭をはじめ25の石灯篭がある。由来などわ
からないものもありますが、紹介します。

1)徽軫灯籠(ことじとうろう)

現在兼六園のシンボルであり、写真撮影ポイントになっている徽
軫灯籠は、霞ヶ池の北岸にある。脚が二股になっていて、琴の糸
を支える琴柱に似ていることから名が付いた。



この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠の変形で、高さ2m67
cm。一脚は水中にあって高22m、陸にあるもう一方は80cm。こ
の不均衡さが美しいとされている。



もとは同じ長さであったが、明治時代に何らかの理由で片足が折
れたものといわれる。傍らの紅葉の古木と手前の虹橋(琴橋)が一
体となった景色は一幅の絵のようで、兼六園を代表する景観とな
っている。

文久3年(1863)の「兼六園絵巻」では、現在の位置から程近い
池の中に両足等長で立っていた。



初代は粟ヶ崎の豪商・嶋崎徳兵衛が献上したもの。現在は2代目
で昭和53年(1978)に日本伝統工芸士認定の西村氏によって造
られ、使われた石材は、初代と同様、香川の庵治御影石(宝珠、
中台、中台受)、岡山の北木御影石(笠、両足)兵庫の本御影石
(火袋)で造られている。

■写真は四季のことじ灯籠



現在ある2代目も昭和53年にその日本伝統工芸士認定の西村氏に
よって造られ、使われた石材は、初代と同様、香川の庵治石、岡
山の北木御影石、大阪の御影石で造られています。

■写真は文久3年(1863)の兼六園絵巻より

参考資料:市民が見つける金沢再発見の会(ホームページ)



2)月見橋近くの月見灯籠(つきみとうろう)

曲水が霞ヶ池に流れ落ちる少し手前にかかる月見橋。そのたもと
にある、園内唯一の月見灯籠だ。高さは2m10cm、石材は御影石。
満月をイメージして、笠や中台、火口も円形となっている。





■写真は月見灯篭

参考資料:兼六園書府より

(つづく)

しいのき迎賓館(ポール・ボキューズ)金沢城公園、ほか

2015-08-14 05:00:00 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その411(No.640)

◇しいのき迎賓館(ポール・ボキューズ)金沢城公園、ほか

金沢観光ボランティアの会まいどさん16期生「よるまっし16
会」の勉強会午後2時から開催後、懇親会と金沢城公園玉泉院丸
庭園を巡った。



■写真はしいのき迎賓館



■写真は懇親会





■写真は料理



■写真はしいのき迎賓完から見る石垣



ちょうど琴の音に合わせてライトアップが変化するを見ること
ができた。



■写真は玉泉院丸庭園のライトアップ(色紙短冊石垣方面)



■写真は昼間の玉泉庵からの庭園



■写真は玉泉院丸庭園のライトアップ(三十間長屋方面)



■写真は四高記念館

(撮影:2015.8.8)

兼六園の石物、石碑、記念碑ほか ③

2015-08-12 04:19:46 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その410(No.639)

◇兼六園の石物、石碑、記念碑ほか ③

兼六園には虎石、獅子巖、龍石や多くの石碑、記念碑があるので、
今回は由来などが分からないものも紹介します。季節の花々を巡
りながら確認するのも楽しいものです。

■写真はいぼとり石



8)いぼとり石

金沢神社の鳥居のそばにある、青黒いすべすべした楕円形の石。
大きさは縦54cm、横83cm、高さ25cm。いぼの部分をこの石に当
ててこすると、いぼがとれるといわれている。直接こすれない
時は手で石を撫でて、その手でいぼをこする。
石の出自については定かでないが、能登鹿島郡の町屋村にあっ
た石で、最初は馬見所にあったが、後に現地に移されたとか、
町屋村から移したのは12代藩主斉広の正室・真龍院であるなど、
言い伝えられている。

■写真は金沢神社二の鳥居



9)金城麗澤(きんじょうれいたく)碑

金城麗澤横の鳳凰山の岩屋内にある。嘉永4年(1851)建立。
金城麗澤は兼六園の南隅にある湧泉で、芋掘籐五郎が砂金を洗
った所とされ、そこから金沢の地名が起こったとの説がある。
昭和39年(1964)に復元改築された四阿(あずまや)の下か
ら清らかな水が湧いている。

参考資料:石碑でめぐる金沢歴史散歩(北國新聞社)より

■写真は鳳凰山



■写真は金城麗澤碑



10)大屋よしあつ翁之碑

金沢神社参道にある碑で、大屋よしあつは加賀藩士出身で幕末
に長崎などに留学していた地理学者で、石川県における皇国地
誌編纂の中心人物。長町武家屋敷跡に屋敷が現存している。



■写真は大屋よしあつ翁之碑



11)蓮池門旧址(れんちもんきゅうし)

藩主は金沢城からこの門を通って蓮池庭(後に兼六園)へ入った。
藩政時代における兼六園の正門で、百間堀通りに面して残る幅
広い石段に当時が偲ばれる。古図によると石段を登った右側に
番所があり、三十人頭と呼ばれる役人が番をしていた。

■写真は蓮池門旧址



現在は「特別名勝兼六園」の石標が立っているが、13代藩主
斉泰の時代には兼六園の命名者である松平定信の揮毫をもとに
つくられた「兼六園」の扁額(現在は石川県立伝統産業工芸館に
保存)が掲げられていた。ちなみに、それは園内に向けてあり、
藩主の一人のための庭園であるから、外向きにする必要はなか
ったのであろう。

■写真は兼六園の看板

参考資料:「兼六園図鑑」インターネットより

(兼六園の石物、石碑、記念碑ほか 完)

兼六園の石物、石碑、記念碑ほか巡り ②

2015-08-10 04:18:49 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その409(No.638)

◇兼六園の石物、石碑、記念碑ほか巡り ②

兼六園には虎石、獅子巖、龍石や多くの石碑、記念碑があるので、
今回は由来などが分からないものも紹介します。季節の花々を巡
りながら確認するのも楽しいものです。



■写真は明治記念之標の日本武尊像2

4)明治紀念之標(めいじきねんのひょう)

千歳台の中央に立つ日本武尊像。左には石川県戦士尽忠碑があ
る。西南戦争で命を落とした石川県兵士400名の慰霊のため、
明治13年(1880)に建立された。両脇の赤松は手向松で、当時、
京都の東西両本願寺の門跡から移植。



日本武尊像は日本で最初の屋外人物の銅像といわれている。銅
像の着物が左前になっているのは古代の女性の服装で、日本武
尊が女の姿をして熊襲を倒したという伝説による。身長は5m50cm、
台石の高さは6m50cmと巨大だが、台石はセメントなどを使わず
に石を積み上げただけのもの。昭和63年(1988)、造りはそのま
まにして全面改修が行われた。その際、銅像に鳥のフンが全く
付いていなかったことから、金沢大学の広瀬幸雄教授が銅像の
成分を分析し、鳥除けの合金を開発。平成15年(2003)にユー
モアと独自性のある研究に贈られるイグ・ノーベル賞を受賞した。

■写真は明治記念之標の日本武尊像



■写真は石川懸戦士盡忠(しんちゅう)碑

5)地蔵堂(じぞうどう)

園のほぼ中央、霞ヶ池前の樹木の陰にある。越前石でつくられ、
間口約70cm、奥行約60cm、高さは約2m。前には石造の花立が据え
られている。両開きの石の扉を開けると、地蔵が2体。1体は江
戸の本郷に加賀藩の屋敷を建てた際、土中から出てきたもの、も
う1体は12代藩主斉広の生母・貞淋院が祀っていた地蔵で、も
とは江戸の刑場、骨原にあったものといわれている。

地蔵堂の場所は、かつてここにあった竹沢御殿で亡くなった斉広
の枕元で、地蔵堂は枕石がわりに建立された。はじめは2棟建て
られていたが、後に1つとなったため、地蔵が2体入っていると
推測される。毎年8月24日には兼六園観光協会によって地蔵祭
が執り行われている。

■写真は地蔵堂



6)芭蕉句碑(ばしょうくひ)

山崎山の北麓にある。別称、翁塚。元禄2年(1689)、松尾芭蕉が奥
の細道行で来沢した際の句「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」
が刻まれている。この句は金沢で披露されているが、『おくのほ
そ道』では金沢から小松に行く途中吟とされている。



句碑は、弘化3年(1846)に金沢の俳人・後藤雪袋が、師である桜
井梅室の書をもって柳陰軒(のちに句空庵。卯辰山中腹の宝泉寺
境内にあった)に建立し、明治16年(1883)に兼六園の現地に移
したものである。雪袋は移設を記念して『秋風集』なる句集を出
版している。

■写真は芭蕉句碑



7)陰陽石(いんようせき)

陰陽石とは、女性を表す陰石と男性のシンボルを象った陽石の一
対で、夫婦や男女の睦まじさを表し、子孫繁栄を祈念するものと
いわれている。日本庭園にはつきものの石。

石碑を挟んで右に陰石、左に陽石。陰石は高さ約69cm、横約60cm、
厚さ約38cmで、全面中央部が縦にへこんでいる。陽石は高さと横
が約35cm、厚さ約24cm。

■写真は鶺鴒島



鶺鴒島にはほかに相生の松と五重の石塔があり、陰陽石は誕生、
相生の松は結婚、五重の石塔は死で、人生の三大儀式を表すとさ
れている。

■写真は陰陽石

(つづく 撮影:2015.7.18 他)

兼六園の石物、石碑、記念碑ほか巡り ①

2015-08-07 04:12:54 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その408(No.637)

◇兼六園の石物、石碑、記念碑ほか巡り ①

兼六園には虎石、獅子巖、龍石や多くの石碑、記念碑があるので、
今回は由来などが分からないものも紹介します。季節の花々を巡
りながら確認するのも楽しいものです。



1)虎石(とらいし)

霞ヶ池北岸の徽軫灯籠そば、シイノキの木陰の笹薮にある。虎が
前足を低くして吼えている姿に似ている自然石。能登外浦の曽々
木か福浦辺りの産といわれている。獅子巖、龍石とともに兼六園
の要石である。

獅子、虎、龍は昔から天子や英雄の例えとなる力強い動物である。
これらの石はそれにあやかって出世を願い、配置されたもの。も
とは初代藩主利家が治めていた七尾城にあったが、それを金沢城
内の庭に移し、さらに兼六園に移したといわれている。

■写真は虎石2



2)獅子巖(ししいわ)

噴水の方向から黄門橋を渡ると左たもとにある、獅子の姿に似た
自然石。虎石、龍石、とともに兼六園の要石といわれている。

■写真は獅子巖



3)龍石(りゅうせき)

石川県立伝統産業工芸館の兼六園側入口の向かい、小さな築山に
ある。龍が口を開けている姿に似ていることから、この名が付い
た。



■写真は龍石

(つづく 撮影:2015.7.18)

連続テレビ小説「まれ」展開催(No.636)

2015-08-05 04:19:17 | 日記


金沢イベントレポート 連続テレビ小説「まれ」展開催(No.636)

金沢や石川を含めた北陸3県は3月14日の北陸新幹線開業の
おかげで観光地はにぎわっている。それに追い討ちをかけてく
れているがNHK連続ドラマ「まれ」である。10月からはJ
R各6社のディストネーション(行先)キャンペーンで北陸3
県が取り上げられることになっており、更なる人気継続を望み
たいものです。

■写真はエントランス



金沢市のめいてつエムザ3Fカトレアサロンで連続テレビ小説
「まれ」展が8月3日(月)まで開催されました。

NHK連続テレビ小説第92作「まれ」の舞台は“里山・里海”
の豊かな自然の中で、独自の伝統や風習が息づく石川県能登地方。

■写真は稀と徹パネル



○「まれ」ストーリー

幼いころこの地に越してきたヒロイン・希(まれ)は、「地道
にコツコツ」がモットーで、夢が苦手な女の子。仕事も恋も堅
実第一でしたが、様々な出会いを通して、自分の原点だったケ
ーキ職人の夢を取り戻し、世界一のパティシエを目指して横浜
へ旅立ちます。やがて希は故郷となった能登に戻り、自分の小
さな店を開きます。

■写真は撮影ポイント



■写真はまいもん食堂



「まれ」の魅力を、登場人物や相関図などがわかる番組紹介パ
ネルや、PR映像でご紹介する展示です。

■写真はリアカー



■写真は登場人物パネル



■写真は衣裳展示



■写真は登場人物パネル



■写真は小道具



■写真は魔女姫人形

(撮影:2015.8.1)

兼六園の石塔巡り ②

2015-08-03 04:32:54 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その407(No.635)

◇兼六園の石塔巡り ②

兼六園には6個の石塔がある。桂坂口より入り霞が池~山山
~さざえ山~瓢池の順序で紹介します。

4)鶺鴒島(せきれいじま)の石塔

島の右端には五重の石塔がある。陰陽石は誕生、相生の松は
結婚、五重の石塔は死を意味し、人生の三大儀式を表現した
ものといわれている。

■写真は鶺鴒島



■写真は鶺鴒島の塔



5)さざえ山三重宝塔(さんじゅうのほうとう)

栄螺山の山頂に立つ石塔。高さ6m50cm、青戸室石と赤戸室石が
使われている。12代藩主前田斉広を供養するために建立された
もので、建立したのは斉広の正室・真龍院と側室・栄操院
(13代藩主斉泰の生母)だ。天保10年(1839)5月に二人で普請奉
行に戸室石の伐り出しを願い出、7月にはすでに一重目ができ
ているので、間もなく完成したと思われる。
一重目に珠洲産の桜の木を彫った仏像と法華経の経巻、斉広の
肖像を納めた。また、今はないが、三重の笠には24個の青銅
製の風鐸が吊り下げられた。斉広の娘で異母姉妹である次女
と三女が献上したものである。



■写真はさざえ山



■写真はさざえ山三重宝塔



6)瓢池中洲の海石塔(かいせきとう)

瓢池の中にある島に立つ石塔。高さ4m10cmで、虫喰いのように
穴のあいた薄茶色の笠石が六重に積み重ねられている。宝珠、
請花、塔軸は青戸室石、火袋は坪野石だ。
この由緒については、3代藩主前田利常がつくらせたもので、
金沢城の玉泉院丸の庭園にあった13層の石塔の一部をここに
移したという説と、加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰って豊臣
秀吉に献上したもので、秀吉から初代藩主前田利家に下賜さ
れたという二つの説が伝わっている。
石塔のそばには根元まで枝を垂らした枝垂れ桜がある。兼六園
の枝垂れ桜の中で一番の老木だが、毎年見事な花を咲かせ、
桜花が海石塔に流れかかる様が美しい。



■写真は瓢池



■写真は瓢池中洲の海石塔

参考資料:「兼六園図鑑」インターネットより

(完 2015.7.18撮影 他)