植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇寺町寺院群巡り-9 本覚寺、希翁院、開禅寺、龍渕寺

2020-01-31 04:18:56 | 金沢・石川の観光
.

金沢の観光スポットレポート(No.1737)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-9 本覚寺、希翁院、開禅寺、龍渕寺

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。

*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



33)本門山本覚寺(ほんかくじ)

宗派:顕本法華宗
由緒:
創建にかかわった加賀藩重臣三輪志摩長好は三代利常に願い御骨堂を慶長19年(1614)現在地に建立、二代利長の分骨と位牌を収めた。利長夫人であり織田信長の五徐女・玉泉院はしばしば当寺の参拝したという。はじめは本長寺と輪番で前田家領内同流派寺院の触頭を務めた。文政10年(1827)、自火により一字残らず焼失し、その後再建されたが、明治4年(1871)3月に起きた六斗の大火で再び類焼した。
住所:金沢市野町3丁目18-4



■写真は本覚寺



34)亀福山希翁院(きおういん)

宗派:曹洞宗
由緒:
慶長10年(1605)春、前田利長公により寺領を宮腰口に拝領し建立。その後寛永2年(1625)に替地を命じられ現地に移転。 以後200数十年間護られてきたが、明治4年(1871)大火の類焼により伽藍宝物等を悉く焼失。久しく仮堂のままであったが、昭和7年(1932)に本堂庫裡とも再建され現在に至っています。
住所:金沢市野町3-19-66



■写真は希翁院



35)華嶽山開禅寺(かいぜんじ)

宗派:曹洞宗
由緒:
当寺は開闢珠巌道珍和尚(大乗寺3世明峰素哲禅師の弟子にして大乗寺4世となる)が、寛正元年(1460)越中守山の地に建立し、当寺の勧請開山として瑩山紹瑾禅師(大乗寺2世)を拝請しました。尚、能登田鶴浜から越中守山に移転したという説もあります。さらに慶長4年(1599)に2代藩主利長と共に金沢に移転したと伝えられています。 慶長11年(1606)加賀藩家老三万三千石長家外護により長御霊牌祠堂寺として加賀金沢木の新保に移転建立し、更に金沢三間道を経て、現在地となりました。明治4年(1871)火災に罹り同6年(1873)に再建して、今日に至ります。・金沢市樹木保存指定「モチ」 ・涅槃図他書画等 ・天保二年建立「出世地蔵尊」(子を守り、安産の願い)
住所:金沢市野町3-18-10





■写真は開禅寺



36)霊松山龍渕寺(りゅうえんじ)

宗派:曹洞宗
由緒:
天正十年(1582)、尾張の国にて、小松玉龍寺三世・大圓慧展により創建された。慶長年間に摂津国難波岡(現・大阪)に転じ、金龍寺と称した。寛永二年(1625)、加賀藩家臣・前田長種を介して、犀川川原に寺地千八百坪を得、中興四世徳厳文尭により再建。正保二年(1645)に、寺地三千坪を拝領して現在地に移転した。境内には藩主公用の竹林があるが、これは加賀藩三代藩主・前田利常の命により指定されたものである。また、書家・独角宗麟や、加賀古流生花の始祖、近藤理清などの墓がある。寺地全域が、金沢市の保存樹林に指定されている。(看板より)
住所:金沢市野町3-19-60



■写真は龍渕寺

(つづく)

〇寺町寺院群巡りバックナンバー(寺町寺院群巡り1~10)

◇寺町寺院群巡り-1 雨宝院、徳龍寺、神明宮、大蓮寺

◇寺町寺院群巡り-2 徳法寺、瑞泉寺、願念寺、因徳寺

◇寺町寺院群巡り-3 弘願院、妙立寺、本長寺、眞長寺

◇寺町寺院群巡り-4 寶勝寺、承証寺、極楽寺、西方寺

◇寺町寺院群巡り-5 三光寺、金剛寺、常松寺、香林寺

◇寺町寺院群巡り-6 国泰寺、少林寺、 全昌寺、千手院

◇寺町寺院群巡り-7 光専寺、堅正寺、立正寺、西然寺

◇寺町寺院群巡り-8 泉野菅原神社、玉泉寺、玉龍寺、月照時

◇寺町寺院群巡り-10 本是寺、龍徳寺、林幽寺、龍雲寺


◇寺町寺院群巡り-8 泉野菅原神社、玉泉寺、玉龍寺、月照時

2020-01-30 05:19:19 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1736)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-8 泉野菅原神社、玉泉寺、玉龍寺、月照時

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。

*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



29)泉野菅原神社(いずみのすがわらじんじゃ)

御祭神:菅原道真

由緒:
本神社は建武元年越中国守畠山卜三、同国新庄に社殿を造営して菅原道真の神像を祀りたり。慶長10年前田利長富山に在城し給い玉泉夫人と共に菅神を崇敬し給いしにより、利長高岡へ入城の後慶長16年社殿を同地に移さる。利長死後玉泉夫人金沢へ移ると共に泉野に社殿を造営し高岡より遷座せらる。
住所:金沢市野町3丁目15-8



■写真は泉野菅原神社



30)光顕山玉泉寺(ぎょくせんじ)

宗派:時宗
由緒:
利長公が崇敬していた越中新川郡新庄村に創建された時宗浄禅寺です。本尊は阿弥陀如来。慶長14年(1609)に高岡へ移転され、元和3年(1617)金沢・六斗林へ、玉泉院亡くなれた6年後、寛永6年(1629)に玉泉寺と改称されましたが、寛永9年(1632)に神殿が焼失し、前田利常公により再建されたと伝えられています。
住所:金沢市野町3-15-10



■写真は玉泉寺



31)大亀山玉龍寺(ぎょくりゅうじ)

宗派:曹洞宗
由緒:
永正11年(1514)、菅原泰学長規氏尾州前田庄に精藍を創建、常楽寺に住した桂厳慧芳禅師を開山に請しました。桂厳慧芳禅師が大本山總持寺に享禄3年(1530)906世の住持を勤め御直末となりました。その後、開基家3代長種氏が加賀藩主前田利家公に仕えました。玉龍寺は開基家に従い、尾州、越中守山、富山城、小松城、金沢法船寺町と各地を転々とし、最後に鶴来街道の入口にあたる現在地3,000坪を拝領し、伽藍什器が完備しました。
住所:金沢市野町3-24-32



■写真は玉龍寺



32)東光山月照時(げっしょうじ)

宗派:曹洞宗
由緒:
初代利家の長女・春桂院(幸姫)の菩提寺。三代利常より寺地が加増され大伽藍を建立したが六斗の大火で類焼。現在の建物は前田家の屋敷の一部を移転し再建しました。石仏は卯辰山の33体と鶴来街道の33体の観音仏を集め安置したものです。
住所:金沢市野町3-20-34





■写真は月照時

(つづく)

〇寺町寺院群巡りバックナンバー(寺町寺院群巡り1~10)

◇寺町寺院群巡り-1 雨宝院、徳龍寺、神明宮、大蓮寺

◇寺町寺院群巡り-2 徳法寺、瑞泉寺、願念寺、因徳寺

◇寺町寺院群巡り-3 弘願院、妙立寺、本長寺、眞長寺

◇寺町寺院群巡り-4 寶勝寺、承証寺、極楽寺、西方寺

◇寺町寺院群巡り-5 三光寺、金剛寺、常松寺、香林寺

◇寺町寺院群巡り-6 国泰寺、少林寺、 全昌寺、千手院

◇寺町寺院群巡り-7 光専寺、堅正寺、立正寺、西然寺

◇寺町寺院群巡り-9 本覚寺、希翁院、開禅寺、龍渕寺

◇寺町寺院群巡り-10 本是寺、龍徳寺、林幽寺、龍雲寺



◇寺町寺院群巡り-7 光専寺、堅正寺、立正寺、西然寺

2020-01-29 04:43:50 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1735)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-7 光専寺、堅正寺、立正寺、西然寺

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。

*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット





25)普濶山光専寺(こうせんじ)

宗派:真宗大谷派
由緒:
文明年間(1469~87)、僧・慶緑が蓮如上人に従って加賀を布教した折、石川郡末村に創建した。三世・慶俊の時、佐々成政の重臣・黒川又右衛門が当寺に入って僧となり、慶珍と称して四世となった。慶珍は本願寺と誓願寺の紛争が起こった際、一隊の将となり、本願寺のために戦い功を奏した。この際、本願寺より梵鐘が与えられた。天正年間(1573~92)、加賀の一向一揆が本山に対抗したので、慶珍が鎮定した。天正年間、金沢に移転し、元和年間(1615~24)泉野に移り、その後、下近江町を経て、万治4年(1661)、現在地の転じた。当寺の鐘は、元禄5年(1692)、住持である寂道誓のために金沢尾張町に住んでいた、森下屋八左衛門正勝が寄進したものである。
住所:金沢市野町3-2-37

■写真は光専寺



26)賢方山堅正寺(けんしょうじ)

宗派:真宗大谷派
由緒:正徳3年(1713)皆恵により創建された。
住所:金沢市野町3丁目2-36

■写真は堅正寺



27)源入山立正寺(りっしょうじょじ)

宗派:法華宗
由緒:
承応2年(1653)小幡宮内の与力、馬杉九郎兵衛の発起により光要院日達上人を開山として創建された。はじめは六斗林にあり、本光寺と称していた。延宝8年(1680)、泉野村を請地として映った。当時は田んぼの中に一カ所だけ建っていたので「田んぼ本光寺」と呼ばれていた。昭和のはじめに妙安寺を合併して、統一山・立正寺と改めた。平成7年、法華宗(真門流)に属する。
住所:金沢市野町3丁目2-15



■写真は立正寺



28)無碍山西然寺(さいねんじ)

宗派:真宗大谷派
由緒:昭和24年(1949)に創建されました。現堂宇は昭和46年に建てられたものです。
住所:金沢市野町3-12-4



■写真は西然寺

(つづく)

〇寺町寺院群巡りバックナンバー(寺町寺院群巡り1~10)

◇寺町寺院群巡り-1 雨宝院、徳龍寺、神明宮、大蓮寺

◇寺町寺院群巡り-2 徳法寺、瑞泉寺、願念寺、因徳寺

◇寺町寺院群巡り-3 弘願院、妙立寺、本長寺、眞長寺

◇寺町寺院群巡り-4 寶勝寺、承証寺、極楽寺、西方寺

◇寺町寺院群巡り-5 三光寺、金剛寺、常松寺、香林寺

◇寺町寺院群巡り-6 国泰寺、少林寺、 全昌寺、千手院

◇寺町寺院群巡り-8 泉野菅原神社、玉泉寺、玉龍寺、月照時

◇寺町寺院群巡り-9 本覚寺、希翁院、開禅寺、龍渕寺

◇寺町寺院群巡り-10 本是寺、龍徳寺、林幽寺、龍雲寺


◇NIKKEIプラス1「モダンな駅に連れてって」に金沢駅が3位にランキング!!

2020-01-27 04:50:27 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1734)

◇NIKKEIプラス1「モダンな駅に連れてって」に金沢駅が3位にランキング!!

2020年1月25日(土)の日経新聞NIKKEIプラス1「モダンな駅に連れてって」に金沢駅が3位にレンキング!!

個性的なデザインの駅舎が各地に生まれている。ガラスなど新しい素材を取り入れ、土地の風土も感じさせる。21世紀にできた「モダンな駅舎」を専門家が選んだ。



1位、東京駅(東京都千代田区) 930ポイント  
 最高の立地、重厚さと先進性!
 コメント)1914年(大正3年)の開業から関東大震災にも耐えてきた駅舎が、2020年東京五輪・パラリンピックを前に大きく変貌を遂げた。玄関ともいえる丸の内側は、名建築家辰野金吾らが設計した当初の意匠通りに復元された。
・新装時期:丸の内側は12年、八重洲側は13年
・18年度1日平均乗降客数:467,165人

■写真は東京駅



2位、日立駅(茨城県日立市) 610ポイント
 ブリッジが展望台に 太平洋を望む!
コメント)段差のある地形を逆手にとって、線路をまたぐブリッジを全面ガラス張りにした。
ブリッジが展望台にもなり、通路やそれと同じ高さにある改札付近から太平洋が見下ろせる。
・新装時期:11年
・18年度1日平均乗降客数:11,175人

■写真は日立駅



3位、金沢駅(石川県金沢市) 510ポイント
 もてなし表す巨大ドーム!
コメント)北陸新幹線の開業に伴いリニューアルした。改札口を抜けると、約3000枚のガラスと
約5500本のアルミフレームでできた巨大なドームが頭上を覆う。雨や雪の多い金沢で傘を
差し出すもてなしの気持ちを表しており、「もてなしドーム」と名付けられた。
・新装時期:15年
・18年度1日平均乗降客数:46,820人

■写真は金沢駅もてなしドーム

4位、岩見沢駅(北海道岩見沢市) 480ポイント
 レンガや古いレールが呼ぶ郷愁!
・新装時期:07年
・18年度1日平均乗降客数:4,700人

5位、浅草駅(東京都台東区) 360ポイント
 アールデコ調 開業当初を再現!
・新装時期:12年
・18年度1日平均乗降客数:47,754人

5位、日向市駅(宮崎県日向市) 360ポイント
 地元の杉材を使用 景観とも調和!
・新装時期:06年
・18年度1日平均乗降客数:1,396人 

*以上日経新聞より





〇金沢駅東口もてなしドーム
 2005年3月JR金沢駅東口広場の整備事業が完成した。この広場は約6,000本のアルミパイプと1.5m四方ガラス3,019枚でできたドームを中心とした斬新な空間となっている。もてなしドームを中心として鼓門、水時計、地下広場などがある。総工費60億円とか?





■写真はアルミ建築もてなしドーム星形の輪は各3本X4つ計12本のワイヤーがドーム全体のの強度高めていて、このドームの特徴である。



コンコースの東西通路には鼓門をイメージした12個の門があり24個の門柱には工芸作品が展示されている。また、新幹線待合室にも工芸品が展示されている。









■写真はショッピングモール「あんと」



■写真はショッピングモール「りんと」







■写真はリント内の石川県インフォーメーションコーナー

〇新幹線開業以来の金沢駅の紹介を「植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました」ブログページをリンクします。

◇北陸新幹線金沢開業2015!レポート①

◇金沢駅構内レポート2015 その1

◇金沢駅新幹線構内レポート2015 その2


金沢駅コンコースには鼓門をイメージした12の門が新たに完成した。門の内側には石川県の伝統工芸の24作品が展示されている。また新幹線のホーム柱には金箔や構内待合室などにはさらに多くの伝統工芸が展示されてる。追ってレポートします。

◇金沢駅コンコース美術館?OPEN!①

◇金沢駅コンコース美術館?OPEN! ②

◇雪の金沢2016-7 金沢駅ほか

(つづく)

◇寺町寺院群巡り-6 国泰寺、少林寺、 全昌寺、千手院

2020-01-26 04:26:22 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1733)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-6 国泰寺、少林寺、 全昌寺、千手院

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。

*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



21)摩頂山国泰寺(こくたいじ)

宗派:臨済宗
由緒:
国泰寺は当初、金沢市長土塀に富山県高岡市の国泰寺(臨済宗国泰寺派大本山)の別院として開創されたといわれているが、開創年は不詳である。1616年現在地に移っている。
住所:金沢市寺町5丁目6?38





■写真は国泰寺



22)嵩嶽山少林寺(しょうりんじ)

宗派:臨済宗
由緒:
開山は千岳宗仞禅師で、寛永十五年(1638)伝馬町に小庵を結び、それを少林寺と名付けたことが起こりであると伝えられているという。正保三年(1646)に現在地に移り、承応二年(1653)に加賀藩前田家三代当主・前田利常から大きな寺院に建て替えるように命じられた。千岳禅師の隠居所でもあった。
住所:金沢市野町3丁目1-39



■写真は少林寺



23)興月山 全昌寺(ぜんしょうじ)

宗派:曹洞宗
由緒:
青山興三右門は、織田信長公家臣・越中婦負郡城主城主でしたが、後に前田利家・柴田勝頼との戦で負け、その後前田利長に請うて二万七千石で魚津城主佐渡守となりました。その後、前田利常の時代に金沢へ移住。菩提寺として初めは魚津にありましたが、小松に移ってから現在地に移転しました。
住所:金沢市野町1-3-48





■写真は全昌寺



24)長久山千手院(せんじゅいん)

宗派:高野山真言宗
由緒:
初代利家はこの寺を崇敬し、末森の合戦以降、歴代藩主の祈願所となりました。寺宝・十一面観音は前田家よりの預かりものだといわれています。前田家からの祈願書状が入っていた「経筒」は、精巧な毛彫で鶴亀と松竹梅の吉祥紋様が施された名品。
住所:金沢市野町3-1-26





■写真は千手院

(つづく)

〇寺町寺院群巡りバックナンバー(寺町寺院群巡り1~10)

◇寺町寺院群巡り-1 雨宝院、徳龍寺、神明宮、大蓮寺

◇寺町寺院群巡り-2 徳法寺、瑞泉寺、願念寺、因徳寺

◇寺町寺院群巡り-3 弘願院、妙立寺、本長寺、眞長寺

◇寺町寺院群巡り-4 寶勝寺、承証寺、極楽寺、西方寺

◇寺町寺院群巡り-5 三光寺、金剛寺、常松寺、香林寺

◇寺町寺院群巡り-7 光専寺、堅正寺、立正寺、西然寺

◇寺町寺院群巡り-8 泉野菅原神社、玉泉寺、玉龍寺、月照時

◇寺町寺院群巡り-9 本覚寺、希翁院、開禅寺、龍渕寺

◇寺町寺院群巡り-10 本是寺、龍徳寺、林幽寺、龍雲寺


◇寺町寺院群巡り-5 三光寺、金剛寺、常松寺、香林寺

2020-01-24 04:17:10 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1732)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-5 三光寺、金剛寺、常松寺、香林寺

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。

*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



17)真如山三光寺(さんこうじ)

宗派:浄土宗
由緒:
開山は、小松仏徳寺の学誉超竜と伝えられるが、その年代は、定かではない。寛永十二年(1635)、二世願誉の時、加賀藩三代藩主・前田利常の命により寺地四百歩を拝領し、現在地に建立した。明治十一年(1878)、当時の内務卿・大久保利通を東京・紀尾井町で暗殺した島田一良や長連豪らの集会所であったことで知られる寺でもあり、事件の首謀者たちはこの寺を本拠地としていたために、「三光寺派」と呼ばれた。山門は平成3年(1991)に石の仁王門として現住職自ら制作し再建した。
住所:金沢市野町1-3-5





■写真は三光寺



18)永亀山金剛寺(こんごうじ)

宗派:曹洞宗
由緒:
 開山は、天正年間(1573~93)前田大炊の第三子が出家し、越中(富山県)射水郡守山の海老坂に創建したものと伝えられる。 慶長12年(1607)、犀川一ノ橋(現・犀川大橋)の近くに奥村周防(長元)が寺地を拝領し、この寺を移転、さらに加賀藩三代藩主・前田利常の時代に御用地となり、現在地に移った。 山門、本堂等の建物は、江戸時代後期以降のものである。 また、本堂には、能登末森城の守り本尊であったと伝えられる観世音菩薩像が安置されている。
住所:金沢市寺町5丁目6-45



■写真は金剛寺



19)延寿山常松寺(じょうしょうじ)
宗派:曹洞宗
由緒:
慶長16年(1611)、長門町(現・片町)にあった山崎長徳の下邸内に創建。越前南条郡高瀬の宝円寺住職・廣山を請うて開山とした。寛永12年(1635)、現在地に移っている。当寺は、長徳の子・長郷の逝去を悼んで建てたものであるが、後に寺号をもって長徳の戒名とした。
住所:金沢市野町1-3-8



□オテラート金澤2017レポート② 松月寺、 常松寺

■写真は常松寺



20)神照山香林寺(こうりんじ)
宗派:曹洞宗
由緒:
慶安4年(1651)、加賀藩士であった青木五兵衛が加賀藩三代藩主・前田利常に願い出て現在地を拝領し、長岩和尚を開山として創建された。青木は、利常の恩に報いるために、御影堂を造り、利常の位牌を安置した。また、青木家の家伝・菅原道真の画像を納めた。ところが、何時の頃か神殿より出火し、寺も類焼、御影堂を焼失している。なお、天保4年(1833)作の不動明王は、霊薬不動尊として知られている
住所:金沢市野町1-3-15



◇寺町寺院群巡り 香林寺①ページ

◇寺町寺院群巡り 香林寺②ページ

■写真は香林寺

(つづく)

〇寺町寺院群巡りバックナンバー(寺町寺院群巡り1~10)

◇寺町寺院群巡り-1 雨宝院、徳龍寺、神明宮、大蓮寺

◇寺町寺院群巡り-2 徳法寺、瑞泉寺、願念寺、因徳寺

◇寺町寺院群巡り-3 弘願院、妙立寺、本長寺、眞長寺

◇寺町寺院群巡り-4 寶勝寺、承証寺、極楽寺、西方寺

◇寺町寺院群巡り-6 国泰寺、少林寺、 全昌寺、千手院

◇寺町寺院群巡り-7 光専寺、堅正寺、立正寺、西然寺

◇寺町寺院群巡り-8 泉野菅原神社、玉泉寺、玉龍寺、月照時

◇寺町寺院群巡り-9 本覚寺、希翁院、開禅寺、龍渕寺

◇寺町寺院群巡り-10 本是寺、龍徳寺、林幽寺、龍雲寺



◇寺町寺院群巡り-4 寶勝寺、承証寺、極楽寺、西方寺

2020-01-23 04:13:16 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1731)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-4 寶勝寺、承証寺、極楽寺、西方寺

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。

*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



13)太白山寶勝寺(ほうしょうじ)

宗派:臨済宗
由緒:
当寺は禅僧として著名な千岳宗仞(せんがくそうじん)禅師が美濃から金沢に来て小庵を結んでいたが、寛永八年(1631)現在地に加賀藩三代藩主・前田利常より寺地を拝領し、創建されたお寺。山門・本堂・庫裡は創建当初の建物と考えられる。
住所:金沢市寺町5丁目5-76



□にし茶屋街・寺町めぐり 2014③ 寺町寶勝寺1

□にし茶屋街・寺町めぐり 2014④ 寺町寶勝寺2 完

□紹介ページ(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)

■写真は寶勝寺



14)本隆山承証寺(じょうしょうじ)

宗派:法華宗
由緒:
天正17年(1589)、加賀藩士であった服部佐渡守が加賀藩初代藩主・前田利家に願い出て尾張町に寺地を拝領し、日種上人を開基として創建した。後、古寺町(現・片町)を経て、元和2年(1616)頃に泉野寺町(現・寺町)の現在地に至る。寺内の鬼子母神に祀られている鬼面は、安宅浦の海中より浮かび上がったものとして秘蔵されてきたもので、霊験があるといわれている。
江戸時代初期の画家、俵屋宗達の晩年の作とされる「萩に兎」が本堂坂戸に残されている。
住所:金沢市寺町5丁目5-70



□紹介ページ(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)

■写真は承証寺



15)安養山極楽寺(ごくらくじ)

宗派:浄土宗
由緒:
後醍醐天皇の第八皇子、明心仏眼法親王による創建。三代藩主利常が越中守山極楽寺の一世暫誉上人に深く帰依し、金沢に招いて元和元年(1615)に創建した。金沢四大仏の一つ「阿弥陀如来像」金沢西国33観音霊場の12番札所。
住所:金沢市寺町5‐5‐12



□紹介ページ(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)

■写真は極楽寺



16)恵光山西方寺(さいほうじ)

宗派:天台宗
由緒:
前田利家公は天正2年(1574年)越前一向一揆の鎮圧に従事し越前小丸城入城した頃、仏の教えを被(こうむ)る為 比叡山の僧盛尊和尚を城に招いた所、その法徳に深く感銘を受け、盛尊和尚を心の師と仰ぎ親交を深め西方寺を自身の信仰の場とした。元和2年(1616)現在地移転。
住所:金沢市寺町5丁目4-68





□紹介ページ(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)

■写真は西方寺

(つづく)

〇寺町寺院群巡りバックナンバー(寺町寺院群巡り1~10)

◇寺町寺院群巡り-1 雨宝院、徳龍寺、神明宮、大蓮寺

◇寺町寺院群巡り-2 徳法寺、瑞泉寺、願念寺、因徳寺

◇寺町寺院群巡り-3 弘願院、妙立寺、本長寺、眞長寺

◇寺町寺院群巡り-4 寶勝寺、承証寺、極楽寺、西方寺

◇寺町寺院群巡り-5 三光寺、金剛寺、常松寺、香林寺

◇寺町寺院群巡り-6 国泰寺、少林寺、 全昌寺、千手院

◇寺町寺院群巡り-7 光専寺、堅正寺、立正寺、西然寺

◇寺町寺院群巡り-8 泉野菅原神社、玉泉寺、玉龍寺、月照時

◇寺町寺院群巡り-9 本覚寺、希翁院、開禅寺、龍渕寺

◇寺町寺院群巡り-10 本是寺、龍徳寺、林幽寺、龍雲寺


◇寺町寺院群巡り-3 弘願院、妙立寺、本長寺、眞長寺

2020-01-21 04:10:09 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1730)

◇寺町寺院群巡り-3 弘願院、妙立寺、本長寺、眞長寺

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68社寺となりました。お楽しみにご覧ください。 



○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。

*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



9)安養山弘願院(ぐがんいん)

宗派:浄土宗
由緒:
正保2年(1645)創建。延宝2年(1674)に再建した本堂は、江戸中期の建物としては貴重なものである。当寺には金沢市文化財しての絹本刺繍の仏涅槃図がある。また、画僧心岩筆の寒山拾得図や加賀藩御医・池田玄真の墓がある。
住所:金沢市野町1-3-87

■写真は安養山弘願院



10)正久山妙立寺(みょうりゅうじ)

宗派:日蓮宗
由緒:
 日蓮聖人の法孫・日像上人作の祖師像を安置する。寛永20年(1643)三代藩主前田利常公の命により、城内にあった祈願所を移し、運上町に創建された。前田利常は当時すでに隠居し小松に居を構えていたが、四代藩主光高の後見人として依然としてその権力の座にあった。当時、加賀藩は百万石の禄高を誇る外様大名の雄として徳川幕府から常に監視下に置かれ相当の緊張状態にあった。実際、幕府内では加賀征伐の計画すら存在したという。こうした背景にあって、利常は金沢の街をはじめとして、幕府の軍勢を迎え撃つ為の態勢を整えていった。
複雑な建築構造と外敵を欺く仕掛けから、忍者寺(にんじゃでら)とも呼ばれる。
住所:金沢市野町1-2-12



◇人、呼んで忍者寺(妙立寺)探訪レポート(その1)

◇人、呼んで忍者寺(妙立寺)探訪レポート(その2)

◇人、呼んで忍者寺(妙立寺)探訪レポート(その3)

〇現在拝観料は1,000となっています。

■写真は正久山妙立寺



11)長遠山本長寺(ほんちょうじ)

宗派:顕本法華宗
由緒:
享徳2年(1453)、越中砺波福光城主・石黒氏が、菩提寺として創建したと伝えられる。その後、一向宗との抗争で何度も焼失、蓮沼・守山・富山などに移転・再建を繰り返し、天正13年(1585)に金沢に移った。元和元年(1615)現在地に寺領を拝領し、再建した。現在の本堂は、宝暦12年(1762)出火により焼失の後、文化9年(1812)らにより再建されたもの。境内裏庭には、推定樹齢二百年余り、樹高九メートルの大楓(いろはかえで)がり、昭和56年、金沢市から保存樹に指定された。境内には、芭蕉の「春もややけしきとのふ月と梅」の句碑が建っている。境内墓地に、加賀藩の農制書「河合録」を著した河合祐之の墓がある。長尾流躰術中興の祖・雨屋夜覚右衛門の墓がある。(看板より)
2007年より本堂内の壁28面にフレスコ画を描いて彩っている。
住所:金沢市野町1-2-8





■写真は長遠山本長寺



12)稲荷山眞長寺(しんちょうじ)

宗派:高野山真言宗
由緒:
慶長15年(1610)、元養宗順が香林坊橋辺りに寺地を拝領し堂宇をととのえ眞長寺と称した。その後、城内鎮守の稲荷社を預かったが、寛永16年(1639)、堂舎は松平伯耆守下屋敷の現在地に移座した。明治の神仏分離の際、稲荷社は泉野神社に移され、ご神体は残された。
住所:金沢市野町1丁目2-2




□紹介ページ(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)


■写真は稲荷山眞長寺

(つづく)

〇寺町寺院群巡りバックナンバー(寺町寺院群巡り1~10)

◇寺町寺院群巡り-1 雨宝院、徳龍寺、神明宮、大蓮寺

◇寺町寺院群巡り-2 徳法寺、瑞泉寺、願念寺、因徳寺

◇寺町寺院群巡り-4 寶勝寺、承証寺、極楽寺、西方寺

◇寺町寺院群巡り-5 三光寺、金剛寺、常松寺、香林寺

◇寺町寺院群巡り-6 国泰寺、少林寺、 全昌寺、千手院

◇寺町寺院群巡り-7 光専寺、堅正寺、立正寺、西然寺

◇寺町寺院群巡り-8 泉野菅原神社、玉泉寺、玉龍寺、月照時

◇寺町寺院群巡り-9 本覚寺、希翁院、開禅寺、龍渕寺

◇寺町寺院群巡り-10 本是寺、龍徳寺、林幽寺、龍雲寺


◇寺町寺院群巡り-2 徳法寺、瑞泉寺、願念寺、因徳寺

2020-01-20 04:14:17 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1729)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68社寺となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-2 徳法寺、瑞泉寺、願念寺、因徳寺

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。

*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



5)杉谷山徳法寺(とくうほうじ)

宗派:真宗大谷派
由緒:
天和2年(1682)僧宗人の創建になります。明治初期の大火で類焼し、現在地に移転した。建物は平成元年に再建された。
住所:金沢市野町2丁目32-4

■写真は杉谷山徳法寺



6)杉谷山瑞泉寺(ずいせんじ)

宗派:真宗大谷派
由緒:
寛永年間(1624~44)創建。石川郡押野の上宮寺に越中国井波の瑞泉寺第8世・准秀の次男・宣心が入寺、瑞泉寺と改名した。
住所:金沢市白菊町9-5





■写真は杉谷山瑞泉寺



7)本一山願念寺(がんねんじ)

宗派:真宗大谷派
由緒:
創建は慶長年間(1596~1615)に開かれたのが始まりと伝えられています。当初は現在の片町付近にあったが、万治2年(1659)現在地に移転した。
住所:金沢市野町1-3-82



□紹介ページ(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)

■写真は本一山願念寺



8)霊寶山因徳寺(いんとくじ)

宗派:真宗大谷派
由緒:
開山は、慶長12年(1607)教順と記されている。寺地は、慶長12年(1607)前田利長公から賜ったものである。6本柱の山門、本堂ともに創建の年代近い江戸初期の様式を残しており、本堂の向拝虹梁および蟇股が趣深い作りになっている。本尊は、一尺七寸の阿弥陀如来である。境内には、狂歌名をはせた瀬波屋鶏馬の墓がある。
住所:金沢市野町1-3-69



■写真は霊寶山因徳寺

(つづく)

〇寺町寺院群巡りバックナンバー(寺町寺院群巡り1~10)

◇寺町寺院群巡り-1 雨宝院、徳龍寺、神明宮、大蓮寺

◇寺町寺院群巡り-3 弘願院、妙立寺、本長寺、眞長寺

◇寺町寺院群巡り-4 寶勝寺、承証寺、極楽寺、西方寺

◇寺町寺院群巡り-5 三光寺、金剛寺、常松寺、香林寺

◇寺町寺院群巡り-6 国泰寺、少林寺、 全昌寺、千手院

◇寺町寺院群巡り-7 光専寺、堅正寺、立正寺、西然寺

◇寺町寺院群巡り-8 泉野菅原神社、玉泉寺、玉龍寺、月照時

◇寺町寺院群巡り-9 本覚寺、希翁院、開禅寺、龍渕寺

◇寺町寺院群巡り-10 本是寺、龍徳寺、林幽寺、龍雲寺


◇寺町寺院群巡り-1 雨宝院、徳龍寺、神明宮、大蓮寺

2020-01-19 04:29:33 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1728)

◇寺町寺院群巡り-1 雨宝院、徳龍寺、神明宮、大蓮寺

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群であり、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68社寺となりました。お楽しみにご覧ください。

 

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。
*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



1)千日山 雨宝院(うほういん)

宗派:高野山真言宗
由緒:
千日山雨宝院は高野山真言宗のお寺で、天平8年(736)白山開山の泰澄大師が創建。その後文禄4年(1595)雄勢上人より再興。享保18年(1733)焼失。改築後大正11年(1922)に犀川の洪水で流失。昭和21年(1946)室生犀星などの寄付で復旧。金比羅大権現を本尊にしています。室生犀星が雨宝院の住職の養子になって幼少を過ごしたところ。

住所:金沢市千日町1-3

□紹介ページ(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)

■写真は雨宝院



2)臥竜山徳龍寺(とくりゅうじ)

宗派:真宗大谷派
由緒:
元和2年(1616)創建。本堂の屋根に享保期(1716~36)の様式を残している。金沢東別院再建後、現在の本尊は当寺より移転されたもので、建築家故谷口吉郎氏の菩提寺でもある。
住所:金沢市野町2丁目33-1



■写真は徳龍寺



3)神明宮(しんめいぐう)

御祭神:天照皇大神 豊受姫大神
由緒:
金沢旧五社の一で、古来神明宮と称し、全国七神明、又は三神明の一と云われ、通称は、お神明(しんめい)さん。加賀の大社として、歴代藩主、庶民の信仰厚く、祓宮(はらいのみや)として知られ、春秋のあぶり餅祭は全国只一の特殊神事。又、当宮の左義長は金沢の左義長の元祖である。
住所:金沢市野町2丁目1-8





■写真は神明宮



4)宝池山大蓮寺(だいれんじ)

宗派:浄土宗
由緒:
慶長9年(1604)加賀藩祖前田利家に仕えた荒子七人衆の一人、小塚淡路守秀正(7千石)が利家に従って金沢城入城後に、七尾の浄土宗西光寺住職であった衍連社広誉怒白上人を招請し、御馬屋町(現:木ノ新保)に建立されたが後に当地が御用地になったため、野町に替地を拝領して現在に至る。

住所:金沢市野町2丁目1-14





□紹介ページ(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)

■写真は大蓮寺

(つづく)

〇寺町寺院群巡りバックナンバー(寺町寺院群巡り1~10)

◇寺町寺院群巡り-2 徳法寺、瑞泉寺、願念寺、因徳寺

◇寺町寺院群巡り-3 弘願院、妙立寺、本長寺、眞長寺

◇寺町寺院群巡り-4 寶勝寺、承証寺、極楽寺、西方寺

◇寺町寺院群巡り-5 三光寺、金剛寺、常松寺、香林寺

◇寺町寺院群巡り-6 国泰寺、少林寺、 全昌寺、千手院

◇寺町寺院群巡り-7 光専寺、堅正寺、立正寺、西然寺

◇寺町寺院群巡り-8 泉野菅原神社、玉泉寺、玉龍寺、月照時

◇寺町寺院群巡り-9 本覚寺、希翁院、開禅寺、龍渕寺

◇寺町寺院群巡り-10 本是寺、龍徳寺、林幽寺、龍雲寺


◇金沢の初詣 2020-8 田井菅原神社

2020-01-17 04:14:42 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1727)

◇金沢の初詣 2020-8 田井菅原神社

〇田井菅原神社の由緒

ご神体は、田邊左衛門という者が菅原道真より賜った自画像と伝えられる。後の喜兵衛の代に田邊家は三代利常より代官を拝命。明治期に田邊邸内に神社が建てられ、明治13年(1880)、田井の生産神となった。

御祭神:菅原道真



〇藩主献上鏡餅の再現

当家に所蔵されていた古文書に、享和2年(1802)、第12代藩主前田斉広(なりなが)公の封襲後初のお国入りによる新春の献上鏡餅のことについて記されたものがあります。鏡餅は次のとおりとなっています。鏡餅は、三点セットとなっており、真中は、床(とこ)飾り餅、向かって右側は、蓬莱(ほうらい)飾り、
左側は櫓(やぐら)餅で、大小52個の紅白の餅が使用されています。再現するには約2石2斗(約340キログラム)のお米が必要とされ、米俵に例えますと、約5個半にもなります。現在は、諸々の諸事情から蝋を溶かして作った再現品。
平成9年(1997)より、古例に則り、お正月に奉納しています。







〇芭蕉の句碑

”風流の はじめや奥の 田植唄”芭蕉が元禄2年(1689)、奥の細道の旅に出ており、同年7月金沢に立ち寄っているため、金沢の地に芭蕉の句碑が見られます。
当社の石碑には、側面に明治21年3月下旬と建立年月を刻んでいます。従って、最初からこの地に、置かれたものではなく、当年に奉納という形で移されたと伝えられています。





■写真は大黒天

■撮影日:2020.1.4

(つづく)

◇金沢の初詣 2020-7 石浦神社

2020-01-16 04:34:20 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1726)

◇金沢の初詣 2020-7 石浦神社

〇石浦神社の由緒

古墳(547年)時代に草創され、金沢最古の宮として、三輪神社を号し、奈良時代には神仏習合となり石浦山慈光院長谷寺と改め、 江戸時代には石浦山王、石浦大権現、明治の神仏分離令により 石浦郷の地名をとり石浦神社と改称した。
旧社格は県社。「延喜式神名帳」加賀国加賀郡の小社「三輪神社」に比定される式内社論社で、金沢市最古の神社であるともされる。

御祭神:大物主神、大山咋神、天照大神、菊理媛神











■写真は広阪稲荷



■写真はすし塚、包丁塚



■写真は新名所鳥居



■撮影日:2020.1.2

(つづく)

◇金沢の初詣2020-6 金沢5社参り⑤ 椿原天満宮

2020-01-15 04:53:22 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1725)

◇金沢の初詣2020-6 金沢5社参り⑤ 椿原天満宮(完)

〇金沢五社

金沢五社とは金沢市に所在する神社の内、江戸時代から神官が守護する宇多須神、小坂神社、神明宮、椿原天満宮、安江八幡宮の吉田神道の五つの神社の総称である。五社ともに近代の社格制度では県社に列格された。この五社全てを参る事を五社参り」と言い、盛んに行われた。



5、椿原天満宮(つばきはらてんまんぐう)

永仁5年加賀国主富樫義親京都北野天満宮より丹波屋敷と称する山崎に勧請す。観応年間一向一揆により金浦郷田井村へ遷座され、金浦郷の総鎮守産土神となり、当宮を前田家祈願所とし城郭の鎮守と定める。
金浦郷総社田井天満宮、椿原神社、椿原天満宮と称え奉り旧金沢五社の筆頭たる御社格であった。明治6年郷社に、明治14年9月県社に列せられる。

現在地 金沢市天神町1-1-13
御祭神:菅原道真



〇狼煙の松

手水舎を少し上がったところに松があり、江戸時代には東方面からの異変があったときに狼煙の任務を行っていたといわれる。







■写真は菅原道真像と梅



■写真は本殿

◇金沢の初詣2020-2 金沢5社参り① 神明宮

◇金沢の初詣2020-3 金沢5社参り② 安江八幡宮

◇金沢の初詣2020-4 金沢5社参り③ 小坂神社

◇金沢の初詣2020-5 金沢5社参り④ 宇多須神社

■撮影日:2020.1.4

(金沢5社参り 完)

◇金沢の初詣2020-5 金沢5社参り④ 宇多須神社

2020-01-13 04:37:24 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1724)

◇金沢の初詣2020-5 金沢5社参り④ 宇多須神社

〇金沢五社

金沢五社とは金沢市に所在する神社の内、江戸時代から神官が守護する宇多須神社、小坂神社、神明宮、椿原天満宮、安江八幡宮の吉田神道の五つの神社の総称である。五社ともに近代の社格制度では県社に列格された。この五社全てを参る事を「五社参り」と言い、盛んに行われた。

4、宇多須神社(うたすじんじゃ)

養老2年(718)の創建。慶長4年に前田利家を密かに祀り、藩士が禄高に応じて祭祀料を負担した。尾山神社の創建に伴い元の祭神である高皇産霊神を遷座した。

本社は通称毘沙門さんと云う。佐和田川(今の浅野川)の辺の小丘から出た古鏡の裏面に卯と辰との紋様があったので卯辰神とし、養老2年(718)多聞天社と称して創建された。また藩祖前田利家公を卯辰八幡宮と称して祀ってあり代々藩主の祈祷所として崇敬篤かった。明治に入り現在の尾山神社として創建され遷座された。明治2年(1969)高皇産霊社と改め、同5年卯辰社と改称、同33年10月2日現在の宇多須神社と改め、同35年県社に昇格された。



宇多須神社には江戸時代よりご神水として大事にされてきた井戸もあります。2月3日の節分にはひがし茶屋街の芸者さんによる踊りや豆まきが行われる。

現在地:金沢市東山1-30-8
御祭神:高皇産靈神 武甕槌男命 大國主神 市杵嶋姫命 大山祇命
八重言代主命 少彦名神 宇迦之御魂命 豐受大神 崇徳天皇











■写真は右から毘沙門天、寿老人、弁財天



■写真は鳥居前のめぐみさん経営の「たもん」パンケーキ

◇金沢の初詣2020-2 金沢5社参り① 神明宮

◇金沢の初詣2020-3 金沢5社参り② 安江八幡宮

◇金沢の初詣2020-4 金沢5社参り③ 小坂神社

◇金沢の初詣2020-6 金沢5社参り⑤ 椿原天満宮

■撮影日:2020.1.3

(つづく)

◇金沢の初詣2020-4 金沢5社参り③ 小坂神社

2020-01-11 04:26:36 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1723)

◇金沢の初詣2020-4 金沢5社参り③ 小坂神社

〇金沢五社

金沢五社とは金沢市に所在する神社の内、江戸時代から神官が守護する宇多須神社、小坂神社、神明宮、椿原天満宮、安江八幡宮の吉田神道の五つの神社の総称である。五社ともに近代の社格制度では県社に列格された。この五社全てを参る事を「五社参り」と言い、盛んに行われた。



3、小坂神社(こさかじんじゃ)

当社は養老元年(720)の創建の延喜式内加賀十三座の中の一社であり、社頭は一揆に依り焼失したが、寛永13年加賀藩主前田家に依り再興され、北効一円の春日社の総社として地域の人に親しまれ、藩主前田家もことある毎に当社に祈願したとされている。

現在地:金沢市山の上町42-1
御祭神:天兒屋根命 武甕槌神 比咩大神 經津主神





■写真は拝殿



〇本殿 金沢市(昭和26年10月14日指定)文化財

現在の本殿は、その後の貞享5年(1688)に再建されたことが、当社文書に記され、向拝の虹梁形頭貫、海老虹梁に見られる細部意匠には、その頃の様式が見られる。



■写真は本殿

〇末社 天神社



〇芭蕉翁巡錫地の碑

芭蕉はここ小坂神社に参拝し、句会を開いたといわれる。小坂神社を登って行くと右側の木陰に昭和24年(1949)金沢蟻塔会建立の碑がある。正面に 「芭蕉翁巡錫地」と刻み側面には北枝の句「此の山の神にしあれば鹿と月」が刻まれている。

■写真は芭蕉翁巡錫地の碑



■撮影日:2020.1.4

◇金沢の初詣2020-2 金沢5社参り① 神明宮

◇金沢の初詣2020-3 金沢5社参り② 安江八幡宮

◇金沢の初詣2020-5 金沢5社参り④ 宇多須神社

◇金沢の初詣2020-6 金沢5社参り⑤ 椿原天満宮

(つづく)