植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇2021兼六園の桜 -3 (品種別、満開順)染井吉野、枝垂桜、江戸彼岸、越の彼岸

2021-04-30 04:39:37 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1992)

◇2021兼六園の桜 -3 (品種別、満開順)染井吉野、枝垂桜、江戸彼岸、越の彼岸

〇兼六園の桜

兼六園の桜は名木が多いことで知られており、園内の分布では山桜系約40本、里桜系約250本(内ソメイヨシノ約200本)ヒガンザクラ約80本、その他約50本で、合計約420本となっている。兼六園には特別名木が19本あり、内桜は5本。園内に溶け込んだサクラをお楽しみください。
*満開時期は2019年実績です。



7)ソメイヨシノ(染井吉野)満開:4月上旬
 エドヒガンとオオシマザクラとの栽培品種。一重。花柄、萼筒に毛が多い。花柄は短く、楕円の花弁の先は二裂。散形花序、萼筒は膨らむ。花が葉より先に咲く。
 平安以降、桜の名所や歌に詠まれた桜はほとんどヤマザクラであるが、現代の観賞用桜の代表はソメイヨシノである。  江戸時代末期に「吉野桜」と名付けて売り出されたが、明治33(1900)年に売り出された『日本園芸雑誌』に藤野寄命が発表した論文で、初めてソメイヨシノと和名が付けられた。











8)シダレザクラ(枝垂桜)満開:4月上旬 
 エドヒガンの枝が枝垂れたもので、その他の特徴はエドヒガンとおなじ。



9)エドヒガン(江戸彼岸)満開:4月上旬、原種
 花は薄紅色から白で、一重。萼のつけ根が丸く壺形。葉より先に花が咲く。名前の通り春の彼岸ごろに花を咲かせる。









10)コシノヒガン(越の彼岸)満開:4月上旬 
 エドヒガンとキンキマメザクラとの栽培品種。一重、中輪、淡紅色。散形花序。萼筒は壺形で毛が多い。富山県南砺市城端に自生。コシノヒガンザクラともいう。





(つづく)



ユーチューブ「2021兼六園の桜①」



ユーチューブ「2021兼六園の桜 ②」

◇2021兼六園の桜 -2(品種別、満開順)唐実桜、椿寒桜、熊谷、大山桜

2021-04-28 04:33:30 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1991)

◇2021兼六園の桜 -2(品種別、満開順)唐実桜、椿寒桜、熊谷、大山桜

〇兼六園の桜

兼六園の桜は名木が多いことで知られており、園内の分布では山桜系約40本、里桜系約250本(内ソメイヨシノ約200本)ヒガンザクラ約80本、その他約50本で、合計約420本となっている。兼六園には特別名木が19本あり、内桜は5本。園内に溶け込んだサクラをお楽しみください。
*満開時期は2019年実績です。



3)カラミザクラ(唐実桜)満開:3月下旬
 中国原産で「支那実桜」とも呼ばれる。一重または半八重。散形花序、萼筒は鐘形または筒型、花柄は毛が密生する。果実は赤く熟す。







4)ツバキカンザクラ(椿寒桜)満開:3月下旬
 カンヒザクラとカラミザクラとの栽培品種。一重。雄しべ、雌しべとも長くつき出る。萼筒は杯形。花は下向きに咲く。 花弁は紅色か紅紫色。俗称は雪割り桜で春を告げる桜。







5)クマガイ(熊谷)満開:3月下旬 
 ヒガン系の変異種。八重、花弁は淡紅紫色で先端がやや濃い。萼筒は壺形。先駆けて咲くので、一ノ谷の合戦で先駆けをした熊谷直実にちなんで命名された。







6)オオヤマザクラ(大山桜)満開:3月下旬、原種 
 北海道から四国に分布する原種。一重、散形花序、花柄が短い。雌しべの花柱は無毛。花が山桜より大きいのでこの名がつけられた。





(つづく)



ユーチューブ「2021兼六園の桜①」

◇2021兼六園の桜 -1(品種別、満開順)十月桜、冬桜

2021-04-26 04:51:21 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1990)

◇2021兼六園の桜 -1(品種別、満開順)

水戸偕楽園(かいらくえん)、岡山後楽園(こうらくえん)とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれています。

〇兼六園の桜
兼六園の桜は名木が多いことで知られており、園内の分布では山桜系約40本、里桜系約250本(内ソメイヨシノ約200本)ヒガンザクラ約80本、その他約50本で、合計約420本となっている。兼六園には特別名木が19本あり、内桜は5本。園内に溶け込んだサクラをお楽しみください。
*満開時期は2019年実績です。



〇桜の原種
日本には、11種類の原種がある。中でもオオシマザクラは、多くの栽培品種の基になっており、このような豊富な品種は、オオシマザクラの存在がなければありえなかったといえる。栽培品種については、世界的にみても日本でそのほとんどは栽培されており、長年蓄積されてきた品種群は貴重な文化的資源と言える。



〇花弁数による分け方
 分け方には諸説があるが、図のように花弁数で一重、半八重、八重、菊咲きという分け方とした。



1)ジュウガツザクラ(十月桜)満開:10月、3月下旬 
 エドヒガンとコヒガンとの栽培品種。八重。花弁の縁が薄く紅色、白色、紅色と変化する。萼筒は紅色の壺形。春のほうが花はやや大きい。





2)フユザクラ(冬桜)満開:11月、4月上旬
 マメザクラとオオシマザクラやヤマザクラとの栽培品種。一重、中輪、白色。秋に三分の一咲き、残りは春に咲く。





(つづく)



ユーチューブ「2021兼六園の桜①」



◇2021金沢城公園の桜 ②(ユーチューブ連動解説版)

2021-04-25 04:04:33 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1989)

◇2021金沢城公園の桜 ②(ユーチューブ連動解説版)

〇金沢城公園概況
 
金沢城は、金沢市の市街地に位置し、犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端に立地する平山城で、規模は東西500m、南北760m、面積約30haである。新幹線開業以降入場者も増え、金沢市内の人気スポットとなっている。2020年夏には鼠多門、鼠多門橋がオープンし、長町~尾山神社~金沢城公園~兼六園などの「加賀百万石回遊ルート」が完成した。金沢城公園内には約400本の桜がある。





〇二の丸下



〇新丸広場桜並木











〇タイハク(太白)
タイハクは昭和2年(1927)に国内では絶滅した品種。英国の桜研究家イングラムの庭園
にあった桜で、昭和5年(1930)に彼が来日した時に船津静作所蔵の桜の絵をみて自庭に
ある桜と同じものであると認めた。



昭和7年(1932)に京都御室の香山益彦の所望によりイングラムから接ぎ穂が送られてき、
これを佐藤藤右衛門が接ぎ木によって繁殖栽培し、各地に植えらた。タイハクという名
は元公爵鷹司信輔の命名。



<番外編>



〇ツバキカンザクラ(椿寒桜)









(2021.3.8撮影)

(つづく)



ユーチューブ「2021金沢城公園の桜」

◇2021金沢城公園の桜 ①(ユーチューブ連動解説版)

2021-04-23 04:18:46 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1988)

◇2021金沢城公園の桜 ①(ユーチューブ連動解説版)

〇金沢城公園概況
 
金沢城は、金沢市の市街地に位置し、犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端に立地する平山城で、規模は東西500m、南北760m、面積約30haである。新幹線開業以降入場者も増え、金沢市内の人気スポットとなっている。2020年夏には鼠多門、鼠多門橋がオープンし、長町~尾山神社~金沢城公園~兼六園などの「加賀百万石回遊ルート」が完成した。金沢城公園内には約400本の桜がある。

■写真はお堀通り











■写真は石川門下





■写真は石川門







■写真は河北門

(つづく)



ユーチューブ2021金沢城公園の桜

◇国立工芸館2021-うちにこんあなのがあったらいいね展-③

2021-04-22 04:17:35 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1987)

◇国立工芸館2021-うちにこんあなのがあったらいいね展-③

日本海側では初となる国立美術館で、東京国立近代美術館工芸館が約3,800点所蔵していた。うち美術工芸作品約2,800点の約7割の約1,900点が移転完了した。内閣官房によると、一般に公開されている国施設の地方移転は初めて。 これまで東京の工芸館に収蔵されていた日本芸術院会員、人間国宝ら巨匠の名品が身近に堪能できるようになった。



開館記念展「うちにこんなのあったら展」~気になるデザインXコレクション
が4月15日まで開催された。点数は200点となる。

























(つづく)

◇国立工芸館2021-うちにこんあなのがあったらいいね展-②

2021-04-20 04:39:57 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1986)

◇国立工芸館2021-うちにこんあなのがあったらいいね展-②

〇国立工芸館(東京国立近代美術館工芸館)

日本海側では初となる国立美術館で、東京国立近代美術館工芸館が約3,800点所蔵していた。うち美術工芸作品約2,800点の約7割の約1,900点が移転完了した。内閣官房によると、一般に公開されている国施設の地方移転は初めて。 これまで東京の工芸館に収蔵されていた日本芸術院会員、人間国宝ら巨匠の名品が身近に堪能できるようになった。



開館記念展「うちにこんなのあったら展」~気になるデザインXコレクション
が4月15日まで開催された。点数は200点となる。

























(つづく)

◇国立工芸館2021-うちにこんあなのがあったらいいね展-①

2021-04-18 04:42:36 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1985)

◇国立工芸館2021-うちにこんあなのがあったらいいね展-①

〇国立工芸館(東京国立近代美術館工芸館)

日本海側では初となる国立美術館で、東京国立近代美術館工芸館が約3,800点所蔵していた。うち美術工芸作品約2,800点の約7割の約1,900点が移転完了した。内閣官房によると、一般に公開されている国施設の地方移転は初めて。 これまで東京の工芸館に収蔵されていた日本芸術院会員、人間国宝ら巨匠の名品が身近に堪能できるようになった。



開館記念展「うちにこんなのあったら展」~気になるデザインXコレクション
が4月15日まで開催された。点数は200点となる。





















(つづく)

◇2021兼六園の桜①-2(ユーチューブ連動解説版)

2021-04-17 04:44:39 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1984)

◇2021兼六園の桜①-2(ユーチューブ連動解説版)

〇兼六園

水戸偕楽園(かいらくえん)、岡山後楽園(こうらくえん)とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれています。



兼六園の桜は名木が多いことで知られており、園内の分布では山桜系約40本、
里桜系約250本(内ソメイヨシノ約200本)ヒガンザクラ約80本、その他約50本で、
合計約420本となっている。



〇兼六園の桜

兼六園の桜は名木が多いことで知られており、園内の分布では山桜系約40本、里桜系約250本(内ソメイヨシノ約200本)ヒガンザクラ約80本、その他約50本で、合計約420本となっている。
兼六園には特別名木が19本あり、内桜は5本。園内に溶け込んだサクラをお楽しみください。



■写真は花見橋







■写真は曲水沿い





■写真は瓢池





(つづく)



ユーチューブ「2021兼六園の桜①」

◇2021兼六園の桜①-1(ユーチューブ連動解説版)

2021-04-15 04:29:46 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1983)

◇2021兼六園の桜①-1(ユーチューブ連動解説版)

〇兼六園

水戸偕楽園(かいらくえん)、岡山後楽園(こうらくえん)とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれています。



〇兼六園の桜

兼六園の桜は名木が多いことで知られており、園内の分布では山桜系約40本、里桜系約250本(内ソメイヨシノ約200本)ヒガンザクラ約80本、その他約50本で、合計約420本となっている。
兼六園には特別名木が19本あり、内桜は5本。園内に溶け込んだサクラをお楽しみください。



■写真は蓮池門通り



■写真は茶店通り





■写真は桜ヶ岡





■写真は千歳台下



(つづく)



ユーチューブ「2021兼六園の桜①」


◇春の寺町-②泉野菅原神社、恵光山西方寺、大亀山玉龍寺、犀川桜橋

2021-04-14 04:50:31 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1982)

◇春の寺町-②泉野菅原神社、恵光山西方寺、大亀山玉龍寺、犀川桜橋


〇寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、68の寺社(2020.1現在)が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。



5)泉野菅原神社

本神社は建武元年越中国守畠山卜三、同国新庄に社殿を造営して菅原道真の神像を祀りたり。慶長10年前田利長富山に在城し給い玉泉夫人と共に菅神を崇敬し給いしにより、利長高岡へ入城の後慶長16年社殿を同地に移さる。利長死後玉泉夫人金沢へ移ると共に泉野に社殿を造営し高岡より遷座せらる。




6)恵光山西方寺

前田利家公は天正2年(1574年)越前一向一揆の鎮圧に従事し越前小丸城入城した頃、仏の教えを被(こうむ)る為 比叡山の僧盛尊和尚を城に招いた所、その法徳に深く感銘を受け、盛尊和尚を心の師と仰ぎ親交を深め西方寺を自身の信仰の場とした。元和2年(1616)現在地移転。









7)大亀山玉龍寺

前田長種の父長定が尾張(愛知県)前田村において創建、桂厳慧芳長老を懇請して開山とした。長定の嫡男長種祖父が尾張蟹江の合戦に自害して後、加賀藩初代藩主前田利家の家臣となった。その後、越中守川・富山・加賀小松とを共にし、後に金沢の法船寺町に移って、慶安元年(1648)、現在地に寺地を受けた。長種は利家の長女・幸姫をめとり、慶長六年(1601)には従五位下対馬守に任ぜられている。前田長種家の菩提寺である。寺号は長定の戒名玉龍寺殿から名付けられた。 山門は薬医門、脇塀付桟で、慶安年間に近いものと見られる。精巧かつ華麗な作で、朱塗厨子厨子入舎利塔がある。玉龍寺、天徳院の住職から永平寺の  、曹洞宗の官長となった名僧・森田悟由の墓がある。当寺に長種夫妻の宝 印塔をはじめ、前田村から移された合同碑がある。(看板より)













8)犀川桜橋





(つづく)

◇春の寺町-①長久寺、妙典寺、本長寺、妙立寺(忍者寺)

2021-04-12 04:31:10 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1981)

◇春の寺町-①長久寺、妙典寺、本長寺、妙立寺(忍者寺)

〇寺町寺院群概要
寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、68の寺社(2020.1現在)が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。



1)鶴雲山長久寺

長記によれば、慶長13年(1608)創建。高畠石見守定吉の後室長久院(生前は長寿院)のために栖覚寺を郊外にあたる大豆田高畠氏の下邸に建てたが、その化粧料300石を寺領として寄進し、その15年後長久寺と改めた。宝永12年(1635)には泉寺町(現寺町)の玉泉寺前に転じ明暦元年(1655)寺封を増して50石とし、覚源寺の遺址である現在地に移って長久寺を建立したとある。当寺は、前田利春の三女で、前田利家の妹津世の菩提寺である。境内には芭蕉の「秋涼し 手毎にけむや 瓜茄子」句碑がある。また樹齢400年近くになる金沢市保存林の銀木犀があり9月には開花する。(看板より)高畠石見守御夫婦の肖像画が市の文化財。







2)正栄山妙典寺

天正十三年(1585)、仏蔵院日敬が越中高岡で創建。神保氏張の室が開基となった。 慶長十四年(1609)、三輪長好が加賀藩三代藩主・前田利常に請うて、金沢河原町に移り、元和二年(1616)、現在地に転じた。 宝暦九年(1759)に焼失したが、後に再建された。 当寺にある釜師宮崎彦九郎義一の「鋳造三具足」は、金沢市の指定文化財である。(看板より)







3)長遠山本長寺

享徳2年(1453)、越中砺波福光城主・石黒氏が、菩提寺として創建したと伝えられる。その後、一向宗との抗争で何度も焼失、蓮沼・守山・富山などに移転・再建を繰り返し、天正13年(1585)に金沢に移った。元和元年(1615)現在地に寺領を拝領し、再建した。現在の本堂は、宝暦12年(1762)出火により焼失の後、文化9年(1812)らにより再建されたもの。境内裏庭には、推定樹齢二百年余り、樹高九メートルの大楓(いろはかえで)がり、昭和56年、金沢市から保存樹に指定された。境内には、芭蕉の「春もややけしきとのふ月と梅」の句碑が建っている。境内墓地に、加賀藩の農制書「河合録」を著した河合祐之の墓がある。長尾流躰術中興の祖・雨屋夜覚右衛門の墓がある。(看板より)2007年より本堂内の壁28面にフレスコ画を描いて彩っている。













4)正久山妙立寺(忍者寺)

加賀藩第三代藩主前田利常が創建した。複雑な建築構造と外敵を欺く仕掛けから、忍者寺(にんじゃでら)とも呼ばれる。





(つづく)

◇第八回「兄姉弟(きょうだい)三人展」訪問!(石川県立美術館広坂別館)

2021-04-10 04:18:33 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1980)

◇第八回「兄姉弟(きょうだい)三人展」訪問!

3月27日~4/1石川県立美術館広坂別館にて、友人の藤島寛仁さん第八回「兄姉弟三人展」訪問しました。
今回は藤島さんの全国のお城写真展示があり興味を引きました。



〇石川県立美術館広坂別館

広坂別館は大正11年に、陸軍第九師団の師団長官舎として建てられたもの。戦後は米軍将校の官舎、金沢家庭裁判所、石川県児童会館、野鳥園、休憩館などに使用されてきたが、玄関まわりなどは建築当時の面影を残しています。

平成20年に和室、水場などを改修、展示用器具を導入して、石川県立美術館広坂別館としてオープン、平成28年には耐震工事を行い、移転した石川県文化財保存修復工房のガイダンス室を新設して、修復工房と隣接する形でリニューアルした。











(つづく)

◇寺町大蓮寺-豪姫ツバキ

2021-04-09 04:49:00 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.19)

◇寺町大蓮寺 - 金沢豪姫ツバキ

〇大蓮寺(だいれんじ)概要

前田利家の四女で宇喜多秀家の正室である豪姫の位牌所・菩提寺。野田山にある豪姫の五輪塔の墓を今も守り、豪姫の位牌と念持仏である聖観音を寺宝として安置する。境内には豪姫と夫・宇喜多秀家の供養塔がある。 
慶長9年(1604年)、加賀藩祖前田利家に仕えた荒子七人衆の一人、小塚淡路守秀正(七千石)が利家に従って金沢城入城後に、七尾の浄土宗西光寺住職であった衍連社広誉怒白上人を招請し、御馬屋町(現:木ノ新保)に建立されたが、後に当地が御用地になったため、野町に替地を拝領して現在に至る。





■写真は豪姫供養塔



■写真は宇喜多秀家供養塔











■写真は金沢豪姫ツバキ

□大蓮寺紹介ページ

(つづく)

◇天徳院巡り2021

2021-04-07 04:36:04 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1978)

◇天徳院巡り2021

金沢城・兼六園研究会29期の勉強会に参加した。ガイドさんに初めて解説していただきました。





〇天徳院概要

金龍山(きんりゅうざん)天徳院は曹洞宗の寺院。元和9年(1623)に加賀三代藩主前田利常公は正室珠姫菩提のため、金沢城の東、小立野台に4万坪の広大な敷地を定めて天徳院を創建した。寛永元年(1624)初代将軍徳川家康公が崇敬した巨山泉滴和尚を千葉県長安寺よりお招きし、天徳院第一世開山とした。寛文11年(1671)珠姫(天徳院殿)の遺骨は天徳院境域より野田山に改葬された。 元禄6年(1693)五代藩主綱紀公は四代藩主光高公50回忌供養のために、親交の深かった明(中国)の僧、黄檗宗五代管長高泉和尚に委嘱して着工から10年の歳月を要して天徳院の全堂宇をすべて明朝式に造営建築した。明和5年(1768)に山門、総門、御霊堂、宝蔵などを残して本堂、庫裡その他多くの講堂を焼失した。現在は山門を残すのみである。明和6年(17年度69)12月には、十代藩主重教公がわずか70日間の突貫工事で本堂、庫裡などを再建した。(天徳院ホームページより)



〇珠姫さま略伝

珠姫さまは、加賀藩三代藩主前田利常公の正室で、慶長4年(1599)三月江戸幕府第二代将軍徳川秀忠公の次女として生まれ、名前は珠子、幼名を子々姫といった。同年、前田家では藩祖利家が亡くなり、二代藩主利長公が加賀の国へ戻り藩政を治めていた。その間には、前田が徳川を討つという噂が流れ、将軍家康公は大変驚き軍勢を集めて前田を攻めようとした。この情勢を聞いた利長公はすぐに国家老を派遣して、前田家が徳川幕府に刃向かう計画は一切無いことを説明、その証としてやむなく利長公の母、お松の方(芳春院)を人質として江戸に送り代わりに珠姫を嗣子利常の嫁として受けることを約束した。 慶長6年(1601)姫さま3歳のとき加賀の国へお輿入れになり14歳で結婚、その後10年間に3男5女を立派に育てられた。珠姫さまは利常公の妻として、将軍秀忠公の娘として前田、徳川両家の融和のために心を尽くされたが、元和8年(162)春、夏姫出産後7月3日に亡くなられた。御歳24歳であった。その年の8月8日、城外小立野の地で荘厳に葬儀が行われ、遺骨を金沢と高野山に分骨して各に一寺を設け、戒名の「天徳院殿乾運淳貞大禅定尼」にちなんで、いずれの寺院も天徳院と称した。珠姫さまの生涯は加賀百万石の危機を救いその繁栄に尽くした、まさに良妻賢母、日本女性の鏡として今も金沢市民に敬愛され親しまれている。(天徳院ホームページより)



















■写真は歴代住職のお墓







(つづく)

天徳院「珠姫まつり」① 紹介ページ

天徳院「珠姫まつり」② 紹介ページ