いしかわの観光スポットレポート(No.2009)
◇2021金沢城石垣巡り①-3(ユーチューブ連動解説版)
〇金沢城石垣の概要
金沢城の石垣は、技法や意匠の多様性に特色があり、石垣の博物館とも称される。「自然石積」「割石積み」「粗化工石積」「切石積」の石積み様式は、場の性格や周囲との調和にも配慮しながら、城郭整備の歴史と共に多彩な発展を遂げた。その結果、技法的にも意匠的にも、他に類を見ないほど、変化に富む石垣景観が出来上がった。
金沢城の現存する石垣は470面、総面積28,500㎡、うち切石積み面積が約3,400㎡、全体の12%と高い比率を占めることが金沢城の特徴の一つである。
6)数寄屋敷石垣
この付近は数寄屋といわれ、藩主の側室たちの住まいがあったところ。石積みの技法は、石の表面を長方形に仕上げた「切石積み」で、刻印が見られる右側の石垣は創建時のものです。表面がきれいに整えられて縁取りのある左側の石垣は、文化5年(1808)に改修されたものです。刻印は、石を切り出す時の作業分担などを示すために付けられたものといわれてます。
・創建:寛永8年(1631)頃
・改修:寛文(1661~1672)頃、宝暦(1751~1763)
・現状:寛永から文化(1804-17)までの各時期の姿を残す。
*金沢城で最初(寛永期)に切石積みといわれ、正方形石を積み上げた布石積み。ほかに長方形石布積み、金場取り残し積みながある。
7)戌亥(いぬい)櫓石垣
この石垣は「粗化工石積み」の積み方をしていますが、石の隙間に平らな石をはめ込み「切り込みハギ」のように見せる技法が用いられている。長い年月の間に石が抜け落ちていますが、当時の巧みな技術を見ることができます。はめ込まれた石が残っているところと抜け落ちた所を比較しながら、当時の巧みな技術を見ることができます。
・創建:寛永8年(1631)頃
・現状:北面(左側)は創建時、西側(正面)の大部分は寛文頃の改修時、一部
明和3年(1766)改修時の姿を残す。
8)三十間長屋石垣
この石垣の積み方は「切石積み」の手法で積まれていますが、表面の縁取りだけをきれいにそろえ内側を粗いままにしておく「金場取り残し積み」という技法が用いられている。
綿密な細工をしながら、わざわざあらあらしく見えるように工夫されており、当時の文書でも「いきおいのある積み方」と表現されている。
・創建:寛永8年(1631)頃
・現状:主に宝暦(1751~63)改修時の姿を残す
*ここでも城内2個目の六角形石(亀甲石)があり、独特の積み方だ特徴。
9)鉄門石垣
「切石積み」の技法は、城の重要な部分に用いられている。本丸への入り口となる鉄門の石垣にも、「切石積み」が見られます。石の表面を多角形に加工したすぐれたデザインで、丁寧なつくりになっている。
・創建:寛永8年(1631)頃
・現状:明和3年(1766)改修時の姿を残す
10)東の丸北面石垣
文禄元年(1592)、利家は、急こしらえの平山城であった金沢城の石垣修復にのりだす。この石垣は城内でも最も古い技法が用いられており、金沢城の初期の姿を伝える数少ない貴重なものです。自然石粗割しただけの石を緩い勾配で積み上げた「自然石積み」になっています。
・創建:文禄(1592~96)頃
・現状:創建時の姿がよく残っている
*初代藩主利家の命により、利長が石垣づくりに挑んだが地盤が弱く、何度も崩れて増築出来なかった。そこで築城の名手・篠原一孝が二段式の石垣を完成、利長がヘソを曲げたと言われる。
□金沢城公園 石垣巡り-1
(つづく)
ユーチューブ「2021金沢城石垣巡り①」