金沢の観光スポット体験レポート その105(No.208)
◇長町足軽資料館訪探レポート(清水家②完)
鍵の間
納戸一室での収納や就寝に無理が生じてくると、この
鍵の間が付加されました。ここでは日中、大人たちは
玩具作りや糸紡ぎなどの内職をしたり、作法書などの
書物を読んでいました。
■写真は鍵の間
足軽の教養
足軽は、身分的には武家社会の最下位層にありました
が、武士である以上それ相応の教養を身につけなけれ
ばなりませんでした。また、公務の中には文書の取扱
や種々の計算能力が求められるものもありました。
足軽の一日は、生計を立てるための公務と内職で大半
が費やされますが、勤勉な足軽たちは時間を見つけて、
文学書や歴史書をはじめ、俳諧集や和歌集、漢詩集な
どを読み教養を深めていたようです。
早道飛脚足軽
この清水家のあった旧早道町は、早道飛脚足軽の組地で
あり、当家は飛脚の仕事に関わっていたと推測できます。
万治2年(1659)の規定によると、金沢から江戸間の早
道飛脚で、夏季は5日間・冬季は6日間で行くのが「早
飛脚」。夏季は7日間・冬季は9日間が「中飛脚」。夏
季は10日間・冬季は12日間が「常飛脚」と呼ばれていま
した。
■写真は鍵の間の当時の古文書
納戸
この部屋には、生活に使われる日用品が置かわていまし
た。また、寝室としても使われ、家族が狭い空間に蒲団
を並べて寝ていたのです。しかし、家族とともに日用品
も増えてくると、新たに部屋を増築するようになりまし
た。この奥の鍵の間は、まさにそうやってできたものと
推測されます。
■写真は納戸
茶の間
ここは、言うまでもなく食事をしたり、一家団欒を楽し
む場です。食事は、箱膳を並べてとりました。江戸初期
では、一日の食事は一汁一菜で、朝夕の二回だけという
のが普通でしたが、現代人よりも米をたくさん食べてい
たと言われています。一日三食になるのは、江戸の中期
で、その頃にはおかずも豊かになり、季節の旬のものな
どが珍重されるようになりました
■写真は茶の間
あま
足軽屋敷は、平屋が原則でした。そこで、収納空間を必
要としていた足軽たちは、「あま」と呼ばれる屋根裏を
利用して物置にしていました。
■写真は台所