植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇雪の長町武家屋敷跡2021 ①(ユーチューブ連動解説版)

2021-02-27 04:53:41 | #金沢いしかわ#観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1955)

◇雪の長町武家屋敷跡2021 ①(ユーチューブ連動解説版)

〇長町の由来

長町は前田八家の一つ長氏の屋敷があったこと、鞍月用水と大野庄用水に囲まれた長い町ことなどから名付けられたといわれている。現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級武士から中級、下級武士などが住んでいた。現在では、当時の武家屋敷は殆ど残っていませんが、その中で中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子を伺うことができる。

○前田土佐守家資料館

前田土佐守家資料館は、加賀藩祖前田利家の次男前田利政を家祖とする前田土佐守家所蔵の資料、約9,000点(石川県指定文化財)を保管、その一部を展示する施設です。



○金沢老舗記念館

天正7年開業の薬舗「中屋」を移築したこの記念館は藩政時代の面影を今に伝える建物です。1階には当時の店先を再現した「みせの間」があり、座卓、そろばん、帳簿などが商いの様子を伝えています。2階には金沢の伝統産業、町民文化に関する資料が展示されています。











〇大屋家住宅

藩政時代の直臣平士級の武家屋敷の遺構です。門を構え、敷地周辺に土塀を巡らし、広い庭があります。建物は、内部や建具も含めて当時の状態をよく残している。正面に高く広い妻面のあるアズマダチの屋根は、元々は板葺き石置き屋根でしたが明治時代に瓦屋根に葺き替えられました。屋根裏には、板葺き石置き屋根だった頃の低い小屋組みが現在も残っています。武家屋敷を構成した主な要素を全て残している貴重な遺構です。平成15年4月21日に金沢市保存建造物(日本建築)に指定され、国の登録有形文化財。





新屋家長屋門

〇長町武家屋敷跡に残る金沢を代表する長屋門。屋敷は離れを残して今はありませんが、藩政期には桑島氏が居住してた。長屋門は、赤戸室でやや反りをもった亀甲積みの基礎の上に、壁は太い押縁の付いた下見板部と軒下の白漆喰の小壁とが好対照をなしている。屋根は、現在瓦葺きだが、昭和3年(1928)までは板葺き石置きだった。

◇雪の長町武家屋敷跡2021 ①(ユーチューブ連動解説版)

◇雪の長町武家屋敷跡2021 ②(ユーチューブ連動解説版)

(つづく)



ユーチューブ 「雪の長町武家屋敷跡2021」

◇必見!平成の築城「菱櫓・五十間長屋・橋爪門」②(ユーチューブ連動解説版)

2021-02-25 04:09:33 | #金沢いしかわ#観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1954)

◇必見!平成の築城「菱櫓・五十間長屋・橋爪門」②(ユーチューブ連動解説版)



■写真は菱櫓・五十間長屋・橋爪門図



〇伝統的先端技術の伝承

さまざまな伝統技術の上に築かれた金沢城。これは知恵の塊、いわば、木造建築における先端技術の膨大な集積です。日本に古代建築物が多く現存するのは木造建築だったからです。我々は、これら建造物はもちろん、その伝統技術をも次の世代に引き継がなければなりません。それが伝統文化なのです。今回の工事では、職人のほとんどが石川県人です。未来の匠(たくみ)を目指して、技術の伝承を受けようと若い人材も多数参加しました。
*この模型を使って職人の勉強を行った。





■写真は木組み



〇五十間長屋

五十間長屋は武器等の倉庫。







■写真は五十間長屋から見る二の丸発掘調査と二の丸平面図、玄関図





〇五十間長屋の窓

五十間長屋の両側にたくさんの窓がありますが、この窓にもちょっとした工夫が施されています。二の丸側は1階と2階と同じ場所にあります。つまり、二の丸から見ると、縦に並んでいますが、三の丸側は、二の丸側と違って、1階と2階が互い違いにずらして造ってあります。この違いは、三の丸側は「戦」を想定して、死角ができないように交互にずらせて造ってあり、二の丸側は美観を考えてデザインされています。











■写真は橋爪門続櫓

〇橋爪門(平成27年3月復元)

橋爪門は、寛永8年(1631)の大火後に整備された二の丸の正門。高麗門形式の「一の門」、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の「二の門」からなる枡形門で、枡形は城内最大の規模を誇る。「石川門」、「河北門」とともに「三御門」と呼ばれ、二の丸御殿へ至る最後の門として、通行に際しては三御門の内で最も厳しい制限がかけられ、また、二の門の床には二の丸御殿と同じ敷き方で戸室石が敷かれるなど格式の高い門。

文化五年(1808)の二の丸火災で焼失した後、文化六年(1809)に再建された姿を復元している。今回の整備では、平成13年に復元された「一の門」に続く、「二の門」と「枡形二重塀」を復元することとし、平成24年6月に工事着工、平成27年3月に完成した。





■写真は橋爪門二の門





■写真は橋爪門二の門から見る枡形と二の丸方面



〇海鼠(なまこ)壁

海鼠壁という名の由来は、平瓦相互の間にできる目地に漆喰(シックイ)を盛り上げて塗る筋塗りのその断面が、海鼠に似ているからと言われています。石川門に続く土塀や「鶴丸土塀」などのなまこ壁の内側には、鉄砲狭間(鉄砲を打つための穴)が隠されている。
海鼠壁の城は現存しているのは金沢城と新発田城のみ。



〇鉛瓦

まず、木で屋根を作りその上に、厚さ1.8mmの鉛板を張り付けます。この鉛瓦の鉛には、少量(0.06~0.08%)の銅を添加してあり、銅を添加することにより強さや硬さ、それに酸に腐食されないための耐酸性を高めます。(伝統工法)

なぜ、鉛瓦を使うようになったのかは分りませんが、江戸城にも使われており、江戸時代の古文書には、「鉛瓦を使用したのは名城の姿を壮美にするため」と書かれている。推定ですが積雪による荷重の軽減化や戦いの際の鉄砲弾丸用ともいわれている。



■写真は出土した刻石

◇金沢城関係紹介ページ

◇金沢城公園巡り1 金沢城の歴史背景

◇金沢城公園巡り9 菱櫓レポート(その1)

◇金沢城公園巡り10 菱櫓レポート(その2)

◇金沢城公園巡り12 五十間長屋レポート(その2)

(つづく)

◇必見!平成の築城「菱櫓・五十間長屋・橋爪門」①(ユーチューブ連動解説版)

◇必見!平成の築城「菱櫓・五十間長屋・橋爪門」②(ユーチューブ連動解説版)



ユーチューブ 必見!平成の築城「菱櫓・五十間長屋・橋爪門」

◇必見!平成の築城「菱櫓・五十間長屋・橋爪門」①(ユーチューブ連動解説版)

2021-02-23 04:31:42 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1953)

◇必見!平成の築城「菱櫓・五十間長屋・橋爪門」①(ユーチューブ連動解説版)

〇金沢城公園概要

加賀藩の居城であった金沢城の城址を整備してつくられた公園。園内には、石川門や三十間長屋などのの藩政期建築物。木造城郭建築として五十間長屋や菱櫓、橋爪門続櫓、橋爪門などの歴史的建造物が復元されています。また、兼六園より歴史のある玉泉院丸庭園も再現され、2020年には鼠多門の復元と鼠多門橋が再現され尾山神社まで接続された。




■写真は菱櫓・五十間長屋・橋爪門図







〇菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(復元)

平成13年7月に完成した、延べ床面積1894.23平方mの復元建物で、石川門や三十間長屋と同様、鉛瓦や海鼠塀が外観の特徴。明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国再最大規模で、大径木の事前調達や土台石垣の解体、修築を含め、平成10年3月から実に3年4ヶ月をかけて造られた。



3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓を2層2階の五十間長屋でつないでいる。これらの建物は、戦の際に二ノ丸を守るための施設で、石落しや鉄砲狭間となる格子窓、白塗漆喰壁や海鼠壁で防火構造になっている外壁がその強固さを示している。
菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、五十間長屋は武器等の倉庫。

復元にあたっては、伝統的な木造軸組工法に加え、階段昇降機やエレベーターなどを設置し、二階まではバリアフリーとなっている。



〇菱櫓

平成13年(2001年)に復元された菱櫓は、当時は大手と搦手(からめて)を見張る物見櫓(ものみやぐら)として重要な役割を果たした。
菱櫓という名前の通り、建物の平面は菱形で、四隅の内角は夫々80度と100度になっています。建物が菱形の場合、柱も菱形。この部屋の中に立っている4本の長さ14m、太さ33cmの桧の「通し柱」を始め、使われている凡そ100本の柱も菱形で、これらを使っての建築には大変な技術を要した。





■写真は菱櫓続櫓1階



〇石落し出窓

だしは出窓形式で三方に窓が付いている。また床面は扉が開くようになっており、戦闘の際は敵が石垣をよじ登る敵を防ぐ役割を担っている。これを石落しといい、窓は鉄砲狭間(ざま)として用いられる。菱櫓の石落しは出が大きく、唐破風(からはふう)、千鳥は破風と意匠的にも工夫されはなやかである。









■写真は菱櫓続櫓2階





■写真は菱櫓3階。2012年当時は3階まで登ることが出来た。(2012.11.28)

□金沢城関係紹介ページ

◇金沢城公園巡り1 金沢城の歴史背景

◇金沢城公園巡り9 菱櫓レポート(その1)

◇金沢城公園巡り10 菱櫓レポート(その2)

◇金沢城公園巡り12 五十間長屋レポート(その2)

(つづく)



ユーチューブ 必見!平成の築城「菱櫓・五十間長屋・橋爪門」

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編!④(ユーチューブ連動解説版)

2021-02-21 04:31:50 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1952)

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編!④(ユーチューブ連動解説版)

31)大領神社 昭和4年(1929)
 ・住所:小松市大領町そ46、47
 ・ご神祭:伊弉諾尊 伊弉冊尊 菊理媛神 市寸島比咩命 少彦名命 比咩大神





 

32)三谷白山神社 明治30年(1897)
 ・住所:小松市三谷町イ109
 ・ご神祭:伊弉諾尊 伊弉冊尊 菊理媛神 天照皇大神







33)領家住吉神社 昭和37年(1962)
 ・住所:志賀町富来領家町ホ68甲
 ・ご神祭:底筒男命 中筒男命 表筒男命







34)天日陰(あめひかげ)比咩神社 建立時期不明
 ・住所:中能登町二宮子6
 ・ご神祭:天日陰比咩大神 伊須流支比古大神 屋船久久能智命 大己貴命 應神天皇 崇神天皇 印色入日子命 神八井耳命 建御名方神 大毘古命 波多八代宿彌命 弥都波能売神 二宮水天宮 伊弉諾命 菊理媛命 天照大御神 菅原大神 宇迦御魂神





〇この狛犬は阿吽とも逆立ちしている。



35)湍津(たぎつ)姫神社 大正8年(1919)
 ・住所:羽咋市吉崎町イ89
 ・ご神祭:湍津姫命 道反大神





 

36)内日角(うちひすみ)八幡社 昭和8年(1933) 神田捨七
 ・住所:かほく市内日角ニ134
 ・ご神祭:応神天皇 比咩神 賀茂別雷神





 

37)種出雲神社 昭和9年(1934)大野正雄
 ・住所:津幡町種リ40-1
 ・ご神祭:素戔嗚尊,伊邪那美尊





 

38)清水八幡神社 大正14年(1925) 山田?大
 ・住所:津幡町清水リ115 
 ・ご神祭:吾田鹿葦津姫命 市姫神 応神天皇 大己貴命 建御名方神





 

39)杉瀬八幡神社 大正3年(1914) 福嶋伊三次
 ・住所:津幡町杉瀬ロ20-1
 ・ご神祭:応神天皇





 

番外)平田神社(富山県南砺市) 大正2年(1913) 福島伊之助
 ・住所:富山県南砺市広安3120
 ・ご神祭:不詳





〇この狛犬は拝殿と本殿の間の左右に置かれている。

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編! ①

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編! ②

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編! ③ 

(つづく)



ユーチューブ「加賀逆立狛犬2020-3 加賀市~能登方面編!」

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編!③(ユーチューブ連動解説版)

2021-02-19 04:09:37 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1951)

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編!③(ユーチューブ連動解説版)

21)白幡神社 大正14年(1925)
 ・住所:能美市小杉町へ87
 ・ご神祭:応神天皇 神功皇后 比咩大神 伊邪那岐命 伊邪那美命 菊理姫命





 

22)福岡八幡神社 明治39年(1906)
 ・住所:能美市福岡町ハ396
 ・ご神祭:応神天皇 神功皇后 比咩大神





 

23)荒屋神社 建立時期不明
 ・住所:能美市荒屋町ホ18-1
 ・ご神祭:応神天皇 神功皇后 比咩大神







24)三ツ屋八幡神社 明治36年(1903) 福嶋伊之助
 ・住所:能美市三ツ屋町イ28
 ・ご神祭:誉田別皇命 気長足姫命 比咩大神





 

25)八幡神社仏大寺 明治41年(1908)
 ・住所:能美市仏大寺町ハ230
 ・ご神祭:応神天皇 神功皇后 比咩大神







26)八幡神社莇生 昭和8年(1928)
 ・住所:能美市莇生町ロ71
 ・ご神祭:応神天皇 神功皇后 比咩大神 菅原大神





 

27)白山神社勅使町 建立時期不明
 ・住所:加賀市勅使町井121乙
 ・ご神祭:菊理媛神





 

28)白山神社横北町 昭和2年(1927)
 ・住所:加賀市横北町リ1乙
 ・ご神祭:菊理姫神





左吽形、右阿形逆立になっている。



29)松崎神社 昭和46年(1971)
 ・住所:小松市松崎町ヘ234
 ・ご神祭:応神天皇 神功皇后 比咩大神





 

30)今江春日神社 明治33年(1900)
 ・住所:小松市今江町6丁目605
 ・ご神祭:経津主命 武甕槌神 天児屋根命 比咩神





◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編! ①

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編! ②

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編! ④
 
(つづく)



ユーチューブ「加賀逆立狛犬2020-3 加賀市~能登方面編!」

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編!②(ユーチューブ連動解説版)

2021-02-17 04:21:55 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1950)

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編!②(ユーチューブ連動解説版)

11)布市(ぬのいち)神社 建立不詳 福島伊之助
 ・住所:野々市市稲荷2-1
 ・ご神祭:豊宇気毘売命




 


12)藤岡諏訪神社 平成26年(2014)
 ・住所:野々市市野矢作1丁目200
 ・ご神祭:武御名方神・保牟多和気神




 


13)林郷八幡神社 大正元年(1912)
 ・住所:野々市市上林3-71
 ・ご神祭:応神天皇 神功皇后 三条天皇







14)磐出神社 昭和7年(1932)
 ・住所:川北町山田先出信38
 ・ご神祭:天照皇大神





 

15)岩内神社 建立時期不明
 ・住所:能美市岩内リ85
 ・ご神祭:応神天皇 神功皇后 大己貴命





 

16)八幡神社坪野町 昭和2年(1927) 川端作松
 ・住所:能美市坪野町ハ62
 ・ご神祭:応神天皇 神功皇后 比咩大神





 

17)白山神社大口町 大正4年(1915) 福嶋伊三次
 ・住所:能美市大口町イ7-2
 ・ご神祭:菊理姫命 伊佐那岐命 伊佐那美命





 

18)八幡神社火釜町 昭和3年(1928) 川端作松
 ・住所:能美市火釜町ロ157
 ・ご神祭:応神天皇 神功皇后 比咩大神







19)狭野(さの)神社 明治36年(1903) 福嶋伊之助
 ・住所:能美市佐野町ノ88-2
 ・ご神祭:素戔嗚尊 天照大神 豊受比咩命







20)八幡神社大長野 大正2年(1913) 石野の狛
 ・住所:能美市大長野ロ67
 ・ご神祭:不詳



 

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編! ①

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編! ③

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編! ④

(つづく)



加賀逆立狛犬2020-3 加賀市~能登方面編!

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編!①(ユーチューブ連動解説版)

2021-02-15 04:35:24 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1949)

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編!①(ユーチューブ連動解説版)

1)佐那武神社御経塚 昭和6年(1931) 相森刻
 ・住所:野々市市御経塚1-70
 ・ご神祭:?田彦神 応神天皇 







2)荒川神社 昭和5年(1930) 相森刻之
 ・住所:野々市市二日市町100
 ・ご神祭:応神天皇







3)郷八幡神社 昭和14年(1939)相森
 ・住所:野々市市三日市1丁目179番地
 ・ご神祭:応神天皇







4)光松(こうしょう)八幡神社 昭和8年(1933) 相森
 ・住所:野々市市 徳用町開28
 ・ご神祭:応神天皇







5)八幡神社田中 昭和13年(1938) 相森幹太郎
 ・住所:野々市市郷町92
 ・ご神祭:応神天皇




 


6)稲荷神社野々市 昭和15年(1940) 相森
 ・住所:野々市市稲荷2-1
 ・ご神祭:豊宇気毘売命
 






7)薬師日吉神社 明治28年(1895) 福島伊之助
 ・住所:野々市市下林4-153
 ・ご神祭:大山咋神 菊理比咩命







8)清金中宮神社 大正4年(1915) 相森
 ・住所:野々市市清金1-142
 ・ご神祭:天照大神 応神天皇 菅原大神



 



9)錦橋(きんきょう)八幡神社 昭和8年(1933)
 ・住所:野々市市藤平町90
 ・ご神祭:応神天皇







10)大兄(おおえ)八幡神社 明治39年(1906)
 ・住所:野々市市末松1-1
 ・ご神祭:応神天皇 蛭子命 菅原道真 天照大神





◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編! ②

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編! ③

◇加賀逆立狛犬-3 野々市市、能美市~加賀市、能登方面編! ④


(つづく)



ユーチューブ野々市市、能美市~加賀市、能登方面編

◇高山右近ゆかりの地巡りウオーク②(ユーチューブ連動解説版)

2021-02-13 04:42:01 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1948)

◇高山右近ゆかりの地巡りウオーク②(ユーチューブ連動解説版)

高山右近は、天文21年頃(1552)摂津国高山生まれで天正16年(1588)高槻城主となった右近は、織田信長、豊臣秀吉の元で、武将や茶人として活躍しますが、茶人としては千利休の高名な弟子「利休七哲」されている。
秀吉は、天正15年(1587)に伴天連追放令を発し、右近は追放され、天正16年(1588)に、初代加賀藩主前田利家の元、金沢に迎えられ、「南方等伯」名のっていた。前田家での右近は八王子攻めやは大聖寺城攻めなどの武将としてだけではなく、金沢城の改修や惣構の築造にも深く関わっていたと伝えられている。

慶長19年(1614)のキリシタン教禁止令によって、前田家を離れることになります。右近は妻子らとともに金沢を立ち、長崎から、フィリピン・マニラへと出航し、翌年にマニラに到着しますが、病にかかった右近は翌月の元和元年(1615)になくなりました。

今回は高山右近が活躍した金沢城惣構堀や、切支などゆかりの地金沢駅地下もてなしドーム広場発着(約10キロ)を巡ります。



〇黒門前緑地の豪姫屋敷跡看板

豪姫は利家と松の四女で宇喜多秀家の妻。豪姫は大阪でキリシタンになった後、金沢に帰り、この地に居住したと伝わる。受洗名はマリア。





〇甚左衛門坂入り口の伴天連屋敷跡

金沢城西側と城下をつなぐ甚右衛門坂の下周辺には、伴天連屋敷(宣教師の屋敷)があったと伝わっており、内藤如安、浮田休閑など、右近を頼って金沢にきたキリシタン武将や加賀藩士が集まっていたと推測される。現在の兼六園横の紺屋坂に隣接する箇所であったようだ。



〇金沢城大手門

本願寺による金沢御堂を起源とし佐久間盛政によって築城、前田利家が入城し本格的に整備した平山城。新丸や大手門の整備が右近の設計によるものと言われている。



〇OPEN効果もあって、移転前のたけはしの入場者数が3倍になったとか?

■国立工芸館の参加者



〇県立美術館裏の右近屋敷跡

高山右近の屋敷は、大乗寺の由緒書などから本多家の上屋敷周辺の大乗寺跡地で、現在の石川県立美術館周辺から金沢21世紀美術館周辺と言われている。



〇中村美術館

茶道具と工芸の美術館で、右近の茶道の師である千利休作の茶杓や、右近によってキリシタンに改宗した蒲生氏郷が所有していたと伝わる茶杓や右近の娘ルチアが嫁いだ横山家伝来の茶入を所蔵しています。







〇西外惣構跡 旧宮内橋詰遺構

ケヤキの巨木が土塁と盛土とともに残っている。隣接地の21世紀美術館脇へ堀が延びて折り、堀の雰囲気が長い区間イメージできる唯一の場所。



〇カトリック金沢教会の高山右近像

教会入り口右側には高山右近銅像があり、高山右近、細川ガラシャなどを描いたステンドグラス、右近の聖遺物、右近所用と伝わる香炉、マリア観音像、聖母子像などを見ることができる。







〇前田土佐守家資料館

加賀八家の前田土佐守家資料館。1階展示室の前田利家遺言状(現代語訳)には「高山南方(右近)を大切にすること」とある。







〇寺町「立像寺」庭園のキリシタン灯籠

境内に、高山右近作と伝わるキリシタン灯籠(非公開)がある。





参考)玉泉園庭園内のキリシタン灯籠

玉泉園庭園の初代脇田直賢が、青と戸室石を用い班の石工に造らせたもの。利休七哲の一人、古田織部が考案したことから織部灯籠と呼ばれる。金沢で最古のキリシタン灯籠である。



◇高山右近ゆかりの地巡りウオーク①


(つづく)



□ユーチューブ「高山右近ゆかりの地巡りウオーク」
https://www.youtube.com/watch?v=34qA7senkUo

◇高山右近ゆかりの地巡りウオーク①(ユーチューブ連動解説版)

2021-02-12 04:14:01 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1947)(ユーチューブ連動解説版)

◇高山右近ゆかりの地巡りウオーク①

石川県ウオーキング協会の「高山右近ゆかりの地巡りウオーク」下見ウオークに参加しました。





■写真は金沢駅と地下もてなしドーム



高山右近は、天文21年頃(1552)摂津国高山生まれで天正16年(1588)高槻城主となった右近は、織田信長、豊臣秀吉の元で、武将や茶人として活躍しますが、茶人としては千利休の高名な弟子「利休七哲」されている。
秀吉は、天正15年(1587)に伴天連追放令を発し、右近は追放され、天正16年(1588)に、初代加賀藩主前田利家の元、金沢に迎えられ、「南方等伯」名のっていた。前田家での右近は八王子攻めやは大聖寺城攻めなどの武将としてだけではなく、金沢城の改修や惣構の築造にも深く関わっていたと伝えられている。

慶長19年(1614)のキリシタン教禁止令によって、前田家を離れることになります。右近は妻子らとともに金沢を立ち、長崎から、フィリピン・マニラへと出航し、翌年にマニラに到着しますが、病にかかった右近は翌月の元和元年(1615)になくなりました。

今回は高山右近が活躍した26年間の金沢城惣構堀や、切支などゆかりの地金沢駅地下もてな
しドーム広場発着(約10キロ)を巡ります。

■写真は「高山右近と金沢」パンフ



〇金沢城惣構跡 升形遺構



金石から城下町への入り口に該当し、堀と土居で方形の「枡形」空間をつくって防御を固めた場所で、堀と土居が整備されている。





■写真は久保市乙剣宮とくらがり坂



〇西内惣構堀緑水苑内遺構

浅野川へと流水する地点。堀と土居が整備されている。主計町の町並みとあわせて散策できる。







〇下新町 東内惣構堀 枯木橋遺構

北国街道を介した城下の出入り口の一つ。惣構堀
の大部分が素掘りであるが、ここでは石垣が使用されていたことが特徴といえる。





〇白鳥路兼六園側にある切支丹寺跡看板

南蛮寺ともいいます。江戸時代の絵図に「切支丹屋敷」との記載がみられ、
元は切支丹寺があったことがわかります。



◇高山右近ゆかりの地巡りウオーク②

(つづく)



□ユーチューブ「高山右近ゆかりの地巡りウオーク」
https://www.youtube.com/watch?v=34qA7senkUo

◇金沢城公園 「晴れ間の雪景色」②

2021-02-09 04:15:17 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1946)

◇金沢城公園 「晴れ間の雪景色」②

1月10日の大雪で行けなかった、戌亥櫓跡、辰巳櫓跡、丑寅櫓跡からの金沢城公園、しいのき迎賓からも撮影した。

〇金沢城公園概要

加賀藩の居城であった金沢城の城址を整備してつくられた公園。園内には、石川門や三十間長屋などのの藩政期建築物。木造城郭建築として五十間長屋や菱櫓、橋爪門続櫓、橋爪門などの歴史的建造物が復元されています。
また、兼六園より歴史のある玉泉院丸庭園も再現され、2020年には鼠多門の復元と鼠多門橋が再現され尾山神社まで接続された。







■写真は丑寅櫓跡より



■写真は三の丸広場より菱櫓



■写真は鶴丸休憩館より











■写真はしいのき広場としいのき迎賓館より

◇金沢城公園 「晴れ間の雪景色」①

(つづく)

◇金沢城公園 「晴れ間の雪景色」①

2021-02-07 04:32:00 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1945)

◇金沢城公園 「晴れ間の雪景色」①

1月10日の大雪で行けなかった、戌亥櫓跡、辰巳櫓跡、丑寅櫓跡からの金沢城公園、しいのき迎賓からも撮影した。



〇金沢城公園概要

加賀藩の居城であった金沢城の城址を整備してつくられた公園。園内には、石川門や三十間長屋などのの藩政期建築物。木造城郭建築として五十間長屋や菱櫓、橋爪門続櫓、橋爪門などの歴史的建造物が復元されています。また、兼六園より歴史のある玉泉院丸庭園も再現され、2020年には鼠多門の復元と鼠多門橋が再現され尾山神社まで接続された。



■写真は石川門





■写真は河北門と菱櫓・五十間長屋











■写真は戌亥櫓跡より(二の丸御殿発掘調査)



■写真は本丸跡





■写真は辰巳櫓跡より広坂方面

◇金沢城公園 「晴れ間の雪景色」②

(つづく)

◇兼六園 「新春の花巡り・ほか」①

2021-02-05 03:36:03 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1944)

◇兼六園 「新春の花巡り・ほか」①

〇兼六園の楽しみ方

日本三大庭園の兼六園には池や曲水、橋、石塔、灯籠などと約8,200本の松やサクラ、ウメ、ツバキ。ケヤキ、楓などの樹木、草花までが巧妙配置され、季節ごと楽しませてくれます。今回は冬の花などをリポートします。





■写真は冬至梅(トウジバイ)







■写真は八重寒紅(ヤエカンコウ)



■写真は鹿児島紅(カゴシマベニ)2018年に植えられた。





■写真は乙姫(オトヒメ)



■写真は白佗助(シロワビスケ)





■写真は志那満作(シナマンサク)



■写真は満作(マンサク)





■写真は四手辛夷(シデコブシ)



■写真はことじ灯籠、にじ橋、内橋亭

〇山崎山下の雪の灯籠





■写真は蓮花寺灯籠(れんげじとうろう)





■写真は寄せ石灯籠(よせいしとうろう)

(つづく)

◇金沢建築館2021 ②(ユーチューブ連動解説版)

2021-02-03 04:35:42 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1944)

◇金沢建築館2021 ②(ユーチューブ連動解説版)

○谷口吉郎・吉生記念「金沢建築館」

2019年7月オープンの谷口吉郎・吉生記金沢建築館は、建築・都市についてのミュージアムで、金沢出身の建築家で、東宮御所や東京国立近代美術館の設計で知られ、金沢の名誉市民第一号の故谷口吉郎氏(1904~1979)の生家跡に、建築文化を発信する施設。設計したのは鈴木大拙館、ニューヨーク近代美術館などをデザインした長男で建築家の吉生氏(81歳)。金沢建築館は金沢市の市制施行130周年記念事業として建築され、吉郎氏の代表作である迎賓館赤坂離宮の和室別館「游心亭」の広間や茶室が忠実に再現された。

■写真は2Fエントランス



■写真は遊心亭の池









〇谷口吉郎氏が好んだ六角形(照明)



■写真は赤坂離宮和室別館「遊心亭」座敷(再現)













■写真は赤坂離宮和室別館「遊心亭」茶室(再現)



■写真は赤坂離宮和室別館「遊心亭」座敷



■写真は赤坂離宮和室別館「遊心亭」茶室



■写真は赤坂離宮羽衣の間(赤坂離宮パンフレットより)



■写真は国宝迎賓館赤坂離宮、和風別館 鳥瞰図(赤坂離宮パンフレットより)



■写真は2Fよりエントランス

谷口吉郎・吉生記念金沢建築館オープン!‐① 紹介ページ

谷口吉郎・吉生記念金沢建築館オープン!‐② 紹介ページ

(つづく)



□ユーチューブ金沢建築館2021

◇金沢建築館2021 ①(ユーチューブ連動解説版)

2021-02-01 04:24:50 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1943)

◇金沢建築館2021 ①(ユーチューブ連動解説版)

○谷口吉郎・吉生記念「金沢建築館」

2019年7月オープンの谷口吉郎・吉生記金沢建築館は、建築・都市についてのミュージアムで、金沢出身の建築家で、東宮御所や東京国立近代美術館の設計で知られ、金沢の名誉市民第一号の故谷口吉郎氏(1904~1979)の生家跡に、建築文化を発信する施設。設計したのは鈴木大拙館、ニューヨーク近代美術館などをデザインした長男で建築家の吉生氏(81歳)。金沢建築館は金沢市の市制施行130周年記念事業として建築され、吉郎氏の代表作である迎賓館赤坂離宮の和室別館「游心亭」の広間や茶室が忠実に再現された。





<コンセプト>
① 建築とまちづくりを考える
② 谷口吉郎氏・吉生氏の顕彰
③ 洗練された建築意匠
④ 建築資料の保存・活用
⑤ 世界に開かれた交流施設



■写真はエントランスとショップ、カフェ





■写真は1F











■写真はB1Fの兼六園周辺のジオラマ



○第3回企画展「金沢のチカラ」

今年1月5日から開催の第3回企画展「金沢のチカラ」-重層する建築文化-各時代のターニングポイントにおいて、進むべき方向を見定めてきた市民の力が合ってこそ現在の金沢がある。



■写真は第3回企画展「金沢のチカラ」フロアー図

谷口吉郎・吉生記念金沢建築館オープン!‐① 紹介ページ

谷口吉郎・吉生記念金沢建築館オープン!‐② 紹介ページ

(つづく)



□ユーチューブ金沢建築館2021