植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

金沢の夏2017 ⑪ 長町武家屋敷跡-1

2017-07-31 04:55:07 | 日記


金沢の観光スポットレポート その712(No.1070)

◇金沢の夏2017 ⑪ 長町武家屋敷跡-1

○長町の由来

長町は前田八家の1つ長氏の屋敷があったことから名付けられました。現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級武士から中級、下級武士などが住んでいました。現在では、当時の武家屋敷は殆ど残っていませんがその中で中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子を伺うことができます。



○前田土佐守家資料館

前田土佐守家資料館は、加賀藩祖前田利家の次男前田利政を家祖とする前田土佐守家所蔵の資料、約9,000点(石川県指定文化財)を保管、その一部を展示する施設です。

■写真は前田土佐守家資料館

□ 前田土佐守家資料館ホームページ



○金沢老舗記念館

天正7年開業の薬舗「中屋」を移築したこの記念館は藩政時代の面影を今に伝える建物です。1階には当時の店先を再現した「みせの間」があり、座卓、そろばん、帳簿などが商いの様子を伝えています。2階には金沢の伝統産業、町民文化に関する資料が展示されています。

□ 金沢老舗記念館ホームページ

□前田土佐守資料館、老舗資料館紹介ブログページ

■写真は金沢老舗記念館





■写真は青木悦子クッキング教室、レストラン「四季のテーブル」



■写真は大野庄用水



■写真は箔座長町



○ハガキの成る木

長町武家屋敷跡の一角で、珍しいハガキの木を発見!この木の葉っぱに尖ったもので字を書くと、葉が枯れても字が消えないことから、紙の代わりに使われたこともあり、葉書の語源になったといわれています。



■写真はハガキの成る木

■撮影日:2017.7.18

(つづく)

金沢の夏2017 ⑩ 寺町寺院群周辺

2017-07-30 04:28:32 | 日記


金沢の観光スポットレポート その711(No.1069)

◇金沢の夏2017 ⑩ 寺町寺院群周辺

○加賀水引 津田

明治時代まで結納や金封にかけられる水引結びや折型は、ほとんど平面的なものだった。大正4年(1915)頃、石川県金沢市の津田左右吉(加賀水引初代)が、立体的な和紙の包み方(折型)と、鶴亀や松竹梅などの立体的な水引の結び方(水引細工)を考案し、結納や金封に飾るようになった。

■写真は加賀水引津田店舗

その後、津田左右吉の娘である津田梅(津田水引折型二代目)の代で、加賀水引として全国に知れ渡り、石川県金沢市の伝統工芸 加賀水引細工として定着した。現在は津田左右吉の4代目である津田宏・さゆみ 5代目 津田六佑が加賀水引を継承している。







■写真は東急ハンズの加賀水引展示

□ 加賀水引「津田」ホームページ


○雨宝院(うほういん)

千日山雨宝院は高野山真言宗のお寺で、天平8年(736)白山開山の泰澄大師が創建。その後文禄4年(1595)雄勢上人より再興。享保18年(1733)焼失。改築後大正11年(1922)に犀川の洪水で流失。昭和21年(1946)室生犀星などの寄付で復旧。金比羅大権現を本尊にしています。室生犀星が雨宝院の住職の養子になって幼少を過ごしたところ。





■写真は雨宝院



■写真は室生犀星碑



○室生犀星記念館

金沢三文豪のひとり、室生犀星の生家跡に建つ記念館。平成14年8月1日、犀星の誕生日に開館した。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの…」の詩(「小景異情 その二」)

で知られる犀星はこの地で生まれ、すぐ近くの寺院、雨宝院で育ちました。館内では、はじめて犀星を知る人でも、犀星の生き方やその文学世界の魅力と出会い、ふるさとや命に対する慈しみの心への強い共感を呼び起こしていただけるものと思う。





■写真は室生犀星記念館



室生犀星記念館ブログページ①

室生犀星記念館ブログページ②

雨宝院、室生犀星ブログページ③

■撮影日(2017.7.13-18)

(つづく)

「植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました」が70万ページアクセス達成しました。

2017-07-28 05:22:28 | 日記


「植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました」が70万ページアクセス達成しました。

■写真は金沢最古の茶室玉泉園「灑雪亭」

2010年12月19日に開設した。金沢観光ブログ「植ちゃんの金沢・いしかわに
恋をしました」がお陰様で7月27日(木)に70万ページアクセス達成しました。
皆様に厚く御礼を申し上げます。

○累計閲覧ページ:700,302ページ
○累計訪問IP数:216,045IP

加賀百万石にあやかり、100万ページまで頑張ります。今後とも閲覧をよろしく
お願い致します。



■写真は寶勝寺山門

金沢の夏2017 ⑨ 泉野、寺町 寶勝寺

2017-07-28 04:34:56 | 日記


金沢の観光スポットレポート その710(No.1068)

◇金沢の夏2017 ⑨ 泉野、寺町 寶勝寺

○金沢市 泉野図書館

星陵泉野幼稚園生が植えた朝顔が咲きはじめました。





■写真は泉野図書館



○太白山 寶勝寺(ほうしょうじ)

臨済宗妙心寺はのお寺で、寛永8年(1631)加賀三代藩主前田利常の帰依をうけた美濃出身千岳宗仞禅師(せんがくそうにんぜんじ)が建立。本堂および山門は創建当時の建物である。加賀藩に仕えた由緒ある武家一族や名門武家の菩提寺として知られている。



■写真は 寶勝寺山門





■写真は本堂

この度、霊園が公園のようなモダンに生まれ変わりました。見ていても楽しい。





















■写真は生まれ変わった霊園

撮影日:2017.7.18

□ 寶勝寺紹介ブログページ ①


□ 寶勝寺紹介ブログページ ②
 

□ 寶勝寺ホームページ

(つづく)

茶の湯の建築文化・由緒あるお茶室めぐり ④ 完

2017-07-27 04:12:15 | 日記


金沢の観光スポットレポート その709(No.1067)

◇茶の湯の建築文化・由緒あるお茶室めぐり ④ 完

○市民企画型観光モデルコース

 この企画は地元のもてなしの機運をさらに高めるため、平成27年の秋に金沢市が広く募集した「市民企画観型光モデルコース」で栄えある準グランプリに輝いた福岡澄子さん企画のコースを紹介します。

■写真は検察庁前信号から仙叟屋敷に向う



9)仙叟(せんそう)屋敷跡

現在は裏千家業躰・奈良宗久宅で茶道の稽古場となっていて公開されていませんが、千仙叟宗室居士邸地跡の案内板が掛かった趣ある建物です。







■写真は仙叟屋敷跡



10)寺島蔵人(くらんど)邸

加賀藩の武士で画人でもあった寺島蔵人の屋敷。 樹齢三百年のドウダンツツジをはじめ、四季折々の風情を見せる庭園が見事。庭内の見学のほか茶室乾泉(けんせん)で呈茶も受けられます。茶碗は「乾泉」の 名入り大樋焼、菓子は当邸の家紋と宗紋型です。



■写真は寺島蔵人邸



■写真は春の寺島蔵人邸の庭(2016.4.30)



■写真は秋の寺島蔵人邸の庭(2016.11.23)





■写真は茶室「乾泉亭」(2016.11.23)

□ 寺島蔵人邸紹介ブログ

□ 春の寺島蔵人邸紹介ブログ


□ 秋の寺島蔵人邸紹介ブログ

□ 寺島蔵人邸ホームページ

番外)廣澤紙店





帰り道、大手町の「廣澤紙店」の前を通り近江町に向かった。近江町市場着12時前で、約2時間かかりました。じっくり見学すると4時間くらい予定するといいでしょう。

■写真は廣澤紙店

□ 市民企画型観光モデルコース「茶の湯の建築文化・由緒あるお茶室めぐり」ホームページ

(完)

茶の湯の建築文化・由緒あるお茶室めぐり ③

2017-07-25 04:19:30 | 日記


金沢の観光スポットレポート その708(No.1066)

◇茶の湯の建築文化・由緒あるお茶室めぐり ③

○市民企画型観光モデルコース

 この企画は地元のもてなしの機運をさらに高めるため、平成27年の秋に金沢市が広く募集した「市民企画観型光モデルコース」で栄えある準グランプリに輝いた福岡澄子さん企画のコースを紹介します。

■写真は石川県立美術館



7)石川県立美術館・ショップ

中村記念美術館より美術の小径を登ると左手には白い石造りの「石川県立美術館」があります。
1階ホールのショップには、茶道に使う古帛紗や茶碗をはじめ石川県内の工芸品が多く置かれています。









■写真は石川県立美術館ショップ

□石川県立美術館のページ



□ 辻口博啓の「ル・ミュゼ・ドウ・アッシュ」は女性に人気!

7月12日の暑い時に汗を抑えるために館内の辻口博啓「ル・ミュゼ・ドウ・アッシュ」
のアイスコーヒーでほっと一息!!



■写真はル・ミュゼ・ドウ・アッシュ



■写真は八坂



8)玉泉園(ぎょくせんえん)・灑雪亭(さいせつてい)

西田家庭園・玉泉園は、江戸初期に加賀藩重臣の庭園で、兼六園よりも歴史が古く、玉澗様式といわれる二段式庭園。最上段には、千仙叟の指導により建てられた金沢最古の茶室「灑雪亭」があります。

料亭玉泉邸横に入園受付所があり、事前に申し込めば、お点前付きの茶道体験もできます。

■写真は玉泉園入口



■写真は玉泉邸入口





■写真は玉泉園灑雪亭(2015.10.10)

□ 玉泉園、灑雪亭紹介ブログページ①

□ 玉泉園、灑雪亭紹介ブログページ②


□ 玉泉園、灑雪亭紹介ブログページ③





■写真は玉泉邸(2015.10.10)

□ 玉泉邸紹介ブログページ


□ 玉泉邸ホームページ


(つづく)

茶の湯の建築文化・由緒あるお茶室めぐり ②

2017-07-24 04:28:30 | 日記


金沢の観光スポットレポート その707(No.1065)

◇茶の湯の建築文化・由緒あるお茶室めぐり②

○市民企画型観光モデルコース

 この企画は地元のもてなしの機運をさらに高めるため、平成27年の秋に金沢市が広く募集した「市民企画観型光モデルコース」で栄えある準グランプリに輝いた福岡澄子さん企画のコースを紹介します。

4)中村記念美術館

茶の湯に造詣の深かった中村酒造の蔵元から寄贈された美術品を中心に収蔵・展示している美術館。立礼茶席での呈茶も受けられます。ここの数茶碗は、金沢ならではの大樋焼で、6椀の中から気に入った茶碗で頂けます。

また、展示されている地元作家の抹茶茶碗をケースの中から選ぶこともできます。敷地内には茶会に使われる旧中村邸や、耕雲庵・梅庵等の茶室もあります。



■写真は中村記念美術館



■写真は中村記念美術館茶室の抹茶(2014.5.17)

□中村記念美術館紹介ブログページ

□中村記念美術館ホームページ







■写真は旧中村邸1F



5)耕雲庵(こううんあん)

耕雲庵は、江戸末期に海運業豪商の邸宅に建てられた茶室で、数回の移転の後、現在地に移築されました。千宗旦が邸内に建てたとされる茶室の古図と一致する貴重なものです。



□耕雲庵紹介ブログページ①

□耕雲庵紹介ブログページ②

■写真は耕雲庵(2017.7.6)



6)梅庵(ばいあん)

梅庵は、旧中村邸にあった茶亭を移築したもので、路地に紅白の梅を植え風情を添えたところから名付けられています。

見学は中村記念美術館入館時に申し出て下さい。(貸切で見学不可の場合もあります)



□梅庵紹介ブログページ

□旧中村邸、耕雲庵、梅庵ホームページ

■写真は梅庵(2017.5.17)





■写真は旧中村邸から美術の小径

撮影日:2017.7.12

(つづく)

茶の湯の建築文化・由緒あるお茶室めぐり①

2017-07-22 04:19:58 | 日記


金沢の観光スポットレポート その706(No.1064)

◇茶の湯の建築文化・由緒あるお茶室めぐり①

市民企画型観光モデルコース

 2016年3月12日(土)金沢都ホテルB2Fセミナールームにおいて北陸新幹線金沢開業1周年記念「もてなし向上フォーラム」が開催され、「市民企画型観光モデルコース募集事業」表彰式が行われた。

 この企画は地元のもてなしの機運をさらに高めるため、平成27年の秋に金沢市が広く募集した「市民企画観型光モデルコース」で栄えある準グランプリに輝いた福岡澄子さん企画のコースを紹介します。



 江戸末期から昭和にかけて、数寄者といわれた武士や豪商の邸宅にはお茶室が設けられていました。金沢市内には由緒あるお茶室が多く残され、「金沢の茶の湯文化」を今に伝えています。
 これらのお茶室をめぐり、歴史的建造物としての見所とともに、四季折々の美しさを見せる路地庭園を眺めながらお抹茶を頂く金沢ならではの茶の湯ツアーです。

 現在金沢中心部には11の市営茶室がありリーズナブルな価格で貸出(室料、用具)している。

□金沢市営の茶室総合ページ


■写真は表彰される福岡さん



1)松声庵(しょうせいあん)

 茶道家の屋敷に幕末から明治にかけての茶室を移築したものです。珍しい木材を使用した凝った造りで、本格的な茶の湯の建築様式が見られます。現在は金沢市が管理していますが、常時、お茶会などに使用されています。



■写真は松声庵





□松声庵紹介ブログページ


□松声庵ページ

■写真は松声庵第一和室(撮影:2013.11.9)



2)松涛庵(しょうとうあん)

 松涛庵は江戸末期に藩主の隠居所として根岸に建てられ、後、鎌倉へ移築されましたが、昭和54年に金沢市内に移築。平成13年、金沢市により現在の金沢21世紀美術館敷地に再移築されました。

■写真は松涛庵玄関







■写真は松涛庵立礼茶室





■写真は松涛庵庭





□松涛庵紹介ブログページ①

□松涛庵紹介ブログページ②

□松涛庵のページ

3)山宇亭(さんうてい)

 草庵風茶室の山宇亭は高岡市にあったものが金沢市本多町に移築され、さらにこの地に松涛庵とともに移築されました。腰掛待合は加賀八家の一つ長家の本邸から移築されたものです。





■写真は山宇亭



■写真は腰掛待合

□山宇亭紹介ブログページ


□山宇亭のページ


(つづく)

歴史の道「臼が峰往来」を行く!②

2017-07-20 04:24:55 | 日記


石川の観光スポットレポート (No.1063)

◇歴史の道「臼が峰往来」を行く!②

 6月17日(土)石川県ウオーキング協会は第26回「石川県スポーツレクリエーション交流大会」歴史の道「臼が峰往来」を行くを宝達志水市志雄運動公園発着に参加した。

■写真は歴史の道100選碑



○大伴家持(おおとものやかもち)

 大伴 家持(養老2年(718)頃~ 延暦4年(785)は、奈良時代の貴族・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言家持。
 万葉集の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残す。天平の政争を生き延び、延暦年間には中納言まで昇った。

■写真は大伴家持「三十六歌仙額」(インターネットより)



天平18年(746)3月、宮内少輔(しょうふ=律令制の省の次官)となり、同年6月には越中守に任じられ、8月に着任してから天平勝宝3年(751)7月に少納言となって帰京するまでの5年間越中国に在任した。

■写真は大伴家持像(高岡駅前 インターネットより)



○当時の国府(天平20年(748))

当時、越中の国府は、現高岡市伏木にあった。JR氷見線の伏木駅からまっすぐに続く坂を登り切ったところが、浄土真宗勝興寺である。本堂の裏側に国府跡の碑があり、碑の裏には、家持の歌が刻んである。

注)当時能登は越中国で、加賀は越前国。加賀国は823年に独立した。

「あしびきの 山の木ぬれの ほよ採りて
        かざしつらくは 千年寿ぐとぞ」

■写真は当時の北陸の変遷



■写真は臼が峰親鸞聖人銅像(2010.4.11)



■写真は臼が峰大伴家持歌碑(2010.4.11)



■写真は臼が峰を出発する参加者



■写真は女阪を下る参加者



■写真は下石から運動公園に向かう参加者



■写真は臼が峰往来道地図

臼が峰往来地図(宝達志水町HP)

(完)

歴史の道「臼が峰往来」を行く!①

2017-07-19 04:11:28 | 日記


石川の観光スポットレポート (No.1062)

◇歴史の道「臼が峰往来」を行く!①

6月17日(土)石川県ウオーキング協会は第26回「石川県スポーツレクリエーション交流大会」歴史の道「臼が峰往来」を行くを宝達志水市志雄運動公園発着に参加した。

■写真は志雄運動公園をスタート

○臼が峰と志乎路(しおじ)往来

奈良・平安時代以来の官道で、文化庁「歴史の道100選」にも選ばれている、宝達志水市下石より、深谷、見砂を経て氷見市日名田までの道中を「臼が峰往来」または「御上使往来」と呼ばれる歴史街道です。





■写真は石仏峠の参加者



天平18年(746)国司として越中に赴任した大伴家持が、天平20年(748)春初めて能登巡行に際し、気多大社参拝のためこの道を通り詠んだとされる、歌が万葉集に収められている。

「之乎路(しおじ)から 直越(ただこえ)え来れば羽咋の海 
            朝凪(な)ぎしたり船楫(かじ)もがも」

■写真は石仏峠の大伴家持の歌碑



臼ヶ峰は標高わずか265mであるが、頂上からは富山湾や立山連峰、邑知潟などが眺望でき、指定された道は下石から臼ヶ峰までは約4kmで、富山県氷見市日名田の関所跡へと続いている。当日は残念ながら立山連峰は眺望できなかった。



■写真は深谷の看板と往来道



■写真は臼が峰の地蔵



■写真は臼が峠からの立山方面

(つづく)

金沢の夏2017 ⑧ 金沢の新盆とキリコ

2017-07-17 04:26:01 | 日記


金沢の観光スポットレポート その705(No.1061)

◇金沢の夏2017 ⑧ 金沢の新盆とキリコ

□お盆の由来

 お盆の正式な呼び名は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といい、サンス
クリット語の「ウランバーナ(逆さ吊りにされる苦しみという意味)」
に由来します。子孫から長い間供養をうけていない先祖は逆さ吊り
の苦しみを受けているため、そうした先祖の霊を慰めるため飲食を
与えたのが発祥とされています。



■写真は大乗寺境内のお墓



□金沢市内中心部は新盆が多い

 新盆・旧盆のどちらに墓参りするかについては金沢市内でもわかれ
ているようで、犀川、浅野川、JR北陸本線、中環状道路に囲まれた
区域と、犀川以南、浅野川以北の旧市内地あたりでは新盆が多く、
それより外側の新市内地域では旧盆にお参りに行く傾向が強いよう
です。

■写真は野田山墓地のお墓



□金沢のお盆の風習「キリコ」

 金沢ではお盆にお墓参りをするときに 「キリコ」という箱のよう
なものを持って行ってお墓の前に吊します。 中にロウソクを立て
られるようになっています。最近は板状のきりこが多くみられる、
この「キリコ」を吊すという習慣は金沢周辺だけのようです。
 キリコの表には「南無阿弥陀仏」裏には「進上で名前住所」を書くように
なっており誰かお参りしていたたいたが墓主に分かるようになっている。

■写真は泉野墓地



■写真は進上されたキリコ

(撮影:2017.7.14-15)

(つづく)

金沢の夏2017 ⑦ にし茶屋街

2017-07-16 04:10:20 | 日記


金沢の観光スポットレポート その704(No.1060)

◇金沢の夏2017 ⑦ にし茶屋街

○にし茶屋街概要

金沢の情緒が色濃く感じられる3つの茶屋街の一つ。にし茶屋街は文政3年(1820)に集め町割りをし、今でも料亭が軒を並べて趣ある一角を作り上げている。現在4軒の茶屋が営業している。
夕刻近くに通りを行けば、出格子が美しい茶屋様式の2階建ての家並みからは三味線の音色が流れ、芸の町金沢の夜を粋に演出しています。

■写真はにし茶屋街





□かわむらの新商品「マスカルポーネチーズモナカ」!次回食べてレポートします。



■写真は納豆かわむら



■写真はカカオサンパカ





■写真はわいんばーる「数登美」



□店内にある菓寮味和以(あじわい)「宇治金時かき氷800円」の看板



■写真は諸江屋



□「地上」島田清次郎碑



■写真はにし茶屋街東入口庭園

(つづく)

金沢の夏2017 ⑥ 寺町寺院群

2017-07-14 03:55:42 | 日記


金沢の観光スポットレポート その703(No.1059)

◇金沢の夏2017 ⑥ 寺町寺院群

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、70近くの寺院が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。



■写真は六斗広見



■写真は泉野菅原神社



○茶室蓬莱庵

「此の所に二畳台目の草庵あり加賀金沢にゆかりの深い茶道裏千家十一世玄々斎宗室遺畳の扁額より蓬莱庵と称し移築修復せり」との額がある。一般公開していないので、内部はわからない。

■写真は茶室蓬莱庵



■写真は国泰寺

○三光寺

三光寺の住職は彫刻家であり、住職製作の山門の両わきにある仁王像や邪鬼の彫刻など、なかなか趣がある。紀尾井坂で大久保利通を暗殺した加賀士族集団三光寺派が集結した寺ですが、往時の名残りのものは一切残されていない。









■写真は三光寺



■写真は人呼んで「忍者寺」妙立寺

□元禄2年(1689)芭蕉が願念寺にて小林一笑の追善会で読んだとされる「つかもうごけ我が声は秋の風」の句碑





■写真は願念寺

(つづく)

金沢の夏2017 ⑤ 卯辰山花菖蒲園

2017-07-13 04:07:15 | 日記


金沢の観光スポットレポート その702(No.1058)

◇金沢の夏2017 ⑤ 卯辰山花菖蒲園

卯辰山花菖蒲園ではアヤメ、カキツバタ、花菖蒲、スイレン、アジサイなどが見られます。卯辰山の花菖蒲園では6月には花菖蒲が咲き見事です。卯辰山の花菖蒲園の花菖蒲の種類は最初は200種類あったそうですが、だんだん減って今は120種類くらいだそうです。卯辰山の花菖蒲園では6月下旬には2000本のアジサイが咲きます。









■写真は花菖蒲



カキツバタ、アヤメ、花菖蒲の違いがわかりますか?
ちなみに菖蒲はサトイモ科で綺麗な花は咲きません。カキツバタ、アヤメ、花菖蒲はアヤメ科なんだそうです。





■写真は説明看板







■写真は花菖蒲







■写真はアジサイ

撮影時期が遅かったので、来年は早く訪れたい。

撮影日:2017.07.2

(つづく)

金沢の夏2017 ④ 旧陸軍第九師団司令部、旧陸軍偕行社ほか

2017-07-11 04:43:03 | 日記


金沢の観光スポットレポート その701(No.1057)

◇金沢の夏2017 ④ 旧陸軍第九師団司令部、旧陸軍偕行社ほか

○国立近代美術館工芸館が金沢移転予定

地方創生政策の一環で,東京・千代田区の北の丸公園にある国立近代美術館の別棟・工芸館を,金沢市の兼六園に隣接する本多の森に移転することが決まり,今後の協議に入りました。数年以内の移転が目標とのことで,各紙で同様に報道されています。

その根拠は,工芸分野の人間国宝が東京都9人,京都府9人と並んで石川県も9人という成果です。これを人口100万人当たりでみると,石川県が7.76人(2015年)で,東京・京都を大きく上回って全国1位。全国平均が0.46人ですから,その16.8倍と突出しています。想像されるように,国としての贈答品にも重用される輪島塗,九谷焼をはじめとする貢献は大です。

その中で移転先は、金沢市にある「旧陸軍第九師団司令部」と「旧陸軍偕行社」を移築して活用するとし、2020年東京オリンピックまでにをめどに移転の予定。





■写真は「旧陸軍第九師団司令部」と「旧陸軍偕行社」



■写真は国立近代美術館工芸館



■写真は国立近代美術館工芸館移転イメージ図(金沢なびゲ―ションHPより)

□金沢なびゲ―ションHP



■写真は能楽堂



■写真は能楽堂前の杜若像





■写真はしいのき緑地から辰巳櫓跡





■写真はしいのき迎賓館

撮影日:2017.6.29、7.1

(つづく)