植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

金沢の秋2020 金沢寺町寺院群散歩Vol.3 ①

2020-09-23 04:41:17 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1892)

◇金沢の秋2020 金沢寺町寺院群散歩Vol.3 ①(ユーチューブ連動解説版)

〇瑞亀山松月寺
斉藤刑部宗忠が、白峰和尚のために越前(福井県)堀井庄において起こした寺であるが、加賀藩初代藩主・前田利家の入国後、金沢に移り、宗忠が願って小立野に造営し、元和二年(1616)には現在地に移った。 当時の境内には有名な老桜があり、「大桜」とも「御殿桜」とも言われる。これは、中興至岸和尚が三代藩主・前田利常から小松城内にあったものを拝領したと伝えられる桜である。樹種は山桜に近く、花茎五センチ内外、四月中旬開花する。樹齢は定かではないが、周囲約六メートル、高さ十四メートルの大木である。昭和十八年八月、文部省から天然記念物に指定された。泉鏡花の作品「桜心中」では、「この桜は名木です」と記している。(看板より)



■写真は松月寺の大桜(学名:ショウゲツザクラ)





■写真は松月寺

□松月寺大桜紹介ページ

□松月寺紹介ページ



〇岌松山浄安寺
加賀藩初代藩主・前田利家と同じ尾張荒子の出である貞蓮社白誉笈松上人が、天正三年(1575)に利家の命を受け、金沢に入部し古寺町(現・片町)に建立した。 元和二年(1616)、三代藩主・前田利常に請うて、寺地を得て現在地に移った。当時の「寄木造り阿弥陀如来像」は、延宝元年(1673)に建立され、金沢四大仏の一つに数えられる。宝暦九年(1759)の大火で建物は全焼したが、壇信徒によって大仏や御像などは無事に運び出され、その後寺も再建された この他、八臂弁財天、大黒天、毘沙門天の三体を奉る寺である。(看板より)





■写真は浄安寺

□浄安寺紹介ページ



〇安養山極楽寺

南北朝騒乱の時、後醍醐天皇の第八皇子宗良親王は越後、信濃に潜伏していたが、延元二年(1337)、越中国射水郡牧野村(富山県高岡市)に至り、仮の御所を造り居住していた。その後、落飾して牧野の地に草庵を結び、仏門に入り極楽寺と号したことに始まる。宗良親王は佛眼上人明心法親王と尊称された。 寺院来歴記によれば、天正年間(1573~92)、後の加賀藩三代藩主・前田利常が越中(富山県)守山に在城中、守山極楽寺の第一世・暫誉上人に深く帰依したと伝えられる。 よって慶長四年(1599)、利常が金沢に入城した際、極楽寺の住職・暫誉上人を召寄せ、元和元年(1615)には現在地に寺地千五百坪を賜った。 暫誉上人は文禄三年(1594)、上京参内して紫衣の勅許を蒙り、加賀一国中浄土宗寺院群の触頭を勤めたとある。 寺中に清覚院・不捨院があったが、宝暦九年(1759)の罹災の後は再建されていない。 当時の開祖・明心仏眼法親王の木造が安置されている。 本堂前に朱塗りの欄干が設けられているのも、皇子が創設された寺としての格式を表わしたものといわれている。(看板より)







■写真は極楽寺

□極楽寺紹介ページ



〇高養山成学寺
正保4年(1647)松平又右衛門夫人が、加賀藩三代藩主前田利常に請うて、梵宅上人を招き、もと玉泉寺の寺領に亡夫の菩提所として建立したのが起こりである。寺名は、又右衛門の戒名である成学居士から名付けられた。





■写真は成学寺と芭蕉句碑

□成学寺紹介ページ①

□成学寺紹介ページ②



〇宝池山大蓮寺

慶長9年(1604)加賀藩祖前田利家に仕えた荒子七人衆の一人、小塚淡路守秀正(7千石)が利家に従って金沢城入城後に、七尾の浄土宗西光寺住職であった衍連社広誉怒白上人を招請し、御馬屋町(現:木ノ新保)に建立されたが、後に当地が御用地になったため、野町に替地を拝領して現在に至る。
豪姫の菩提寺。利家公の四女豪姫、宇喜多秀家の供養塔がある。



■写真は大蓮寺



■写真は前田利家公四女豪姫と宇喜多秀家の供養塔

□大蓮寺紹介ページ

(つづく)



□ユーチューブ「金沢寺町寺院群散歩2020 Vol.3