植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇金沢の秋2020 金沢寺町寺院群散歩Vol.2 ②

2020-09-21 04:34:37 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1891)

◇金沢の秋2020 金沢寺町寺院群散歩Vol.2 ②(ユーチューブ連動解説版)

〇五智山大円寺

寛永元年(1624)、開山は仰誉是伯上人で、大阪夏の陣で戦士した父、大円宗吟大居士の供養のため、草庵を建立した。元禄十三年(1700)三代・心岩上人の時、現在地に再建されたが、宝暦の大火に遭い焼失。地蔵堂、庭園が当時を伝えている。当時に祀られている「人骨地蔵尊」は、心岩上人の作で、誰にも拝まれることない人骨を哀れみ、顔・首・胸・両手足に人骨を塗り込めた、高さ四メートル三三センチ、極彩色の衣をまとった延命地蔵尊である。 また、什物堂には心岩上人の書画工芸品、自画像図(市文化財指定)、血判浄土三部経、念仏書、来迎図、当山歴代の什物等が陳列されている。(看板より)



〇人骨地蔵尊



□大円寺紹介ページ①

□大円寺紹介ページ②

■写真は大円寺



〇鶴雲山長久寺

長記によれば、慶長13年(1608)創建。高畠石見守定吉の後室長久院(生前は長寿院)のために栖覚寺を郊外にあたる大豆田高畠氏の下邸に建てたが、その化粧料300石を寺領として寄進し、その15年後長久寺と改めた。宝永12年(1635)には泉寺町(現寺町)の玉泉寺前に転じ明暦元年(1655)寺封を増して50石とし、覚源寺の遺址である現在地に移って長久寺を建立したとある。当寺は、前田利春の三女で、前田利家の妹津世の菩提寺である。境内には芭蕉の「秋涼し 手毎にけむや 瓜茄子」句碑がある。また樹齢400年近くになる金沢市保存林の銀木犀があり9月には開花する。(看板より)高畠石見守御夫婦の肖像画が市の文化財。







□長久寺紹介ページ


■写真は長久寺



〇正栄山妙典寺

天正十三年(1585)、仏蔵院日敬が越中高岡で創建。神保氏張の室が開基となった。 慶長十四年(1609)、三輪長好が加賀藩三代藩主・前田利常に請うて、金沢河原町に移り、元和二年(1616)、現在地に転じた。 宝暦九年(1759)に焼失したが、後に再建された。 当寺にある釜師宮崎彦九郎義一の「鋳造三具足」は、金沢市の指定文化財である。(看板より)



〇寺宝の鋳造三具足(金沢市指定文化財)



□妙典寺紹介ページ

■写真は妙典寺



〇諏訪神社

当神社の発祥は、室町時代の初期、正長2年に当時の豪族、富樫氏の周遊の地、泉野領桜畑に同氏の起請によって創建された『八幡宮』に起源する。加賀藩主、前田利常公の時代に信州・諏訪の神(鷹の守護神)を鷹匠頭、野村宗順(食禄二千石・寛永元年没)、大平右京らが勧請併祀して、鷹の祈祷を修めたと貞享2年の由来書に載せられている。御社名は、明治初年ごろまで通称『諏訪八幡宮』と一般に呼ばれていた。

□諏訪神社紹介ページ

■写真は諏訪神社



〇行基山伏見寺

もとは、石川郡山科村にあったが、元和元年(1615)、同寺中興、快存和尚が現在地に寺地を賜り移転した。本尊の阿弥陀如来像は、平安初期の金剛仏の力作とされ、国の重要文化財に指定されている。行基菩薩を開眼供養の導師とする。また、護摩堂には木像の不動明王坐像(金沢市指定文化財)があり、弘仁期(810~24)の作かと言われている。金沢の地名発祥のもとになった「芋掘藤五郎の伝承」が残る寺としても知られ、藤五郎夫妻の像や墓もある。その他、観世音菩薩像(金沢観音霊場第十四札所)など古仏も多い。(看板より)

□伏見寺紹介ページ

■写真は伏見寺

(つづく)




ユーチューブ「金沢寺町寺院群散歩Vol.2 」



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