植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

雪の金沢城公園2019 ②

2019-01-31 04:29:10 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1037(No.1475)

◇金沢の冬-20 雪の金沢城公園2019 ② 

■写真は鶴丸倉庫





■写真は丑虎櫓(うしとらやぐら)跡より菱櫓・五十間長屋・橋爪門



■写真は丑虎櫓跡より兼六園茶店通り





■写真は辰巳櫓跡より広阪方面









■写真は三十間長屋





■写真は三十間長屋方面から菱櫓・五十間長屋



■写真は橋爪門

(つづく)

■撮影日:2019.1.21


雪の金沢城公園2019 ① 

2019-01-29 04:47:05 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1036(No.1474)

◇金沢の冬-20 雪の金沢城公園2019 ① 

1月21日に今季2回目の積雪があり、金沢城を訪れた。早朝から午前10時ころまで降り7センチの積雪で夕方にはほぼ消えた。





■写真はしいのき迎賓館より石垣







■写真は石川門













■写真は河北門より菱櫓・五十間長屋・橋爪門





■写真は河北門より菱櫓・五十間長屋・橋爪門

(つづく)

■撮影日:2019.1.21-27

茶寮 卯辰かなざわ グルメレポート

2019-01-28 04:39:19 | 日記


金沢のグルメレポート その54(No.1477)

◇茶寮 卯辰かなざわ

1月19日(土)金沢ボランティアガイドの会「まいどさん」16期”よるまっし16会”の昼食新年会を茶寮 卯辰かなざわで開催した。



〇茶寮 卯辰かなざわ

茶寮 卯辰かなざわは金沢市内を見下ろす卯辰山の中腹にあり、嗜好を凝らした各部屋で、加賀百万石の歴史に育まれてきた加賀料理と現代の味を融合させた「創作加賀料理」、四季折々の旬の食材が織り成す、五感で味わう逸品を御膳やコースで楽しませてくれる。

■写真は金箔の間















今回は昼御前で食材や味・量とも大変おいしくをいただき、大満足!お勧めのお店です。

■写真は昼御前



■写真は金沢市内を眺望



■写真はコーヒースプーンは4種類





■写真は金箔の間の天井と獅子飾り



■写真は玄関の正月飾り

<昼御膳>四季御膳 =2,700円(税込み)

□茶寮 卯辰かなざわホームページ

住所:金沢市子来町33-1
TEL:076-253-8811

(つづく)

「金沢城公園 鼠多門と橋の整備」講演会レポート

2019-01-27 04:42:48 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1038(No.1476)

◇「金沢城公園 鼠多門と橋の整備」講演会レポート

1月12日(土)近江町交流プラザホールにおいて金沢城・兼六園研究会主催のきくざくら勉強会で石川県土木部参与(土木部担当)丸山隆史氏の「金沢城公園 鼠多門と橋の整備」に参加しました。

〇金沢城の概要

金沢城の歴史は加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が、天文15年(1546)に金沢御堂(尾山御坊)を建てた地に、天正8年(1580)佐久間盛政が築城を開始、天正11年(1583)、加賀初代藩主前田利家が能登から入城し、本格的に城造りがなされ、明治4年(1871)まで約280余年加賀藩14代藩主の居城として活用された。

■写真は丸山隆史氏





〇金沢城公園の整備

明治4年(1871)には旧陸軍兵部省として、昭和24年(1949)には金沢大学が開学し、平成7年(1995)金沢大学の移転完了に伴い現存していた、石川門(1788)、鶴丸倉庫(1848)三十間長屋(1858)に平成13年(2001)菱櫓五十間長屋橋爪門続櫓、平成22年(2010)河北門、平成27年(2015)橋爪二の門・増形、玉泉院丸庭園を復元、再現をしてきた。

2015年春の北陸新幹線金沢開業に伴い、関東方面からの利用者が在来線の約2.7倍に増えており、金沢城公園、兼六園とも上記の倍率で入場者も確実に増えている。

■写真は金沢城公園・兼六園の入園状況



第3期整備計画として2020年には鼠多門と鼠多門を復元と鼠多門橋再現をすべく工事が進んでいる。この完成に伴い、長町武家屋敷跡~尾山神社~金沢城公園~兼六園~本多の森公園へと加賀藩ゆかりの歴史的回遊ルートが形成される。



■写真は鼠多門・橋完成による回遊ルート



次期整備計画の候補として、二の丸御殿の復元に向けた、調査が開始され、史実に基づいた復元可能かどうかの検討に入っている。



■写真は最近発見された二の丸御殿図

まさしく、金沢城公園は江戸後期を設定したテーマパーク「平成の築城」として整備されており、これからも我々ファンや県民、観光客を楽しませてくれる。

(つづく)

■撮影日:2019.1.12

兼六園の梅 2019 -1 冬至梅、八重寒紅、蝋梅

2019-01-25 04:48:53 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1037(No.1475)

◇兼六園の梅 2019 -1 冬至梅、八重寒紅、蝋梅

昨年は異常な大雪に見舞われたが、今冬は雪も少なく兼六園梅林は7年撮影をしているが、咲く順番が狂っており、いつもは遅く咲くはずの八重寒紅の木、青軸の木が1ヶ月早く咲き始めた。

○兼六園梅林

兼六園随身坂口近くに広がる約3000平方mの梅林。この梅林は昭和43年(1968)に明治百年記念事業として全国の名梅を集めて造成され、平成12年3月に庭園として再整備されたもで、現在は約200本の梅があり、そのうち白梅約140本、紅梅約60本、白加賀、摩耶紅梅、青軸、八重寒紅など約20種類が咲き誇る。



1)冬至梅(とうじうめ)

冬至梅はその園芸品種の1つ。樹高は3メートルから6メートルくらいで、枝は細い。早咲きの品種。野梅系の白い八重咲きの中輪(花径20ミリから25ミリ)。

■写真は冬至梅(2019.1.10 撮影)





■写真は冬至梅(2019.1.12 撮影)





■写真は冬至梅(2019.1.18 撮影)





■写真は冬至梅(2019.1.25 撮影)



2)八重寒紅(やえかんこう)

野梅系 野梅性八重。中輪で花弁は波打ち、萼は濃いこげ茶色。樹勢は強い。早咲きのため正月の盆栽に向く。



■写真は八重寒紅(2019.1.10 撮影)





■写真は八重寒紅(2019.1.12 撮影)







■写真は八重寒紅(2019.1.18 撮影)







■写真は八重寒紅(2019.1.25 撮影)



3)蝋梅(ろうばい)

ロウバイはまるでロウ細工のような黄色い花を咲かせる、中国原産の落葉低木で、開花期以外はあまり目立ちませんが、新春に香り高い花を咲かせる貴重な存在です。江戸時代初期に日本へ渡来し、ほかの花木に先駆けて咲く香りのよい花が愛され、生け花や茶花、庭木として親しまれいる。



■写真は蝋梅(2019.1.10 撮影)







■写真は蝋梅(2019.1.18 撮影)

(つづく)

金沢の冬-19 兼六園 ④

2019-01-24 04:58:51 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1036(No.1474)

◇金沢の冬-19 兼六園 ④







■写真は時雨亭付近の赤玉万両、黄玉万両



■写真は瓢池の翠滝の上流



〇取材中の椿をを紹介します。花の撮影を行っているが、椿は一番撮影タイミングが難しい。5月くらいまで取材が続きそうです。完了したら特集をします。



■写真は蓮池門の西王母



■写真は三河数寄屋(椿)



■写真はユキツバタツバキ



■写真は宝珠(ほうしゅ 椿)



■写真は加賀小絞



■写真はベニワビスケ(椿)







■写真は茶通り



■写真は2018.1.12

(つづく)

■撮影日:2019.1.6

金沢の冬-19 兼六園 ③

2019-01-23 04:35:07 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1035(No.1473)

◇金沢の冬-19 兼六園 ③

○兼六園の概要

加賀百万石の文化を映す、歴史的文化遺産である。水戸偕楽園、岡山後楽園とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。

兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。入場者数17年度入場者数279.9万人(前年比96.1%)であった。

一昨年の12月から昨年2月にかけて金沢は大雪に見舞われたが、今季は雪も少なく兼六園の雪風景はまだ撮れていない。







■写真は2018.1.12撮影



■写真は医王山







■写真は2018.1.12撮影



■写真は七福神山



■写真は噴水



■写真は曲水





■写真は黄門橋









■写真は梅林の南天





■写真はさざんか

(つづく)

■撮影日:2018.12.15~2019.1.18

お食事・喫茶 三統 金沢市東御影町

2019-01-21 04:35:52 | 日記


金沢のグルメレポート その53(No.1473)

◇お食事・喫茶 三統 金沢市東御影町

1月10日(木)金沢かがやき100の会新年会が三統で開催され参加した。当日は曇で雪も降らず、自宅からウオーキングで兼六園の写真撮影をしながら、ひがし茶屋街の近く天神橋を渡り卯辰山の坂を上り三統に着いた。

新年会では仲谷代表のあいさつのあと、17名参加者全員の自己紹介があり会食となった。食事の内容は味、量とも満足した。けん玉リレー、福笑いなどの企画もあり楽しい時間を過ごしました。ぜひ次回も企画して来たい店。





〇三統

2016年末復活した会席料理『三統』。父の味を受け継いだ娘達が、こだわりの会席料理でもてなしてくれる。会席以外にカフェ風サンドなど、喫茶メニューが揃い、四季折々の景色を眺めながら気軽に楽しめる。

■写真は玄関の鏡餅と花



・昼会席膳=2,500円(要予約)
(先付・刺身・吸物・焼物・煮物・香物・御飯・デザート・コーヒーまたは抹茶付)
・フレンチトースト=500円 
・カフェ風サンド=700円
・パウンドケーキ=300円







■写真は外庭





■写真は屏風(二塚長正作)









■写真は中庭



■写真は福笑い



■写真は床の間の生け花

住所:金沢市東御影町20
TEL:076-252-3374

□三統 FACE BOOKページ

(つづく)

金沢市消防出初め式(加賀鳶梯子登り)

2019-01-20 04:19:32 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1034(No.1472)

◇金沢の冬-18 金沢市消防出初め式

1月6日(日)金沢の正月恒例行事、金沢市消防出初式が金沢城公園新丸広場を会場に、団員約1,200人、観客約7,000千名で開催された。

「加賀とびはしご登り」では43分団の梯子が立てられ、ハッピ姿で「鶯の谷渡り」や「八艘飛び」などの妙技に合わせ威勢のいい掛け声が飛び交った。また、褌姿の裸放水ではサイレンを合図に、全49分団が高さ20メートルの一斉放水を行い迫力に圧倒された。平成30年(2018)加賀鳶発祥300年を迎えた。



〇自衛消防団の歴史

享保3年(1718年)、八代将軍吉宗が禄高1万石以上の藩に対し、江戸藩邸を守る大名火消を設置するよう命じたのを受けて、加賀藩では江戸上屋敷の防備のため設置されていた自衛消防隊を豪華なものに増強しました。これが加賀鳶の始まりであるとされています。

加賀藩お抱えの火消しは、勇猛果敢な活動と華麗な装備で知られ当時の浮世絵や歌舞伎の題材になったこともあり、大名火消しといえば加賀鳶のことを指すようになったのであります。

明治に入り江戸藩邸にあった加賀鳶38人が金沢に移り住み、江戸の技と金沢在来の技が融合し今日の姿になったものと考えられます。現在では金沢市第一、第二、第三消防団の49分団のうち、48分団が梯子登りを実施しており、昭和48年(1973)には「加賀とびはしご登り保存会」を設立し、加賀鳶梯子登りの伝統ある妙技の伝承に努めています。





■写真は山野市長



〇加賀鳶梯子登りの由来

梯子登りは江戸時代、火消しが火災現場で高い梯子を立て、頂上から火事の状況や風向き、建物の状況を確かめたことが始まりで、さらには高所での作業を行うための訓練、度胸、勇気をつけるためにも行われた
と言われています。
火消し達は威勢と気魄を信条に、身軽な仕種と熟練した技をもって、住民の前にその演技を披露するとともに、消防の重要さを訴える役割も担っていました。この梯子登りを最初に行ったのが加賀鳶で、いわゆる日本の梯子登りの元祖です。
平成21年(2009)12月に加賀鳶梯子登りは石川県無形民俗文化財に指定され出初式・百万石まつりなどの主要行事に出演しています。

参考資料:金沢市消防団ホームページより







■写真は加賀鳶梯子登り







■写真は一斉放水

□金沢市消防団ホームページ

(つづく)

■撮影日:2019.1.6

金沢の正月飾り④ 完 にし茶屋街、寺町エリア

2019-01-19 04:06:57 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1033(No.1471)

◇金沢の冬-17 金沢の正月飾り④ 完 にし茶屋街、寺町エリア

全国各地それぞれの独特の正月飾りがあると思うが、なにげない風景も、他地域から見ると違うかもしれないとの思いで、金沢市内を取材してみました。

4)にし茶屋街、寺町エリア

■写真はにし茶屋街













〇これより寺町





■写真は極楽寺





■写真はつば甚



■写真は伏見寺



■写真は高岸寺





■写真は立像寺



■写真は大連寺

〇室生犀星の育った雨宝院





■写真は雨宝院





■写真は久安の民家

(金沢の正月飾り 完)

■撮影日:2019.1.3-4

金沢の正月飾り③ 尾山神社、駅前、金沢城公園エリアほか

2019-01-17 04:23:31 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1032(No.1470)

◇金沢の冬-16 金沢の正月飾り③ 尾山神社、駅前、金沢城公園エリアほか

全国各地それぞれの独特の正月飾りがあると思うが、なにげない風景も、他地域から見ると違うかもしれないとの思いで、金沢市内を取材してみました。

3)尾山神社、駅前、金沢城公園エリアほか





■写真は尾山神社





■写真は金沢市商工会議所



■写真はブランケット・カフェ



■写真は北陸デザイナー専門学校



■写真は大友楼





■写真は尾崎神社



■写真は金沢茶屋



■写真は英町「中村屋」



〇数の子飾り

金沢城公園の橋爪一の門に藩政期のしめ飾りを再現した「数の子飾り」が取り付けられた。しめ飾りは長さ5.4メートルで、子孫繁栄の願いを込めて数の子を模した形状をしている。藩政期の元日登城の様子を描いた絵図「加賀藩儀式風俗図絵」を参考に、野々市市のワラ工芸師吉岡克己さん(81)が仕上げた。しめ飾りは来年1月15日まで飾られる。





■写真は金沢城橋爪門一の門「数の子飾り」

金沢では紅白の餅を重ねる鏡餅。皆さんの地域で紅白の地域はありますか?





■写真は田井菅原神社



■写真は三統鏡餅

(つづく)

■撮影日:2019.1.3-10

金沢の正月飾り② 香林坊、片町エリア

2019-01-16 04:32:55 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1031(No.1469)

◇金沢の冬-15 金沢の正月飾り② 香林坊、片町エリア

全国各地それぞれの独特の正月飾りがあると思うが、なにげない風景も、他地域から見ると違うかもしれないとの思いで、金沢市内を取材してみました。

2)香林坊・片町エリア

正月飾りは、その歳神様を心から歓迎するための準備として飾るものです。よく知られている正月飾りに門松、しめ飾り、鏡餅があります。





□正月飾りとは?

1)門松は、歳神様の依代(よりしろ)と言われており正月飾りのなかで、最も重要なものとされています。歳神様が迷わず降りて来るための目印となるものです。

2)しめ飾りは、新しい藁に裏白(うらじろ)、ゆずり葉、橙(だいだい)などをあしらって作ったお飾りをしめ飾りといいます。新しい藁は、古い年の不浄を払うという意味があり裏白は長寿、ゆずり葉は子孫の繁栄、橙は家系の繁栄を願ったものです。
 しめ飾りは神様を迎える清浄な場所を示すために飾るものですが、玄関に飾ることで、災いが外から入る事を防ぐといわれています。

3)鏡餅は、お正月を迎えるために飾る飾りというイメージの強い鏡餅ですが本来は、歳神様を迎えるために供えるお供物です。鏡餅が丸い形は円満を、2つ重ねるのはかさねがさねを表しています。つまり、円満に年を重ねるという意味です。(以上インターネットより)
金沢では紅白の餅を重ねる鏡餅。皆さんの地域で紅白の地域はありますか?





■写真は香林坊大和





■写真はホテルトラスティ金沢香林坊





■写真は金沢信用金庫





■写真はしいのき迎賓館



■写真は金沢市役所

■写真は東急スクエア



■写真は片町きらら



■写真は片町きららるり虎



■写真は長町武家屋敷跡鏑木商舗

(つづく)
■撮影日:2018.12.30-2019.1.3

金沢の正月飾り① ひがし茶屋街、主計町エリア

2019-01-15 04:13:02 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1030(No.1468)

◇金沢の冬-14 金沢の正月飾り① ひがし茶屋街、主計町エリア

全国各地それぞれの独特の正月飾りがあると思うが、なにげない風景も、他地域から見ると違うかもしれないとの思いで、金沢市内を取材してみました。ついでに正月と正月飾りをネットで調べました。

1)ひがし茶屋街、主計町エリア

□正月とは?

正月とは本来、その年の豊穣を司る歳神様をお迎えする行事であり、1月の別名です。現在は、1月1日から1月3日までを三が日、1月7日までを松の内、あるいは松七日と呼び、この期間を「正月」と言っています。



■写真は懐華楼



■写真は民家



■写真は久連波



■写真は茶屋美人



■写真は不室屋



■写真は東山民家





■写真はしら井



■写真はひがし茶屋街門松



戦国武将・武田信玄が考案したとされる正月飾り「武田流門松」は3本の竹を水平に切っているのが特徴だ。
門松の竹は斜めに切るのがポピュラーだが、信玄に敗れた徳川家康が「竹(武田家)を斬る」という意味で始めたとの説もある。武田流は竹を真横に切り、宿敵・松平家(後の徳川家)を松になぞらえ、竹より下に飾る。

■写真は甲府武田風門松

□風林火山 甲陽戦国隊ホームぺージ

〇これより主計町



■写真はあさの川







■写真は主計町

(つづく)

■撮影日:2018.12.30-2019.1.6


2019年金沢初詣 尾山神社、田井菅原神社

2019-01-13 04:19:05 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1029(No.1467)

◇2019年金沢初詣 尾山神社、田井菅原神社

1)尾山神社(おやまじんじゃ)



○尾山神社の概況

慶長4年(1599)に加賀藩藩祖前田利家を祭り創建された卯辰八幡社(現宇多須神社)を、明治6年(1873)に卯辰山から金沢城の出丸金谷御殿跡地(現在地)に移し、本殿、拝殿が建てられ、尾山神社とした。
尾山神社の神門は明治8年(1875)に完成したのですが、神門の和洋中の三様式が取り入れられた五色のギヤマンが綺麗です。

御祭神:前田利家、まつ
金沢市尾山町11-1

■写真は神門









■写真は拝殿



■写真は拝殿左手前の梅

撮影日:2019.1.3




2)田井菅原神社(たいすがわらじんじゃ)

〇田井菅原神社の由緒

ご神体は、田邊左衛門という者が菅原道真より賜った自画像と伝えられる。後の喜兵衛の代に田邊家は三代利常より代官を拝命。明治期に田邊邸内に神社が建てられ、明治13年(1880)、田井の生産神となった。

御祭神:菅原道真

■写真は鳥居



〇芭蕉の句碑

”風流の はじめや奥の 田植唄”芭蕉が元禄2年(1689)、奥の細道の旅に出ており、同年7月金沢に立ち寄っているため、金沢の地に芭蕉の句碑が見られます。
当社の石碑には、側面に明治21年3月下旬と建立年月を刻んでいます。従って、最初からこの地に、置かれたものではなく、当年に奉納という形で移されたと伝えられています。

■写真は芭蕉の句碑



■写真は狛犬



〇藩主献上鏡餅の再現

当家に所蔵されていた古文書に、享和2年(1802)、第12代藩主前田斉広(なりなが)公の封襲後初のお国入りによる新春の献上鏡餅のことについて記されたものがあります。鏡餅は次のとおりとなっています。鏡餅は、三点セットとなっており、真中は、床(とこ)飾り餅、向かって右側は、蓬莱(ほうらい)飾り、
左側は櫓(やぐら)餅で、大小52個の紅白の餅が使用されています。再現するには約2石2斗(約340キログラム)のお米が必要とされ、米俵に例えますと、約5個半にもなります。現在は、諸々の諸事情から蝋を溶かして作った再現品。

平成9年(1997)より、古例に則り、お正月に奉納しています。



■写真は拝殿と藩主献上鏡餅

撮影日:2019.1.6

(つづく)


金沢五社参り ② 宇多須神社、椿原天満宮(完)

2019-01-12 04:14:32 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1028(No.1466)

◇金沢五社参り ② 宇多須神社、椿原天満宮(完)

4.宇多須神社(うたすじんじゃ)

養老2年(718)の創建。慶長4年に前田利家を密かに祀り、藩士が禄高に応じて祭祀料を負担した。尾山神社の創建に伴い元の祭神である高皇産霊神を遷座した。

本社は通称毘沙門さんと云う。佐和田川(今の浅野川)の辺の小丘から出た古鏡の裏面に卯と辰との紋様があったので卯辰神とし、養老2年(718)多聞天社と称して創建された。また藩祖前田利家公を卯辰八幡宮と称して祀ってあり代々藩主の祈祷所として崇敬篤かった。明治に入り現在の尾山神社として創建され遷座された。明治2年(1969)高皇産霊社と改め、同5年卯辰社と改称、同33年10月2日現在の宇多須神社と改め、同35年県社に昇格された。

現在地:金沢市東山1-30-8
御祭神:高皇産靈神 武甕槌男命 大國主神 市杵嶋姫命 大山祇命
八重言代主命 少彦名神 宇迦之御魂命 豐受大神 崇徳天皇

■写真は宇多須神社鳥居



■写真は逆立ち狛犬



■写真は手水舎





■写真は拝殿と狛犬



撮影日:2019.1.6

5.椿原天満宮(つばきはらてんまんぐう)

永仁5年加賀国主富樫義親京都北野天満宮より丹波屋敷と称する山崎に勧請す。観応年間一向一揆により金浦郷田井村へ遷座され、金浦郷の総鎮守産土神となり、当宮を前田家祈願所とし城郭の鎮守と定める。
金浦郷総社田井天満宮、椿原神社、椿原天満宮と称え奉り旧金沢五社の筆頭たる御社格であった。明治6年郷社に、明治14年9月県社に列せられる。

現在地 金沢市天神町1-1-13
御祭神:菅原道真

■写真は椿原天満宮鳥居





■写真は逆立ち狛犬



■写真は拝殿



■写真は菅原道真公碑と梅



■写真は拝殿中と狛犬

(つづく)

撮影日:2019.1.6