植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

心の道(卯辰山山麓寺院群)めぐり3 蓮昌寺②

2013-08-30 04:34:59 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その193(No.332)

◇心の道(卯辰山山麓寺院群)めぐり3 蓮昌寺②

天正10年(1582)僧日寿によって創建。大本山京都妙顕
寺の門末として、加越能の触頭をつとめた寺格をもち、加
賀三代藩主利常の生母、寿福院の帰依所でもありました。
本堂の奥には裏山が広がり、3千坪の敷地を持っています。

蓮昌寺の檀家には、三代利常の正室珠姫(天徳院)が江戸
から入興の際、将軍家から警固を命じられて派遣されてき
た甲賀53家のひとつ、多羅尾家がある。

■写真は釈迦如来立像全景



□釈迦如来立像
金沢三大仏の一つで、丈六の釈迦如来立像を安置している。
丈六とは一丈六尺のことで、高さ4.85メートルの木彫りの
大仏です。造像は元禄年間(1688~1704)。その姿は一切
衆生(いっさいしょじょう)に安楽無畏(むい)、人々の
さまざまな願をかなえることを誓う「施無畏与願」(右手
を上げて手を開いて指を伸ばし掌を見せ、左手は下に垂ら
している)の印を示し、仏の誓願の意志を表している。
享保21年(1736)の大火により大きな被害を受けたが、
蓮昌寺も本堂が焼失しましたが、幸いに大仏は難を逃れま
した。

■写真は釈迦如来顔



■写真はのあの世とこの世の境



■写真は西に向かって窓がある



■写真は大仏殿外観

蓮昌寺紹介ページ
http://kimassi.net/higasijiin/rensyouji.htm

心の道(卯辰山山麓寺院群)めぐり3 蓮昌寺①

2013-08-28 04:21:41 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その192(No.331)

◇心の道(卯辰山山麓寺院群)めぐり3 蓮昌寺①

金沢ボランティアガイド「まいどさん」16期生の勉強会
で今回訪れた3寺院を紹介する。

○蓮昌寺(れんじょうじ)
蓮昌寺は金沢の卯辰山山麓寺院群にある日蓮宗のお寺です。
蓮昌寺には金沢4大仏のひとつ釈迦如来立像が安置されて
いる。蓮昌寺の樹林は金沢市の保存樹林として指定されて
おり。蓮昌寺の山門は金沢市指定文化財になっている。泉
鏡花の絶筆小説「縷紅新草」の舞台として知られます。

住所:金沢市東山2-11-23 

■写真は山門



□金沢市指定文化財の山門
当門の立地は西養寺や本光寺と同様、金沢を見下ろす高い
位置にあり、高麗門(こうらいもん)の形式をとります。
広い境内にふさわしい規模を示す山麓寺院の風格を示す門
山麓にある門として、本光寺山門と対をなし、寺院の表門
としては数少ない高麗門の遺構として貴重です。 

■写真は高麗門を見る



■写真は本堂



■写真は本堂屋根の紋



■写真は仏殿



■写真は仏殿天井



■写真は雄谷良成(おおや りょうせい)住職

蓮昌寺紹介ページ
http://kimassi.net/higasijiin/rensyouji.html

心の道(卯辰山山麓寺院群)めぐり2 慈雲寺②

2013-08-26 05:13:37 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その191(No.330)

◇心の道(卯辰山山麓寺院群)めぐり2 慈雲寺②

○慈雲寺(じうんじ)
金沢の卯辰山山麓寺院群にある法華宗真門流のお寺です。
前田家兵法指南役だった富田(とだ)冶郎左衛門景政と今
井彦右衛門の菩提寺で、富田流剣法富田家の五輪搭の墓が
ある。また、金沢最大の涅槃図があり、不定期で公開され
る事があるそうです。

住所:金沢市東山2丁目10-10



■写真は涅槃図写真



■写真は富田重政の墓



■写真は富田重政の墓内部



■写真は剣道塔



■写真は富田主計の墓



■写真は富田家代々の墓

慈雲寺紹介ページ
http://kimassi.net/higasijiin/jiunji.html

心の道(卯辰山山麓寺院群)めぐり2 慈雲寺①

2013-08-23 04:33:19 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その190(No.329)

◇心の道(卯辰山山麓寺院群)めぐり2 慈雲寺①

金沢ボランティアガイド「まいどさん」16期生の勉強会
で今回訪れた3寺院を紹介する。

○慈雲寺(じうんじ)
金沢の卯辰山山麓寺院群にある法華宗真門流のお寺です。
前田家兵法指南役だった富田(とだ)冶郎左衛門景政と今
井彦右衛門の菩提寺で、富田流剣法富田家の五輪搭の墓が
ある。また、金沢最大の涅槃図があり、不定期で公開され
る事があるそうです。

住所:金沢市東山2丁目10-10

■写真は門



慈雲寺は雨寶山と号し、天正5年(1577)鹿島郡所口にお
いて建立。元和元年(1615)当地へと移った。前田利家の
金沢城入城に伴い、景政の婿養子、富田越後守重政も金沢
に移った。(17,670石)

■写真は本堂



■写真は住職



■写真は本堂仏像



■写真は本堂仏像左の毘沙門天



■写真は本堂仏像左の鬼子母神

慈雲寺紹介ページ
http://kimassi.net/higasijiin/jiunji.html

心の道(卯辰山山麓寺院群)めぐり1 静明寺③

2013-08-20 04:32:05 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その189(No.328)

◇心の道(卯辰山山麓寺院群)めぐり1 静明寺③

○静明寺(じょうみょうじ)

静明寺は法華宗のお寺です。静明寺は徳田秋声の生家の菩
提寺で、徳田秋声の骨が分骨されているそうです。その縁
で静明寺には井上靖の筆による徳田秋声碑が境内に建てら
れています。静明寺にはケヤキ、エノキ、タブノキ、ツツ
ジ、ツバキなど多くの樹木が生えており金沢市の保存樹林
として指定されています。

住所:金沢市材木町28-18

□井上靖の筆による徳田秋声碑と井上靖直筆原稿用紙の徳
 田秋声紹介文碑
 
■写真は本堂左にある徳田秋声墓碑



■写真は徳田秋声碑横にある井上靖の紹介文碑

□静明寺所縁の人々の墓を紹介する。



■写真は徳田秋声の墓



■写真は佐々木日向守(灯籠竹丹蔵)の墓



■写真は菊池大学の墓



■写真は静明寺16世住職の墓



■写真は安達幸之助の墓



■写真は小谷継成の墓

静明寺紹介ページ
http://kimassi.net/kankoutiiki/kankou5/joumyouji.html

心の道(卯辰山山麓寺院群)めぐり1 静明寺②

2013-08-16 04:37:18 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その188(No.327)

◇心の道(卯辰山山麓寺院群)めぐり1 静明寺②

○静明寺(じょうみょうじ)

静明寺は法華宗のお寺です。静明寺は徳田秋声の生家の菩
提寺で、徳田秋声の骨が分骨されているそうです。その縁
で静明寺には井上靖の筆による徳田秋声碑が境内に建てら
れています。静明寺にはケヤキ、エノキ、タブノキ、ツツ
ジ、ツバキなど多くの樹木が生えており金沢市の保存樹林
として指定されています。

住所:金沢市材木町28-18

静明寺は山号を守長山(しゅちょうざん)と称し、貞享2
年(1683)の由来書によれば、「越中高岡前田利長息女お
満の菩提所なるにより、慶長17年(1612)金沢の八坂松
山寺と鶴林寺の間に拝領し当寺を建立したもので・・・」
とある。
正徳5年(1715)がけ崩れのあい倒壊、現在地に3千坪を
賜り、享保6年(1721)に再建。日修上人を中興の開山と
する。

□虎図 岸駒(がんこま)筆
岸駒は、岸派の祖。寛延2年(1749)生まれ。出生につい
ては金沢説と富山説があるが、近年では富山説が有力。
子どもの時に辰屋興左衛門という紺屋に丁稚奉公に入り染
物紋上絵などを手伝う傍ら、絵を学習。32歳で上洛。
文化6年(1809)60歳の時に金沢城二の丸御殿障璧画制
作のため一門を従え金沢に下り、虎之間等に絵を描く。
天保9年(1838)90歳で没する。

■写真は虎図



□龍図、裏書 岸岱(がんたい)筆
岸岱は岸駒の長男。文化6年(1809)岸駒と一緒に金沢城
二の丸御殿障璧画制作のため金沢に下る。元治2年(1865)
81歳で没する。

■写真は龍図



■写真は龍図裏書



□楠公父子図 狩野墨川筆

■写真は楠公父子図



□日蓮上人画像 慶長6年(1601)

■写真は日蓮上人画像



□豊嶋流筒的中的奉納額 天保13年(1842)

境内で火縄銃の訓練時に使った的で的中銃弾の跡がある。

■写真は豊嶋流筒的中的奉納額

静明寺紹介ページ
http://kimassi.net/kankoutiiki/kankou5/joumyouji.html

心の道(卯辰山山麓寺院群)めぐり1 静明寺①

2013-08-14 04:56:36 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その187(No.326)

◇心の道(卯辰山山麓寺院群)めぐり1 静明寺①

金沢ボランティアガイド「まいどさん」16期生の勉強会
で今回訪れた3寺院を紹介する。

○金沢三寺院群とは
ひがし茶屋街から卯辰山山麓に位置する卯辰山山麓寺院群
には現在でも43の寺や5神社が集まっている。金沢では
金沢城を囲むように、寺町、小立野と3つの寺院群が今で
も残っている。

■写真は静明寺山門



○卯辰山山麓寺院群とは
卯辰山は金沢城から見て鬼門(北東)に当たるため、加賀
藩はここに寺社を集めて厄除けを行ったとも言われる。

このように寺が密集するようになったのは、三代利常が金
沢市区と道路の大幅改正を行った際に、各所に散らばる寺
を”寺町台地”と”卯辰山山麓”に集めたと考えられる。

卯辰山寺院群に集まる寺が日蓮宗や禅宗の寺が多く、檀家
の数に頼るよりも、さまざまな職業団体や商人との結びつ
き、あるいは祈願や占い、手相見、相談ごとなどで寺と庶
民が交わってきたことの表れではないか。裏返していえば
「浄土真宗の寺を排除して造られた町」これが金沢の寺院
群に秘められた歴史であり、最大の特徴である。

寺院群のもう一つの目的は軍事的防衛線、防衛地帯という
点では、金沢以外の城下町にも共通している。

■写真は静明寺本堂



○静明寺(じょうみょうじ)

静明寺は法華宗のお寺です。静明寺は徳田秋声の生家の菩
提寺で、徳田秋声の骨が分骨されているそうです。その縁
で静明寺には井上靖の筆による徳田秋声碑が境内に建てら
れています。静明寺にはケヤキ、エノキ、タブノキ、ツツ
ジ、ツバキなど多くの樹木が生えており金沢市の保存樹林
として指定されています。

住所:金沢市材木町28-18

■写真は23世大橋俊幸住職



■写真は本堂仏殿



■写真は住職の使用した登城かご



■写真は水除け稲荷大明神神

静明寺紹介ページ
http://kimassi.net/kankoutiiki/kankou5/joumyouji.html

金沢ふるさと偉人めぐり②

2013-08-12 04:36:47 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その186(No.325)

◇金沢ふるさと偉人めぐり②

金沢は全国に、また世界に知られた偉人を数多く輩出して
いる。その生誕の地を訪ね、故人の功績を学ぼうと、まい
どさん16期「よるまっし16」の勉強会で訪れた。

①室生犀星記念館→②雨宝院→③芭蕉の辻→大工町→池田町
→④三宅雪嶺生家跡(新竪町)→⑤藤岡作太郎生家跡(幸町)
→⑥鈴木大拙生家跡(本多町)→⑦ふるさと偉人館→柿木畠
→竪町(終点)

■写真は藤岡作太郎生家跡



⑤藤岡作太郎生家跡(幸町)

藩政時代の町割りがそのまま残るような幸町の一角に、木
々に埋もれて藤岡作太郎の生誕地碑がある。作太郎は論文
による国文学での初の文学博士で、三高教授、東大助教授
として教壇に立ちました。国文学を学問として確立するの
に功績があり、絵画史や風俗史にも造詣が深く、著書は今
も読み継がれています。第四高等中学校の同窓生に西田幾
多郎や鈴木大拙(本名貞太郎)がいて、“加賀の三太郎”
と呼ばれた。

■写真は藤岡作太郎

金沢ふるさと異人館藤岡作太郎ページ
http://www.kanazawa-museum.jp/ijin/exhibit/09fujioka.html



⑥鈴木大拙生家跡(本多町)

明治3年、旧加賀藩医鈴木良準の四男に生まれ、英語教師
をしていたのが再び学問を志して上京し、臨済宗の偉いお
坊さんから禅を学びました。この方から大拙の号を授けら
れ、その後アメリカに渡って禅の文化や仏教文化を広めた
偉大な仏教思想家

■写真は鈴木大拙生家跡



■写真は鈴木大拙



金沢ふるさと異人館鈴木大拙ページ
http://www.kanazawa-museum.jp/ijin/exhibit/11suzuki.html

鈴木大拙館ホームペジ
http://www.kanazawa-museum.jp/daisetz/

■写真は鈴木大拙館



⑦ふるさと偉人館

金沢ふるさと偉人館は平成5年に(1993)に開館し、
高峰譲吉、三宅雪嶺、木村栄、藤岡作太郎、鈴木大拙の5
人の展示を開始した。
その後、金沢ゆかりの「近代日本を支えた偉人たち」とし
て、さまざまな分野で国際的・国家的業績をあげた人々を
新たに加え、現在では、20人の偉人を常設展示してる。
また、企画展として、さまざまな金沢ゆかりの偉人を紹介
している。

■写真はふるさと偉人館

金沢ふるさと異人館ホームページ
http://www.kanazawa-museum.jp/ijin/index.html

金沢ふるさと偉人めぐり①

2013-08-09 04:36:39 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その185(No.324)

◇金沢ふるさと偉人めぐり①

金沢は全国に、また世界に知られた偉人を数多く輩出して
いる。その生誕の地を訪ね、故人の功績を学ぼうと、まい
どさん16期「よるまっし16」の勉強会で訪れた。

①室生犀星記念館→②雨宝院→③芭蕉の辻→大工町→池田町
→④三宅雪嶺生家跡(新竪町)→⑤藤岡作太郎生家跡(幸町)
→⑥鈴木大拙生家跡(本多町)→⑦ふるさと偉人館→柿木畠
→竪町(終点)

■写真は室生犀星記念館



①室生犀星記念館

(本名:室生照道(てるみち)、1889年8月1日-1962年
3月26日)は、石川県金沢市生まれ。加賀藩の足軽頭だっ
た小畠家の小畠弥左衛門吉種とハルという名の女性の間
に私生児として生まれた。生後まもなく、生家近くの真
言宗寺院雨宝院住職室生真乗の内縁の妻赤井ハツに引き
取られ、その妻の私生児として照道の名で戸籍に登録さ
れた。住職の室生家に養子として入ったのは7歳のときで
あり、この際室生照道を名乗ることになった。

室生犀星記念館ホームページ
http://www.kanazawa-museum.jp/saisei/

■写真は室生犀星



②雨宝院

雨宝院は金沢の寺町寺院群にある高野山真言宗のお寺
です。雨宝院の住職の養子になった室生犀星が幼少を
過ごしたお寺で、室生犀星に関連した品が展示されて
います。室生犀星記念室は有料(300円)です。

■写真は雨宝院



③芭蕉の辻碑

金沢の繁華街である片町二丁目(片町交差点のそば)北国
銀行前にある「芭蕉の辻碑」。元禄2年向秋「芭翁奥の細
道途足跡」の文字が見える。

■写真は芭蕉の辻碑



④三宅雪嶺生家跡(新竪町)

新竪町通りの中ほどに生誕の地がある。鹿鳴館で海外の大
使らを招いて舞踏会を繰り広げる西欧化に反対の立場をと
り、西洋の個性と日本伝統の個性が互いに競い合うことで
世界の進歩につながる、と主張したのが三宅雪嶺でした。
昭和18年(1943)文化勲章受章。生家跡は公園とし
て整備されている。

■写真は三宅雪嶺生家跡



■写真は三宅雪嶺

金沢ふるさと異人館三宅雪嶺ページ
http://www.kanazawa-museum.jp/ijin/exhibit/08miyake.html

金沢湯涌江戸村訪問記⑭ 完 高田家(2)

2013-08-06 04:35:48 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その184(No.323)

◇金沢湯涌江戸村訪問記⑭ 完 高田家(2)

○旧高田家住宅
旧所在地…石川県金沢市湯涌河内町
建築年代…18世紀前半
指定…石川県指定有形文化財
概要…金沢市湯涌河内町にあった江戸中期の本百姓の家。
   土間ニワには馬屋が付いている。

■写真はオクノマ



■写真はエンガワ



■写真はネドコ



■写真は梁



■写真は玄関の屋根



■写真は外観

金沢湯涌江戸村ホームページ
http://www.kanazawa-museum.jp/edomura/

金沢湯涌江戸村訪問記⑬ 高田家(1)

2013-08-02 04:38:39 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その183(No.322)

◇金沢湯涌江戸村訪問記⑬ 高田家(1)

江戸時代の加賀藩を中心とした民家をひろく集め、移築し
て展示公開してきた「旧江戸村」の閉鎖にともない、この
民家施設を引き継いだ金沢市は、文化財保存上、より適し
た当地への再移築に2003年より着手し、2010年9月、農家
3棟、武士住宅1棟、商家2棟、宿場問屋1棟、武家門1
棟、総計8棟の移築が完了し、「金沢湯涌江戸村」を開設
した。

■写真は旧高田家全景



○旧高田家住宅
旧所在地…石川県金沢市湯涌河内町
建築年代…18世紀前半
指定…石川県指定有形文化財
概要…金沢市湯涌河内町にあった江戸中期の本百姓の家。
   土間ニワには馬屋が付いている。
   
■写真は平面図



■写真は玄関



■写真はウマヤ



■写真はニワ中二階



■写真はダイドコロ



■写真はオイ

金沢湯涌江戸村ホームページ
http://www.kanazawa-museum.jp/edomura/