植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

山の寺寺院群めぐり④ 長壽寺

2013-11-29 04:25:51 | 日記


羽咋・七尾の観光スポット体験レポート その9(No.366)

金沢ボランティアガイド「まいどさん」16期生の勉強会
で羽咋・七尾を巡った。

◇山の寺寺院群めぐり④ 長壽寺

天正9年(1581)前田利家が奥能登地域からの七尾城の防
御を目的に、浄土真宗を除く各宗派の寺院を防御陣地とし
て移転配置した。設置当初は29の寺院が存在したが、現存
する寺院は16。寺院間を結ぶ山道は「瞑想の道」と呼ばれ、
観光・散策コースとなっている。毎年秋に「山の寺まつり」
が開催される。

■写真は長壽寺山門



3)長壽寺(ちょうじゅうじ)
日蓮宗立本寺末・久遠山長壽寺は開山・開基の実孝大和尚
は、北条時政の末孫であり、京都立本寺六世龍華院日実上
人が長禄元年北陸布教の折り教化を受けて真言宗から改宗。

■写真は長壽寺本堂



能州畠山氏の帰依を受け、同年城山の麓に一庵を結び仏命
長壽庵と称した。七尾城落城後当地で寺号を公称したとい
われている。 本堂には、一年に一度御開帳される土の中か
ら出た土中出現日蓮大聖人、七尾城内に奉安の天満自在尊
天神(菅原道真)、眼病平癒の行学院日朝上人が同祀され
ている。

■写真は長壽寺鐘楼



七尾が生んだ室町時代末の画聖長谷川等伯の養父母は、当
寺の旦那で過去帳と墓碑があり、また、能登箔打ちの元祖
山崎屋の墓碑も特殊な形で現存している。釣り鐘は、元禄
三年(1690)茶釜師宮崎彦九郎義一(寒雉)の作。加賀藩
士山瀬三郎兵衛の娘で、「振袖火事」で有名な八百屋お七
(17歳で火あぶりの刑に処せられた)の供養塔が、母法
春比丘尼の発願で建立されているなど話題が豊富である。

・市指定文化財 絹本着色釈迦涅槃図、梵鐘

■写真は長壽寺長谷川家墓



■写真は長壽寺八百屋お七縁起

きまっし金沢長壽寺紹介ページ
http://kimassi.net/noto/tyoujuuji.html

山の寺寺院群めぐり③ 長齢寺

2013-11-26 04:37:53 | 日記


羽咋・七尾の観光スポット体験レポート その8(No.365)

金沢ボランティアガイド「まいどさん」16期生の勉強会
で羽咋・七尾を巡った。

◇山の寺寺院群めぐり③ 長齢寺
 
天正9年(1581)前田利家が奥能登地域からの七尾城の防
御を目的に、浄土真宗を除く各宗派の寺院を防御陣地とし
て移転配置した。設置当初は29の寺院が存在したが、現存
する寺院は16。寺院間を結ぶ山道は「瞑想の道」と呼ばれ、
観光・散策コースとなっている。毎年秋に「山の寺まつり」
が開催される。

■写真は長齢寺参道



■写真は長齢寺本堂



■写真は仏殿と住職夫人



2)長齢寺(ちょうれいじ) 
曹洞宗總持寺派宝円寺末休岳山長齢寺は前田利家天正九年
(1581)能州32万石に封ぜられ七尾に居城。越前府中の
宝円寺第七世大透圭徐和尚を請じ、一寺を建立し宝円寺と
称す。同寺を菩提寺として父(休岳公)母(長齢夫人)の
墓を築いた。

■写真は長齢寺大透圭徐大和尚木造



天正11年(1583)加封せられ金沢に移り、宝円寺を金沢
に建立、依って七尾の宝円寺を、父母の法名を取って休岳
山長齢寺と改称。 前田利家公が能登で建造した唯一の寺院
の由緒から、前田家と非常に関係が深く、利家を中心とす
る初期の家族の人々の画像を寺宝として残している。また、
初代利家、二代利長の宝篋印塔(供養塔)や安勝(利家の
兄)、利好(安勝の子)などの墓もあり、質量共に石川県
内では一位で前田家研究上重要な寺院の一つ。

■写真は長齢寺前田家位牌



山門の柱などは小丸山城の廃材を利用し、太い円柱である
など歴史の重みを支えている。

・重要文化財  絹本著色前田利春画像 一幅
・県指定文化財 絹本著色前田利春夫人画像 一幅
・重要美術品  絹本著色前田利家画像 一幅
・市指定文化財 絹本著色前田安勝画像 一幅、
        絹本著色前田利政画像 一幅
■写真は長齢寺前田利治画像(右)長齢夫人画像(左)
 (パンフレットより)



■写真は長齢寺前田利治画像(左)前田安勝画像(中)
       前田利家画像(右)(パンフレットより)



■写真は長齢寺前田利治墓



■写真は長齢寺供養塔

長齢寺紹介ページ(きまっし金沢)
http://kimassi.net/noto/tyoureiji.html

秋の兼六園!

2013-11-24 17:41:22 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その211(No.364)

◇秋の兼六園 !

11月23日(土)金沢は久々の晴!紅葉も真っ盛り、久
しぶりに兼六園を満喫した。

■写真は真弓坂の紅葉



■写真は瓢池



■写真は時雨亭



■写真は船之亭



■写真は内橋亭



■写真は雪吊り1(さざえ山より)





■写真はことじ灯篭



■写真は雪吊り2



■写真は不老坂の紅葉



■写真は噴水

山の寺寺院群めぐり② 妙観院 その2 完

2013-11-22 04:42:46 | 日記


羽咋・七尾の観光スポット体験レポート その7(No.363)

金沢ボランティアガイド「まいどさん」16期生の勉強会
で羽咋・七尾を巡った。

◇山の寺寺院群めぐり② 妙観院 その2 完

1)妙観院(みょうかんいん)
高野山真言宗・小嶋山妙観院は草創期は定かではありませ
んが、七尾城本丸付近の寺屋敷から移転したものと伝えら
れています。観音堂には、その昔弘法大師が漂着した霊木
に一刀三札で刻んだと言われる秘仏「聖観音菩薩」が祀ら
れており、33年に一度の開帳が行われます。

妙観院にある七不思議を紹介する。

■写真は七不思議4そうめん不動尊の不思議



■写真は七不思議5夫婦岩の不思議



■写真は七不思議6底なし池の不思議



■写真は七不思議7獅子岩と鼓岩の不思議



■写真は弘法大師像

妙観院紹介ページ(きまっし金沢)
http://kimassi.net/noto/myoukanin.html

山の寺寺院群めぐり① 妙観院 その1

2013-11-19 04:24:29 | 日記


羽咋・七尾の観光スポット体験レポート その6(No.362)

金沢ボランティアガイド「まいどさん」16期生の勉強会
で羽咋・七尾を巡った。

◇山の寺寺院群めぐり① 妙観院 その1

天正9年(1581)前田利家が奥能登地域からの七尾城の防
御を目的に、浄土真宗を除く各宗派の寺院を防御陣地とし
て移転配置した。設置当初は29の寺院が存在したが、現存
する寺院は16。寺院間を結ぶ山道は「瞑想の道」と呼ばれ、
観光・散策コースとなっている。毎年秋に「山の寺まつり」
が開催される。

1)妙観院(みょうかんいん)
高野山真言宗・小嶋山妙観院は草創期は定かではありませ
んが、七尾城本丸付近の寺屋敷から移転したものと伝えら
れています。観音堂には、その昔弘法大師が漂着した霊木
に一刀三札で刻んだと言われる秘仏「聖観音菩薩」が祀ら
れており、33年に一度の開帳が行われます。

■写真は妙観院山門



昔の山門はア-チ型の岩の門で、大正時代末までは門の前
は海でした。しかし、岩は風化したため木造になり、海は
遠くなりました。 また、当山は「七不思議」をはじめ古く
から伝説の多い寺院で、珍しい「唐用づくり」の山門や、
離れ小島であった時代の名残りを留める展望の良さで七尾
名所や能登八景・七尾八景に含まれ、多くの見聞記が残さ
れています。

■写真は本堂





8月9~10日の千日詣りは有名で、トウモロコシ市が盛
大に開かれます。

・市指定文化財 木彫観音立像 一躯、木造二天立像 二躯
        木造地蔵菩薩立像 二躯、十三仏画像 一幅

妙観院にある七不思議を紹介する。

■写真は七不思議1 観世音菩薩の不思議





■写真は七不思議2「竹に虎」の釣り鐘の不思議



■写真は七不思議3 弁財天の不思議

妙観院紹介ページ(きまっし金沢)
http://kimassi.net/noto/myoukanin.html

七尾城跡めぐり② 完

2013-11-15 04:30:36 | 日記


羽咋・七尾の観光スポット体験レポート その5(No.361)

金沢ボランティアガイド「まいどさん」16期生の勉強会
で羽咋・七尾を巡った。

◇七尾城跡めぐり② 完

七尾城跡は七尾市街から東南約5kmの通称「城山」に位
置し、戦国大名として活躍した能登畠山氏が170年間に
わたって能登支配の拠点としたところ。日本100名城、
日本五大山城として有名。

■写真は七尾城図(駐車場案内図より)



○七尾城の戦い
1577年(天正5年)に能登国に侵攻した上杉謙信に包囲され
るが、一年にわたって持ちこたえた。しかし、重臣同士の
対立の末に擁立されていた若年の当主畠山春王丸が長続連、
遊佐続光、温井景隆らの対立を収めることができず、結果
七尾城は孤立し、最終的には遊佐続光の内応によって徹底
抗戦を主張した長氏一族が殺害され、同年9月13日に開城
された。

■写真は桜馬場跡



■写真は二の丸跡

○日本五大山城と日本五大山岳城(ウィキペディアより)

著名な日本の山城を取り上げた「日本五大山城」(1992年)
がある。


小谷城の代わりに八王子城を入れた「日本五大山岳城」
(2004年)もある。





■写真は九尺石



■写真は本丸北駐車場より七尾市内を見る

七尾城跡紹介ページ(きまっし金沢)
http://kimassi.net/noto/nanaojou.html

七尾城跡めぐり①

2013-11-13 04:27:55 | 日記


羽咋・七尾の観光スポット体験レポート その4(No.360)

金沢ボランティアガイド「まいどさん」16期生の勉強会
で羽咋・七尾を巡った。

◇七尾城跡めぐり①

七尾城跡は七尾市街から東南約5kmの通称「城山」に位
置し、戦国大名として活躍した能登畠山氏が170年間に
わたって能登支配の拠点としたところ。日本100名城、
日本五大山城として有名。

■写真は七尾城跡山全図



東西約1km、南北約2kmの広い範囲に標高300m主
郭を中心として石垣や土塁などを構築し、各尾根上には平
坦面となる曲輪遺構が段々に築かれている。山麓には城下
町が形成されていたことも分かっており、戦国期の城郭と
城下町が共存する大変貴重な遺跡です。国の史跡に指定。

■写真は畠山義忠歌碑



■写真は調度丸より桜馬場石垣を見る



越中国と能登国を繋ぐ要所である七尾城は、のちに織田氏
によって領され、城代として菅屋長頼が入って政務にあた
った後に前田利家が入るが、既に山城の時代ではなく、拠
点を小丸山城に移したため、しばらく子の前田利政が城主
となっていたが、のち、1589年(天正17年)廃城となった。

■写真は本丸下石垣



■写真は七尾城本丸跡地

七尾城跡紹介ページ(きまっし金沢)
http://kimassi.net/noto/nanaojou.html

21世紀美術館「フュージョン21」レポート

2013-11-11 04:27:32 | 日記


金沢の観光スポットグルメレポート その12(No.359)

◇21世紀美術館「フュージョン21」レポート

日経新聞何でもランキング「カフェも楽しめる美術館」の
西日本編で21世紀美術館フュージョン21が2位にランキ
ング!もっと早く行きたかったが、ようやく体験できた。

(西日本編)
1位 長崎県美術館        550ポイント
   *運河に浮いているような感覚
2位 金沢21世紀美術館     495
   *加賀野菜をふんだんに
3位 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 407
   *こだわりの家具・調度品
4位 京都国立近代美術館     286
   *自家製生パスタがおいしい
5位 島根県立美術館       264
   *宍道湖の眺めが雄大

■写真はパレットランチ



ランチバイキングメニューはパレットランチ1,365円、フ
ュージョンランチ1,890円、シェフズランチ2,100となっ
ている。今回はパレットランチをいただきました。

■写真は入口



私は11時40分ごろ入店したが土曜日だったので、かな
りの待ち行列ができていた。

■写真は店内



■写真は外から見たフュージョン21

フュージョン21のホームページ
http://www.e-maplehouse.com/fusion21.html

永光寺(ようこいじ・羽咋市)②  完

2013-11-08 04:29:32 | 日記


羽咋・七尾の観光スポット体験レポート その3(No.358)

金沢ボランティアガイド「まいどさん」16期生の勉強会
で羽咋・七尾を巡った。

◇永光寺(ようこいじ・羽咋市)② 完

洞谷山(とうこくさん)永光寺は、鎌倉時代末の正和元年
(1312)曹洞宗太祖常済大師瑩山紹瑾大和尚四十五歳の時、
中河(羽咋市)の地頭、 酒匂頼親の娘(黙譜祖忍)の開
基により創建された開山禅師示寂の道場です。

■写真は住職と仏殿



法堂仏殿の本尊は中世の釈迦三尊像で、作風から院派仏師
の作と考えられている。中尊はまげを高く結う宝冠釈迦像。
脇侍は観音、虚空蔵という珍しい組み合わせで、いずれも
坐像である。
開山である瑩山禅師の著「洞谷記」の1321年の記事に三尊
それぞれの造立の趣旨が書かれ、特に脇侍の観音像は、駿
河法眼定審が父である法眼定守の13回忌の追善のために造
立したものであると述べられている。

■写真は仏殿



■写真は釈迦三尊像(パンフより)



○五老峰
五老峰は永光寺伝燈の背後の山上にある。五老峰は「天童
山五老峰」とも呼ばれ、高祖天童如浄(てんどうにょうじ
ょ)禅師、二祖永平道元(えいへいどうげん)禅師、三祖
弧雲懐弉(こうんえいじょう)禅師、四祖徹通義介(てっ
つうぎかい)禅師、そして五祖瑩山紹瑾(けいざんしょう
きん)禅師の五祖の遺品を埋納されている。

■写真は五老峰(パンフより)



「洞谷記」によれば、元享3年(1323)に如浄禅師の語録、
道元禅師の霊骨、懐弉禅師の一行三礼の血書経典、義介禅
師の嗣書や以前に属していた達磨宗に伝わる舎利、瑩山禅
師筆写した五部大乗経を埋納して、この小さな丘を五老の
墓塔とし、ご老峰と呼びました。

■写真は瑩山禅師



特別拝観の白山妙理大権現立像(御木像)は方丈のお内仏
として安置され、歴代の住職のみが拝してきたもので、今
回が一般初公開である。
・年代 室町時代後期
・法量 像高31.5Cm 総高(龍を含む)40.7Cm
・概要 桧材、寄木造り、玉眼入り、才色仕上

■写真は白山妙理大権現立像



■写真は白山妙理大権現立像の話しを聞くメンバー

羽咋市永光寺紹介ページ
http://www.city.hakui.ishikawa.jp/sypher/www/section/detail.jsp?id=588

永光寺(ようこいじ・羽咋市)①

2013-11-05 04:26:05 | 日記


羽咋・七尾の観光スポット体験レポート その2(No.357)

金沢ボランティアガイド「まいどさん」16期生の勉強会
で羽咋・七尾を巡った。

◇永光寺(ようこいじ・羽咋市)①

洞谷山(とうこくさん)永光寺は、鎌倉時代末の正和元年
(1312)曹洞宗太祖常済大師瑩山紹瑾大和尚四十五歳の時、
中河(羽咋市)の地頭、 酒匂頼親の娘(黙譜祖忍)の開
基により創建された開山禅師示寂の道場です。

■写真は永光寺山門



瑩山禅師は当山を拠点とし加賀・能登の各地を歩かれ在地
の民衆と深くまじわり、又 能登の地で多くの門弟を育て
られ元亨3年(1323)春には五老峯を築造し曹洞宗教団の
基礎をつくられました。

■写真は法堂



■写真は鐘楼



創建当時は、伽藍が甍を並べ繁栄し、南朝、北朝の帰依に
より勅願寺に列せられ隆盛をきわめました。その後、二度
の大乱(応仁二年1468、天正七年1579)に遭い全山焼失、
幸い印派仏師の作になるご本尊様等は難をまぬがれ多くの
文化財を所蔵している。

■写真は禅堂



■写真は書院と庫裡



現在の伽藍は寛永以後の再興で 永光寺様式として禅宗伽藍
の一典型を保っています。 本堂にある襖書は幕末三舟の
一人である山岡鉄舟居士が明治十八年に寄贈したもので、
数ある居士の書の中でも最高傑作として有名です。

このように永光寺は幾多の盛衰を繰り返しながらも、多く
の方々に支えられ、瑩山紹瑾禅師以来およそ七百年の法燈、
そして、歴史的な文化財を守り続けている。

■写真は法堂

羽咋市永光寺紹介ページ
http://www.city.hakui.ishikawa.jp/sypher/www/section/detail.jsp?id=588

能登食祭市場(七尾市)

2013-11-01 04:29:24 | 日記


羽咋・七尾の観光スポット体験レポート その1(No.356)

金沢ボランティアガイド「まいどさん」16期生の勉強会
で羽咋・七尾を巡った。

◇能登食祭市場(七尾市)

美味と祭りの半島、能登の玄関口“七尾”。七尾フィッシ
ャーマンズ・ワーフ能登食祭市場は、天然の良港として古
くから栄えてきた能登最大の漁港・七尾港にあります。朝
どれの新鮮な海産物や能登の銘産品の販売、四季折々の能
登の祭りをはじめとした観光情報の提供、グルメが味わえ
るレストランやイベント広場もあり、能登の魅力がぎゅっ
と詰まった旅拠点、それが能登食祭市場です。

■写真は食祭市場



1Fには能登各地の味の「里山里海小路」、新鮮な海産物
の「能登生鮮市場」、名産品・工芸品の「能登銘産・工芸
館」、モントレージャズフェスティバルを記念する「モン
トレーホール、2Fには「能登グルメ館」がある。

■写真は能登生鮮市場



■写真は能登銘産・工芸館



■写真は1Fホール



さらに1Fには新鮮な海産物をその場で食べることのでき
るコーナーもある。

■写真は飲食コーナー

能登食祭市場ホームページ
http://www.shokusai.co.jp/index.html