植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

ひがし茶屋街の見どころ その1

2011-01-30 05:32:59 | 日記


ひがし茶屋街の見どころ その1

◇ひがし茶屋街の概況
ひがし茶屋街は文政三年(1820)に加賀藩がこの近辺に
点在していたお茶屋をここに集めて町割りしたもので、
今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある
古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯とも
し頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や
太鼓の音がこぼれてきます。金沢の人気スポットです。

平成13年に国の重要伝統的建造物保存地区に選定され、
「街並みの文化財」として保存策が進められています。


◇志摩(国指定重要文化財)
「志摩」は、文政三年(1820)に建てられたお茶屋の建
物で、これまで手を加えることなく、江戸時代そのまま
に残っており、学術的にも貴重な文化遺産として高く評
価されている。
お茶屋は、2階を客間とし、押し入れや物入れ等は作らず、
あくまでも遊興を主体とした粋な造りとなっている。

◇懐華楼
懐華楼は、ひがし茶屋街の中ほどにある金沢で一番大き
な築180年のお茶屋(旧越濱)です。昼は、一般に広く公
開され、夜は一見さんお断りを通して、今もなお一客一
亭で華やかなお座敷が上げられています。

■写真はひがし茶屋街

長町界隈の見どころ その2

2011-01-28 04:52:06 | 日記


長町界隈の見どころ その2

◇高田家跡
旧加賀藩主 高田家跡は長町武家屋敷跡の中級武士高田
家の屋敷跡に藩政時代の長屋門を修復したものです。
旧加賀藩主 高田家跡の池泉回遊式庭園が見事です。

◇大野庄用水
犀川を水源として長町を流れる用水で、古くから人々の
生活の場で重要な役割を果たしてきました。武家屋敷の
土塀を背に流れる用水は、昔と変わらない風情と情緒を
感じられます。

◇金沢市足軽資料館
長町武家屋敷の一角に足軽屋敷を2棟移築再現した金沢
足軽資料館があります。金沢足軽資料館の館内では足軽
の生活用品が展示されています。

◇長町武家屋敷休憩館
観光ボランティアガイド「まいどさん」が常駐してい
ます。休憩室や観光案内コーナーがあります。鉄、ス
テンレスなどの現代的な素材を用いて、武家屋敷のた
たずまいが感じられるユニークな建物です。
事前予約、当日予約で親切に無料で案内をしてくれます。
お気軽に申し込みください。

■写真は大野庄用水

長町界隈の見どころ その1

2011-01-26 04:46:22 | 日記


◇長町の由来
長町は前田八家の1つ長氏の屋敷があったことから名
付けられました。
現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級
武士から中級、下級武士などが住んでいました。現在
では、当時の武家屋敷は殆ど残っていませんがその中
で中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子
を伺うことができます。

◇前田土佐守家資料館
前田土佐守家資料館は、加賀藩祖前田利家の次男前田
利政を家祖とする前田土佐守家所蔵の資料、約9,000点
(石川県指定文化財)を保管、その一部を展示する施
設です。

◇金沢市老舗記念館
天正7年開業の薬舗「中屋」を移築したこの記念館は
藩政時代の面影を今に伝える建物です。1階には当時
の店先を再現した「みせの間」があり、座卓、そろば
ん、帳簿などが商いの様子を伝えています。2階には
金沢の伝統産業、町民文化に関する資料が展示されて
います。

◇武家屋敷跡野村家
1583年(天正11年)金沢城に入場した藩祖前田利家の直臣
として従ったのが野村伝兵衛信貞。
明治3年の廃藩まで12代に渡って1000坪の屋敷を拝領し
た野村家(1200石)の屋敷跡。樹齢400年以上といわれる
山桃の木や、曲水・落水・名石を配した庭園は見応えが
ある。
残念ながら屋敷は取り壊されて、北前船の商人の豪邸の
一部を移築したもの。

■写真は武家屋敷跡のこもかけ

兼六園のみどころ その4

2011-01-23 05:08:56 | 日記


◇辰巳用水(たつみようすい)
寛永9年(1632)に、3代藩主・利常(としつね)が、金
沢城の防火用水を確保するためなどに設置した用水で、
後に兼六園の曲水として用いられることとなりました。
用水の取り入れは、金沢の南を流れる犀川の上流で、
本園から約10km離れた上辰巳町にあります。今も昔も
変わらず園内に水を運んで、渓流や滝、池泉など美し
い庭景を保っています。

◇兼六園の花、樹木

兼六園では季節により様々な花が楽しめる。おもなも
のは、ツバキ、サザンカ、冬桜、梅、マンサク、ソメ
イヨシノ、ツツジ、カキツバタ、サツキ、ハギ、キキ
ョウ、フジバカマ、キンモクセイ他です。
また兼六園の樹木は183種8,750本もあり、サツ
キ・つつじ1462本、松585本、椿515本、桜420本、もみ
じ・楓344本、梅208本などとなっている。

■写真は兼六園花見橋付近のあやめ

◎兼六園ホームページ
http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/index.html
◎兼六園散策コース地図
http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/course.html

兼六園の見どころ その3

2011-01-20 05:49:26 | 日記


◇夕顔亭(ゆうがおてい)
瓢池のそばにたたずむ茶室。兼六園内の建物の中で
最も古い。安永3(1774)年に11代藩主治脩が建てた
12坪の中に2棟3室ある。茶室内の壁に夕顔(瓢箪の
古名)の透彫りがある。

◇雪吊り
11月から園内の松などに、恒例の「雪吊り」作業が
始まる。これは北陸特有の重たい雪で枝が折れるの
を防ぐためのもの。木の頂点から傘のように広げら
れた縄は、美しい幾何学模様を描き、兼六園の冬の
風景に見事なアクセントを加えている。中でも園内
随一の枝ぶりを誇る「唐崎松」の雪吊りは圧巻。

◇雁行橋(がんこうばし)
11枚の赤戸室石を使用し、雁が夕空に列をなして飛
んでいく様をかたどった「雁行橋」。石の一枚一枚が
亀の甲の形をしていることから「亀甲橋」とも言われ、
この橋を渡ると長生きするとされてきましたが、現在
は石の磨耗が著しいため、通行できなくなっています。

■写真は雪吊り

兼六園の見どころ その2

2011-01-18 05:12:14 | 日記


◇霞ヶ池ことじ灯籠
言わずと知れた兼六園のシンボル。兼六園にを訪
れたら見逃すわけにはいきません。片足だけを池
の中に入れた二本足の灯籠で、高さは2.67メート
ル。前方にある虹橋を琴に見立てると、後方の灯
籠が琴の絃(いと)を支える駒に見えるので、徽
軫(ことじ=琴柱)と名付けられた。記念写真の
スポットとしては最適。

◇噴水(ふんすい)
日本で最初にできたと言われる噴水。霞ヶ池から
の水圧だけで約3.5メートル上がっている。文久元
(1861)年に13代藩主斉泰が、金沢城内の二の丸
に水を引くために試作させたと言われる。

◇唐崎松(からさきのまつ)
13代藩主斉泰が近江・琵琶湖畔の唐崎から種子を
取り寄せて育てた黒松。園内一の枝ぶりで、冬の名
物「雪吊り」は11月にこの松から作業を開始する。

■写真は噴水

兼六園の見どころ その1

2011-01-15 07:06:04 | 日記


◇兼六園の概況

兼六園は、江戸時代の回遊林泉式庭園の特徴を今
日に残す代表的名園で、水戸の偕楽園、岡山の後
楽園とともに日本の三名園と称されている。築庭
は延宝3年(1676)加賀5代藩主綱紀に始まり、約
170年を費やした。宏大・幽邃・人力・蒼古・
水泉・眺望の六勝を兼ね備えるという意味から命
名された。

明治6年(1871)国指定の公園にとなり、大正11
年(1922)には国の名勝に指定され、昭和60年
(1985)には庭園の国宝ともいえる「特別名勝」に
格上げされました。

灯籠、雁行橋、霞ヶ池など見どころ多数。サクラ
やカキツバタ、紅葉、雪吊りと四季折々の美しさ
が楽しめる。

■写真は初夏の兼六園

金沢城公園の見どころ その4

2011-01-12 05:07:40 | 日記


◇本丸跡
金沢城には現在天守閣(本丸)は無くどこかさみ
しいが、歴史を探ると慶長7(1602)年、落雷により
天守閣が焼失した後、天守閣は再建されず、本丸
には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。
寛永8(1631)年の火災、また宝暦9(1759)年の火災
では、城のほとんどを焼失し、その後の再建では、
実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行わ
れ、本丸の櫓は再建されませんでした。

◇白鳥路
金沢城の白鳥堀は、石川門脇から新丸の尾坂門(お
さかもん)にかけての堀がそうでした。白鳥堀は江
戸城でも見られ、堀の名前は、敵の進入を察知す
るために、堀に水鳥を放したことによるといわれ
ています。金沢城の場合、寛文の頃に白鳥を放し
たと文献が残っています。この堀は、明治時代末
期に埋め立てられてしまい、現在は、市民の憩い
と散策の道、白鳥路となっています。

次は兼六園です。

■写真は白鳥路の金沢三文豪の像

金沢城公園の見どころ その3

2011-01-08 04:50:07 | 日記
◇石垣の宝庫
金沢城ほど多種多様の石垣が存在する城は全国に
例がありません。城の外まわりには野趣に富む高
石垣を配し、藩主の住む御殿や庭園まわりには芸
術的ともいえるデザイン感覚にあふれる石垣群(
「数寄の石垣」)が築かれました。このように場
所により石垣様式を使い分けたことと、江戸時代
を通じて、火災や地震被害に対する修築が繰り返
されたこととがその理由です。

積み方は基本的下記の3種類です。



1、野面(のずら)積み

野面積みは、石切場から採取した自然石のままの
石材を積み上げた、自然石積みです。これは、金
沢城石垣の最初の頃のもので、現存するのは文禄
年間(1592~1596)に建造されたと推定されるの
で、文禄石垣とも呼ばれています。

■写真は
文禄石垣、金沢城の本丸丑寅櫓下、東の丸、北面
石垣、google画像



2、打ち込みハギ積み
打ち込みハギは、割石積み(わりいしづみ)や粗
加工石積み(そかこういしづみ)のことで、慶長
年間(1596~1615)から元和年間(1615~1624)
に建造されたと推定され、慶長石垣、元和石垣と
呼ばれています。

■写真は
慶長石垣、金沢城の本丸南面石垣、google画像



3、切り込みハギ積み
切り込みハギは、 切石積み(きりいしづみ)の
ことで、寛永8年(1631)の金沢城の大火後に
新たに登場しています。寛永年間(1624~1644)
加賀4代藩主、前田光高の頃に建造されたと推定
され、寛永石垣と呼ばれています。

■写真は
寛永石垣、金沢城の石川門枅形内、正面の東面石
垣、google画像


金沢城公園の見どころ その2

2011-01-04 13:35:13 | 日記



◇石川門
金沢城の代表的遺構の一つで、城の搦手門(裏門)
で石川郡の方向に向いているので、門の名前が付
けられた。利家入城する前からありましたが、現
在の建物は、11代藩主冶脩(はるなが)により
天明8年(1788)に再建されたものです。
石川門の特色の一つは、厚さ4~7mmの鉛で葺
いてある瓦です。鉛は年を経ると変色して白く美
しく見えます。昭和10年に国宝に指定され、昭
和34年に解体修理が完成した。 

◇菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓(復元)
平成13年に復元され、明治以降に建てられた木
造城郭建造物としては全国最大規模で、木造軸組
工法復元された建物自体の他、各種模型も楽しめ
る。 

◇三十間長屋
安政5年(1858)に再建された長屋で、二層二階
の多聞櫓で、金沢城に現存する長屋建築としては
唯一のものです。宝暦の大火(1759)で焼失した
後、100年近くたって再建されました。現在の長さ
は26間半です。昭和32年重要文化財に指定さ
れている。

◇河北門(復元)
平成22年復元された「河北門」は、河北坂を上が
ったところに位置する「三の丸の正面」であり、金
沢城の実質的な正門です。「石川門」と「橋爪門」
と共に「金沢城三御門」と呼ばれている。
宝暦の大火(1759)の後、三御門の中で最初に安永
元年(1772)に再建された重要な門です。

■写真は春の石川門

金沢城公園の見どころ その1

2011-01-01 06:18:32 | 日記


明けましておめでとうございます。

昨年末から開設した植ちゃんの「金沢・いしかわ
に恋をしました!」今年もあせらず更新してまい
りますので見てください。

金沢城公園の見どころ その1

金沢城は1580(天正8)年佐久間盛政が領主になっ
てはじまるが、1583(天正11)年前田利家が入城
し14代慶寧(よしやす)まで「加賀百万石」で知
られる前田家の居城となった。金沢城下は300年に
渡り一家の有力大名のもとで連綿として繁栄し、
明治維新を迎えたのである。

のち、明治は陸軍歩兵七連隊、第九師団司令部が
使用し、昭和24年に新制金沢大学として開学、
兵舎などは校舎に改造された。平成元年より大学
が移転し、平成8年より城跡の一部が一般に開放
された。

金沢城公園は東京ドームの5倍(28.5ha)と広大
で、再建した河北門、菱櫓、五十間長屋、橋爪門
続櫓のほか、既存の石川門、三十間長屋も含めた
歴史的な史跡公園になっている。

■写真は2010年に再現された河北門