カナ文字文庫(漢字廃止論)

日本文学の名作などをカナ書きに改めて掲載。

ある オンナ (コウヘン 10)

2021-03-05 | アリシマ タケオ
 39

 ジュンサ の セイフク は イッキ に ナツフク に なった けれども、 その トシ の キコウ は ひどく フジュン で、 その シロフク が うらやましい ほど あつい とき と、 キノドク な ほど ワルビエ の する ヒ が いれかわり たちかわり つづいた。 したがって セイウ も さだめがたかった。 それ が どれほど ヨウコ の ケンコウ に さしひびいた か しれなかった。 ヨウコ は たえず ヨウブ の フユカイ な ドンツウ を おぼゆる に つけ、 あつくて くるしい ズツウ に なやまされる に つけ、 なにひとつ カラダ に モウシブン の なかった 10 ダイ の ムカシ を おもいしのんだ。 セイウ カンショ と いう よう な もの が これほど キブン に エイキョウ する もの とは おもい も よらなかった ヨウコ は、 ネオキ の テンキ を ナニ より も キ に する よう に なった。 キョウ こそ は イチニチ キ が はればれ する だろう と おもう よう な ヒ は 1 ニチ も なかった。 キョウ も また つらい イチニチ を すごさねば ならぬ と いう その いまわしい ヨソウ だけ でも ヨウコ の キブン を そこなう には ジュウブン-すぎた。
 5 ガツ の ハジメゴロ から ヨウコ の イエ に かよう クラチ の アシ は だんだん とおのいて、 ときどき どこ へ とも しれぬ タビ に でる よう に なった。 それ は クラチ が ヨウコ の しつっこい イドミ と、 はげしい シット と、 リフジン な カンペキ の ホッサ と を さける ばかり だ とは ヨウコ ジシン に さえ おもえない フシ が あった。 クラチ の いわゆる ジギョウ には ナニ か かなり チメイテキ な ウチバワレ が おこって、 クラチ の チカラ でも それ を どう する こと も できない らしい こと は おぼろげ ながら ヨウコ にも わかって いた。 サイケンシャ で ある か、 ショウバイ ナカマ で ある か、 とにかく そういう モノ を さける ため に フイ に クラチ が スガタ を かくさねば ならぬ らしい こと は たしか だった。 それにしても クラチ の ソエン は ひたすら に ヨウコ には にくかった。
 ある とき ヨウコ は はげしく クラチ に せまって その シゴト の ナイヨウ を すっかり うちあけさせよう と した。 クラチ の ジョウジン で ある ヨウコ が クラチ の ミ に ダイジ が ふりかかろう と して いる の を しりながら、 それ に ジョリョク も しえない と いう ホウ は ない、 そう いって ヨウコ は せがみ に せがんだ。
「これ ばかり は オンナ の しった こと じゃ ない わい。 オレ が くらいこんで も オマエ には トバッチリ が いく よう には したく ない で、 うちあけない の だ。 どこ に いって も しらない しらない で イッテンバリ に とおす が いい ぜ。 ……ニド と ききたい と せがんで みろ、 オレ は うそほんなし に オマエ とは テ を きって みせる から」
 その サイゴ の コトバ は クラチ の ヘイゼイ に にあわない おもくるしい ヒビキ を もって いた。 ヨウコ が イキ を つめて それ イジョウ を どうしても せまる こと が できない と ダンネン する ほど おもくるしい もの だった。 マサイ の コトバ から はんじて も、 それ は オンナデ など では じっさい どう する こと も できない もの らしい ので ヨウコ は これ だけ は ダンネン して クチ を つぐむ より シカタ が なかった。
 ダラク と いわれよう と、 フテイ と いわれよう と、 ヒトデ を まって いて は とても ジブン の おもう よう な ミチ は ひらけない と ミキリ を つけた ホンノウテキ の ショウドウ から、 しらずしらず ジブン で えらびとった ミチ の ユクテ に メ も くらむ よう な ミライ が みえた と ウチョウテン に なった エノシママル の ウエ の デキゴト イライ 1 ネン も たたない うち に、 ヨウコ が イノチ も ナ も ささげて かかった あたらしい セイカツ は みるみる ドダイ から くさりだして、 もう イマ は イチジン の カゼ さえ ふけば、 さしも の コウロウ も もんどりうって チジョウ に くずれて しまう と おもいやる と、 ヨウコ は しばしば シンケン に ジサツ を かんがえた。 クラチ が タビ に でた ルス に クラチ の ゲシュク に いって 「キュウヨウ あり すぐ かえれ」 と いう デンポウ を その ユクサキ に うって やる。 そして ジブン は こころしずか に クラチ の ネドコ の ウエ で ヤイバ に ふして いよう。 それ は ジブン の イッショウ の マクギレ と して は、 いちばん ふさわしい コウイ らしい。 クラチ の ココロ にも まだ ジブン に たいする アイジョウ は もえかすれながら も のこって いる。 それ が この サイゴ に よって イットキ なり とも うつくしく もえあがる だろう。 それ で いい、 それ で ジブン は マンゾク だ。 そう ココロ から なみだぐみながら おもう こと も あった。
 じっさい クラチ が ルス の はず の ある ヨ、 ヨウコ は ふらふら と ふだん クウソウ して いた その ココロモチ に きびしく とらえられて ゼンゴ も しらず イエ を とびだした こと が あった。 ヨウコ の ココロ は キンチョウ しきって テンキ なの やら くもって いる の やら、 あつい の やら さむい の やら さらに サベツ が つかなかった。 さかん に ハムシ が とびかわして オウライ の ジャマ に なる の を かすか に イシキ しながら、 イエ を でて から コハンチョウ ウラザカ を おりて いった が、 ふと ジブン の カラダ が よごれて いて、 この サン、 ヨッカ ユ に はいらない こと を おもいだす と、 しんだ アト の ミニクサ を おそれて そのまま イエ に とって かえした。 そして イモウト たち だけ が はいった まま に なって いる ユドノ に しのんで いって、 さめかけた フロ に つかった。 イモウト たち は とうに ねいって いた。 テヌグイカケ の タケザオ に ぬれた テヌグイ が フタスジ だけ かかって いる の を みる と、 ねいって いる フタリ の イモウト の こと が ひしひし と ココロ に せまる よう だった。 ヨウコ の ケッシン は しかし その くらい の こと では うごかなかった。 カンタン に ミジマイ を して また イエ を でた。
 クラチ の ゲシュク ちかく なった とき、 その ゲシュク から イソギアシ で でて くる セタケ の ひくい マルマゲ の オンナ が いた。 ヨル の こと では あり、 その ヘン は ガイトウ の ヒカリ も くらい ので、 ヨウコ には さだか に それ と わからなかった が、 どうも ソウカクカン の オカミ らしく も あった。 ヨウコ は かっと なって アシバヤ に その アト を つけた。 フタリ の アイダ は ハンチョウ とは はなれて いなかった。 だんだん フタリ の アイダ の キョリ が ちぢまって いって、 その オンナ が ガイトウ の シタ を とおる とき など に キ を つけて みる と どうしても おもった とおり の オンナ らしかった。 さては イマ まで あの オンナ を マショウジキ に しんじて いた ジブン は まんまと いつわられて いた の だった か。 クラチ の ツマ に たいして も ギリ が たたない から、 コンヤ イゴ ヨウコ とも クラチ の ツマ とも カンケイ を たつ。 わるく おもわない で くれ と たしか に そう いった、 その ギキョウ-らしい クチグルマ に まんまと のせられて、 イマ まで シュショウ な オンナ だ と ばかり おもって いた ジブン の オロカサ は どう だ。 ヨウコ は そう おもう と メ が まわって その バ に たおれて しまいそう な クヤシサ オソロシサ を かんじた。 そして オンナ の カタチ を めがけて よろよろ と なりながら かけだした。 その とき オンナ は その ヘン に ツジマチ を して いる クルマ に のろう と する ところ だった。 とりにがして なる もの か と、 ヨウコ は ヒタハシリ に はしろう と した。 しかし アシ は おもう よう に はかどらなかった。 さすが に その シズケサ を やぶって コエ を たてる こと も はばかられた。 もう 10 ケン と いう くらい の ところ まで きた とき クルマ は がらがら と オト を たてて ジャリミチ を うごきはじめた。 ヨウコ は いきせききって それ に おいつこう と あせった が、 みるみる その キョリ は とおざかって、 ヨウコ は スギモリ で かこまれた さびしい クラヤミ の ナカ に ただ ヒトリ とりのこされて いた。 ヨウコ は なんと いう こと なく その ツジグルマ の いた ところ まで いって みた。 1 ダイ より いなかった ので とびのって アト を おう べき クルマ も なかった。 ヨウコ は ぼんやり そこ に たって、 そこ に ジ でも かきのこして ある か の よう に、 くらい ジメン を じっと みつめて いた。 たしか に あの オンナ に ちがいなかった。 セイカッコウ と いい、 マゲ の カタチ と いい、 コキザミ な アルキブリ と いい、 ……あの オンナ に ちがいなかった。 リョコウ に でる と いった クラチ は ウタガイ も なく ウソ を つかって ゲシュク に くすぶって いる に ちがいない。 そして あの オンナ を ナコウド に たてて センサイ との ヨリ を もどそう と して いる に きまって いる。 それ に なんの フシギ が あろう。 ナガネン つれそった ツマ では ない か。 かわいい 3 ニン の ムスメ の ハハ では ない か。 ヨウコ と いう もの に イチニチ イチニチ うとく なろう と する クラチ では ない か。 それ に なんの フシギ が あろう。 ……それにしても あまり と いえば あまり な シウチ だ。 なぜ それなら そう と あきらか に いって は くれない の だ。 いって さえ くれれば ジブン に だって こいする オトコ に たいして の おんならしい カクゴ は ある。 わかれろ と ならば きれいさっぱり と わかれて も みせる。 ……なんと いう フミツケカタ だ。 なんと いう ハジサラシ だ。 クラチ の ツマ は おおそれた テイジョ-ぶった カオ を ふるわして、 ナミダ を ながしながら、 「それでは オヨウ さん と いう カタ に オキノドク だ から、 ワタシ は もう ない もの と おもって くださいまし……」 ……みて いられぬ、 きいて いられぬ。 ……ヨウコ と いう オンナ は どんな オンナ だ か、 コンヤ こそ は クラチ に しっかり おもいしらせて やる……。
 ヨウコ は よった もの の よう に ふらふら した アシドリ で そこ から ひきかえした。 そして ゲシュクヤ に きついた とき には、 イキグルシサ の ため に コエ も でない くらい に なって いた。 ゲシュク の オンナ たち は ヨウコ を みる と 「また あの キチガイ が きた」 と いわん ばかり の カオ を して、 その ヨ の ヨウコ の ことさら に とりつめた カオイロ には チュウイ を はらう イトマ も なく、 その バ を はずして スガタ を かくした。 ヨウコ は そんな こと には キ も かけず に ものすごい エガオ で ことさららしく チョウバ に いる オトコ に ちょっと アタマ を さげて みせて、 そのまま ふらふら と ハシゴダン を のぼって いった。 ここ が クラチ の ヘヤ だ と いう その フスマ の マエ に たった とき には、 ヨウコ は ナキゴエ に キ が ついて おどろいた ほど、 われしらず すすりあげて ないて いた。 ミ の ハメツ、 コイ の ハメツ は コンヤ の イマ、 そう おもって あらあらしく フスマ を ひらいた。
 ヘヤ の ナカ には アンガイ にも クラチ は いなかった。 スミ から スミ まで かたづいて いて、 クラチ の あの キョウレツ な ハダ の ニオイ も さらに のこって は いなかった。 ヨウコ は おもわず ふらふら と よろけて、 なきやんで、 ヘヤ の ナカ に たおれこみながら アタリ を みまわした。 いる に ちがいない と ヒトリギメ を した ジブン の モウソウ が やぶれた と いう キ は すこしも おこらない で、 たしか に いた モノ が とつぜん とけて しまう か どう か した よう な キミ の わるい フシギサ に おそわれた。 ヨウコ は すっかり キヌケ が して、 カミ も エモン も とりみだした まま ヨコズワリ に すわった きり で ぼんやり して いた。
 アタリ は シンザン の よう に しーん と して いた。 ただ ヨウコ の メノマエ を うるさく いったり きたり する くろい カゲ の よう な もの が あった。 ヨウコ は ナニモノ と いう フンベツ も なく ハジメ は ただ うるさい と のみ おもって いた が、 シマイ には こらえかねて テ を あげて しきり に それ を おいはらって みた。 おいはらって も おいはらって も その うるさい くろい カゲ は メノマエ を たちさろう とは しなかった。 ……しばらく そうして いる うち に ヨウコ は サムケ が する ほど ぞっと おそろしく なって キ が はっきり した。
 キュウ に アタリ には さわがしい ゲシュクヤ-らしい ザツオン が きこえだした。 ヨウコ を うるさがらした その くろい カゲ は みるみる ちいさく とおざかって、 デントウ の シュウイ を きりきり と まいはじめた。 よく みる と それ は おおきな くろい ヨガ だった。 ヨウコ は カミガカリ が はなれた よう に きょとん と なって、 フシギ そう に イズマイ を ただして みた。
 どこ まで が シンジツ で、 どこ まで が ユメ なん だろう……。
 ジブン の イエ を でた、 それ に マチガイ は ない。 トチュウ から とって かえして フロ を つかった、 ……なんの ため に? そんな バカ な こと を する はず が ない。 でも イモウト たち の テヌグイ が フタスジ ぬれて テヌグイカケ の タケザオ に かかって いた、 (ヨウコ は そう おもいながら ジブン の カオ を なでたり、 テノコウ を しらべて みたり した。 そして たしか に ユ に はいった こと を しった) それなら それ で いい。 それから ソウカクカン の オカミ の アト を つけた の だった が、 ……あの ヘン から ユメ に なった の かしらん。 あすこ に いる ガ を もやもや した くろい カゲ の よう に おもったり して いた こと から かんがえて みる と、 イマイマシサ から ジブン は おもわず セタケ の ひくい オンナ の ゲンエイ を みて いた の かも しれない。 それにしても いる はず の クラチ が いない と いう ホウ は ない が…… ヨウコ は どうしても ジブン の して きた こと に はっきり レンラク を つけて かんがえる こと が できなかった。
 ヨウコ は…… ジブン の アタマ では どう かんがえて みよう も なくなって、 ベル を おして バントウ に きて もらった。
「あのう、 アト で この ガ を おいだして おいて ください な…… それから ね、 サッキ…… と いった ところ が どれほど マエ だ か ワタシ にも はっきり しません がね、 ここ に 30-カッコウ の マルマゲ を ゆった オンナ の ヒト が みえました か」
「コチラサマ には ドナタ も おみえ には なりません が……」
 バントウ は ケゲン な カオ を して こう こたえた。
「コチラサマ だろう が ナン だろう が、 そんな こと を きく ん じゃ ない の。 この ゲシュクヤ から そんな オンナ の ヒト が でて いきました か」
「さよう…… へ、 1 ジカン ばかり マエ なら オヒトリ おかえり に なりました」
「ソウカクカン の オカミサン でしょう」
 ズボシ を さされたろう と いわん ばかり に ヨウコ は わざと オウヨウ な タイド を みせて こう きいて みた。
「いいえ そう じゃ ございません」
 バントウ は アンガイ にも そう きっぱり と いいきって しまった。
「それじゃ ダレ」
「とにかく ホカ の オヘヤ に おいで なさった オキャクサマ で、 テマエドモ の ショウバイジョウ オナマエ まで は もうしあげかねます が」
 ヨウコ も コノウエ の モンドウ の ムエキ なの を しって そのまま バントウ を かえして しまった。
 ヨウコ は もう ナニモノ も シンヨウ する こと が できなかった。 ホントウ に ソウカクカン の オカミ が きた の では ない らしく も あり、 バントウ まで が クラチ と グル に なって いて しらじらしい ウソ を はいた よう にも あった。
 ナニゴト も アテ には ならない。 ナニゴト も ウソ から でた マコト だ。 ……ヨウコ は ホントウ に いきて いる こと が いや に なった。
 ……そこ まで きて ヨウコ は はじめて ジブン が イエ を でて きた ホントウ の モクテキ が ナン で ある か に きづいた。 スベテ に つまずいて、 スベテ に みかぎられて、 スベテ を みかぎろう と する、 くるしみぬいた ヒトツ の タマシイ が、 キョム の セカイ の マボロシ の ナカ から きえて ゆく の だ。 そこ には なんの ミレン も シュウチャク も ない。 うれしかった こと も、 かなしかった こと も、 かなしんだ こと も、 くるしんだ こと も、 ひっきょう は ミズ の ウエ に ういた アワ が また はじけて ミズ に かえる よう な もの だ。 クラチ が、 シガイ に なった ヨウコ を みて なげこう が なげくまい が、 その クラチ さえ マボロシ の カゲ では ない か。 ソウカクカン の オカミ だ と おもった ヒト が、 タニン で あった よう に、 タニン だ と おもった その ヒト が、 あんがい ソウカクカン の オカミ で ある かも しれない よう に、 いきる と いう こと が それ ジシン ゲンエイ で なくって ナン で あろう。 ヨウコ は さめきった よう な、 ねむりほうけて いる よう な イシキ の ナカ で こう おもった。 しんしん と ソコ も しらず すみとおった ココロ が ただ ヒトツ ぎりぎり と シ の ほう に はたらいて いった。 ヨウコ の メ には ヒトシズク の ナミダ も やどって は いなかった。 ミョウ に さえて おちつきはらった ヒトミ を しずか に はたらかして、 ヘヤ の ナカ を しずか に みまわして いた が、 やがて ムユウビョウシャ の よう に たちあがって、 トダナ の ナカ から クラチ の シング を ひきだして きて、 それ を ヘヤ の マンナカ に しいた。 そして しばらく の アイダ その ウエ に しずか に すわって メ を つぶって みた。 それから また たちあがって まったく ムカンジョウ な カオツキ を しながら、 もう イチド トダナ に いって、 クラチ が しじゅう ミヂカ に そなえて いる ピストル を あちこち と たずねもとめた。 シマイ に それ が ホンバコ の ヒキダシ の ナカ の イクツウ か の テガミ と、 カキソコネ の ショルイ と、 4~5 マイ の シャシン と が ごっちゃ に しまいこんで ある その ナカ から あらわれでた。 ヨウコ は ミョウ に ムカンシン な ココロモチ で それ を テ に とった。 そして おそろしい もの を とりあつかう よう に それ を カラダ から はなして ミギテ に ぶらさげて ネドコ に かえった。 そのくせ ヨウコ は ツユ ほど も その キョウキ に オソレ を いだいて いる わけ では なかった。 ネドコ の マンナカ に すわって から ピストル を ヒザ の ウエ に おいて テ を かけた まま しばらく ながめて いた が、 やがて それ を とりあげる と ムネ の ところ に もって きて ケイトウ を ひきあげた。
 きりっ
と ハギレ の いい オト を たてて ダントウ が すこし カイテン した。 ドウジ に ヨウコ の ゼンシン は デンキ を かんじた よう に びりっと おののいた。 しかし ヨウコ の ココロ は ミズ が すんだ よう に ゆるがなかった。 ヨウコ は そうした まま ピストル を また ヒザ の ウエ に おいて じっと ながめて いた。
 ふと ヨウコ は ただ ヒトツ しのこした こと の ある の に キ が ついた。 それ が ナン で ある か を ジブン でも はっきり とは しらず に、 いわば ナニモノ か の よぎない メイレイ に フクジュウ する よう に、 また ネドコ から たちあがって トダナ の ナカ の ホンバコ の マエ に いって ヒキダシ を あけた。 そして そこ に あった シャシン を テイネイ に 1 マイ ずつ とりあげて しずか に ながめる の だった。 ヨウコ は こころひそか に ナニ を して いる ん だろう と ジブン の シウチ を あやしんで いた。
 ヨウコ は やがて ヒトリ の オンナ の シャシン を みつめて いる ジブン を みいだした。 ながく ながく みつめて いた。 ……その うち に、 ハクチ が どうか して だんだん マニンゲン に かえる とき は そう も あろう か と おもわれる よう に、 ヨウコ の ココロ は しずか に しずか に ジブン で はたらく よう に なって いった。 オンナ の シャシン を みて どう する の だろう と おもった。 はやく しななければ いけない の だ が と おもった。 いったい その オンナ は ダレ だろう と おもった。 ……それ は クラチ の ツマ の シャシン だった。 そう だ クラチ の ツマ の わかい とき の シャシン だ。 なるほど うつくしい オンナ だ。 クラチ は イマ でも この オンナ に ミレン を もって いる だろう か。 この ツマ には 3 ニン の かわいい ムスメ が ある の だ。 「イマ でも ときどき おもいだす」 そう クラチ の いった こと が ある。 こんな シャシン が いったい この ヘヤ なんぞ に あって は ならない の だ が。 それ は ホントウ に ならない の だ。 クラチ は まだ こんな もの を ダイジ に して いる。 この オンナ は いつまでも クラチ に かえって こよう と まちかまえて いる の だ。 そして まだ この オンナ は いきて いる の だ。 それ が マボロシ な もの か。 いきて いる の だ、 いきて いる の だ。 ……しなれる か、 それ で しなれる か。 ナニ が マボロシ だ、 ナニ が キョム だ。 この とおり この オンナ は いきて いる では ない か…… あやうく…… あやうく ジブン は クラチ を アンド させる ところ だった。 そして この オンナ を…… この まだ ショウ の ある この オンナ を よろこばせる ところ だった。
 ヨウコ は イッセツナ の チガイ で シ の サカイ から すくいだされた ヒト の よう に、 キョウキ に ちかい ヒョウジョウ を カオ イチメン に みなぎらして さける ほど メ を みはって、 シャシン を もった まま とびあがらん ばかり に つったった が、 キュウ に おそいかかる やるせない シット の ジョウ と フンヌ と に おそろしい ギョウソウ に なって、 ハガミ を しながら、 シャシン の イッタン を くわえて、 「いい……」 と いいながら、 ソウシン の チカラ を こめて マフタツ に さく と、 いきなり ネドコ の ウエ に どうと たおれて、 ものすごい サケビゴエ を たてながら、 ナミダ も ながさず に さけび に さけんだ。
 ミセ の モノ が あわてて ヘヤ に はいって きた とき には、 ヨウコ は しおらしい ヨウス を して、 ピストル を トコ の シタ に かくして しまって、 しくしく と ホントウ に ないて いた。
 バントウ は やむ を えず、 テレカクシ に、
「ユメ でも ゴラン に なりました か、 タイソウ な オコエ だった もの です から、 つい ゴアンナイ も いたさず とびこんで しまいまして」
と いった。 ヨウコ は、
「ええ ユメ を みました。 あの くろい ガ が わるい ん です。 はやく おいだして ください」
 そんな ワケ の わからない こと を いって、 ようやく ナミダ を おしぬぐった。
 こういう ホッサ を くりかえす たび ごと に、 ヨウコ の カオ は くらく ばかり なって いった。 ヨウコ には、 イマ まで ジブン が かんがえて いた セイカツ の ホカ に、 もう ヒトツ フカシギ な セカイ が ある よう に おもわれて きた。 そして ややともすれば その リョウホウ の セカイ に でたり はいったり する ジブン を みいだす の だった。 フタリ の イモウト たち は ただ はらはら して アネ の キョウボウ な フルマイ を みまもる ホカ は なかった。 クラチ は アイコ に ハモノ など に チュウイ しろ と いったり した。
 オカ の きた とき だけ は、 ヨウコ の キゲン は しずむ よう な こと は あって も キョウボウ に なる こと は たえて なかった ので、 オカ は イモウト たち の コトバ に さして オモキ を おいて は いない よう に みえた。

 40

 6 ガツ の ある ユウガタ だった。 もう タソガレドキ で、 デントウ が ともって、 その シュウイ に おびただしく スギモリ の ナカ から ちいさな ハムシ が あつまって うるさく とびまわり、 ヤブカ が すさまじく なきたてて ノキサキ に カバシラ を たてて いる コロ だった。 シバラクメ で きた クラチ が、 ハリダシ の ヨウコ の ヘヤ で サケ を のんで いた。 ヨウコ は やせほそった カタ を ヒトエモノ の シタ に とがらして、 シンケイテキ に エリ を ぐっと かきあわせて、 きちんと ゼン の ソバ に すわって、 きゃしゃ な ウチワ で サケ の カ に よりたかって くる カ を おいはらって いた。 フタリ の アイダ には もう モト の よう に こんこん と イズミ の ごとく わきでる ワダイ は なかった。 たまに ハナシ が すこし はずんだ と おもう と、 どちら に か さしさわる よう な コトバ が とびだして、 ぷつん と カイワ を とだやして しまった。
「サア ちゃん やはり ダダ を こねる か」
 ヒトクチ サケ を のんで、 タメイキ を つく よう に ニワ の ほう に むいて キ を はいた クラチ は、 ジブン で キブン を ひきたてながら おもいだした よう に ヨウコ の ほう を むいて こう たずねた。
「ええ、 シヨウ が なくなっちまいました。 この 4~5 ンチ ったら ことさら ひどい ん です から」
「そうした ジキ も ある ん だろう。 まあ たんと いびらない で おく が いい よ」
「ワタシ ときどき ホントウ に しにたく なっちまいます」
 ヨウコ は トテツ も なく サダヨ の ウワサ とは エン も ユカリ も ない こんな ひょんな こと を いった。
「そう だ オレ も そう おもう こと が ある て。 ……オチメ に なったら サイゴ、 ニンゲン は うきあがる が メンドウ に なる。 フネ でも が シンスイ しはじめたら ラチ は あかん から な。 ……したが、 オレ は まだ もう ヒトソリ そって みて くれる。 しんだ キ に なって、 やれん こと は ヒトツ も ない から な」
「ホントウ です わ」
 そう いった ヨウコ の メ は いらいら と かがやいて、 にらむ よう に クラチ を みた。
「マサイ の ヤツ が くる そう じゃ ない か」
 クラチ は また ワダイ を てんずる よう に こう いった。 ヨウコ が そう だ と さえ いえば、 クラチ は わりあい に ヘイキ で うけて 「こまった ヤツ に みこまれた もの だ が、 みこまれた イジョウ は シカタ が ない から、 ひもじがらない だけ の シムケ を して やる が いい」 と いう に ちがいない こと は、 ヨウコ に よく わかって は いた けれども、 イマ まで ヒミツ に して いた こと を なんとか いわれ や しない か との キヅカイ の ため か、 それとも クラチ が ヒミツ を もつ の なら こっち も ヒミツ を もって みせる ぞ と いう ハラ に なりたい ため か、 ジブン にも はっきり とは わからない ショウドウ に かられて、 なんと いう こと なし に、
「いいえ」
と こたえて しまった。
「こない?…… そりゃ オマエ イイカゲン じゃろう」
と クラチ は たしなめる よう な チョウシ に なった。
「いいえ」
 ヨウコ は ガンコ に いいはって ソッポ を むいて しまった。
「おい その ウチワ を かして くれ、 あおがず に いて は カ で たまらん…… こない こと が ある もの か」
「ダレ から そんな バカ な こと おきき に なって?」
「ダレ から でも いい わさ」
 ヨウコ は クラチ が また ハ に キヌ きせた モノ の イイカタ を する と おもう と かっと ハラ が たって ヘンジ も しなかった。
「ヨウ ちゃん。 オレ は オンナ の キゲン を とる ため に うまれて き は せん ぞ。 イイカゲン を いって あまく みくびる と よく は ない ぜ」
 ヨウコ は それでも ヘンジ を しなかった。 クラチ は ヨウコ の スネカタ に フカイ を もよおした らしかった。
「おい ヨウコ! マサイ は くる の か こん の か」
 マサイ の くる こない は ダイジ では ない が、 ヨウコ の キョゲン を テイセイ させず には おかない と いう よう に、 クラチ は つめよせて きびしく といせまった。 ヨウコ は ニワ の ほう に やって いた メ を かえして フシギ そう に クラチ を みた。
「いいえ と いったら いいえ と より イイヨウ は ありません わ。 アナタ の 『いいえ』 と ワタシ の 『いいえ』 は 『いいえ』 が ちがい でも します かしら」
「サケ も なにも のめる か…… オレ が ヒマ を ムリ に つくって ゆっくり くつろごう と おもうて くれば、 いらん こと に カド を たてて…… なんの クスリ に なる かい それ が」
 ヨウコ は もう ムネイッパイ かなしく なって いた。 ホントウ は クラチ の マエ に つっぷして、 ジブン は ビョウキ で しじゅう カラダ が ジユウ に ならない の が クラチ に キノドク だ。 けれども どうか すてない で あいしつづけて くれ。 カラダ が ダメ に なって も ココロ の つづく カギリ は ジブン は クラチ の ジョウジン で いたい。 そう より できない。 そこ を あわれんで せめては ココロ の マコト を ささげさして くれ。 もし クラチ が あからさま に いって くれ さえ すれば、 モト の サイクン を よびむかえて くれて も かまわない。 そして せめては ジブン を あわれんで なり あいして くれ。 そう タンガン が したかった の だ。 クラチ は それ に カンゲキ して くれる かも しれない。 オレ は オマエ も あいする が さった ツマ も すてる には しのびない。 よく いって くれた。 それなら オマエ の コトバ に あまえて あわれ な ツマ を よびむかえよう。 ツマ も さぞ オマエ の オウゴン の よう な ココロ には かんずる だろう。 オレ は ツマ とは カテイ を もとう。 しかし オマエ とは コイ を もとう。 そう いって なみだぐんで くれる かも しれない。 もし そんな バメン が おこりえたら ヨウコ は どれほど うれしい だろう。 ヨウコ は その シュンカン に、 うまれかわって、 ただしい セイカツ が ひらけて くる のに と おもった。 それ を かんがえた だけ で ムネ の ナカ から は うつくしい ナミダ が にじみだす の だった。 けれども、 そんな バカ を いう もの では ない、 オレ の あいして いる の は オマエ ヒトリ だ。 モト の ツマ など に オレ が ミレン を もって いる と おもう の が マチガイ だ。 ビョウキ が ある の なら さっそく ビョウイン に はいる が いい、 ヒヨウ は いくらでも だして やる から。 こう クラチ が いわない とも かぎらない。 それ は ありそう な こと だ。 その とき ヨウコ は ジブン の ココロ を たちわって マコト を みせた コトバ が、 ナサケ も ヨウシャ も オモイヤリ も なく、 ふみにじられ けがされて しまう の を みなければ ならない の だ。 それ は ジゴク の カシャク より も ヨウコ には たえがたい こと だ。 たとい クラチ が マエ の タイド に でて くれる カノウセイ が 99 あって、 アト の タイド を とりそう な カノウセイ が ヒトツ しか ない と して も、 ヨウコ には おもいきって タンガン を して みる ユウキ が でない の だ。 クラチ も クラチ で おなじ よう な こと を おもって くるしんで いる らしい。 なんとか して モト の よう な カケヘダテ の ない ヨウコ を みいだして、 だんだん と おちいって ゆく セイカツ の キュウキョウ の ウチ にも、 せめては しばらく なり とも ニンゲン-らしい ココロ に なりたい と おもって、 ヨウコ に ちかづいて きて いる の だ。 それ を どこまでも しりぬきながら、 そして ミ に つまされて ふかい ドウジョウ を かんじながら、 どうしても メン と むかう と ころしたい ほど にくまない では いられない ヨウコ の ココロ は ジブン ながら かなしかった。
 ヨウコ は クラチ の サイゴ の ヒトコト で その キュウショ に ふれられた の だった。 ヨウコ は クラチ の メノマエ で みるみる しおれて しまった。 なくまい と きばりながら イクド も おおしく ナミダ を のんだ。 クラチ は あきらか に ヨウコ の ココロ を かんじた らしく みえた。
「ヨウコ! オマエ は なんで コノゴロ そう よそよそしく して いなければ ならん の だ。 え?」
と いいながら ヨウコ の テ を とろう と した。 その シュンカン に ヨウコ の ココロ は ヒ の よう に おこって いた。
「よそよそしい の は アナタ じゃ ありません か」
 そう しらずしらず いって しまって、 ヨウコ は モギドウ に テ を ひっこめた。 クラチ を にらみつける メ から は あつい オオツブ の ナミダ が ぼろぼろ と こぼれた。 そして、
「ああ…… あ、 ジゴク だ ジゴク だ」
と ココロ の ウチ で ゼツボウテキ に せつなく さけんだ。
 フタリ の アイダ には またもや いまわしい チンモク が くりかえされた。
 その とき ゲンカン に アンナイ の コエ が きこえた。 ヨウコ は その コエ を きいて コトウ が きた の を しった。 そして オオイソギ で ナミダ を おしぬぐった。 2 カイ から おりて きて トリツギ に たった アイコ が やがて 6 ジョウ の マ に はいって きて、 コトウ が きた と つげた。
「2 カイ に おとおし して オチャ でも あげて おおき。 なんだって イマゴロ…… ゴハンドキ も かまわない で……」
と めんどうくさそう に いった が、 あれ イライ きた こと の ない コトウ に あう の は、 イマ の この くるしい アッパク から のがれる だけ でも ツゴウ が よかった。 このまま つづいたら また レイ の ホッサ で クラチ に アイソ を つかさせる よう な こと を しでかす に きまって いた から。
「ワタシ ちょっと あって みます から ね、 アナタ かまわない で いらっしゃい。 キムラ の こと も さぐって おきたい から」
 そう いって ヨウコ は その ザ を はずした。 クラチ は ヘンジ ヒトツ せず に サカズキ を とりあげて いた。
 2 カイ に いって みる と、 コトウ は レイ の グンプク に ジョウトウヘイ の ケンショウ を つけて、 アグラ を かきながら サダヨ と ナニ か ハナシ を して いた。 ヨウコ は イマ まで なきくるしんで いた とは おもえぬ ほど うつくしい キゲン に なって いた。 カンタン な アイサツ を すます と コトウ は レイ の いう べき こと から サキ に いいはじめた。
「ゴメンドウ です がね、 アス テイキ ケンエツ な ところ が コンド は シツナイ の セイトン なん です。 ところが ボク は セイトン-ブロシキ を センタク して おく の を すっかり わすれて しまって ね。 イマ トクベツ に ガイシュツ を ゴチョウ に そっと たのんで ゆるして もらって、 これだけ キレ を かって きた ん です が、 フチ を ぬって くれる ヒト が ない んで よわって かけつけた ん です。 オオイソギ で やって いただけない でしょう か」
「おやすい ゴヨウ です とも ね。 アイ さん!」
 おおきく よぶ と カイカ に いた アイコ が ヘイゼイ に にあわず、 あたふた と ハシゴダン を のぼって きた。 ヨウコ は ふと また クラチ を ネントウ に うかべて いや な キモチ に なった。 しかし その コロ サダヨ から アイコ に アイ が うつった か と おもわれる ほど ヨウコ は アイコ を ダイジ に とりあつかって いた。 それ は マエ にも かいた とおり、 しいて も タニン に たいする アイジョウ を ころす こと に よって、 クラチ との アイ が より かたく むすばれる と いう メイシン の よう な ココロ の ハタラキ から おこった こと だった。 あいして も あいしたりない よう な サダヨ に つらく あたって、 どうしても キ の あわない アイコ を ムシ を ころして ダイジ に して みたら、 あるいは クラチ の ココロ が かわって くる かも しれない と そう ヨウコ は なにがなし に おもう の だった。 で、 クラチ と アイコ との アイダ に どんな キカイ な チョウコウ を みつけだそう とも、 ネン に かけて も ヨウコ は アイコ を せめまい と カクゴ を して いた。
「アイ さん コトウ さん が ね、 オオイソギ で この フチ を ぬって もらいたい と おっしゃる ん だ から、 アナタ して あげて ちょうだい な。 コトウ さん、 イマ シタ には クラチ さん が きて いらっしゃる ん です が、 アナタ は おきらい ね おあい なさる の は…… そう、 じゃ こちら で オハナシ でも します から どうぞ」
 そう いって コトウ を イモウト たち の ヘヤ の トナリ に アンナイ した。 コトウ は トケイ を みいみい せわしそう に して いた。
「キムラ から タヨリ が あります か」
 キムラ は ヨウコ の オット では なく ジブン の シンユウ だ と いった よう な ふう で、 コトウ は もう キムラ クン とは いわなかった。 ヨウコ は このまえ コトウ が きた とき から それ を きづいて いた が、 キョウ は ことさら その ココロモチ が めだって きこえた。 ヨウコ は たびたび くる と こたえた。
「こまって いる よう です ね」
「ええ、 すこし は ね」
「すこし どころ じゃ ない よう です よ、 ボク の ところ に くる テガミ に よる と。 なんでも ライネン に ひらかれる はず だった ハクランカイ が サライネン に のびた ので、 キムラ は また コノマエ イジョウ の キュウキョウ に おちいった らしい の です。 わかい うち だ から いい よう な ものの あんな フウン な オトコ も すくない。 カネ も おくって は こない でしょう」
 なんと いう ブシツケ な こと を いう オトコ だろう と ヨウコ は おもった が、 あまり いう こと に ワダカマリ が ない ので ヒニク でも いって やる キ には なれなかった。
「いいえ あいかわらず おくって くれます こと よ」
「キムラ って いう の は そうした オトコ なん だ」
 コトウ は なかば ジブン に いう よう に カンゲキ した チョウシ で こう いった が、 ヘイキ で シオクリ を うけて いる らしく モノ を いう ヨウコ には ひどく ハンカン を もよおした らしく、
「キムラ から の ソウキン を うけとった とき、 その カネ が アナタ の テ を やきただらかす よう には おもいません か」
と はげしく ヨウコ を マトモ に みつめながら いった。 そして アブラ で よごれた よう な あかい テ で、 せわしなく ムネ の シンチュウ ボタン を はめたり はずしたり した。
「なぜ です の」
「キムラ は こまりきってる ん です よ。 ……ホントウ に アナタ かんがえて ごらんなさい……」
 いきおいこんで なお いいつのろう と した コトウ は、 フスマ も あけひらいた まま の トナリ の ヘヤ に アイコ たち が いる の に きづいた らしく、
「アナタ は このまえ オメ に かかった とき から する と、 また ひどく やせました ねえ」
と コトバ を そらした。
「アイ さん もう できて?」
と ヨウコ も チョウシ を かえて アイコ に トオク から こう たずね、 「いいえ まだ すこし」 と アイコ が いう の を シオ に ヨウコ は そちら に たった。 サダヨ は ひどく つまらなそう な カオ を して、 ツクエ に リョウヒジ を もたせた まま、 ぼんやり と ニワ の ほう を みやって、 3 ニン の キョドウ など には メ も くれない ふう だった。 カキネゾイ の コノマ から は、 シュジュ な イロ の バラ の ハナ が ユウヤミ の ナカ にも ちらほら と みえて いた。 ヨウコ は コノゴロ の サダヨ は ホントウ に ヘン だ と おもいながら、 アイコ の ヌイカケ の キレ を とりあげて みた。 それ は まだ ハンブン も ぬいあげられて は いなかった。 ヨウコ の カンシャク は ぎりぎり つのって きた けれども、 しいて ココロ を おししずめながら、
「コレッポッチ…… アイコ さん どうした と いう ん だろう。 どれ ネエサン に おかし、 そして アナタ は…… サア ちゃん も コトウ さん の ところ に いって オアイテ を して おいで……」
「ボク は クラチ さん に あって きます」
 とつぜん ウシロムキ の コトウ は タタミ に カタテ を ついて カタゴシ に むきかえりながら こう いった。 そして ヨウコ が ヘンジ を する イトマ も なく たちあがって ハシゴダン を おりて ゆこう と した。 ヨウコ は すばやく アイコ に メクバセ して、 シタ に アンナイ して フタリ の ヨウ を たして やる よう に と いった。 アイコ は いそいで たって いった。
 ヨウコ は ヌイモノ を しながら タショウ の フアン を かんじた。 あの なんの ギコウ も ない コトウ と、 カンシャク が つのりだして ジブン ながら シマツ を しあぐねて いる よう な クラチ と が マトモ に ぶつかりあったら、 どんな こと を しでかす かも しれない。 キムラ を テ の ナカ に まるめて おく こと も キョウ フタリ の カイケン の ケッカ で ダメ に なる かも わからない と おもった。 しかし キムラ と いえば、 コトウ の いう こと など を きいて いる と ヨウコ も さすが に その ココロネ を おもいやらず には いられなかった。 ヨウコ が コノゴロ クラチ に たいして もって いる よう な キモチ から は、 キムラ の タチバ や ココロモチ が あからさま-すぎる くらい ソウゾウ が できた。 キムラ は こいする モノ の ホンノウ から とうに クラチ と ヨウコ との カンケイ は リョウカイ して いる の に ちがいない の だ。 リョウカイ して ヒトリポッチ で くるしめる だけ くるしんで いる に ちがいない の だ。 それ にも かかわらず その ゼンリョウ な ココロ から どこまでも ヨウコ の コトバ に シンヨウ を おいて、 いつかは ジブン の セイイ が ヨウコ の ココロ に てっする の を、 ありう べき こと の よう に おもって、 くるしい イチニチ イチニチ を くらして いる の に ちがいない。 そして また おちこもう と する キュウキョウ の ナカ から チ の でる よう な カネ を かかさず に おくって よこす。 それ を おもう と、 コトウ が いう よう に その カネ が ヨウコ の テ を やかない の は フシギ と いって いい ほど だった。 もっとも ヨウコ で あって みれば、 キムラ に みにくい エゴイズム を みいださない ほど ノンキ では なかった。 キムラ が どこまでも ヨウコ の コトバ を シンヨウ して かかって いる テン にも、 チ の でる よう な カネ を おくって よこす テン にも、 ヨウコ が クラチ に たいして もって いる より は もっと レイセイ な コウリテキ な ダサン が おこなわれて いる と きめる こと が できる ほど キムラ の ココロ の ウラ を さっして いない では なかった。 ヨウコ の クラチ に たいする ココロモチ から かんがえる と キムラ の ヨウコ に たいする ココロモチ には まだ スキ が ある と ヨウコ は おもった。 ヨウコ が もし キムラ で あったら、 どうして おめおめ ベイコク-サンガイ に いつづけて、 トオク から ヨウコ の ココロ を ひるがえす シュダン を こうずる よう な ノンキ な マネ が して すまして いられよう。 ヨウコ が キムラ の タチバ に いたら、 ジギョウ を すてて も、 コジキ に なって も、 すぐ ベイコク から かえって こない じゃ いられない はず だ。 ベイコク から ヨウコ と イッショ に ニホン に ひきかえした オカ の ココロ の ほう が どれだけ すなお で まことしやか だ か しれ や しない。 そこ には セイカツ と いう モンダイ も ある。 ジギョウ と いう こと も ある。 オカ は セイカツ に たいして ケネン など する ヒツヨウ は ない し、 ジギョウ と いう よう な もの は てんで もって は いない。 キムラ とは なんと いって も タチバ が ちがって は いる。 と いった ところ で、 キムラ の もつ セイカツ モンダイ なり ジギョウ なり が、 ヨウコ と イッショ に なって から ノチ の こと を コリョ して されて いる こと だ と して みて も、 そんな キモチ で いる キムラ には、 なんと いって も ヨユウ が ありすぎる と おもわない では いられない モノタリナサ が あった。 よし マッパダカ に なる ほど、 ショクギョウ から はなれて ムイチモン に なって いて も いい、 ヨウコ の のって かえって きた フネ に キムラ も のって イッショ に かえって きたら、 ヨウコ は あるいは キムラ を フネ の ナカ で ひとしれず ころして ウミ の ナカ に なげこんで いよう とも、 キムラ の キオク は かなしく なつかしい もの と して しぬ まで ヨウコ の ムネ に きざみつけられて いたろう もの を。 ……それ は そう に ソウイ ない。 それにしても キムラ は キノドク な オトコ だ。 ジブン の あいしよう と する ヒト が タニン に ココロ を ひかれて いる…… それ を ハッケン する こと だけ で ヒサン は ジュウブン だ。 ヨウコ は ホントウ は、 クラチ は ヨウコ イガイ の ヒト に ココロ を ひかれて いる とは おもって は いない の だ。 ただ すこし ヨウコ から はなれて きた らしい と うたがいはじめた だけ だ。 それ だけ でも ヨウコ は すでに ネッテツ を のまされる よう な ショウソウ と シット と を かんずる の だ から、 キムラ の タチバ は さぞ くるしい だろう。 ……そう スイサツ する と ヨウコ は ジブン の あまり と いえば あまり に ザンギャク な ココロ に ムネ の ウチ が ちくちく と さされる よう に なった。 「カネ が テ を やく よう に おもい は しません か」 との コトウ の いった コトバ が ミョウ に ミミ に のこった。
 そう おもいおもい キレ の イッポウ を てばやく ぬいおわって、 ヌイメ を キヨウ に しごきながら メ を あげる と、 そこ には サダヨ が サッキ の まま ツクエ に リョウヒジ を ついて、 たかって くる カ も おわず に ぼんやり と ニワ の ムコウ を みつづけて いた。 キリサゲ に した あつい コクシツ の カミノケ の シタ に のぞきだした ミミタブ は シモヤケ でも した よう に あかく なって、 それ を みた だけ でも、 サダヨ は ナニ か コウフン して ムコウ を むきながら ないて いる に ちがいなく おもわれた。 オボエ が ない では ない。 ヨウコ も サダヨ ほど の トシ の とき には ナニ か しらず キュウ に ヨノナカ が かなしく みえる こと が あった。 ナニゴト も ただ あかるく こころよく たのもしく のみ みえる その ソコ から ふっと かなしい もの が ムネ を えぐって わきでる こと が あった。 とりわけて カイカツ では あった が、 ヨウコ は おさない とき から ミョウ な こと に オクビョウ-がる コ だった。 ある とき カゾク-ジュウ で ホッコク の さびしい イナカ の ほう に ヒショ に でかけた こと が あった が、 ある バン がらん と キャク の すいた おおきな ハタゴヤ に とまった とき、 マクラ を ならべて ねた ヒトタチ の ナカ で ヨウコ は トコノマ に ちかい いちばん ハシ に ねかされた が、 どうした カゲン で か キミ が わるくて たまらなく なりだした。 くらい トコノマ の ジクモノ の ナカ から か、 オキモノ の カゲ から か、 エタイ の わからない もの が あらわれでて きそう な よう な キ が して、 そう おもいだす と ぞくぞく と ソウシン に フルエ が きて、 とても アタマ を マクラ に つけて は いられなかった。 で、 ねむりかかった チチ や ハハ に せがんで、 その フタリ の ナカ に わりこまして もらおう と おもった けれども、 チチ も ハハ も そんな に おおきく なって ナニ を バカ を いう の だ と いって すこしも ヨウコ の いう こと を とりあげて は くれなかった。 ヨウコ は しばらく リョウシン と あらそって いる うち に いつのまにか ねいった と みえて、 ヨクジツ メ を さまして みる と、 やはり ジブン が キミ の わるい と おもった ところ に ねて いた ジブン を みいだした。 その ユウガタ、 おなじ ハタゴヤ の 2 カイ の テスリ から すこし あれた よう な ニワ を なんの キ なし に じっと みいって いる と、 キュウ に サクヤ の こと を おもいだして ヨウコ は かなしく なりだした。 チチ にも ハハ にも ヨノナカ の スベテ の もの にも ジブン は どうか して みはなされて しまった の だ。 シンセツ-らしく いって くれる ヒト は ミンナ ジブン に ウソ を して いる の だ。 イイカゲン の ところ で ジブン は どんと ミンナ から つきはなされる よう な かなしい こと に なる に ちがいない。 どうして それ を イマ まで きづかず に いた の だろう。 そう なった アカツキ に ヒトリ で この ニワ を こうして みまもったら どんな に かなしい だろう。 ちいさい ながら に そんな こと を ヒトリ で おもいふけって いる と もう トメド なく かなしく なって きて チチ が なんと いって も ハハ が なんと いって も、 ジブン の ココロ を ジブン の ナミダ に ひたしきって ないた こと を おぼえて いる。
 ヨウコ は サダヨ の ウシロスガタ を みる に つけて ふと その とき の ジブン を おもいだした。 ミョウ な ココロ の ハタラキ から、 その とき の ヨウコ が サダヨ に なって そこ に マボロシ の よう に あらわれた の では ない か と さえ うたがった。 これ は ヨウコ には しじゅう ある クセ だった。 はじめて おこった こと が、 どうしても いつか の カコ に そのまま おこった こと の よう に おもわれて ならない こと が よく あった。 サダヨ の スガタ は サダヨ では なかった。 タイコウエン は タイコウエン では なかった。 ビジン ヤシキ は ビジン ヤシキ では なかった。 シュウイ だけ が ミョウ に もやもや して シン の ほう だけ が すみきった ミズ の よう に はっきり した その アタマ の ナカ には、 サダヨ の とも、 おさない とき の ジブン の とも クベツ の つかない ハカナサ カナシサ が こみあげる よう に わいて いた。 ヨウコ は しばらく は ハリ の ハコビ も わすれて しまって、 デントウ の ヒカリ を セ に おって ユウヤミ に うもれて ゆく コダチ に ながめいった サダヨ の スガタ を、 オソロシサ を かんずる まで に なりながら みつづけた。
「サア ちゃん」
 とうとう だまって いる の が ブキミ に なって ヨウコ は チンモク を やぶりたい ばかり に こう よんで みた。 サダヨ は ヘンジ ヒトツ しなかった。 ……ヨウコ は ぞっと した。 サダヨ は ああした まま で トオリマ に でも みいられて しんで いる の では ない か。 それとも もう イチド ナマエ を よんだら、 センコウ の ウエ に たまった ハイ が すこし の カゼ で くずれおちる よう に、 コエ の ヒビキ で ほろほろ と かきけす よう に あの いたいけ な スガタ は なくなって しまう の では ない だろう か。 そして その アト には ユウヤミ に つつまれた タイコウエン の コダチ と、 2 カイ の エンガワ と、 ちいさな ツクエ だけ が のこる の では ない だろう か…… フダン の ヨウコ ならば なんと いう バカ だろう と おもう よう な こと を おどおど しながら マジメ に かんがえて いた。
 その とき カイカ で クラチ の ひどく ゲッコウ した コエ が きこえた。 ヨウコ は はっと して ながい アクム から でも さめた よう に ワレ に かえった。 そこ に いる の は スガタ は モト の まま だ が、 やはり まがう カタ なき サダヨ だった。 ヨウコ は あわてて いつのまにか ヒザ から ずりおとして あった ハクフ を とりあげて、 カイカ の ほう に きっと キキミミ を たてた。 ジタイ は だいぶ ダイジ らしかった。
「サア ちゃん。 ……サア ちゃん……」
 ヨウコ は そう いいながら たちあがって いって、 サダヨ を ウシロ から ハガイ に だきしめて やろう と した。 しかし その シュンカン に ジブン の ムネ の ウチ に シゼン に できあがらして いた ケチガン を おもいだして、 ココロ を オニ に しながら、
「サア ちゃん と いったら オヘンジ を なさい な。 なんの こと です すねた マネ を して。 ダイドコロ に いって アト の ススギガエシ でも して おいで、 ベンキョウ も しない で ぼんやり ばかり して いる と ドク です よ」
「だって オネエサマ ワタシ くるしい ん です もの」
「ウソ を おいい。 コノゴロ は アナタ ホントウ に いけなく なった こと。 ワガママ ばかし して いる と ネエサン は ききません よ」
 サダヨ は さびしそう な うらめしそう な カオ を マッカ に して ヨウコ の ほう を ふりむいた。 それ を みた だけ で ヨウコ は すっかり うちくだかれて いた。 ミゾオチ の アタリ を すっと コオリ の ボウ でも とおる よう な ココロモチ が する と、 ノド の ところ は もう なきかけて いた。 なんと いう ココロ に ジブン は なって しまった の だろう…… ヨウコ は そのうえ その バ には いたたまれない で、 いそいで カイカ の ほう へ おりて いった。
 クラチ の コエ に まじって コトウ の コエ も げきして きこえた。

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