鴨着く島

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日韓政治問題

2019-02-16 14:45:14 | 日本の時事風景

韓国との間で最近になってギクシャクが異常に目立つようになった。

まずお馴染みの「従軍慰安婦問題」。

これが、つい最近、韓国の国会議長が、「太平洋戦争の戦犯である昭和天皇の息子(今上陛下)が慰安婦の手を取って謝罪をすれば完全に解決する」とアメリカでのインタービューで口にしたそうで、一気に政治問題化した。

その前が、海上自衛隊の対潜哨戒機に対する「レーザー照射問題」。

韓国海軍は北朝鮮の船が難破しかかっているので救助に向かっていたそうだが、救助活動に対して邪魔をしてきたから通常のレーダーを向けただけだ、という。ところが通常のレーダーではないことが日本政府側から証拠をもって突きつけられると、知らぬ存ぜぬという立場に変えた。

北朝鮮の難破船というのが怪しく、どうやら「瀬取り」への協力ではなかったかと疑われるている。

そして韓国最高裁が命じる判決を出した「大戦期の徴用工への支払い問題」。

何を今さらという気がする――と考えるのは日本人だけらしい。

レーザー照射問題以外は、1965年6月に結ばれた「日韓基本条約」に基づいて日本からの賠償金をもとに韓国政府自体が解決すべき問題ばかりだ(戦時の請求権は放棄されている)。その時の金は何に使われたのだろう。

そもそも韓国が戦時の日本の行為に対していまだに怨恨を抱いているのは、まずは民族的心情によるものがあるのだろうが、何よりも「南北分断」の状態が彼らをいらだたせるのだろう。

日本は敗戦後にポツダム宣言によって、外地の植民地・合併国などすべてを失ったが、それらは明治に国際的な舞台に登場して欧米流の法治国家の一員となった際に認められた領土に帰ったに過ぎない。(もっとも、1972年までの沖縄は分離されていた。北方領土はロシアに今も不法占拠されてはいるが、可能性としては北海道までソ連が侵略したかもしれない。)

ところが、朝鮮半島は趣を異にする。1910年に日韓併合が行われるまで、朝鮮半島は曲がりなりにも李氏朝鮮(1392年に建国)以来、500年余りにわたって半島全域が統一されていたのである。

4代目の世宗(セジョン)大王は現在の朝鮮文字「諺文(オンモン)」を作り普及させたことで著名な王だが、そのおかげで「小中華」と言われる中国王朝のミニチュア国家でありながら、「中国語(漢文)」が標準語にならずに済んでいる。

これは朝鮮人の偉いところと私などは尊敬している。もし日本が中国と国境を接する国であったなら、どうなっていたか。和語は廃れて中国語に置き換わっていたのではないか。そのくらい日本人は順応性に長けているからだ。(漢字から、かな・カタカナを作り出した空海?が出なかったら、また遣唐使の派遣を中止させた菅原道真が出なかったらそうなっていたかもしれない。)

小中華と呼ばれながらも、自国の言語をかたくなに守った朝鮮人は自負の塊の性格なのだと思う。

そうであれば、日本が1910年に併合し、わずか35年でその支配を終えた挙句、かっての李氏朝鮮に代わる政治体制をどうするかを考える時間がないままに、中国共産党政府(1949年10月1日成立)の後押しを受けた金日成率いる北朝鮮軍(パルチザン)によって国内は大混乱に陥り(朝鮮動乱)、ついに国連軍(連合国側の多国籍軍)の出動となり、1953年7月に休戦協定が結ばれて今日に到っている、この自尊心をえぐるような事態には堪忍袋の緒が切れかかっているに違いない。

朝鮮動乱の際に北朝鮮から逃れてきた一族の一人というムンジェイン大統領は、休戦協定から一歩進んで平和条約に持って行きたいのだろう。そうなると朝鮮動乱の際に結ばれた「米韓安保」による米軍駐留は無くなるということになる。

アメリカとしては米軍撤退にやぶさかではないだろうが、しかし、半島全体が北朝鮮化しては元も子もないので、それは現実的ではない。

どう落としどころを付けるか見ものだが、とにかく分断国家であったベトナムが1976年に南北統一し、東西ドイツがソ連邦崩壊後の1991年に統一を果たし、大きな国の分断国家として残るのは朝鮮だけとなった。

隣国として、また、かっては同じ釜の飯を食うこともあった隣人として、その平和裏に統一した姿を見たいものだ。


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