鴨着く島

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「常世(とこよ)国」考

2023-03-26 21:49:26 | 記紀点描
前回の「記紀点描」で、垂仁天皇の時代に天皇の命で「常世国」に渡り、トキジクノカグノミ(非時香実)を手に入れて10年後に帰国したタジマモリ(田道間守)という人物がいたという話を書いた(出典:垂仁天皇紀99年条)。

そのトキジクノカグノミを一般に「橘(たちばな)」のことと注解するのだが、魏志倭人伝には倭国の産物として「橘」があると書かれており、橘とするのは誤認ではないかと結論付けておいた。

トキジクノカグノミは「時によらず(季節によらず)香しい木の実」あるいは「時によらず輝いている木の実」と解せられるが、そういった年がら年中実っているような木(果物)というものは普通には有り得ない。

それが得られるのは「常世国」だというわけで、タジマモリは艱難10年の歳月をかけて取りに行って実際に持ち帰ったという。

その常世国とはどういうところだろうかーーを考えてみたい。

日本書紀ではこのタジマモリの話以外に常世国を挙げてはいないのだが、古事記にはタジマモリ以外に3箇所で常世国が垣間見える。

時系列的な順番で取り上げると次のようである。

① 出雲の大国主神(オオナモチ命)が国造りをスクナビコナと共に行ったが、造り終えるとスクナビコナは常世国に渡った(出雲神話)。

② 神武天皇の兄に当たるワカミケヌ命は「波の穂を踏んで」常世国に渡った(神武天皇記)。

③ 雄略天皇が吉野で美しい童女に出会い、自ら琴を弾いて舞を舞わせたところ上手に舞ったので、<あぐらいの かみのみてもち ひくこと(琴)に まい(舞)するおみな とこよ(常世)にもかも>と歌に詠んだ(雄略天皇記)。

①と②はどちらも海を越えて(渡って)常世の国へ行ったということで、これはタジマモリが10年かけて往復したという常世国と同じである。

それに比べると雄略天皇が詠んだ歌に登場する「とこよ」は具体的な国のことではなく、女の舞が余りにも上手だったので「うつつとは思われない」という主観を表現したもので、①及び②とは性質が違っている。

しかしむしろ③があることで①と②の常世国の属性が了解される。要するに「この世」とは違った領域だという認識なのだ。

漢字の「常(とこ)」自身がすでに「非時(時によらず)」の意味である。したがって「常世(とこよ)国」とは「時によらない世界(領域)」となる。

「永遠」を「とこしえ(へ)」と読むことがあるが、この「とこ」は「常」の意味だろう。

時が流れず止まったままのような世界――というのは想像しづらいが、③と同じ雄略天皇の時代にあった出来事だという「浦嶋子(浦島太郎)」が竜宮城に行き、向こうの時間で3年ほど経ってから故郷に帰ったら、故郷では何十年、何百年も経っていたというのも、同類の物語だろう。

常世国にせよ、竜宮にせよ一言でいえば現世とは違う「異界」だが、後者は四方環海の日本らしい異界であり、前者の常世国はおそらく西暦400年代以降に倭国に流入して来た大陸の文献に基づく神仙思想的な異界ということができよう。

※さらに6世紀の半ばに流入して来て発展を遂げた仏教はこの世の姿を「諸行無常」(有為転変)と捉え、死後に「西方浄土」に至ると考えるが、その浄土とはやはり「常世」に近いものだろう。



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