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憲法記念日(2024.05.03)

2024-05-04 19:46:04 | 専守防衛力を有する永世中立国

5月3日、憲法記念日。

1947年の5月3日に日本国憲法が施行された。6か月前の1946年11月3日に公布された日本国憲法が、実質的に日本の憲法として発動した日だ。

この憲法の目玉となる命題は「絶対平和」で、第9条がそれを具体的に示している。

 【日本国憲法第9条】

<第1項 日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し(注1)、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段として(注2)は永久にこれを放棄する。>

<第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない(注3)。国の交戦権はこれを認めない。>

この条文の解釈では、第2項の「戦力(戦闘能力)は永久に保持しない」という条文による短絡的な見解が学説的にもマスコミ的にも支配的であったことは論を俟たない。

この解釈は第2項のみの解釈であり、実は第2項は第1項があって初めて成り立つ項目だということを忘れている。

第2項の「前項(第1項)の目的を達するため」という条文を忘れてはならない。つまり何のための戦力の不保持なのかという点である。

この条文は「国際紛争を解決する手段としての戦争及び武力の行使の放棄」なのであり、あくまでも外国に出向いて国際紛争を解決するための武力の行使は永久に放棄し、そのための戦力は持たないということなのだ。

では国外に出て行ってまで行う武力行使(戦闘)でなければ、何があるのかという点だが、まず「内乱」が挙げられる。

内乱の初期の段階では警察権力による抑止が行われるが、それで防止し切れなければ軍隊の出動となる。もちろん進駐軍による占領期には進駐軍による抑止が行われるのだが、占領が終了したあとの国内の治安に関しては警察予備隊から保安隊、そして自衛隊の設置が必要になった(昭和29年)。

この自衛隊は戦力ではないのか、と言えば立派な戦力である。しかし内戦に供える必要があったので設置されたのであって、この自衛隊の軍備は諸外国との戦いを想定したものではなかった。

もう一つが外国の軍事的な侵攻に備える必要があったのだ。1949年10月に中国共産党政府が独立を果たしたことが大きな契機になった。

そして朝鮮動乱(1950年6月勃発)ではまかり間違えば北朝鮮の全半島支配という結果になり、その勢いを駆りて日本の九州まで進攻があった可能性もあった。(※もちろん当時まだ占領期であったから、そうなったら進駐軍が対応しただろう。)

自衛隊が設置されたのはサンフランシスコ平和条約締結(1951年9月8日)後の昭和29(1954)年6月8日だったが、その年の暮れに政府見解として「自衛隊の保有は合憲」という見解が出されている。

これに対して当時は囂囂たる非難が巻き起こったのだが、冷静に考えればおよそ独立国家においては「個別的自衛権」を持つのは当然で、他国から侵害されたらそれを排除するための専守防衛力の保持および行使は当然のことである。

以上から日本国憲法第9条は他国との交戦(国際紛争を解決する手段としての武力行使)は放棄しつつも、いざ侵害を受けたら排除するための武力(個別的自衛権の行使)を否定したものではなく、またそのための戦力は決して否定されていないと解釈できる。

ただ問題は日米安保だ。日本とアメリカ間の個別的防衛同盟は実は国連憲章には違反している。国連憲章では国際紛争はあくまでも「集団的自衛」が基本だとしており、日米安保のような二国間の軍事同盟は本来想定していないのだ。

トランプが大統領に就任したあと日米同盟に関して「アメリカは日本が侵害されたら助けるのに、アメリカが侵害されても日本は助けに来ないのは不公平だ」と言ったことがあるが、この発言は1961年に旧日米安保が結ばれたその理由を理解していない妄言だが、「こんな安保なら見限るぞ」と言って欲しかったくらいだ。

日米安保が無くても、日本という国には「個別的自衛権」があるのだから、堂々とかつ粛々と専守防衛力の増強に努めればよいだけの話である。

ただし、アメリカのお先棒を担ぐような武力の行使は決してあってはならないことは言うまでもない。

 


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