結婚以前、独身の頃は、劇団四季の「四季の会」の会員で、
劇団四季の作品はほとんど観ていたり、
ロンドンで本場のミュージカルを観たり、
歌舞伎座に歌舞伎を観に行ったり、
毎週のように亡き父と美術館通いをしたり・・・
そんなわたしと、そういうものに全く興味を示さない主人。
お付き合いして結婚するまでの半年間、いつもデートはここ百姓庵での野菜の種まき
(笑)
それはそれで楽しかったんですけどね
そんな主人が「倉本聰さんの演劇」ともなると、話は別のようで、
結婚10年目にして、初めて主人と観劇してきました
主人もわたしも、倉本さんの哲学が大好きなのです
『明日、悲別で』
以下、倉本さんの、この演劇に対するオモイを抜粋。
断片的に抜粋してますが、どれも心から共感するお言葉ばかり。
ぜひみなさんに読んで感じていただきたいです
これまで戦後の日本社会は、石炭から石油へ、原子力へと、依存するエネルギーを変えながら、豊かさを求め続けてきました。その繁栄を支えながら、「悲別」(←この度の演劇の舞台)は国の政策に翻弄され、生活を潰されていきます。
役者自身が体をフルに使う、竪抗の車輪が回るのも糸でやるなど、機械は使わないですべてを徹底してアナログでやる舞台です。スローモーションなどは、実際は大変な訓練と力を必要とします。なかなかあのような動きは出来ないですよ。映像ではオプティカルにやるのですが、全部、人間の力でやってしまう、これは「人間力」の舞台です。
結びつきというより、念頭にあったのはエネルギーの問題です。「希望」とは何か。石油でも、石炭でも、原子力でもなく、人間の体が本来持っているエネルギー、この決定的な意味を考えたかったですね。
今の社会は、この「人間のエネルギー」を使わないで、サボることを便利と言っているわけでしょう。2メートル歩いてテレビをつければいいのに、動くことをきらって、リモコンでやる。結局、この便利さ、そこから生まれる需要が、原子力発電の必要にまで行き着くわけです。このことが問われなければなりません。人間のもっている本来のエネルギーを解き放つことと関わってくることです。
映像文化の全盛と裏腹に、人間の想像力は貧困になってきている。聴覚、嗅覚、味覚、触覚などが十分に働いてはじめて、自然や社会や人間をちゃんと見ることができますし、直感力や判断力、そして想像力も豊かになりますからね。
存在しているものはすべて矛盾に満ち満ちている。このことを子どもに教えることが大切で、毒やばい菌の要素を除いて、清潔にしないといけませんというのは、かえって不健康だということと同じですね。
現代の子供たちの生活の中には、労働がない。
労働という話が出ましたが、土を知らない、自然を知らない、古来の日本人の生き方を知らない。最近は農協の職員も農業をやったことがないし、くわや鎌を扱ったことがないのでしょう。
少年少女時代の体験は大切なのに、知識尊重、体験軽視の教育システムのなかで、日本からトムソーヤがいなくなりました。結果がすべて、という現代の教育のなかで、過程の中で、知恵を鍛える教育は是非とも必要です。
便利と効率の追求で、人間がおかしくなってきていますね。
電気がないなら、それに即した生活をすればよいわけで、そういうたくましさですね。暑くなったら、打ち水をする、すだれをかける。古来の人間生活の知恵に思いをこらす。これまでの思想を考えてみる。原始的な人間の力から、すべてを見直すことが求められていると思いますね。
演劇の暗幕が下り、じわじわじわ・・・と感動が押し寄せてくる。
本当に素晴らしい舞台でした
拍手がずっと鳴り止みませんでした。
スタンディングオベーション派(笑)のわたくしも、
その場(イス)からしばらく動けなかったです。
ホントに素晴らしかった
劇場を出て、倉本さんを発見!!!
握手をしていただきたかったのですが、
サインを求めたおばちゃまたちが沢山だったので、
そのまま帰路に着いたのです。。。
・・・が、駐車場が大混雑していて、
油谷のお母さんがひとこと。
「かみちゃん、お塩渡してきたら?」
いらっしゃらないかもしれませんでしたが、
雨がふりしきる中、小走りで戻ってみましたら・・・
いらっしゃった
もうサインを求めたおばちゃまの人だかりはなく、
支配人らしい男性と倉本さんがお話されている様子。
終ったのを見届けて、
「素晴らしい演劇でした」(←感動冷めやらず・・・で、この一言を言うので精一杯
)
「長門の海のお水で主人が作ったお塩です、よかったらどうぞ」
御年78才の倉本さんは、
とても穏やかでやさしい笑顔で、
「それはなによりのものを ありがとう」と。
束の間でしたが、ウソのように1対1の時間。
かつて、OLの時、これまた同じシチュエーションがあったんです。
細川元首相が政界を引退されて、陶芸と書の個展をされていた時。
このときも偶然、細川さんと1対1になり、
その時は数十分と長いこと、陶芸のお話などをさせていただきました。
身分は違えど共通点が多く、とても盛り上がったんです。
いつか、湯河原(神奈川県)の自分のアトリエにもいらっしゃいと、
直筆の達筆なお名刺をいただきました。。。
倉本さんの記事をもうひとつ抜粋。
「僕は今、「森の長城プロジェクト」というのを、細川護煕さん(元首相)、宮脇昭さん(自然保護活動家)たちと始めたのですが、瓦礫を引き取るところがないなら、土と一緒にうめちゃえ、そこに土塁を築く、そして、海岸だからそこに松という考えはやめよう、松は根が浅くてダメなのですね。地元にある直根性のもので深く根のはる木にして、がれきの間に空洞がありますね。そこには酸素があるわけだし、鉄のさびも栄養になるかもしれない。そうしたものを活用してしっかりした森を作って、それを岩手から福島まで300キロに渡って高さ30メートルの防潮堤を作るというプランを今始めています。」
倉本さんも細川さんも、人として、本当に大切なことが分かっていらっしゃる方々。
自然に対するオモイが溢れている方々。
そしてそれを体現されている方々。
こういう言い方は失礼かもしれませんが、本当の「賢人」ですね。
そんな方々と一瞬でもお逢いできたこと。
一生心に刻んで生きていきたいです。
倉本さんの手はフカフカにやわらかくて温かくて・・・
やさしさと強さをその手から感じました