俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

『旬菜膳語』所感/12月4日(木)

2008-12-04 16:47:34 | 本を読んで
 著者は、林望。リンボウ先生と称されているようであるが、国文学出身の書誌学者。文献学者。図書、書物についてその書物の成り立ちや、起源などを研究する学問のようだ。日本の古典や古書、文学書は言うに及ばず、中国のものにも、ヨーロッパのものも広く研究を拡げられているようだ。それを総動員して書かれた本で、その博学と文章の軽妙さには、都会人のよさがあって、たのしく読める。『イギリスはおいしい』に継いで出された本で、「イギリスはおいしい。日本はもっとおいしい。」と帯にある。
 著者も漱石と同じように、イギリスに留学する。そして日本の良さを思うのである。留学中、胆嚢の病気をした著者は、食事に油を絶たねばならず、さりとて、仕事があって帰国できず、イギリスで暮らさざるを得なくなった。レストランで油抜きの料理を注文するが、上等のオリーブオイルだから体によいといって、茹で野菜や茹で魚にオイルがかかっていたりして、希望の食事を呈してもらうことはなかった。一度だけ油抜きの料理と言って出されたものは、塩胡椒さえしていない、ただのボイル野菜。シェフの発想の貧弱さを嘆く。彼らのノウミソを疑う。つまり、こういったことに対して、食文化がないということである。それに比べ、日本の食文化のゆたかさは、比類ないものだと述べる。
 この本は、春の巻、夏の巻、秋の巻、冬の巻と四季にわかれ、それぞれ、旬のものがこれまた博識をもって採り上げれている。その中のどの項目から読んでもよい。読めば、食は文化であり、文化は生活の智恵や工夫、または偶然が生んだものの継承を繋いでいくことがら生まれることをよく知らされる。四季があり、海に囲まれ、また山も野もあり、田もある、水もある土地が育む文化である。ところが、現代の人たちは、このよい食文化を忘れかけている。もう一度その良さを知れと言うのである。俳句がさまざま採り上げられているのもこの本の妙味であるが、昨今の著名俳人の俳句の引用が一つもない。このことは、すでに著者のいう、伝統的日本文化の髄が消えていることを示しているように、私には思える。巻端にかえてとして「四時偶吟」として著者の俳句があるから、俳句眼を尊重したい。

(一)
 先ず、春の巻の「桜鯛のころ」を挙げる。百魚はそれぞれ良さがあって、食べ飽きることはないが、もっとも味わい深きは鯛であるという著者。鯛と言えば、瀬戸内の桜鯛が思い浮ぶ。鯛網で有名な鞆の浦の岬を回ったところで育った私は、鯛は懐かしい、本書の話も懐かしい。鯛を一匹食することは、文化を食することである。身辺の生活記憶を織り交ぜて読むと、鯛にまつわる歴史の深さが思われる。辻嘉一の『味覚三昧』にある鯛を食べる醍醐味。石黒庄吉の『くらしの中の魚』の、浮き鯛の話。桜鯛について魚見吉晴『漁師の食卓』の話など、通なれば知ることである。通にある文化が大事なのである。『永代蔵』などにあらわれた江戸と京や大阪での鯛を買う際の気質まで、俳句や川柳を採り上げて、話がくり広げられる。食通としてしられた池波正太郎の『池波正太郎のぞうざい料理帖』の鯛のおいしい食べかたを挙げ、「鯛の刺身と温い飯」のうまさを称えて終る。
以下作業中

『旬菜膳語』
林望著(岩波書店2008年10月24日発行1800円+税)

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