俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

8月9日(金)長崎の原爆日

2024-08-09 08:37:31 | 日記
晴れ
盆近しあちらこちらの草刈られ  正子
剪定され夏木の匂いよく残り   正子
溝萩のすっくと立ちて風のなか  正子

●昨日、日向灘を震源とする地震が起きた。気象庁は、初めて南海トラフ巨大地震の注意喚起をした。水が一番大事と思って、水を一箱買い足した。前からなのだが、寝室の入口のドアはわざと半開きにしている。窓の構造から、閉じ込められたときの圧迫感とか閉塞感を思うと、ちょっと怖い。

●夜8時前、遅い夕食にスパゲッティを作っていた。すると、スマホの地震警報が鳴ったので、すぐガスを消した。揺れてもいないのに何事かとニュースを見ると、神奈川県西部で震度5弱の地震、とある。実際、わが家は一揺れもしなかった。おととい南海トラフ内の地震があったばかりなので、それとは関係ないと言われてるが、NHKのテレビがオリンピック放送を取りやめ、地震情報をずっと流した。今夜の地震は普通のよくある地震だったが、放送局のテンションが上がっていた。

●長崎の原爆の日の式典にイスラエル(駐日大使)を招待しないことで、政治的決定だと問題が起きている。駐英大使と駐米大使が参加しないと言いだしている。 なるほど。ガザに限らず戦地では、子どもがひどい目にあいすぎている。実際、自分が被爆して皮膚がぼろ布のように垂れ下がる火傷を負っても、核は要るというのだろうか。

●臥風先生は、俳句の鑑賞はその人の身になって鑑賞するのがベストだと言われた。「寄り添う」と言う言葉がよく使われるが、「添う」のではなくて、「その人の身になる」である。原爆なら、被爆者の身に自分を置き換えて、考えるということ。火傷でただれ、喉が渇き、川に飛び込んだ自分は核をどう考えるかだ。核廃絶は遠い道のりのようだ。

私の小学5年生のときの鮮明な記憶に、学校の玄関にその週の大きなニュースを書く黒板があった。その黒板に書く役目の一人が私だった。そのとき、東海村に原子炉が出来たことを書いた。日本も原子炉がある進んだ国になったのだと誇らしく思いながら一生懸命書いた。原子炉のある科学が進んだ国になったのだと疑いもなく思った。子供は何も知らなかったのだ。
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