俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

8月3日(土)

2024-08-03 08:37:22 | 日記
晴れ
ナイターのサッカーいきいき子ら走り 正子
子らがあそびし芝生夜となり虫の界  正子
夜の蝉二声のみの声をあげ      正子
  
●2025年版『角川俳句年鑑』に花冠の広告を出すことをFax。六分の一ページ。年鑑は45000部印刷されるそうだ。

●8月も3日となった。きのうもそうだったが、ベランダに光が斜めに差し、光は黄ばんでいる。今日はどこにもいかなかったから、一日ベランダの光の具合を見ることになった。その斜めの光の作用はなにかというと、プランターに植えている紫蘇や朝顔の葉に「斜めに」差して、葉を浮かすように葉に葉の影を作っている。これが人に晩夏を意識させるのだ。

●メイ・サートンの『独り居の日記』を読んでいるが、日本に関係あることががしばしば書かれている。彼女の机の近くには日本の壺が置かれ、花が生けられている。百合と牡丹の葉などのようだ。、牡丹の葉はピンク色をした茶色。その花束の形容に日本語なら「しぶい」と言うだろう、と記録している。

興味深いのは、この日記は(私が計算では1970年)9月15日から始まっているが、9月21日に、昨日のこととして次のように書いている。

「外を見ると、二人の老人だ芝生の端に立っているのが見えた。それから二人は丘を降り、また戻ってきたが、私が外へ出てくるのを望んでいるのは明らかだった。だから私は出ていった。彼らが一度ならずここに来たことがあるのははっきりしていた。私の『夢見つつ深く植えよ』と、詩の愛好者なのである。
彼らはヒトラーからの亡命者、シャーロットとアルバート・オプラー(正子注:アルフレッドが本当らしいが、サートンの記憶違いか?)だとわかった。米国に来た後、マッカーサーによって日本へ送られたのだったが、それはアルバートが法律の専門家として、日本の新憲法の草案を書くためであった。私がタイム誌向けにこのところ書評を書いているエリザベス・ヴァイニングを彼らが知っているにはいうまでもない。」

この箇所、驚くではないか。日本の新憲法の草案だとか、上皇陛下が皇太子時代の家庭教師エリザベス・ヴァイニングだとか。

日本国憲法の草案は最終的にGHQのものが採択されたが、GHQの民生局に日本国憲法の草案を作るチームがあったとある。そのチームのメンバーの名前はほとんど一般には知られていない。オプラ―は祖父母がユダヤ人だったので、アメリカに亡命したドイツの法律学者で、アメリカ政府の仕事をし、GHQの民生局に配属されている。シャーロットというのは、おろらくオプラ―の夫人であろうと思う。

ウィキペディアを引用すると、
アルフレッド・C・オプラー(英語: Alfred Christian Oppler、1893年2月19日 - 1982年4月24日)は、ドイツ及びアメリカ合衆国の法律家。
1893年にドイツ領アルザス=ロレーヌ地方で生まれる[1]。ドイツの大学で法学を学んだ後で司法官となる。1933年にヒトラー政権が誕生後にユダヤ人蔑視の風潮が司法界に広まり、祖父母がユダヤ人であったオプラーは司法官を退官。その後は地方官吏となるが、1938年に水晶の夜事件を受けて、アメリカに亡命。アメリカで大学の教員を経て、1944年に政府機関に就職。1946年に日本を間接統治していたGHQの民政局に配属され、戦後日本における法制改革を担当した。日本が主権を回復した1952年からは在日米軍で主に政治分析を行っていたが、1959年にアメリカに戻る。アメリカに戻ってからは日本時代の回顧録を執筆し、1982年に89歳で死去した。
正子注:日本時代の回顧録は『日本占領と法制改革』。






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