俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

9月27日(火)

2011-09-27 23:14:04 | Weblog
○イギリス・俳句の旅第1日9月19日

  ヴァージン・アトランティック航空機にて成田出発
 アテンダントの眸は水色よ秋の旅

  ロンドン・ヒースロー空港へ降下
 ロンドンアイ翼下に入れて秋晴るる

  チェスターのホテルへと高速道路をはしる 300kmほど
 薄紅葉ウィンザー城を浮かばせり
 九月の牧羊ら遠く草を食む
 やわらかき羊散らばる秋の牧
 行けど行けど九月の牧の草青し

  サービスエリア
 イギリスの地上に買いし林檎とジュース

  ホテル
 窓枠の白きホテルに秋の草
 木の実赤し今夜のホテルの二階建て
 牧草の秋の匂いか黄昏れぬ 

 出国
 朝7時前、イギリス旅行へ、娘の句美子と横浜の自宅を発つ。娘に誘われての旅である。20年ほど前の家族4人でのドイツ旅行が思い出される。1990年に家族でドイツ旅行をした。二十一年の歳月が流れ、六歳の句美子は9月3日に二十八歳になった。信之先生は、留守番役。帰国は、9月26日の予定。
 午前11時30分成田空港発のヴァージン・アトランティック航空0901便でロンドンへ発つ。アテンダントの制服は真赤なスーツ。金髪と水色の目が引き立つ。乗る早々機長のクリスピーな英語と、アテンダントの切れ目のない英語に、いささか驚く。12時間ほどの旅を快適にするために、句美子が、エアクッションとネックピローを用意してくれたのと、座席の羽毛クッションのおかげで、乗り物酔いにもならず、よく眠れて、時差ぼけもなくヒースローの空港に着いた。

宿泊は、ロンドンから北へ314km離れたチェスターのホテル。リヴァプールの近くです。翌日からの行動効率を考えて、できるだけ近くに泊ることになった。

▼チェスター:
http://urara-y.at.webry.info/201007/article_10.html

◇イギリス俳句の旅「アン王女歓迎の市庁舎・木組みの家・ローマの要塞」(チェスター)


○イギリス・俳句の旅第2日9月20日

  ホテル ホリディインチェスターサウス
 霧雨が窓に伝いて夜が明けし
 着重ねてまず卵から朝ごはん
 
  ブロンテ姉妹が住んでいたハワースへ
 「嵐ヶ丘」はここかと秋冷まといつつ
 あじさいの枯れし水色牧師館

  ハワース最古の建物パブのブルハウス ブロンテの兄がよく通った
 飲み浴びし古きパブとや村は秋
 ヒースの丘をはるかに秋の雲増える

  ブロンテ一家が眠る教会
 ステンドグラス透けし光の秋湿る
 秋冷に眠り深きやブロンテ一家
 村の丘に立てば秋風巻いて吹く
 栃の実や村の墓石のうすみどり

  ハワースから湖水地方のウィンダミアへ ウィンダミア湖遊覧
 白鳥に寄せて波打つ湖の水
 秋風の湖の向こうに暮らしの家
 秋風にスワン吹かるる岸辺かな

  ウィンダミア ベアトリックス・ポッター資料館/ピーターラッビトの作者ベアトリックス・ポッターが住んだ家
 秋の森となってうさぎの目の丸し
 母といれば娘は幼かりうさぎ見て
 マクレガーの畑に赤かぶ秋のもの
 マクレガーの畑生き生き露けくて

○ハワースは、イングランド北部にある小さな町で、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」の舞台となったところです。ハワースでは、雨が雫のように降って、湿っぽい風が荒いわけではないけれど、逆巻くような吹きかたをしていました。ブロンテ一家の住んだ牧師館の裏庭に回るとまだあじさいなどが水色の微妙な色合いになっており、夏の間咲いていた花も咲き残っていました。湿ったような風が印象に残り、「嵐が丘」
のストーリーを彷彿させるものがあります。この地にあってこそ生まれた「嵐が丘」と思いました。
当時の平均寿命が30代ということで、ブロンテ家の人たちも牧師の父を除いて30代で亡くなっています。気候と、土葬の習慣がそうさせたとも思えますが、そら恐ろしく感じました。

 ▼ハワース/19世紀の作家ブロンテ姉妹の故郷:
 http://britannia.cool.ne.jp/travel/2006/01_haworth.html
 ▼湖水地方・ウィンダミア湖:
http://www.tabizora.net/travel/03_england/

◇イギリス俳句の旅「あじさい・村」(ハワース)、「ベアトリックス・ポッター資料館」(ウィンダミア)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする