珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

日記3

2022-05-26 | 日記
5月26日(木)
アメブロの「泣いて生まれてきたけれど(報告は氷山の一角)」に、ザウルスさんのブログに寄せた私のコメントが紹介されていた。
しかしながら、ザウルスさんの記事に貼り付けてあったBITCHUTE の動かぬ証拠の動画の数々は削除されてしまった。
YouTubeじゃなくてBITCHUTEが削除されたんですよ?
オカルト話なら相手にしなきゃいいものを、わざわざ削除するとは、何か知ってはいけないことを知ってしまったのだろうか( ̄∇ ̄)   

👇嗚呼、その通り( ;∀;)

最初っから一生懸命訴えたけど、誰も聞く耳をもってくれないどころか、皆、別人になったよ。
「お願い!!正気に戻って!!」と叫んだけど無駄だった。
訴えている私の方が完全におかしい目で見られた。

スーパーの長蛇の列。
レジに並ぶ距離を詰めるとキッと睨まれる。
棚から消えるトイレットペーパー…覚えてますかね?

いつ気がついてくれるんだろうか?と絶望した2年以上の年月は、気の短い私には果てしなかった。
一日が何年にも感じた。

でも3年目になっても、まだに小学生マスクさせて、家族が入院してもお見舞いも行けない世の中に、おとなしく追従している人が圧倒的という現実にめまいがする。
コメント (1)

ワクチン徒然9

2022-05-26 | 日記
今さら驚くことなかれ。
ワクチンというのはまでも、その時代の技術に可能な、如何わしいもの、ギョッとするようなものが満載だった。

それがワクチンだった。
「ウイルスを薄めて抗体を作る」と言いながら、添加物というか毒物というか、なんでこんなものまで?と理解に苦しむものをあれもこれもプラスして
「健康のために打ちましょう」とか「命に関わることだから打ちましょう」と言って打たせていた。

何を入れても、何が起こっても、責められないし裁かれないし、原因は特定されない。
「いや、打ったらこうなったじゃないか」と言われても、因果関係不明だしー、それワタシじゃないしー、無闇に疑うなんて人としていけないしー、とすっとぼけが通るのである。
そういう体制になっている。

それどころかメディアは「ワクチンが人類を感染症から救ってくれた」と宣伝してくれる。
疑う人は、「しかるべき人たちから」弾圧される。
しかるべき人だけじゃなくて、それを素直に信じ切った人が、疑う人を陰謀論者と呼んでくれる。
お金はバカスカ入ってくる。
そのお金でまた、やりたい放題できる体制を強化する。

面白くてやめられない、とまらない🎵
それがワクチンだったのである。

そして何より、ワクチンというのは何か症状のある人に投与する薬じゃなくて、健康な人に打つものゆえ「打ったからこそこのくらいで済んだ」「打たなかったらもっと酷いことになっていた」という理論で煙に巻いてきた。

そんなワクチンが調子に乗って、ついにここまで進化をしてしまった。

調べるほどに、これ以外を書きようがない。
コメント (1)