note知識と実践と真実と〜知行合一〜
「そんなことするはずがない」という誤解より、引用します。
以下。
…実際、それほど悪い人は多くなく、ほとんどの人が普通の人で話してみれば大体良い人ということはよくあることです。
しかし、その良い人、悪くない人、真面目な人がある条件下では悪人となってしまいます。
それが、「組織」に組み込まれた個人です。
組織人としての人間と、個人としての人間は、真逆と言っても差し支えない程、差が生じます。
とても優しく、真面目な人が組織の中に組み込まれると、「組織に対して真面目」となり、組織の正義を通すことになるのです。
組織の正義の前では、個人の倫理や道徳は必ず敗北します。
組織の正義の前では、個人の倫理や道徳は必ず敗北します。
ナチス・ドイツにアイヒマンという人間がいました。
その男は、真面目で凡庸な、いわゆる普通の人でした。
しかし、彼は組織の命令で大勢の人を殺しました。
その男は、真面目で凡庸な、いわゆる普通の人でした。
しかし、彼は組織の命令で大勢の人を殺しました。
ミルグラム実験、別名アイヒマン実験と呼ばれる非常に有名な実験があります。いかに普通の人でも権威に命令されたらその命令が道徳や倫理に反していてもやってしまうというものです。
スタンレー・ミルグラムはこう言います。
「盗みや殺しや暴行を心底嫌っている人でも、権威に命令されたらこうした行動をあっさりやってしまいがちだ。独自行動では考えられないような振るまいでも、命令されたら何のためらいもなく実行されたりする。」
「盗みや殺しや暴行を心底嫌っている人でも、権威に命令されたらこうした行動をあっさりやってしまいがちだ。独自行動では考えられないような振るまいでも、命令されたら何のためらいもなく実行されたりする。」
その行動の根底にあるのは責任回避と保身です。
結婚し、家族を持つ人間ほど、顕著にこの傾向が表れます。
当然ですが、良い夫、良い親でありたいと思えば思うほど、保身が家族を守ることに繋がるからです。
結婚し、家族を持つ人間ほど、顕著にこの傾向が表れます。
当然ですが、良い夫、良い親でありたいと思えば思うほど、保身が家族を守ることに繋がるからです。
立場を守ることそれ自体が、利益という場合ももちろんあります。
ですが、このような人たちも個人で見ればとてもいい人たちなのです。
ですが、このような人たちも個人で見ればとてもいい人たちなのです。
これは個人的には嫌になるほど見て来たし、今でもしょちゅう感じている。
組織の命令に忠実な人ほど、その責任感からだろうけど、平然と滅茶苦茶な理論を展開する。
(宗教だけじゃないですよ。コロナ禍になってわかりやすくなったけど、一般社会でもありますよ)
本当に個人だったら何も言わない人が、組織の一員となると見事に豹変する。
でもこういう人は、組織の中では「仕事ができる人」とか「真面目で誠実な人」と重宝されるから、いい人なんてその立ち位置で変わりますね。
騒動の何が厄介かって、学校とか企業とか病院の組織にそれが回った時である。
個人の感覚やルールとは比較にならない、それはバケモノみたいに膨れ上がってしまった。
組織のしがらみから離れて、一人「自分」として歩いている時、そこまで険しくならなかったろうに。
コロナ騒ぎは、組織というものとつくづく切り離せなかった。