8月29日(土) 雨のち曇り
夜半からの雨は止まず、向かいの旅籠(宿)も道も雨に濡れそぼっている。(注:網戸越し)
朝食をいただいてしばらく天気の様子をみるが、変わらない。
8時近くになってから宿を出る。
宿のおばさんが何度も「気をつけて、気をつけてね」と云って玄関で見送ってくださる。
小さくて時空を異にしたような宿場、望月。
「会坂の 関の清水に影みえて いまや引くらむ 望月の駒」 と紀貫之は詠んでいる。
宿場のはずれの大伴神社を過ぎて歩いてゆくとすぐに間の宿(あいのしゅく・宿場間が長い場合間に置かれた宿場)の茂田井(もたい)だが、
中仙道、とくにこの望月と次宿の芦田との間はそんなに離れていないのに間の宿があるのはめずらしい。
望月は当時、大水やら災害などで少し位置がずれたのでそのせいかもしれない・・とどこかに書いてあったような気がする。
茂田井に入るとすぐに神明社。
雨乞いの神様である。わたし勘違いして一生懸命お祈りしてしまった++;
昔から酒造りで有名な茂田井の街並みは昔日の面影を今に遺す。
若山牧水の愛した街でもある。
中仙道といえばまず木曽に入ってからの奈良井、馬籠、妻籠を思い浮かべるが、
もし島崎藤村がここに生まれていたらこの信濃路あたりの宿場はもっと観光地化されているかもしれない。
晴れていれば、浅間と蓼科山の峰々が見える水のきれいな街である。
直ぐに芦田の宿。
お休み処でお茶をいただき本陣の玄関に入ってみる。ここの本陣は昔日のままの表門。
芦田を過ぎて笠取峠に向かい国道のゆるい山道を登ってゆく。
途中の有名な傘取峠の松並木(慶長年間に植樹)にさしかかる。ここは石畳が整備されいて車も来ず歩きやすい。
ただし並木は今や1キロメートルほどしかなくなったようだ。
途中にある峠の茶屋でひと休み。
ここはちょっと前までは茶店があったようだが今は無人。
そしてさらに登る。あまり辛くないのは強い陽が射さないせいだろうか(と負け惜しみ^^)
お~、一里塚を過ぎれば長和町だ。佐久から立科(蓼科の旧姓?)の地域に入る。
バイパス完成記念のレリーフ。
ここからは淡々と下り。右に壊れかけた案内板があってわかりづらいが国道と別れ右の山道に入る。
とたんに熊が出そうな雰囲気。「森の熊さん」を歌う♪
意外や意外、このあたりから薄日がさしてくる~~~。さっき間違えて神明社で間違えて雨乞いしてしまったのに(^-)
街道の原道も残っているが今では人は通れないらしい。
さらに下るとぽっと前が開けて里の風景と五十鈴川。ここに架かる橋を渡りぐるっとまわりこむように歩くと真っ赤な鳥居があり松尾神社。
かなり古い。ここが長久保宿の鎮守様らしい。
いよいよ長久保宿。
ちょうど12時。
今は「長久保」と表記するが本は「長窪」であったらしい。
雨が上がって
山並みも少しづつみえてきた。
街道歩きをしていなければ絶対に知らなかったこういう宿場。日本にはまだまだこういう場所だらけだ。
本陣隣の高札場。
ここの街には「うだつ」もある@!
今日はこの長久保宿の旅館「濱田屋」さんに予約を取ってある。
本来ならこの先約8㎞の和田宿に泊まり、明朝、峠に入りたかったのだが、和田宿の旅館は一昨年を最後に店仕舞いしたそうだ。
「いつまでもあると思うな、道と宿 byやまびこ」!である。
なので、ここ長久保の数軒の旅館では、和田宿あたりまで歩いた人には車で迎えに来てくれるというありがたい方式をとってくれる!
ここに戻って一泊し、翌日は巡回バスで歩いたところまで乗ればそこから峠を越えらる、というわけ。
おまけに荷物を預かってくれるというので、空身になったわたしたちはルンルン気分で和田宿をめざす。
教えてくれた国道のドライブインのようなお店でカレーライスともりそばを食べる。ビールが水のように喉を潤してくれる。
白い鉄橋を左に見て国道から外れた道を歩いてゆく。
長和田の集落はその名の通り長い。
こんなものもいます。
蛭じゃなくてよかった~~☆☆
やがてヘンテコな道祖神と説明板。なんとなんとミミズの碑ですと!近くにはミミズ神社もあるらしい。
あまりにもさっきのミミズ出現とタイミングを同じくしているので不思議な感じ。
和田宿までの約8キロのこの道で出会った人のは、この郵便配達のお兄さんわずかひとり。
長閑というか鄙びていると静かいうか過疎化というか・・。
蕎麦の白い花の咲く畠を過ぎてのぼりにさしかかると、見えた和田宿の標識。
昔は大きな旅籠であった「かわちや」は歴史資料館になっている。
資料館の叔父さんの説明によると、ここ和田宿は文久元年3月に宿場の殆どが大火で焼失。
折悪しくもその8か月後の11月に皇女和宮の一行が通るということで
猛スピード全力投球で街並みを復興したらしい。
現存するのはそのとき再興された建物。
本陣もなかなか立派。和宮さんの御威光のほどがわかる。
15時を越えていたのでだあれも観光客のいないお土産屋さんで珈琲を注文。なんとそば粉で作ったプチケーキをつけてくれた。
これがまあ美味しいこと!!
さて和田宿まで来れば、ここから長久保に引き返してもよいのだが、もう少し歩いておけば明日の峠越えはうんと楽になる。
荷物もないし、なんといっても今は雨がやんでいる。チャンス!というわけで峠入口の近くにある唐沢集落をめざす。
諏訪街道(中仙道)と松澤歩道?の追分を過ぎ、大井出の集落を抜ける。
国道と合流するので歩きにくいが、こんな標識が見えると、「まあ、よくここまできたものだ@!」と感慨があふれてくる。
そんなこんなで和田宿から約4㎞歩き、国道から右折して集落に入り16時に唐沢のバス亭に到着!
和田宿で電話をしておいたので長久保の宿のおかみさんが車で迎えに来てくれる。
約12㎞歩いてきた道のりを車は30分で走る。
せっかく歩いた距離を戻るのはもったいない気もするが、いやはや現代の文明?は素晴らしい。
夕飯は、とても庶民的な家庭料理。たくさん歩いたので大変おいしかったのはいうまでもない。
宿のおかみさんのお孫ちゃんが横笛を練習をしていた。松尾神社の大祭で吹くので子供たちが集まって練習するそうだ。
古い宿場街に子供たちが祭りの練習で笛を持って集まる・・・こちらまでワクワクした。
夜中にまた雨の音。明日は、明日こそは晴れてほしいのだが。
本日の歩行距離:約23㎞。
京都まで約326㎞。
閑古して、必死に生活している、過疎の村が、なんか可愛そうな気が・・・・・
そう言う時代なんでしょうね。
温かく迎えてくれて、とても嬉しかったと。
感傷に浸れるのは異邦人だからなのだ。
実際、いいところですね、と宿の女将さんや資料館のおじさんに聞くと必ず「そうでもないよ」と答えが返ってきます。
でも望月、芦田、長久保。和田・・これらの宿場は、別荘地とか観光地として相当テコ入れしないと今に消滅すると思われる。
廃屋が山のようにありましたもの++。
次男のお嫁さんの実家が甲府で、長久保さんなのです。
この辺の出なのかもしれません。
諏訪湖周辺は大阪に車で往復していたころよく泊まったところです。次男が結婚してからは花火を見に行ったり、長久保さんちに行ったり、よく通るところです。
少し大きな通りから入ると、こんなに風情のあるところがあるのですね!
雨に濡れて、風邪をひかないように・・・
今日はめちゃ蒸し暑かったですが。
今回歩いたいくつかの宿場は中仙道でも最も長閑で静かでタイムトラベルをしているような街道筋にありました。
国道が大きな川だとすると、流れが曲がったところにできて、いつのまにか川と切り離される三日月湖のような感じ・・かな。だからこそ残ったものが多いような気がします。
車や鉄道では線を移動するけれど、歩きは点です。点と点のつながりがこれ以上ないほど、楽しい。
まるで楽譜の上をたどっているような感じです♪
(歩きなので荷物が多く、お土産は持って帰れませんが^^;)
坂を上ろうとしたのだけど、イワさんが体調不良で断念。
坂の上でしばし、ここは絶対降りたよね、やまびこ夫婦はなどと・・・
その時、オヤジ一人の中仙道歩きの人と遭遇。
ここを降りるんですよとお勧めしたりと。
やはり旅は天気のほうが何倍もいいかもね。
恨みの神明社め~++;(間違えて祈ったわたしが悪いのだけど^^)
瓜生坂、あそこは見落としやすい、ちょうど農家のおじさんが仕事をしていて、中仙道ならこっちを降りるんだよ~!と教えてくれたの。道しるべはあるけど佐久方面から行くとすごく見落としやすかった。
>やはり旅は天気のほうが何倍もいいかもね。
そうそ!だから晴れ男のびんちゃんが木曽路も歩いてくれると助かるんだけど残念だ(=-=);
そちらのお礼参りの日記、楽しみにしてるね!