2月7日(日)快晴
益子で江戸時代から続く藍染工房、益子陶芸美術館、そして益子焼の濱田庄司参考館の登り窯などを見て回りました。
行きは車で東北道から栃木都賀インター経由で北関東道に乗り、真岡で降りて益子まで2時間ほど。
一両編成の真岡鉄道の踏切を越えながら山里を抜け、静かな街並みに入ると城内坂と藍の道との角に日下田藍染工房がある。
益子と云えば、関東人は益子焼を思い浮かべるけれど、どっこい!こんな藍染屋さんや土地に根付く民芸の数々が宝石のように散らばっていた。
藁葺の屋根の下に江戸時代から続く藍染の甕が並んでいる。
これだけの規模の工房は、関東ではもう残されていないそうである。
天井からは染め上げられた糸が吊るされ、独特の藍の発酵した匂いが漂う。
こちらでは糸を先に染めるのでなく、綿の段階で染め上げ、そこから糸を紡ぎ織りにかけている。
どんな色に染まるか、甕から上げるまでわからない神秘の世界。
すたれゆく和綿をもう一度復活しさせようと、ご自身で綿花の畑を作り、藍まで栽培しているそう。
絞り染めも見せていただきました。
昔の貴重な型紙、染め方、紡ぎ方、織り方・・・・懇切丁寧に説明してくださるので、目からウロコの連続。
藍を立てるところも見せていただき、この静けさから御いとまするのも後ろ髪引かれる想い.
とりあえず工房を出て
城内坂の陶器屋さんを冷やかし、陶芸美術館で加守田章二の作品を鑑賞。益子焼の成り立ち変遷にも触れることができた。
陶芸美術館からほど近い濱田庄司の住居(移築)、そして小高い丘の上に広大な敷地を持つ濱田の参考館にも足を延ばす。
濱田庄司は益子焼を民芸芸術の域に高めた陶芸家で、蒐集家でもあるが、その人柄はいたって気さくで土地の人々とも親しく交流していたらしい。
登り窯。東北大震災や昨年の御豪雨でかなり打撃を受けたらしい。
ろくろを回した部屋。
午後3時を回ると次第にしんしんと風が冷たくなってくる。
参考館を出て里山通りを下っていると、途中にカフェを営業している陶器屋さん「明窯」あり。
中には60代のご夫婦ふたり。ご主人がろくろを回し奥様が絵付けをして店頭に出しているとのこと。
美味しいコーヒーと手作りのシフォンケーキをいただきました。
益子はどこに行っても街の方々が親切でたくさんお喋りしてくださる!まるで故郷のお友達の家でお茶しているような感じです。(東京以外に故郷はないけれど~^)
「明窯」で購入した小鉢。↓
益子はケレンミノない本当に生活に密着した普段使いの器が多い。
帰りは293号をまっすぐどんどんどんどん南下して谷和原から常磐道に乗って帰宅。
かなり陽が伸びて午後五時でもまだ明るい。広大なの常総大地の果て、夕陽の残り火に筑波山が映えてきれいでした。