S2000奮闘記

スポーツカー偏愛録。
S2000のメンテナンスノート。

2011年 S2000ぶらり旅「県北ドライブ 編」

2011年06月11日 | 周遊紀行 / 栃木
2011年 6月11日(土)
天気予報が運良く!?外れて雨が上がったので、ランチを食べに大田原市にある「Cafe&Restaurant クローバー ボヌール」へ出掛けました。
那須烏山市にあるクローバーの姉妹店。
こちらのボヌールはカフェも隣接されていて、どちらかと言うと洋食屋サンって感じのお店。
本店のクローバーの方がガッツリ系


選んだのは「De jeuner お昼のコース」






休日に、ゆっくりと流れる時間の中で美味しいランチを頂きました。
ごちそうさまでした

Cafe&Restaurant クローバー ボヌール
栃木県大田原市浅香5-3764-95
Tel.0287-23-5311
食べログ http://r.tabelog.com/tochigi/A0904/A090402/9010063/


ランチを食べてから大田原市内を抜けて、日塩有料道路(もみじライン)を通りました。
それほど空気に湿度も無かったので風も爽やか
「もみじライン」と呼ばれるだけあって、もみじの季節には美しい見晴らしでしょうが
この時期は車も少なく、新緑の中を駆け抜けることが出来て気持ち良かった




ASM ビッグスロットルIS-09 、ASM スロットルスペーサー(AP1用)、ASM SAMCOインテークホース(AP1用/初期ロット) 、TODA RACING ライトウェイトクランクプーリーキットとG.T WORKS GENROMの組み合わせは
ストレスは一切無く、軽快にワインディングを進んでくれます
 

途中、「太閤下ろしの滝」を発見
滝を見ている時は、栃木と秀吉???という感じでしたが、帰宅後に調べて納得。
「太閤下しの滝」は、天正18年(1590年)豊臣秀吉は小田原城を落城させて北条氏を滅ぼし、天下統一の仕上げとなる東北諸大名の仕置きを終えた帰りに会津西街道を通行した。その道中の下り坂があまりに急で、秀吉さえも下馬して歩かねばならなかったという場所が”太閤下ろしの滝”のある辺りだったと伝わり(また一説には、滝のあまりの美しさに、思わず馬から下りたことに由来するとも言われる)滝の名はそんな逸話に所以がある・・・とのこと。
滝の名前の由来を知らなくても、その美しさと水の透明度には驚きました
ただ・・・誰も居ないし、静かすぎるくらいに静かで、が出て来そうで恐かった
 

  

  


日塩有料道路(もみじライン)を出て、鬼怒川の温泉街に入って鬼怒川楯岩大吊橋に立ち寄りました。
「鬼怒楯岩大吊橋」(きぬたていわおおつりばし)は、温泉街の南部(ホテルサンシャイン鬼怒川の脇を入ったところ)と名勝「楯岩」を結ぶ木製床版の人道吊橋で、全長140m、橋桁の幅1.5m、水面からの高さ約37m、中央部にはバルコニーも設けられる。橋上からは大岩をぬって流れる鬼怒川の渓谷美と緑の山々を眺めることができ、「最大の目玉は橋を取り巻く景観」とか。吊橋を渡ると「楯岩」までは遊歩道が整備され、「楯岩」の頂上展望台からは、眼下に温泉街、遠くに鶏頂山をはじめとする高原山系の美しい山並みが一望できる大パノラマを満喫できる。平成21年7月21日(日)完成。・・・とのこと。
鬼怒川・川治温泉観光協会ホームページ

橋の中央部(バルコニー)の風景。
 
橋を渡るとヘンな!?像がお出迎え。
 
対岸よりホテル側を見ると・・・140mは意外と長い

「楯岩」の頂上展望台を目指して歩き出すと・・・またヘンな!?像がお出迎え。
あまりにもセンスの無さ過ぎる像が二体も続くと
坂を上り終えた地点に立っていられると
危うく、回し蹴りを放つところだった

階段を上って頂上に付くとチープな鐘がありました。
(階段は意外と急な造りで上るのに大変だった
 
でも眺めは良かったです。
鬼怒川の温泉街が一望できて、
 
S2000発見

展望台とは反対側には(400mほど歩く)小さな滝もありました。
マイナスイオン(出ていた!?)を浴びて、帰路に着きました。
 


今回の行路。

宇都宮市 → 大田原市 → 日塩有料道路(もみじライン)→ 鬼怒楯岩大吊橋 → 宇都宮市
S2000本日走行距離 177.9km
S2000 ODO 127,746km

2010年 ぶらり旅「烏山と那須 編」









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東日本大震災から三ヶ月

2011年06月11日 | 雑記
2011年 6月11日(土)
震災から三ヶ月。
テレビでは、復興へ向けてスムーズに進まない現状が毎日の様に報道されている。
足かせとなっているのが「政治の停滞」で、復興への妨げを助長しているように見えてしまう。
国の政治が機能していないから、現地でも進まない。
この栃木県でも知事の決裁権に限界があるから
結局は・・・現場→市→県→国 となる(汗)。

今、「大連立」と騒がれて管総理下ろしのムードが漂っているけど、そもそも先の選挙で国民の審判が自民党政権にNo!を下して、民主党に政権を任せたはずなのに、何故?自民党を政権に入れるのかな?
「人材不足」というそんなチープな言い訳をしてるみたいだけど、選挙では「挙党態勢」とうたっておきながら総裁の座についたら、小沢派を閉め出したのは管総理自身なのに今更「人材不足」って?呆れて何も言いたく無くなる。
これが本当に国民の事を思っている政治家が取るべき行動なの?
最近は政治家が「国民の皆様」って言っているのを耳にすると、馬鹿にされている気がして無性に腹が立つ。

ちなみに今の自民党は谷垣氏の回りは、みんなYesマンらしい(汗)。
前の小泉総理の秘書官の飯島氏のような、総理に対しても「No!」と言える優秀な秘書官は居ないらしい。
要するに、今の自民党は「同族意識」で結ばれた仲良し軍団なのかもネ?

血縁もしくはそれに準ずる同族意識で結ばれた歴史的生命体、すなわち王朝とか政党とかには寿命がというものがあり、「15代」(前後)でで終わるジンクスがある。フランスのルイ王朝もフランス革命によってルイ十六世は断頭台に消えた。足利幕府、徳川幕府は15代限りで終わった。そして平成の「自民党」は竹下氏を初代とすると、谷垣氏は13代である。末期に近いのかもしれない。

そんな自民党に期待を寄せるよりも、民主党(できれば若手議員達の超党派)の自浄能力に期待した方が復興への道のりは早いのでは?と個人的には思っている。
「大きな夢(ビジョン)」を描けない社会運動家の現総理には、何一つ期待していないけどネ。

S2000とは関係のない話ですね。
乱筆乱文ですが、自分への戒めと思って綴っておきました。
自分の非才浅学が嫌になる。
明るい未来が訪れます様に・・・。

東日本大震災から二ヶ月


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