やっぱり幸せ♪

日常の色んなこと、特に発達障害を持つ息子との素晴らしき日々を綴っていきたいと思います。

2分の1成人式

2016年01月30日 | 日記(息子・小4)

29日は、参観日。

この日は、3~5時間目がフリー参観となっていて、息子達4年生は、5時間目に2分の1成人式を行うことになっていました。

子ども達は、この日に向かって、「10歳の想い」を書いた作文を書きあげていました。

将来の夢や、日頃感じていることを書こうというものです。

 

私も、とても楽しみにしていたのですが、その二日前に思いもよらず腰を痛めてしまい、立てるか?歩けるか・・・?

小学校まで歩いて10分もかからない距離なのですが、見に行くことが危ぶまれました。

 

そんな私を救ってくれたのが、友人のYちゃん。

時々、1年生の弟と一緒に、うちに遊びに来てくれる息子の同級生のお母さんでもあります。

私がぎっくり腰になってしまったと聞きつけた彼女は、

「もし、2分の1成人式だけでも見に行けそうだったら、学校まで車で送るよ。」と、メールをくれました。

 

学校にも、その周辺にも車を停めることが出来ません。

彼女は、私の家に車を置いたまま学校に行って3~4時間目を参観し、昼休みの間に私を車で学校まで連れて行ってくれ、自分はまた私の家に車を置いてから、5時間目の参観までに学校へと戻ってきました。

 

彼女のお陰で、息子の発表が終わるまで、ちょうどクラス34人の半分ぐらいの発表を参観することが出来ました。

前に出て、一人ずつ発表した作文は、どれも一生懸命考えて書き上げたものだと分かりました。

緊張しているのか、感極まったせいなのか、発表しながら泣き出してしまう子どもも何人もいました。

 

息子も、下書きの段階でかなり悩んでいたようです。

「夢」というものがまだよく分からず、「サッカーチームのサポーターになる」ということを書くことにして、先生から色々ご指導を受けていたそうです。

 

「ママ、楽しみにしてるよ。ビデオに撮って、お父ちゃんやばあばにも見せたろな。」

と、私が言うと、

「ビデオには撮らんといて。作文のこと、お父ちゃんやばあばには内緒にしといて。。。」

と言いながら、息子の目から涙がぽろぽろこぼれ落ちてきました。

 

「どうしたん? 自分の思ってるのと違う作文になった?」と、聞く私に、

「将来の夢とかって、何を書いたらいいのか分かれへん。ほんまは書くことがないねん。」

と、息子は言いました。

 

将来の夢・自分の気持ちという、見えないものを形にすることは、息子にとってとても難しいことのようです。

先生にご指導を受けながら書いてきた作文が、いつの間にか自分の思いではないような作文になってしまったのでしょうか。

 

「一生懸命考えて、分かれへんかったら分かれへんでもいいんやで。

〇〇の頭の中はサッカーでいっぱいやねんろ。そのまま書いたらいいやん。

サッカーが大好きで、サッカーのことをいっぱい知りたい。サッカーの試合を観たり、自分でもサッカーしたい。

それで、大人になったら、どんなことが出来るか分かれへんけど、やっぱりサッカーに関係のある仕事がやりたい。

〇〇がそう思うんやったら、そのまま書いてみたら。」

 

「うん、それやったら書けそう!」

息子はそう言って、先生からもう一度下書き用の原稿用紙をもらい、一から書き直しをしたようです。

 

みんなの発表を聞いていると、どうやら、作文の書き方に決まりがあるようでした。

将来の夢。

なぜ、そう思ったのか。

そのためにどんなことを努力しようと思うのか。

そして、感謝の気持ち。

 

なので、息子の発表だけが、

「僕は、将来の夢はまだ分かりません。」で、始まります。

「サッカーが大好きで、サッカーのことばっかり考えているので、大人になったらサッカーに関係する仕事をしたいです。」と。

息子が書き上げた「10歳の想い」は、もっとサッカーのことを知りたい、もっとサッカーがうまくなりたい…と、「サッカー大好き!」の気持ちがいっぱいに溢れていました。

 

また、父親がスマホで調べたサッカーの色んな情報を教えてくれることや、一緒にサッカーの試合を観たり、一緒にボールを蹴ったりしてくれることを書いて、

「こうして、サッカーのことばかり考えていられるのは、お父さんのおかげです。」

と、感謝の気持ちを書いていました。

 

私にとっては、「サッカーのことしか」関わろうとしない主人も、息子にとっては、「大好きなサッカーのことばかり」関わってくれる父親なんだなぁ…と、少し複雑、でも良かったなぁと思いました。

 

以前、サッカークラブに入ろうか迷っていた息子に、

「サッカーチームに入ったら、Jリーグの試合を観に行かれへんようになるぞ!」

と、言ってしまうような主人ですが、この息子の想いを話して、

「家族で、息子の頑張っているサッカーを応援してあげよう!」と、言うつもりです。

 

腰に負担がかからないように、財布すら持たずに来たので、ビデオカメラは持って来られませんでした。

息子にそのことを言うと、

「父ちゃんには、(作文のことを)ママから話しといて!」と、言っていたので、

自分でも納得のいく作文だったようです。

 

未来のこと、これまでのこと、一生懸命考えたこの数週間こそが、2分の1成人式。

大人への階段を昇る儀式だったのだと思います。

 

その集大成である発表の場に連れてきてくれたYちゃん、本当にありがとう。

嬉しくて、心強くて・・・

息子達に負けず、親業、これからも共に頑張っていこうね!

と思った一日でした。

 


明日・・・

2016年01月28日 | 日記

昨日の朝、いきなり腰に”ピッ”と嫌な衝撃が走り、そのまますとんと立っていられなくなって、床に這いつくばるような格好になってしまいました。

 

腰に力が入らない。なので、立てない。

とりあえず、床が冷たいのでカーペットの所まではいつくばり、息子が起きてくるまで待っていました。

 

息子にモップをもってきてもらい、それを支えに立とうとして、息子の肩も借りながら、なんとかコルセットを置いている場所までたどり着き、腰に巻きました。

それでも、立ち上がるのがやっとで、支えなしには痛くて立っていられなくて、朝食を作るのはあきらめました。

主人が起きてきてから、トーストを焼いてもらい、コーヒーとバナナとヨーグルトだけで済ませてもらいました。

 

油断したなぁ・・・。

主人が退院して、ホッとしてしまったのでしょうか。

鈍い痛みというかしびれがあるので、痛み止めはずっと飲んでいましたが、それがかえって仇になってしまったのでしょうか。

 

まだ、寝込んでいる場合ではないのです。

明日、29日は参観で、息子の2分の1成人式があります。

息子なりに、一生懸命作文を書いていました。

何を書いたらいいか分からずに涙したり、下書きしたのを丸々書き直そうと、先生に新しい用紙をもらいに行ったりもしていました。

 

昨日は、とにかく安静というか、トイレに行くのも難儀で一日中横になっていました。

今日は、パソコンの前に座れるようになったので、かなり回復はしているようです。

 

明日・・・

見に行きたい!

 

明日だけ、いえ、3時間ある参観のうちの1時間だけでいいです。

どうか、立っていられる体にしてください。

 


退院しました

2016年01月25日 | 主人の心房細動

昨日、5日間の主人の入院生活が終わりました。

早速、今日から仕事に行っています。

 

カテーテルアブレーションの手術をした翌日には、微熱があったもののすっかり元気になっていて、

「そ~んなに心配することなかったやん!」と、思ったほどです。

 

実際、5時間もかかった手術中は、全身麻酔ではなかったけど、薬でうとうとした状態になっていて、高周波治療のときや、検査で刺激を与えられたときに目が覚めるという感じで、そんなに苦痛じゃなかったそうです。

 

ただ、本人曰く、

「手術後は、しんどかった! 体動かせへんように、夜中の2時半頃まで太ももの上におもり載せられてたんや。」

つまり、意識がしっかりしているときに、おもりが重くて、身動き出来ないことがしんどかったようです。

 

金曜日には、夜中までサッカーのオリンピック予選を観ていたらしく、「土曜日に退院してもいい」と言われたのですが、保険金が5日以上の入院からしか請求できない関係もあり、日曜の朝までおいてもらいました。

 

主人が入院した20日頃から全国的に寒~い日が続いて、運転が得意でない上、冬用タイヤすら持っていない私は、雪が積もったらどうしよう…とひやひやしていましたが、結局1日も積もることなく、無事に我が家と病院を往復することが出来ました。

 

大学付属病院だったので、若い先生と看護師さんがやたらと多く、主人の担当医も5人もいて、若い先生の採血のときには、針を何回も抜き直して4回目でやっと成功する…というようなこともありましたが、みなさん、お世話になりました。

 

次は、1か月後の検査です。

もうこれで、心房細動が再発しませんように。

そして、3か月後には、薬を卒業できますように。


「母性」

2016年01月24日 | 読書・読み聞かせ

主人の手術を待っている間に、私が読んでいた本が、湊かなえさんの「母性」です。

 

結婚して子どもを産んでも、自分の娘の「母」となることより、自分の母親に大切にされる「娘」であり続けたいと願った「母」と、そんな母親の子として生まれたために、逆に、母親の愛情を必要以上に求めてしまう「娘」の話。

 

母は、自分の娘を大切に思っていなかったわけではありません。

「私は愛能う限り、娘を大切に育ててきました」との母の手記通り、自分の母(娘にとっては祖母)が命を投げ出しても守りたいと思った娘を、「母に褒めてもらえるような人に育ってほしい」との思いで育ててきました。

でも、母が自ら命を絶つきっかけとなってしまった自分の娘を、どうしても抱きしめることが出来ずに、また、娘が伸ばした手さえも払いのけてしまったのです。

 

私は、自分と母との関係を重ねて、この母娘の手記を読んでいました。

私も、母に抱きしめられたことがありません。

そして、5歳の時に突然母となったその人を、ついこの前までママと呼んでいた人と同じように手を伸ばして甘えることが出来ませんでした。

 

今思えば、21歳でいきなり親となってしまった母に、母性を求めることなど無理だったのかもしれません。

それでも、母なりに必死に頑張って、歳時記に合わせて素敵な料理を作ってくれたりもしました。

そして、子どもを理想の「よい子」に育てようと厳しくしつけ、その結果、怒られないようにと親の顔色ばかり窺うようになってしまった私を、母は、「子どもらしくない子だ」と言うようになりました。

私は、母に褒められようとして、必死で「よい子」を演じていたのですが、もし、私が子どもらしく、もっと母に甘えることが出来たなら、母との関係も変わっていたのでしょうか・・・?

 

小説では、祖母の死の事実を知って、自分には母の愛を受ける資格がないのだと思った娘が首を吊ってしまいます。

 

私も、母に「私の青春返して!」と、詰め寄られたとき、何かがぷつりと切れたように、

「死ぬしかないんだ!」と思いました。

どんなに頑張っても、どんなに努力しても、無理だったんだ。母が私を褒めることはない。

私の存在自体が、母にとっては迷惑なものなのだ、と。

 

小説の続きは、首を吊った枝が折れてしまい、ぐったりと地面に横たわった娘の手を握りしめ、母は娘の名前を叫びます。

失くしてはならない、かけがえのない大切な娘として、彼女の手を握り続けます。

 

一方、私は、実際に自殺を謀ったわけではありません。

その前に、母にぼこぼこに殴られましたが、私を思いとどまらせたのは、母ではなく、

「姉ちゃんをいじめるな~!」と、ひきつけを起こしそうなほど泣き叫びながら、私達の間に入ってきた弟でした。

 

また、かけがえのない存在として、その手を握りしめたのは、娘の私の方でした。

母のことを愛しているのか憎んでいるのか、それさえ分からなくなっていた私でしたが、母がくも膜下出血で倒れたとき、

「お母さんを助けてください!」と、心の底から祈り続けました。

どれだけ自分が母を愛していたのか、どれだけ母を必要としていたのか・・・

母は、10日後に亡くなってしまいましたが、私にもようやく気付くことが出来たのです。

 

私の母と違って、小説の中の娘は意識を取り戻しました。

そして、幸せを手に入れました。 

 

最後に、娘が語った言葉。

これは、私の思いそのものでもあります。

 

「わたしは子どもに、わたしが母に望んでいたことをしてやりたい。愛して、愛して、愛して、わたしのすべてを捧げるつもりだ。。。」

「時は流れる。流れるからこそ、母への思いも変化する。それでも愛を求めようとするのが娘であり、自分が求めたものを我が子に捧げたいと思う気持ちが、母性ではないのだろうか。」

 

私も、今、幸せです。

色々大変なことはあるけど、息子の笑顔を見ると、「やっぱり幸せ」だと思います。

願わくは、私の母にも生きていてほしかったです。 


お留守番

2016年01月22日 | 主人の心房細動

昨日、21日、主人はカテーテルアブレーションという手術を受けました。

 

ストレッチャーに乗せられ、主人が病室を出たのが12時20分。

帰ってきたのは、夕方6時10分頃でした。

30分位止血してから戻ってくると聞いていたので、手術時間にすると5時間ぐらいでしょうか。

通常、4時間ぐらいで病室に戻ってくると聞いていたので、少し時間がかかったようです。

 

手術に対しては、ちょうど1週間前に知人の妹さんが同じ手術をされ、3時間程で問題なく手術が成功し、明くる日にはとても元気になられたと聞いていたので、それほど不安はありませんでした。

むしろ、時間が過ぎるたびに、留守番している息子のことが気になって仕方がありませんでした。

 

「学校から帰ってきて家に入ったら、ママの携帯に電話してね。

電話には出れないかもしれないけど、家から電話があったら、〇〇が帰って来たと思って安心するから!」

息子にそう言い聞かせて、「お留守番、よろしくお願いします」と書いた書き置きにも、色んな注意事項と一緒に書いてきたのに、息子から電話がありません。

こちらからも何度か電話をかけてみたのですが、出てくれません。

 

電話のこと忘れて、遊びに行ってしまったのかな?

ちゃんと家に入れたんならいいんやけど。。。

 

2年前、息子が2年生の時に、主人が蓄膿の手術をすることになり、やはり学校から帰ってくる時間に間に合わないことがありました。

鍵を開ける練習をし、連絡袋に鍵を入れて、「ここに入ってるから、失くさないようにね」と、念押ししたのに、息子は鍵を失くしてしまいました。

家に入れず泣きながら歩いていた息子を、近くの方が見つけて私に連絡をくれ、病院まで連れてきてくださったことがありました。

 

あれから2年。息子も成長し、練習も重ねてきました。

鍵にキーチェーンを付け、最初はランドセルのポケットのファスナーに付けました。

息子が帰ってくる時間帯に買い物などに行くようにして、自分で鍵を開けて家に入る練習をしました。

 

ある日、私の帰りが遅かったとき、息子は外へ遊びに行ってしまいました。

「◇◇と、△△公園で5時まで遊んでくる」と、ちゃんと書き置きをして、鍵もしっかりかけて出かけていました。

でも、一つだけ残念なことが! 

鍵の入ったランドセルは、家の外に放ったままでした!!

 

「ランドセル重いから、置いていってん!」と、いう息子に、

「鍵だけ外して持って行ったら良かったのに・・・。」

と、言いつつも、付けたり外したりしてまた失くすと大変なので、ファスナー付きのジャンパーのポケットに付けて、

「このポケットは、鍵を開ける時しか開けない」ということにしました。

 

そうやって、練習を積み重ねてきたから大丈夫なはず。

だけど、いつもと違う何かが起きたら・・・と思うと、祈るような気持ちで息子からの電話を待ち続けていました。

 

5時40分。やっと、息子から電話がありました。

やはり、帰ってきてすぐに遊びに行ってしまったようです。

電話のことは忘れていて、書き置きもこの時に見たようです。

 

6時頃、ご近所の先輩ママさんが息子の様子を見にいってくださり、

「しっかり留守番しています」と、メールをくださいました。

 

6時10分、ストレッチャーに乗った主人が戻ってきました。

全身麻酔ではないので、意識もしっかりしていて、

「お疲れさん!」と、私が言うと、

「手術はうまいこと終わった」と、言っていました。

 

「痛い?」と、聞くと、頷いていました。

しばらく体は動かせないし、立膝もダメなようです。

その日は絶食ですが、水分はとっていいようなので、主人にリンゴジュースを飲ませてあげました。

 

先生が手術の説明をするため、私の携帯に呼び出しの電話をかけたらしいのですが、私の携帯にはかかってきていません。

「次の手術に入られているので、説明は、2時間以上後からになります」と、言われ、

「子どもが一人で留守番しているので、問題なく手術が終わったようですし、後日にしていただけますか」

と、お願いして帰ってきました。

 

7時10分。我が家に到着。

車の音を聞いて、息子が玄関まで迎えに来てくれました。

 

「寒~い!!」

部屋に入った私が、思わず一言。

エアコンをつけずにいたようです。

「エアコンつけてねって、書いてあったやろ?」と、言うと、

「ばあばが電話で、『こたつつけたら大丈夫やで!』って言ってたから!」と???

 

こたつに入ってたらあったかいけど、ボールを蹴ってぐるぐる回ってたら意味ないやん!

・・・とは思ったけど、そんなことは、もうどうでもいいことです。

 

「お留守番、本当にありがとう! 父ちゃんの手術、無事終わって良かったね~!!」

 


右半分だけ・・・

2016年01月19日 | 日記

先週、書くことがある時はブログを更新しようと思って、ちょっと頑張り過ぎたのか、首から右の肩、腕が重だる~く痺れるようになってしまいました

 

ひどいときは、ペットボトルが持てない。

洗濯物を運べない。掃除機がかけられない・・・。

 

右足はいつも痺れがあるので、右半身、足先から鈍く痛みます。

片頭痛もいつも右だし、右瞼の痙攣も続いているので、これって関係があるのでしょうか・・・?

 

ロキソニンを飲み続けると肝臓などに悪いらしく、整形外科で「リリカ」よりも負担が少ないという「サインバルタカプセル」を処方されました。

でも、この薬もひどい吐き気がするので続けられそうにありません。。。

 

1週間飲み続ければ慣れる人もいるらしいのですが、この1週間は大事な期間。

明日、主人が入院するので、病院の送り迎えや手術の付き添いなどが待っています。

 

1週間は、また湿布とロキソニンで乗り越えることになりそうです。

 


迷子

2016年01月15日 | 日記(息子・小4)

昨日は、休みの多い月曜日と時間割が振り替えられ、小学校は5時間授業となりました。

高学年の子ども達にとっては、少し早く学校から帰って来られる嬉しい日。

 

「△△公園で◇◇と待ち合わせして、◇◇の家で遊んでくる~」

息子はそう言って、嬉しそうに出かけて行きました。

 

前回の待ち合わせは、場所は決めてきたけれど時間を決めていなくて、家と待ち合わせ場所を行ったり来たりしていました。

今回は、ばっちり時間も決めてきました。

 

「5時頃暗くなってくるから、それぐらいに帰ってくるんやで~」

そう言って、お茶やお菓子を持たせて送り出してから数時間後。

息子は、5時40分頃に帰ってきました。

 

帰ってくるなり、泣きそうな、ほっとした表情で私に抱きついてきました。

「やばかった!・・・迷子になってん!!」

「迷子? 道に迷ったん?」

「◇◇の家から『一人で帰れる』って言うて帰って来たんやけどな、分かれ道ばっかりあって、同じような家ばっかりでな、ぐるぐるぐるぐる自転車で走って、分かれへんようになってん!」と。

 

「住宅街、分かりにくいもんなぁ。よう帰って来れたなぁ・・・」

家から出てきた人がおってな、公園どこか聞いてん。その通り行ったら公園が見つかって、そっからは分かった!!」

「えらい! よう人に聞けた!! あ~、無事に帰って来れて、良かった良かった・・・」

そう言って、息子をぎゅ~っと抱きしめました。

 

その10分前に、ばあばから電話がかかってきて、息子がまだ帰っていないと話すとかなり心配していたので、息子に電話をかけさせました。

息子は、自分の迷子の冒険をもう一度待ち合わせから遡って、ばあばに一生懸命話していました。

 

話すことによって、息子の不安で怖かった体験がどんどん過去のものになっていくような気がします

人は、誰かに話を聞いてもらうことによって、物事を客観的にとらえ、より早く「過去の出来事」としてとらえることが出来るのでしょうか。

 

でも、誰にも話せないまま、胸の中から消えることのない問題だってあります

それは、いつ過去のものとなるのでしょうか。。。

 

多分、なかなか解けずに時間がかかる問題もあるということだと思います。

一生のうちに、話せる(分かってもらえると思う)人に出会えるかもしれないし、本や映画の世界の中で、

「ああ、そういうことだったんだ」と、腑に落ちる瞬間がくるのかもしれません。

また、人生の中で、過去の自分と向き合い話をする機会があるのかもしれません。

 

どんなに時間がかかったとしても、いつか、そういう難しい問題があったからこそ、

「こういう自分になれた!」

「こう思えるようになった!」

と、かっこいいセリフが言える自分になれたらなぁ・・・と願っています。

 


心配なメンメン(男達)

2016年01月14日 | 日記

最近、主人の機嫌が悪いです。

手術が近くなって、ナーバスになっているのでしょうか。

 

先日のばあばのお誕生日の食事会でも、つまらないことで突然切れたように、

「もう、いやや~」と、怒って、すねる始末。

 

きっかけは、本当に些細な事でした。

息子が、ステーキ御膳と別にお寿司を頼んで食べると言うので、私が、

「ステーキには、白いご飯がいいやん」と言うと、息子も

「そうやなぁ」と、ステーキ御膳と好物のポテトを注文することになりました。

 

それなのに、注文を確認していたら、また、主人が同じことを言いだすので、

「だから、ステーキには、白いご飯でいいやん!」と、私が言うと、

「もう、いやや~」と、急に大きな声を出して、その上、

「勝手にせえや~。〇〇が言ったから言うてるだけやのに、何で俺が怒られんなあかんのや!!」

と、怒りだしました。

 

いや、怒ってないし???

息子にも同じように言って、納得済みで、話終わってるし???

 

ばあばが、

「子どもが二人いるみたいで、ママ大変やね~」

と言ってくれたので、ムカッ!ときて言い返そうとした言葉を飲み込みました。

 

それに、主人は、家では息子とサッカーの話をする以外はほとんど喋りません。

(これは、いつものことかもしれませんが・・・)

 

息子が、お年玉で買った「マインクラフト」というゲームの操作方法が分からずに、悪戦苦闘しているようなので、

「お父ちゃんも、興味あるふりして『どうやって作るんやろ~?』って、〇〇と一緒に調べたったら~」

と、私が言うと、

「何で?」の、一言。

 

「『お父ちゃんと、サッカー以外の話も出来るんや!』って、〇〇も思うようになるで!」

と、私は言ったのですが、まるっきりそんな様子はありません。

 

息子も、主人には「マインクラフト」の話をすることはなく、ゲームにとんちんかんな私に助けを求め、建築物が出来上がるたびに、

「ママ、見て見て~」と、私を呼びに来ます。

 

興味のない事柄は、一切、無視するわけ???

 

先日、弟と食事をしている時に、そんな主人のことを話したら、

「サッカーのことで話出来るんやから、ええやん!」と。

「その気がないのに一緒に遊んでもらったって、子どもは余計に嫌やで。」と、言われました。

 

「姉ちゃんはな、〇〇に、困ったときは、サッカー以外のことでもお父ちゃんに話してみようと思ってほしいねん。今のままやったら、サッカー以外の話は出来へんと思ってるもん。」と、私が言うと、

「姉ちゃんおるし…。姉ちゃんがみんな聞いてくれると思ってるから、必要性感じてないんちゃう。」と。

そして、それは、そういう風に思わせてきた私のせいらしいのです。

 

「でも、お父ちゃんには、昔からず~っと『〇〇のこと考えて』って、言ってきてるで!」

「それは、やれへんというか、考えられへんねんろ。」

 

でも、私も、いつどうなるかなんて分からないのです。

私が股関節の手術を受ける時には、息子と主人の二人きりになってしまいます。

 

「まぁ、何とかせなあかん時には、何とかするよ!」

だから、心配いらんという弟。

 

それは、きっと、君もそういうことなんだろうね。。。

そう思って、弟の話に少し安心する私でした。


一進一退

2016年01月13日 | 息子の広汎性発達障害と強迫性障害、適応障害

先週末に、息子のメンタルクリニックの診察がありました。

 

「調子はどうですか?」との先生の質問に、

「え~っと、何のこと?」と、息子は、少し首をかしげて分からない様子で、

「気になることはありますか?」と、聞きなおされて、

「あの、ちょっと・・・」と、何かを言いかけたのですが、どう伝えればいいのか分からなかったのか、

「やっぱり、いいです。」と、言うのをやめてしまいました。

 

先生は、息子に深くは聞かずに、

「お母さんから見て、気になることはありますか?」と、尋ねられたので、

「終業式に、息子の言い間違いを指摘したお友達を殴ってしまうという出来事があったり、友達と遊んでいる時にうまくいかなくて、『バカにされている』と感じてしまって、途中で帰ってくるということが続いてはいます。」

と、答えました。

 

「そうですか。ちょっと早かったかな~・・・」と、言いつつ、先生が息子に、

「気になる?」と、問いかけると、

「気になるっていうか、ざわざわする・・・」と、息子は答えました。

 

「〇〇君、お薬を元に戻してみようと思うのですが、いいでしょうか?」

との、先生の問いかけに、息子は頷いていました。

 

「お母さん、薬の量を元に戻して、どうなるか様子を見てみたいと思います。

それで良くならなければ、別の方法を考えてみましょう。

被害意識が出てくる年齢でもあるのですが、強くなりすぎると、本人がしんどいと思うので・・・

と、言われました。

 

リスパダールOD錠が半錠という、ほんの少しの量なのですが、不安を和らげる効果は大きいということなのでしょうか。

その代わりに、また、朝が眠そうになるかもしれません。

 

 今回からまた、「リスパダールOD錠0.5mg(1錠)と、レクサプロ錠5mg(1/2錠)」

元々の予定通り、暖かくなってから薬を減らしていこうということになりました。

 


ばあばのお誕生日

2016年01月12日 | 日記

1月20日は、ばあばのお誕生日です。

その日は、主人の入院する日でもあり、また、入院時にもっていく書類の連帯保証人欄に記名してもらうため、少し早めに昨日、ばあばのお誕生日のお祝いをしました。

 

近くの「かごの屋」で、ささやかなお食事会です。

 

ばあばへのプレゼントは、タオルのセットとおかし&梅昆布茶の詰め合わせ、そして、何よりもばあばが一番喜んでくれたのは、息子からのメッセージカードでした。

 

息子が贈ったバースデーカード

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケーキの前の息子の写真はマリオで代用

 

ばあばへ

おたん生日おめでとう!

お小使いくれてありがとう。

サッカーの話聞いてくれてありがとう。

長生きしてね。   〇〇より

 

と、書かれています。

 

ばあばは、メッセージを読むなり涙ぐんでいました。

 

ばあばは、今年74歳。

お体を大切になさってください。

長生きして、これからもずっと、〇〇のことを見守っていてください。