二十数年ひきこもっていた弟が社会と再び繋がるようになったのは昨年の11月のこと。
ちょうど一年が経ちました。
一年前、とうとう父の遺した貯金が底を尽きようとして、弟と二人で「若者サポートセンター」に就職の相談に行きました。
そこから、弟は仕事を探しながら月6~7万円ぐらいの生活保護を受けることになりました。
ところが、二十数年ぶりに人と繋がるストレスからなのか、弟はメニエール病になってしまいました。
耳鼻科と心療内科にも通うことになり、「広汎性発達障害」の診断を受けることになりました。
目まいや耳鳴りが落ち着いた9月からは、心療内科でカウンセリングをしている心理士さんが勤めているという「就労継続支援B型事業所」にお世話になることになり、午後から2時間、週に2回だけですが通うことになりました。
「就労継続支援B型事業所」に慣れるまでは、若者サポートセンターの担当の方が弟のことを気にかけてくださり、サポートしてくださっていたようです。
私が弟に会いに行けるのは、月に2回だけ。
弟のささやかな変化がとても楽しみです。
弟は、辞書を買い、よく小説を読むようになりました。
事業所等で話をするときに、何を話したらいいのか分からなくて話せずにいると、
「毎日、日記を書くといい。」
と、アドバイスされたそうです。
日記を書いていくうちに言葉を知らないことに気づいた弟は、小説を読むようになり、分からない言葉を辞書で調べるようになりました。
最近ではなんと、随筆のようなものも書いているらしいです。
弟が働く「就労継続支援B型事業所」では、月に2500円ぐらいの賃金をいただけるそうです。
他に、農作業のボランティアをしたときには、お芋や柿をいただいたそうです。
数時間の農作業を経験して、弟は、
「力仕事でも何でも働けると思ってたけど、もし、働きに行ってたら一日でやめてた。
体力が限界やった。」
と、言っていました。
車に乗れなくなり、自転車で事業所や買い物に行くようになった弟は、少しずつ体力が付いているのを実感しているようです。
(実家はどこに行くのも距離があるし、坂も多いのです。)
今週末にはウォーキングがあるそうですが、こうしたイベントは参加不参加は自由だそうです。
まだ他の利用者さんとは話をしたことがないという弟、もし体調が良ければ参加してみるといいのだけれど・・・。
まだまだ調子が悪くなることも多いようです。
福祉課の担当の方との相性が悪いのか、その方に会った後で弟の調子が悪くなることが多い気がします。
眠れなくなったり、食べられなくなったりする日もあるようです。
そんなときは、家の様子が違うのでなんとなく分かります。
弟も気力がなくなってしまうので、ごみを捨てたり、洗い物をしたりという、日常生活さえ手につかなくなってしまうからです。
2週間に一度しか会えないけれど、弟が一日一日精一杯生きている様子をしっかり見届け、ときに労い、ときに私の愚痴を聞いてもらいながら、これからも共に生きていこうと思います。