3月は、母親の亡くなった月でもあり、17年経った今でも、母の命日が近くなるたび心が揺れ動きます。
先日、お彼岸を兼ね、実家にいる弟と一緒に両親のお墓参りに行ってきました。
父の友人が参ってくれたのでしょうか、父の愛した北海道のお酒が供えられていました。
そして、2種類のお花も。。。
一つは、私と年の近いもう一人の弟が供えてくれたものでした。
毎年、母の命日がある3月のお彼岸に、彼は参ってくれます。
この弟は、カフェレストランを一人できりもりし、定休日も月に1日しかとっていないので、ほとんどお店で寝泊まりしていて、実家には帰ってきません。
それでも、毎年お参りに来てくれることに、心のどこかでほっとしています。
弟は、14歳で家を飛び出しました。
まだ、中学2年生でした。
家にあった8万円程の現金を持ち出して、彼は、行方不明になりました。
3年後に自ら家に戻って来たものの、数か月後にはまた自宅を離れ、一人で暮らすようになりました。
住む場所も働く場所も転々としていましたが、どこで何をしているのか分かっているだけで安心しました。
雇われ店長として飲食店を転々としていたので、私も、いろんなお店に食べに行ったものです。
そんな弟が自分のお店を持つようになったのは、父の亡くなった年でした。
勤めていた店の方針と合わなかったり、厳しい飲食業界の風に店が閉店してしまったりで、何度もリストラされ、雇ってもらえる店が見つからなかったときに、父が手を差し伸べました。
父の退職金の半分以上を使い、賃貸ながら2つの店舗をぶち抜き工事をして、実家から車で1時間余りの場所に弟の理想の店を作り上げました。
実は、すでに父は高次脳機能障害を持つようになり、弟の存在は覚えていても、弟の顔はもちろん、弟がどんな風に成長してきたかも覚えていません。
それでも、父は、弟に店を持たせてやることを望みました。
もちろん、悩みに悩んだ末、決断を下したのは私です。
父のこれからの介護に、いったいどれだけお金がかかるのか想像もつきませんでした。
ひきこもったままの弟のことも心配です。
それに、彼は、今まで親の介護に関わってきませんでした。
「だからこそお店を自営して、将来は、借りた以上のお金を援助していく!」と言う弟。
けれども、厳しい飲食業界・・・弟のお店が必ず成功するとは限らないのです。
結局、弟の望みを、そして、「お店を持たせてやりたい」という父の望みを叶えることにしました。
しかし、父は、弟のお店がOPENして4か月も経たないうちに亡くなってしまいました。
完成したばかりの弟のお店に、2回だけ、父と一緒に食事をしに行くことが出来ました。
父は、嬉しそうに店の中を眺め、「うまいやん!」と、弟の作ったオムライスを食べていました。
「ほんまに儲かるんかなぁ・・・?」と、心配そうな私に、父は、
「儲からんでもええ。自分が食べていけるだけ稼げたら充分や!」
と、言っていました。
あれから3年半、まだまだ弟のお店は繁盛しているとはいえません。
人件費を捻出出来ず、土日の夜しかバイトを入れることが出来ないそうです。
それでも、父が力を貸してOPENしたお店で、弟が頑張っていることが嬉しいです。
弟のお店は、親子向け・・・中でも、小さな子どもに対する思いやりが溢れたお店でした。
店の奥には、何百という絵本が棚に並んでいます。
壁掛けのテレビは、スポンジボブやピンクパンサーなどのアニメがず~っと無音声で流れています。
かわいらしい季節のオブジェが控え目に飾られた空間で、食事を待っている間、ママさんが子ども達に読み聞かせをする・・・そんなお店なのです。
先日、弟のお店に寄った時、ママさん一人の食事を、幼児用の食器で二人の小さな子どもに分け与え、ゆっくり食事をしている親子がいました。
お昼時で席が埋まっていて、さらにお客さんが入ってきた時に、弟は、
「混んでいますので、かなり待っていただくことになります。」と、断っていました。
子どもが主役。子どものペースでいいお店なのです。
私は、店の奥で食事をしながら、涙が溢れそうになりました。
きっと、これが弟が望んでいたものだったんだろうなぁ。。。
母親に叱られてばかりいた子どもの頃の私達は、母親が傍にいると怖くて緊張して、息が詰まりそうでした。
それで、また失敗して、叱られる。。。
ただ、笑顔でご飯を食べる。
ただ、一緒に絵本を読む。
親子が幸せでいられる空間を、彼は作りたかったのでしょうか。
お墓を掃除し終え、静かに手を合わせます。
時間差はあっても、こうして、家族で集えて良かった。
色々あったけど、今、両親に一言伝えるとしたら、やっぱり、「ありがとう」でしょうか。
そして、もう一言、付け加えます。
「しっかり、見守っていてよ!」