やっぱり幸せ♪

日常の色んなこと、特に発達障害を持つ息子との素晴らしき日々を綴っていきたいと思います。

登下校のトラブル

2015年10月15日 | 小さな頃の息子

息子が小学校に入学してしばらくの間、登下校の際に色々なトラブルが起こりました。

 

息子の通う小学校は、集団登校はありません。

住宅地から小学校に通う子どもが多かったので、男の子同士集まって、7時40分になったら、集まった子ども達で出発するという形でした。

 

息子は、人との距離感がつかみにくいせいか、友達にひっつきすぎたり、ランドセルをぶつけてしまったりすることがありました。

一部、田んぼの側溝が通学路になっていて、ぶつかった勢いや、そこからケンカになってしまって、自分かもしくは友達が田んぼに片足がはまってしまうということが何度かありました。

 

また、登下校の途中で、帽子や水筒などをとられ、投げ捨てられるということが頻繁に起こりました。

息子はそれを拾わずに、家に帰ってきてから私に報告するので、よく二人で取りに行ったものです。

 

多分、投げ捨てた子どもも「どうしたものか?」と思ったのか、道の端にちょこんと置かれていることがありました。

そこは、分かれ道になっている所で、通学路から外れて何歩か歩けば取れる場所だったのですが、息子は、「寄り道できない!」と、頑なに取りに行くことをしなかったようです。

 

また、複数の児童から一度に話しかけられたりすると、息子はパニックになってしまい、「わ~っ」と大声をあげながら走り去っていたようです。

 

そういうことが重なって、息子も登下校がストレスになり、私が息子の登下校に付き添うことになりました。

 

多分、息子にとって、通学に慣れるまでは戸惑うことばかりだったのでしょう。

たくさんの児童が、しかも並んで歩くのではなく不規則に、お喋りしながら登校している姿を見て、どんな風に歩いたらいいのか分からず、いきなり友達の間に割って入ったり、大きな声で喋りだしたり・・・。

だから、ちょっと変わった子・・・と、周りに思われていたようです。

 

ある日、いつものように登校に付き添っていると、前の方を歩いていた女の子達の一人が、いきなり、

「〇〇って変な奴だと思う人、手を上げて!」と、言い出しました。

多分、2年生か3年生か、息子より学年が上の女の子達です。

周りの女の子達がくすくすと笑いながら、「は~い!」と手をあげると、次は、

「〇〇のこと嫌いな人、手を上げて!」と、言いました。

 

心臓が破裂しそうでした。

息子が不憫でたまらなく、この子達に何て言おうかと、考えを巡らせていました。

 

その時、「やめろ!」という、男の子の声がしました。

同じ幼稚園に通って、放課後サッカーを一緒に習った一学年上の男の子が、偶然近くを歩いていて、その子が、

「俺の友達や!」と、言ってくれたのです。

 

からかいは、ぴたりと止まりました。

 

「◇◇君、ありがとう」と、言うと、

彼は、恥ずかしそうにペコリと頭を下げ、どんどん先に行ってしまいました。

 

「かっこいいね。◇◇君みたいになりたいね・・・」

息子に言い聞かせながら、私自身が強くそう思いました。

 

その後、学校の先生に登下校のことを相談したり、私自身も息子に付き添いながらトラブルを解決していく中で、徐々にトラブルもなくなっていき、息子も登下校のルールが分かってきました。

 

そして、9月の末、

「一人で学校に行くから!」と、息子自ら言い出すようになりました。

 

それから、問題になることなく息子は通学しています。

心配で夜も眠れなかった日も、嬉しかった出来事も、今では全ていい思い出です。 


3分の2の成長

2015年08月26日 | 小さな頃の息子

息子の夏休みの成長! 

何といっても、顔を洗えるようになりました。

まだ石鹸を使うことは出来ませんが、お水でばしゃばしゃと顔を洗えるようになりました\(^o^)/

 

特別水泳教室のおかげでしょうか。

お天気が悪くて、4回中2回も中止になりましたが、プールに2秒顔を付けられるようになりました。

初日は行くのを嫌がっていましたが、頑張って参加することが出来て良かったです。

 

顔が濡れることを嫌がる息子、

一生、顔が洗えないままだったらどうしよう・・・と、心配していました。

お年頃になったらニキビとかも出てくると思うので、本当に良かったです。

いつかは、石鹸だって使えるようになるでしょう!

 

息子が小さな頃、相談室の先生から、息子が嫌がることを「決して無理強いしないように」と言われてきました。

特性上、マイナス体験がトラウマになって、息子の世界をどんどん小さくしてしまいかねないからです。

「少しずつ成長し、たくさんのことが出来るようになっていきますから、ゆっくり見守ってあげてください」と。

3分の2ずつぐらい成長していくものだと思っていると、お母さんも楽ですよ

とも、言われました。

 

その頃は、その言葉の意味がよく分かりませんでした。

 

この子が、普通の3分の2ずつしか成長出来へんと思うのが、どうして楽なん?

ショックやし、余計に焦るし、楽なわけないやん!!

 

けれど、「3分の2の成長」は、いつの間にか私の心を落ち着かせる魔法の言葉になっていました。

6歳の時には4歳、9歳になった現在は6歳、この子の凸凹成長の「凹の部分は、今何歳なんだな」と思うと、息子の行動をすんなり受け入れることが出来、ゆったり構えられるようになりました。

 

癇癪を起こして、叫んだり、お友達とはトラブルばっかりで・・・

食べ物でも何でも受け付けられないものが多くて、自分の主張ばかりで言うことを聞かないし・・・ 

身の回りのこともなかなか自分では出来ないし・・・

 

心配で心配でたまらなかったことが数え切れないぐらいたくさんあったはずなのに、いつの間にか、一つ一つ問題ではなくなっていました。

だから、今、うまくいかないことも、きっとそのうち解決していくのだと思います。

焦らず、何度も言い聞かせながら、息子の成長を楽しみに待っています。

 


自宅で多動OK!

2015年06月30日 | 小さな頃の息子

息子は、筋肉や関節に感じる「固有覚」という感覚を受け止めることが鈍いらしく、体の動かし方がぎこちなかったり、妙に力が入りすぎて、乱暴な動きをしてしまうことがあります。

 

この「固有覚」が鈍いせいか、「体の内側に入る感覚刺激が足りなくて、感覚を満たしたい」という欲求が起こるそうで、どうしようもなく落ち着かなくなることがあります。

 

息子は、小さい頃から、部屋の中をぐるぐるぐるぐる歩き回るのが好きでした。

見ている私も落ち着かないのですが、発達相談の先生から、

「本人にとって必要なことだと思って、差し障りない限りやらせてあげてください」

と、言われていたので、好きにさせていました。

 

小さな頃は、まだかわいくて良かったです。

リビングには、一人用のトランポリンも置いているので、ピョンピョン跳んだり、歩き回ったり・・・

1時間ぐらいは平気で体を動しているので、よく疲れないなぁと感心していました。

 

だんだん大きくなってきて、狭い部屋の中を子グマのようにグルグル回っていると、圧迫感を感じイライラすることがあります。

加えて、小学生になってからは、ボールを使い出すようになりました。

 

ドリブルしたり、階段に向かって蹴ったり・・・。

さすがに、サッカーボールは音も振動も大きいので、100均で買ったビニールのボールを蹴らせています。

それでも、ポンポン音がするので、朝8時から夜7時までというルールを作りました。

 

「自宅で多動OK!」 結果的には、とても良かったと思っています。

 

運動の苦手な息子の運動不足解消と精神安定。

固有覚も、少しは発達してるのではないかと期待しています。

その上、息子がサッカーをするようになって、ボール慣れというのか、きっと役に立っていると思うのです。


発達の遅れ? 障害?

2015年05月18日 | 小さな頃の息子


幼稚園の頃の息子
 

息子が通っていた幼稚園は、園庭にアンパンマンの遊具が並ぶ、のびのびとした明るい雰囲気の幼稚園でした。

 

幼稚園を選ぶ前に、5つの園の体験入園やプレスクールに参加しました。
唯一、息子が自ら先生と笑顔で会話をし、また、遊具目当てに、園に行く日を楽しみにしていたことが決め手となり、その園に通うことになりました。

 

園生活では、何をする時間なのかなかなか理解できずに、慣れるのに時間がかかりましたが、先生方が温かく声をかけ続けて下さり、3年という月日の中で、息子は、元気にのびのびと、自信を持って生活出来るようになっていました。

 

私が父の介護に通っていたため、延長保育を利用し、多くの先生にお世話になっていたこともあり、どの先生も、息子とすれ違う度に笑顔で声をかけてくださっていたことが印象に残っています。

折に触れ、保健センターと三者連携出来たことも良かったと思っています。

 

そんな順調な園生活とは裏腹に、ご近所のお友達とは相変わらずトラブルが続き、ご近所のママさんから、「危ないので、目を離さないでほしい」と、ご注意を受けることもありました。

我が家を含む住宅地には、子供が30人くらい住んでいて、複数の子供達が、グループを作って、それぞれ遊んでいます。

その頃の息子は、外で遊ばせると、あっちのグループ、こっちのグループと、中に入ってはトラブルを起こしていました。

 

同年代の、またはそれより上のお友達の遊びにはついていけず、年下の子供達は、息子の声や動きが大きくて、怖がってしまいます。自分の思うようにならないと癇癪を起こして、邪魔をしたり・・・、かと思うと、違うお友達が遊んでいるのが目に入って、そっちに走っていってしまうのです。

 

保健センターの医師からは

・複数の選択肢があると、目移りして、何をしていいのか分からなくなってしまう。

・テンションが上がると自制がきかなくなってしまう。

・衝動的に動いてしまう。

・距離感をつかみにくい。

 

それは、「多動・注意欠陥による行動障害」だと言われ、

 

・トラブルが起こった時には、息子の遊びたい気持ちを代弁して仲介してあげるのが一番だけれど、そうもいかない時は、親が謝って、ひとまずその場を離れ、1対1の落ち着いた状況を作って、息子に話をするように。

・複数のお友達との遊びは幼稚園にお任せして、家庭では、家、もしくは公園などで、1対1~3人ぐらいの落ち着いた環境で遊ばせる。

・話をする時は、一度に色々な事を言わずに、一つずつ確認しながら話をする。

・物によって力の加減を変えないといけないことが分かるように、紙風船を壊さないようにそーっと遊ぶなどの経験をさせる。

・遊びでもなんでも、守らないといけないルールがあることを教え、それが出来た時には、どんな小さなことでも褒めてあげる。

 

などのアドバイスをいただきました。

 

その頃受けた発達検査でも、「成長している面は多くあるものの、落ち着き・注意力・集中力は、さらに差が大きくなっている」と言われ、さらに、就学前相談では、「支援学級に在籍したほうが良いのでは・・・」と勧められました。

 

「少し成長がゆっくりな、やんちゃでわがままな息子」だと思っていただけの私は、「まさか本当に、通常学級では難しいほどの困難を抱えているのだろうか?」と、信じられない気持ちでした。

 

 発達の遅れは、単に成長の遅れではなく、「障害」と呼ぶべきものなの?
「発達障害」という言葉を意識し、ネットや本で調べるようになったのもこの頃です。

発達障害が、脳の機能障害であることを知り、父の高次脳機能障害と戦っている最中の私は、彼の将来に不安を感じました。 

 

それでも、父の介護に疲れた私にとって、彼の屈託のない笑顔は、間違いなく最大の癒しであり、希望でした。
それは、混乱の中にいた父にとっても同じだったと思います。


手の皮がぼろぼろ・・・

2015年05月17日 | 小さな頃の息子

「ママ~、手の皮がぼろぼろになってん」

 

息子が広げて見せた両手は、全部の指の皮がぼろぼろにめくれています。

「あっら~、なんか触った?」

「なんも触ってへんで」と息子。

「痛い?」

「痛ない!」

 

痛みがないのは何よりだけど、どうしたんだろ?

心当たりがあるといえば、ギプスをしている息子が手を拭くためのウエットティッシュが変わったことぐらい。

ウエットティッシュを見ると、小さく「除菌」と書かれていて、一枚取り出すと、微かにアルコールの匂いがしました。

 

これに負けたんだな・・・

 

息子は、皮膚が敏感なので、プールに入った時も、手足の皮が同じようにぼろぼろめくれてしまいます。

触感が人より敏感なようで、肌触りによって着られない服があります

服に付いたタグも気になるらしく、実際に肌が赤くかぶれてしまうので、全て外して着せています。

何より、本人が困ると思うのは、食感・・・舌触りによって食べられないものがあるということです。

 

息子は、お肉は好きな方なのですが、食感によって食べられない肉があります。

2年生の頃の話ですが、いとこ家族と一緒に、ある焼肉屋さんに食べに行ったのですが、お肉を口に入れるたびに、もどしそうになって吐き出してしまうのです。

今まで、何度か他の焼肉屋さんには食べに行ったことがあるのですが、こんなことは初めてです。

主人のお兄さんに、「肉の選り好みしたらあかんで~」と言われ、本人も食べようとチャレンジするのですが、体が受け付けません。

 

「食感が苦手やねんな。日頃安いお肉しか食べさせてへんから、高いお肉あかんみたい・・・」

私は、泣きそうになっている息子に牛肉を食べるのをやめさせ、ウインナーや鶏肉を食べさせました。

 

好きなものでも、食感によって受け付けない・・・これは、きついです。

将来、上司や同僚に食事に誘われた時に、苦手なものなら最初から一言断ることができます。

でも、好きなものでも食感によって食べられないなんて、

場を壊してしまわないだろうか? 理解してもらえるだろうか?

・・・と、心配になります。

 

手の皮なら目に見えるので、ウエットティッシュが合わないほどの過敏だと分かってもらえても、目に見えないものを理解してもらうのは、なかなか難しいことです

 

「そういうこともある」ということを、一人でも多くの人に知っていただけるとありがたいです 


夜驚

2015年05月16日 | 小さな頃の息子

息子が幼稚園に通うようになってからは、時々、保健センターでの発達支援相談を受けていましたが、息子が年少さんの夏、私の父が大腸癌になり、さらに、手術後の合併症で脳炎を患い、息子よりも、私の父親中心の生活になってしまいました。

 

母は、くも膜下出血によりすでに亡くなっていたので、私が、父に付き添うことになりました。

父は、点滴を抜いたり、暴れたり、また、大腸癌の手術で取り付けられた人工肛門を理解できず、外そうとして汚物まみれになるので、出来るだけ付き添ってほしいと病院側から言われたからです。

付き添いがいない時は、拘束着を着て、ベッドや車椅子に固定されたままになってしまうので、回復期病院に転院できるようになるまでの間、私は、毎日片道40分かけて病院に通っていました。

 

父は、私の顔を見ても分かりませんでした。でも、娘だというと、思い出したのかどうかは分かりませんが、受け入れてくれました。

私の主人はもちろん、孫である息子のことも分かりません。

息子を連れてくるたび、「どこの子や~?」と言ってました。

 

脳炎により、高次脳機能障害を持つようになった父の父でないような姿に、私自身ショックで、これからどうなるのだろうという不安を隠せませんでした。

それを、息子が敏感に感じとってしまったのか、息子の夜驚が始まりました。

 

夜中に、突然目を覚まし、パニック状態になって暴れまわるのです。

「おかあちゃん! どこ? どこ~!?」と言って、泣き叫ぶのです。

「おかあちゃんだよ、ここにいるよ!」と、いくら私が言っても、名前を呼んで抱きしめても、見えてない聞こえていないようで、私を振り払い、暴れようとするのです。

壁や家具に頭をぶつけないように、息子を必死で抱きしめるしかありません。

「だいじょうぶだよ。ここにいるよ」と言って・・・

 

小児科の先生から、このパニックが「夜驚」というものだと聞きました。

成長すると、自然に治ることが多いということも。

 

息子の夜驚は3ヶ月続きましたが、その後は、一度も起こっていません。

その頃、父も回復期病院に転院し、私の通院も一日おきのペースになり、少し余裕が出てきたからかもしれません。

 

余談ですが、息子は、2年生から、私のことを「ママ」と呼ぶようになりました。

 

「あのな~、お願いがあるんやけど・・・、『ママ』って呼んでいい?」

「ええよ~ 『ママ』って呼びたかった?」

「うん!!」

 

ちなみに、父親は、おとうちゃんのまんまです。 


子育ては、戦い!?

2015年05月15日 | 小さな頃の息子

私にとっては、初めての子育て。正直、こんなに大変なものだとは思わなかったわ。

何しろ、息子は、人一倍こだわりが強い!

 

例えば、洋服。着るのを嫌がる服がなんと多いこと!

一時期、ウルトラマンの絵の描いたトレーナーしか着ずに、同じ服を何枚か買って、いつも同じ服を着ていると思われていた時がありました。

 

レストランでの席や、スーパーの駐車場での車を停める位置。

ものすごく機嫌が悪くなるので、極力その場所にしようとするのですが、当然、空いていない時があります。

そうなると、ぐだぐだぐだぐだ、1時間、2時間・・・

ありえないぐらい長い時間、泣いて、わめいて、拗ねています。

 

「絶対停めれるよなぁ!!」って言うけど、空いてないものしょうがないじゃない。

「1回帰ってもう1回来ようよ~!」って言われても、そんな時間はありません。 

なだめ、叱り・・・こっちは、へとへとです。

 

また、片時もじっとしてくれなかったので、私は、家の周りを息子を追いかけて、ぐるぐるぐるぐる走り回り、今でもご近所さんに、「よく追いかけてたよねぇ」と言われます。

 

自分の思い通りにならないと、癇癪を起こすし、お友達を押したり当たったりして泣かせてしまうので、ご近所のお友達とのトラブルが絶えませんでした。

 

    

      その頃の息子

 

でも、発達が遅れているとは、思いませんでした

ただ、幼稚園に通うようになったら困るだろうなぁと思って、2歳の時に、幼稚園に通うまでの7ヶ月間、市の子育て支援の一環である「親子教室」に通わせていただきました。

その時、発達検査を受けるように勧められ、受けた結果、半年ぐらい発達が遅れていると言われました。

「個人によって発達の時期に差があるので、心配せずに見守っていきましょう」とも言われたので、さほど気にしませんでした。

 

それでも、現時点で遅れているなら、幼稚園での生活で、みんなと同じように出来るようにしてあげたいと思いました。

 

お昼ご飯にお弁当を作り、自分でお弁当袋から出させ、ランチクロスの上にお弁当を広げて、いただきますをして・・・という感じです。

お茶も水筒に入れて、飲ませていました。

手先が不器用なので、うまく食べれず、こぼしまくっていましたが、子どもも親も、それなりにお弁当が上手になってきました。

 

楽しい思い出です。


恐るべき記憶力!

2015年05月15日 | 小さな頃の息子

きっと、広汎性発達障害の特性だと思うのですが、息子は、驚くほど記憶力がいいです

 

消防車や新幹線の種類を覚えつくし、幼稚園児の頃には、いわゆるヒーローもの・・・

仮面ライダーなら1号から最新ライダーの名前はもちろん、マシーンの名前や、変身動作、必殺技を覚えていました。

恐るべきは、身長・体重・放送期間まで、おそらく図鑑に載っているデータの全てを覚えつくしているようでした。

 

その頃の息子 

 

お気に入りの本は、「テレビマガジンデラックスの完全超百科シリーズ」で、戦隊ものはもちろん、ウルトラマンシリーズも覚えつくし、更には、全ウルトラ怪獣までも覚えつくしてしまいました。

 

その後、興味は、スーパーマリオのゲームに移り、ゲームをしながらゲームのステージを覚えてしまい、彼なりの表現方法で、自由帳に何冊にも渡って、まるで攻略本のようにゲームを再現して描いていました。

 

「この記憶力があればこの子は天才になれる!」と喜んだものですが、興味のないものは、一切頭に入らないようで、学校で習う漢字やローマ字などは、覚えようと努力しているにもかかわらず、なかなか覚えられないようです。

 

今、彼の興味はサッカーに移っています。去年のワールドカップ以後、急に興味を持つようになりました。チーム・選手・成績・フォーメーション・ゴールシーン・・・覚えることは山のようにあり、彼の頭は飽和状態のようです。

 

通級の先生からの連絡帳に、

「記憶力トレーニングの時、『もう、僕、頭の中にいっぱい入ってるから、今から入れへんわ。無理!』と教えてくれたので、『やってみないと分からないよ。やってみよう!』というと、素直に聞き入れてくれました。してみると意外とできたので、とても嬉しそうでした」

と、書かれていました。

 

この才能、彼の将来の仕事に結びついたらいいな~♪


生まれてきてくれて、ありがとう

2015年05月13日 | 小さな頃の息子

webで、自分の文章を見ると、なんか嬉し~

 

私は、アナログ人間なので、スマホはもちろん持ってないし、ガラケーも電話とメールだけ。

3年くらい前に4万円で購入したパソコンの性能が悪すぎるのか、ネットの接続環境が悪いのか、ブログをアップするとき、なかなか画面が変わらなくて、???だっただけに、嬉しさひとしおです♪

 

さてさて、私には、宝の一人息子がいます。

息子は、小学4年生。

体が大きくて、いつも2学年ぐらい上に見られてしまいますが、まだまだ「ママが一番」と思ってくれているようで、本当に母親冥利に尽きます。

 

彼がお腹に宿って、この上ない幸せとともに、つわりがひどくて、出血も起こり、切迫流産だと言われ、不安を感じていました。

点滴を受けながら、いつもお腹の子に語りかけていました。

 

だいじょうぶだよ。心配いらないよ。

もしも、あなたに病気や障害があったとしても、ママとパパが必ず幸せにするから、だいじょうぶ。

生まれておいで。あなたに会いたいよ。

 

37週目に、帝王切開で彼を出産。

私には、子宮内膜症や筋腫があるので、彼の母親になることができて本当に幸運でした。

後に、頚椎や腰椎の椎間板ヘルニアや臼蓋形成不全などの外科的疾患に悩むことになり、また、実の父が大腸癌の手術後に脳炎を発症し、介護に携わることになるなど、この時期を逃しては、妊娠・出産はなかったと思うので、生まれてきてくれた我が子に、心から感謝しています。