昨日は、休みの多い月曜日と時間割が振り替えられ、小学校は5時間授業となりました。
高学年の子ども達にとっては、少し早く学校から帰って来られる嬉しい日。
「△△公園で◇◇と待ち合わせして、◇◇の家で遊んでくる~」
息子はそう言って、嬉しそうに出かけて行きました。
前回の待ち合わせは、場所は決めてきたけれど時間を決めていなくて、家と待ち合わせ場所を行ったり来たりしていました。
今回は、ばっちり時間も決めてきました。
「5時頃暗くなってくるから、それぐらいに帰ってくるんやで~」
そう言って、お茶やお菓子を持たせて送り出してから数時間後。
息子は、5時40分頃に帰ってきました。
帰ってくるなり、泣きそうな、ほっとした表情で私に抱きついてきました。
「やばかった!・・・迷子になってん!!」
「迷子? 道に迷ったん?」
「◇◇の家から『一人で帰れる』って言うて帰って来たんやけどな、分かれ道ばっかりあって、同じような家ばっかりでな、ぐるぐるぐるぐる自転車で走って、分かれへんようになってん!」と。
「住宅街、分かりにくいもんなぁ。よう帰って来れたなぁ・・・」
「家から出てきた人がおってな、公園どこか聞いてん。その通り行ったら公園が見つかって、そっからは分かった!!」
「えらい! よう人に聞けた!! あ~、無事に帰って来れて、良かった良かった・・・」
そう言って、息子をぎゅ~っと抱きしめました。
その10分前に、ばあばから電話がかかってきて、息子がまだ帰っていないと話すとかなり心配していたので、息子に電話をかけさせました。
息子は、自分の迷子の冒険をもう一度待ち合わせから遡って、ばあばに一生懸命話していました。
話すことによって、息子の不安で怖かった体験がどんどん過去のものになっていくような気がします。
人は、誰かに話を聞いてもらうことによって、物事を客観的にとらえ、より早く「過去の出来事」としてとらえることが出来るのでしょうか。
でも、誰にも話せないまま、胸の中から消えることのない問題だってあります。
それは、いつ過去のものとなるのでしょうか。。。
多分、なかなか解けずに時間がかかる問題もあるということだと思います。
一生のうちに、話せる(分かってもらえると思う)人に出会えるかもしれないし、本や映画の世界の中で、
「ああ、そういうことだったんだ」と、腑に落ちる瞬間がくるのかもしれません。
また、人生の中で、過去の自分と向き合い話をする機会があるのかもしれません。
どんなに時間がかかったとしても、いつか、そういう難しい問題があったからこそ、
「こういう自分になれた!」
「こう思えるようになった!」
と、かっこいいセリフが言える自分になれたらなぁ・・・と願っています。