やっぱり幸せ♪

日常の色んなこと、特に発達障害を持つ息子との素晴らしき日々を綴っていきたいと思います。

新学期に向けて、支援のお願い

2017年03月28日 | 日記(息子・小6)

昨日は、「6年生になってクラスや先生が変わる中で、息子にどういう支援が必要か」ということを、通級の先生と5年生の担任の先生と3人で話し合いました。

 

学校に向かう前に、

「6年は、どんな先生がいい?」

と、息子に聞いたところ、

「◇◇先生(5年の担任)みたいな先生!」

と、答えました。

「◇◇先生が6年でも担任になってくれたら嬉しいけど、◇◇先生のどんなところが良かったの?」

と、聞くと、

「ちゃんと話を聞いてくれるところ!」

と、言っていました。

 

その話を◇◇先生に伝えると、とても喜んでくださり、

「困ったときも、自分からしっかり伝えてくれるようになったと思います。」

と、言ってくださいました。

「多分、◇◇先生だからだと思います。

4年生までの先生もよく声をかけてくださいましたが、自分の気持ちはなかなか伝えられなかったようです。

息子に自分の気持ちを伝えるスキルが育っていなかったせいもあると思いますが、◇◇先生になってから話を聞いてもらえるようになった、と実感しているみたいです。」

 

◇◇先生の話によると、息子は、最後の3日間はとても楽しそうに学校で過ごしていたそうです。

息子には、

「〇〇は、本当に良く頑張った。この1年で大きく成長したな。

6年生になって、頑張りすぎなくても、〇〇は普通にやっていけばだいじょうぶやからな!」

と言って、5年生の教室を送り出してくださったそうです。

 

さて、息子にどういう支援が必要かという話になり、以前、子育て総合センターからいただいた「サポートブック」の中から、必要と思う箇所だけ記入したものをお渡ししました。

 

「保護者から〇〇先生へ伝えたいこと・・・」として、

・体のこと(運動・病気・薬など)

・基本的な生活習慣

・学習に関すること

・言葉・コミュニケーション

・興味・関心(得意なこと・苦手なこと)

・行動等の特徴(社会性・対人関係)

・その他伝えておきたいこと

など、息子のことを記入しています。

 

例えば、「言葉・コミュニケーション」では、

「想像性の困難や、情報処理能力の問題から、会話についていけないことがあります。

伝えたいことを言葉にするのが苦手で、自分の興味のあることばかり話しがちです。

また、こだわりの強さから、自分がこうだと思っていること以外のことを受け入れるのに時間がかかります。」

 

「行動等の特徴(社会性・対人関係)」では、

「集団への指示が分かりにくかったり、周りを見て状況を判断することが苦手です。

当たり前のことが分かっていなかったりすることもあります。

真面目で、決められたことは守らなければならないと思っています。

また、物事の因果関係をつかみにくく、じっくり穏やかに説明しないと分からないことも多いです。」

と、書きました。

 

また、「その他伝えておきたいこと(保護者の願い)」として、

「素直で、穏やかな性格です。

ただ、不安や緊張が強くなると、感情や体の機能(聞く・考えるなど)をコントロールできなくなり、パニック状態になることがあります。

真面目で努力家で、良いところをたくさん持っているので、自信を持って、不安に負けずに楽しく過ごしてほしいと思っています。

記憶が得意なので、勉強や将来の仕事に生かしてほしいと思っています。」

 と、書きました。

 

さらに「支援のヒント集」を作り、「こんな場面で」→「こんな支援が助かります」ということを書いています。

 

息子の場合、

「何かをしている時や考え事をしている時に、自分に向けられた声(音)に気付きにくい。

理解するのに時間がかかるので、分からないまま話が進んでいく。」→

「声掛けしたり、目を見て話していただけると、注意して聞くことが出来ます。

また、本当に理解できているか確認していただけるとありがたいです。」

 

「人より理解が遅く、不自然な反応をすることがあります。(情報を取り入れ、そこから判断・理解し、反応や行動をすることが難しい時があります。)」→

「分かりやすく、スモールステップで教えていただけると、ありがたいです。

2段階以上の言葉での指示は頭に入りにくいので、一つ一つ指示していただくか、簡単なメモでもいいので、手順を書いていただくと分かりやすいです。」

 

「体を動かすことが苦手。体の動きが不自然で、ふざけたり、やる気がないと思われることがあります。

器用に体を動かせないため、動作も遅いです。」→

「思うように体を動かせなかったり、ボディイメージが未発達なため、みなが意識せずに出来ることでも、意識して努力が必要なことが多いです。

スモールステップで繰り返し教えていただけるとありがたいです。」

 

という感じで記入し、他にもいくつかの例をあげています。

 

毎年4月の家庭訪問の時に担任の先生にお渡ししていたものですが、早い方がいいと思い用意したところ、6年生を担当する先生全員(担任、英語、音楽、算数、理科の担当の先生)にお渡しいただけることになりました。

 

中学校では、教科ごとに先生が代わります。

息子が3学期の理科の時間に不安になったとき、担任の先生がフォローに入ってくださり、乗り越えることが出来ました。

フォローと言っても、付きっきりというわけではなく、同じ教室に先生がいてくださって、たまにアドバイスをするぐらいだったそうです。

新学期になってクラスも担任も新しくなり、しばらくは担任の先生にヘルプを求めることが難しいかもしれない中で、担任の先生以外の科目で不安になったときにどうするのか、という話が出ました。

特に理科など何か作業を行う授業では、クラス全員を見ないといけないため、先生一人では〇〇のことを気にかけることが難しいということでした。

初めから〇〇のためにもう一人先生にフォローに入ってもらうか、ということなのですが、

「みなと同じように普通にしていただいて、もし、困ったり不安に思った時には先生に伝えるようにして、その時はフォローしていただけるようにお願い出来ますでしょうか。」

と、お願いしました。

 

通級の先生も、

困ったことを伝えられるようになることが大事ですし、フォローの先生がいるのが普通になってしまったら、中学の授業がしんどくなると思うので、普通通りでいきましょう。

〇〇君の様子は注意して見守るようにしますので、お家でも気になることがありましたら教えてください。

6年生では、中学生活を見据えて、困ったときにどうするかとか、友達との付き合い方とか、勉強以上に生きる力を身に付けていくようにしたいと思っています。

不安で学校へ行くのを嫌がる時があるかもしれませんが、今まで通り送り出してください。

お母さんが大変な時は、こちらから迎えに行きます。

学校に来さえすれば、しっかりサポートしますし、〇〇君は友達と楽しく過ごすことも出来ているようです。

不安の中、通い続けることが出来たということは、中学に行っても大きな力になると思います。」

と、仰いました。

 

さらに、

一人で生きる力を付けるために、何でも自分でさせてください。

料理とかお手伝いをどんどんさせてあげて、包丁などうまく使えるようになったら、家庭科の時間に『お前、こんなことが出来るんや』って一目置かれて、〇〇君の自信になると思いますよ。

小麦粉なんかを量ったり、火を使って調理したり、それは理科にも繋がることですし、うまくいかなくても、手や頭を使うトレーニングになると思います。」と。

 

◇◇先生も、

「例えば、レシピを見て料理を作ることは、説明書を見てサッカーロボを作る、というようなことにも繋がってくると思います。

修学旅行で、「魚をさばいて干物を作る」という体験も行いますので、包丁に慣れておくこともいいかと思います。」と。

 

興味のないことは全くやろうとしない子なので、難しいなぁ・・・と、思いつつ、少しずつでもトライさせていこうと思いました。

また、修学旅行についても予定を色々教えていただき、前もって準備出来ることはしておこうと思いました。

 

最後に、

「上靴を持って帰るのを忘れてしまっているのですが・・・。」

と、言うと、

「そうそう、下足室に一足だけ残っていたので、預かってますよ。」

と、担任の先生が取りに行ってくださいました。

上靴袋も忘れてきているのですが、どこで失くしたのか、教室には何も残っていないそうです。

 

忘れ物、失くし物も、息子が克服しなければならない大きな課題でした。

 

この先生達のいる学校なら、息子が学校に行くのを不安がっても、安心して送り出すことが出来ます。

「不安になっても、だいじょうぶ!」

それを繰り返しながら、自信を付け、乗り越えていくしかないのかもしれません。

 

親の力だけでは到底無理なので、先生方と連携をとり、お力を借りながら、息子が安心して学校生活を送れるようにしていきたいと思っています。


5年生修了!

2017年03月24日 | 日記(息子・小5)

今日は、修了式。

息子は、晴れ晴れとした表情で学校から帰って来ました。

 

宿題なし!

半月もお休み!

嬉しくないはずはありません。

 

22日の交換日記に、

「今日はいけた。」

と、一言だけ書いてあったので、最後の3日間は問題なく過ごすことが出来たようです。

 

通知表の「出席の様子」を見ると、泣けてきて泣けてきて・・・。

「よく頑張ったね!」

と、息子に言うのが精一杯でした。

 

「3学期の授業日数53・出席停止・忌引等の日数0・欠席日数0・出席日数53」

年間を通しても、息子が休んだのは、たったの1日だけでした。

小学校の通知簿には、遅刻や早退の表記はありません。

この数字の向こうに、どれだけの涙と頑張りがあったことか・・・。

 

息子は昼食を食べるなり、春休み気分全開で公園へと遊びに出かけました。

私は、これから6年生の担任の先生にお渡しする「サポートブック」の作成をしようと思っています。

 

6年生になった息子が無理なく学校生活をスタート出来るように、27日に学校で先生方と話し合うことになっています。

新担任は4月になるまで分からないそうで、5年生の担任と通級の先生との話し合いです。

この時期に話し合いをするなんて、先生方に移動があるのかなと、少し心配です。

進級後、家庭訪問の時にお渡ししていたサポートブックは、新担任が決まり次第、その先生にお渡しいただけるようお願いしようと思っています。

 

出来ることなら、今の担任の先生に引き続き教えていただきたい。。。

通級の先生にも、息子の卒業までもう1年、この学校に留まっていてほしい。。。

 

半月後に、息子の6年生としての生活がスタートします。

 

息子の5年生の作品 「2020東京オリンピックのポスター」


ドラマ「下剋上受験」を観て考えたこと・・・2

2017年03月21日 | 日記

ドラマ「下剋上受験」を観て、桜井親子の中学受験の様子を追い続けているうちに、自分自身の受験について、「どうだったかなぁ・・・」と、思い出していました。

前述のブログに書いた通りですが、こと受験に関して言えば、「ひどい親だ」とずっと思っていました。

 

けれど、あの頃の両親の年を超えて、親となった立場から振り返ると、「そうではなかった」と思えてくるのです。

 

もうすぐ6年生になる息子は、発達障害やその特性のせいなのか強迫性障害などの不安障害を起こし、人より学校生活が送りにくいところがあります。

通常学級か支援学級かと、いつも悩むのですが、どちらもしんどいところがあり、今は、しんどい時は通級教室でお世話になりながら学校に通っています。

 

息子は、学力的には問題ないようですが先生の言うことが耳に入りにくかったり、勉強以外の所でみんなとの違和感を感じているようです。

 

「通常学級ではしんどいから、体が不適応を起こしているのか?」

そう思う時もあるのですが、息子が通常学級でみんなと学習することを望んでいるので、もし、説得して支援学級に通わせたとしても、今度は自分の意に添わないと、学校自体に通えなくなるのではないかと心配しています。

 

「息子にとって一番いい方法を」と思っていても、果たしてそうなっているのか、本当のところ自信はありません。

 

私の両親も、本当は、「私にとって一番いいように」と、思ってくれていたのかもしれません。

家計が苦しく、弟が二人もいる中で、「近くの公立校に合格出来れば、どんなことをしても学費は出してやる」と、言ってくれました。

 

父は、そのために必死で働いたのでしょう。

働くしかなかったのかもしれません。

中卒というハンディがある中で、仕事一筋で頑張り続け、ずっと後には雑誌や新聞で父の仕事ぶりが紹介されるまでになっていました。

 

母も、21歳の若さでいきなり5歳と2歳の子どもの母親となり、親にも頼れず「孤育て」は、本当に大変だったと想像出来ます。

私が高校3年生になる頃は、すぐ下の弟は家出して行方不明となっていました。

末の弟は、まだ7歳。

元々体の弱い人だったので、癌による子宮全摘出手術の後、なかなか体調が戻らず、精神的にもかなり苦しんだのだと思います。

 

そんな中で、私に「就職しろ」と押し付けることなく、好きな道を選ばせてくれたことこそが両親の大きな愛情だったのだと、今更ながら思いました。

 

「私の青春、返して!」という母の一言は、胸をナイフでえぐられたように傷付いたけれど、今は、「それ程必死に育ててくれたんだ」と、思えます。

 

私は、家庭の事情により、幼稚園には2ヶ月ぐらいしか通うことが出来ませんでした。

幼児教育を受けることが出来なかった私ですが、小学校に入学して、特別困った記憶はありません。

文字の読み書きから日常生活に至るまで、母は厳しかったけれど、しっかり身に付けさせてくれました。

それがどんなに大変なことか、愛情がなければ出来ないことか、今の私なら分かります。

 

私が受験で苦しんでいた時、今の私よりずっと若い両親は、もっともっと苦しんでいたのかもしれません。

だけど、10代の私は、ただただ両親を恨んでいました。

受験に失敗したのは親のせいだと思って、「この人たちの力は、絶対に借りるものか!」と、心に誓いました。

 

コンビニでバイトし、通信制の大学に入学し、その年の公務員試験を受けて、翌年から郵便局で働くことになりました。

郵便局で働きながら、8年かかって大学を卒業しました。

 

仕事をしながらの勉強は大変で、何のために学ぶのか、常に自分に問いかけていました。

働いているので仕事の勉強もあって、無理して大学の勉強をする必要も感じません。

最初は、両親に対する意地がほとんどでした。

でも、受験のためでもなく、就職のためでもなく、純粋に「学ぶ」ということを知りました。

 

実際には、大学で勉強したことが直接役に立ったと感じたことはありません。

でも、物事を見る目が少し広くなりました。

目の前に見えることや出来事が、それが全てではなく、ここに至る歴史や先人の努力があったことを知り、そして、今が未来に繋がることを知って、この世界に奥行きが出来たような気がしました。

何よりも、自分の力で大学を卒業したということが、大きな自信となりました。

 

受験に失敗なんてないのかもしれません。

思った通りの進路でなくても、普通に大学に通って学ぶ以上のものを得ることが出来たと、私は思っています。

たとえ、それが負の感情から生まれた頑張りであっても、両親のお陰に違いはありません。

 

春彼岸、両親に「ありがとう」の思いが届くでしょうか・・・。 


ドラマ「下剋上受験」を観て考えたこと・・・1

2017年03月20日 | 日記

ドラマ「下剋上受験」を、息子と一緒に観ていました。

学歴がないゆえに悔しい思いをしてきた父親が、娘には同じ思いをさせたくない、違う世界を見せてやりたいと、一念発起し、偏差値41だった佳織ちゃんを難関中学に合格させるお話です。

ドラマなど見ない息子も、佳織ちゃんが息子と同じ5年生だったせいか、毎週二人で楽しみにしながら観ていました。

 

佳織ちゃん(山田美紅羽ちゃん)は、確かに利口そうな子供です。

けれど、初めて受けた模試の偏差値は41。

塾では、「今から超一流の難関中学を目指すなど無理」と言われ、「それなら自分で教える」というわけですが、素人の、しかも中卒の学力しかない父親が、どうやっても無理だと思いました。 

でも、阿部サダヲさんが演じる父親の、娘の可能性を信じ、娘の幸せのために無我夢中で奮闘する姿に、無茶苦茶だと思いつつも大きな愛情を感じて羨ましくもありました。

 

私の両親も中卒です。

ひと昔もふた昔も前の話になるので、それほど珍しい話ではないかもしれませんが、それでも父も悔しい思いをしたのか、通信教育で大学を目指そうとしたことがあったようです。

両親は中学を卒業後、親に頼ることなく自分の力で自分の人生を生きてきたので、子どもの私達もそうするものだと思っていたのでしょう、私の高校受験も大学受験も全くのノータッチでした。

 

それでも、家から通える範囲の公立校に合格すれば学費は出してくれると約束してくれたので、私は大学進学を目指しました。

塾に通う余裕などなかったし、今のようにインターネットが普及していなかったので簡単に情報を得ることが出来ず、受験とはどういうものか、全くと言っていい程分かっていませんでした。

高校は近くの府立高校に合格出来たものの、同じような感覚で近くの府立女子大学を受験しましたが、そう簡単に合格出来るはずもありません。

 

しかも、高校3年生になった春、母が子宮癌を患い、父は仕事でほとんど家にいないため、家事や当時7歳だった末の弟の世話を私がすることになりました。

それは当然のことなのですが、母は、私の家事が中途半端で気に入らないのか、酷く小言を言うようになりました。

真夜中まで延々と続く母の小言(恨み言?)に、勉強などする暇もなく、私の心はボロボロになってしまいました。

 

「私の青春、返して!」と、私に言い放つ母は、今思えば大きな手術の後にかかる人がいるという、「術後鬱」というものになっていたのかもしれませんが、当時の私はそんなことを思いもつきませんでした。

母を恨み、仕事のせいにして全てを私に押し付けた父を恨みました。

 

その上、センター試験前夜は、両親が喧嘩して母が家を飛び出してしまい、私が母を探して家に連れ帰りました。

「この人達にとって、私の将来なんてどうでもいいんだ・・・。」

と、その夜は泣き明かしたものです。

 

だから、家族で力を合わせて受験に挑む桜井一家をとても羨ましく思いました。

学校を休ませて夜中まで勉強をさせたり、子どもに無茶させているとも見えなくもありませんでしたが、子どもの将来のために、自分の生き方を変えてまで関わろうとしているのですから。

 

佳織ちゃんは、一番偏差値の高い中学校を受験しましたが、結果は不合格でした。

崩れ落ちる父に、手を差し伸べる娘。

「エリートの子達に追いつくには、時間が足りなかった。

公立の中学で勉強を頑張って、高校受験で合格する!」

なかなか偏差値が上がらずに落ち込んで泣いていた彼女は、強く、大きく成長していました。

 

もしものときのために、と、深田恭子さん演じる母親が、偏差値が2番目に高い中学の受験を申し込んでいて、佳織ちゃんはその難関私立中学校に合格します。

後日、佳織ちゃんは、父親の講演会の会場で流すメッセージで、全力で応援してくれた両親や祖父への感謝と共に、

「同級生はお金持ちばかりで、恐らく学校で「一番の貧乏」だけれど、それで困ったことはなく、この学校に通って勉強出来て、私はとても幸せです。」

というようなことを伝えていました。

 

環境に左右されない。

自分に困難を乗り越える力があることを知り、学ぶ楽しさを知った佳織ちゃんは、難関私立中学校であろうが公立の中学校であろうが、どこでも頑張ることが出来ると思います。

それに、困ったことがあったとしても、家族が全力で応援してくれることも知っています。

 

難関中学に合格したことはもちろんですが、そのことを子どもに伝えることが出来たことがすごいと思うのです。

このドラマは難関私立中学を目指したものですが、それは一つの方向で、子どもが幸せになるために目指すものは何だっていいのです

そして、それは「子どもにさせる」だけでは身に付かず、子どもは、親の生き方、考え方を見て学ぶというか、心の核を作っていくような気がします。

 

父の信一が偏差値一番の難関中学校にこだわり、頑張れば乗り越えられると、娘に勉強を教えるために娘以上の努力をします。

一方、母の香夏子は、「中卒でも幸せだよ」「公立でもいい」「佳織が頑張るから、お母さんは応援する」と、娘に伝え続けます。

佳織ちゃんも、父親が学歴のないことで苦労していることを聞いても、素晴らしい中卒仲間に囲まれて暮らしている父を、決して不幸だとは思っていないでしょう。

 

また、佳織ちゃんは、共に中学受験を目指していると思っていた男の子が、実は経済的な理由で受験していなかったことを知ります。

「勉強はどこだって出来る。俺は、公立で勉強して、高校受験し、将来は医者になる。」と。

偏差値の高い学校に行くのが全てではないもっと先の志こそ大切だ、というメッセージだと思いました。

 

ドラマを観ながら、色んなことを考えさせられました。

一緒に観ていた息子も、きっと感じることがあったでしょう。

私は、私の受験について、大人になって思い返してみると、10代の頃には見えなかったことが色々見えてきたような気がしました。

 


息子の自信

2017年03月17日 | 日記(息子・小5)

昨日から息子の調子が悪くて、今朝はリスパダール内服液を飲ませても、不安が治まりませんでした。

昨日は卒業式で学校から帰ってくるのが早く、昼食を食べてから、「学校でサッカーをする」と言って、遊びに出かけました。

涙目で帰ってきてからです。

悔しいのか、悲しいのか、どうしたらいいのか、自分の感情を持て余しているような感じでした。

 

あと5日。

春休みを穏やかに過ごすためにも、何とか学校に行かせてあげたいと思いました。

 

「いけるかなぁ・・・。」

「だいじょうぶかなぁ・・・。」

病的に呟き続ける息子。

 

「何か不安なことある? 

それか、心配な授業とかある?」

と、聞いても、

「授業はいける。

でも、何か分からんけど、不安やねん。」

 

「昨日のサッカーのこと?」

昨日の交換日記に、サッカークラブで一緒だった子が、自分ばっかり攻めてくる、というようなことが書いてあったので、聞いてみました。

「分からん。分からんけど、何か苦しいねん。ほんまにしんどいねん。」

 

息子は、本当に顔色が悪く、深くため息をついてばかりいて苦しそうでした。

「足、捻ったみたい。」

と言うので、塗り薬を塗ってあげ、

「風邪でしんどいねん。」

と言うので、熱を計らせましたが、平熱です。

 

「K君やY君は、クラブでちょっとだけ一緒にやってたから、〇〇と本気で勝負してみたかったんちゃう?」

K君やY君の気持ちは分かりません。

〇〇が入団したことを喜んでくれていたのに、わずが1ヶ月半ぐらいでやめることになり、その息子とサッカーをして遊ぶことになり、彼らにも思うところがあったのかもしれません。

 

「K君らと勝負して、勝たれへんのは当然やで。

あの子らは、小さい頃からずっと頑張って練習してきてるんやから。

〇〇がサッカー続けられへんかったのは、今は、不安と闘ってるからやろ。

〇〇も不安がなくなったら、またサッカークラブに戻って、もっとうまくなるかもしれへんし、別のことで得意なものが見つかるかもしれへん。」

 

「学校に言ったら、元気になると思うよ。

今まで、〇〇は、不安に負けずに学校へ行ってきたやん。

すごいことやと思うよ!

今日も頑張って行ってみよう。

教室に入って、まだしんどかったら、通級教室に行ってもいいし、我慢出来へんと思ったら、いつでも迎えに行くから。

ママ、学校でしばらく待っとこうか?」

 

「いける! でも、待って。ちょっとだけ待って!」

と言うので、

「待ってるよ。」

と、ホットミルクティーを作ってあげました。

 

1時間目が終わる頃に、なんとか息子を学校に送って行くことが出来ました。

担任の先生は、昨日、学校でサッカーをしているところを見かけたそうで、

「みんなで和気あいあいとサッカーしている中で、〇〇君だけ顔色も悪く、楽しんでいる様子ではなかったので気になっていました。

かと言って、嫌なことをされてるとか、そういう感じではなかったのですが。。。」

と、仰っていました。

 

もしかすると、少しずつ戻りかけていた息子の自信が、また一気に潰れてしまったのかもしれません。

他の子には何でもない些細な出来事が、信じられないぐらいに息子を追いつめてしまいます。

嫌なことがあったときに、気持ちを切り替えたり前を向くには、自分の中に自信が必要なのだと思います。

自信というと大層ですが、「だいじょうぶだ」とか「次は頑張ろう」という気持ち。

 

地道に育てていくしかありません。

何度潰れても、息子の力を信じて、大切に育てていくしかありません。

 

学校から、息子が笑顔で帰ってきますように・・・。

 


大繩大会

2017年03月14日 | 日記(息子・小5)

先週、息子の小学校で「大繩大会」がありました。

4年生から6年生までの高学年の行事で、月曜から金曜までの1週間の体育の時間、もしくは休み時間に、クラス全員参加で5分間に大縄跳びを跳べた回数を競うものです。

1週間の期間があるのは、クラス全員が揃わなければ記録にならない、という、かなりハードルの高い行事だからです。

 

この期間、2時間目と3時間目の間にある15分の中休みやお昼休みは大縄跳びに費やされることになり、息子は、次の3時間目や5時間目の授業中に調子が悪くなることが多かったようです。

担任の先生の話では、授業中に息子の顔色が悪く、ぼ~っとしてしんどそうに見えるので声をかけてくださるのですが、

「だいじょうぶ。」

と、いつも息子は答えていたそうです。

 

1~2時間経つと普通に戻っていて、下校する頃には問題なさそうなのですが、念のため、お電話をくださいました。

「恐らく、大縄跳びを、緊張しながら全力で頑張っているせいかもしれません。」と。

 

この期間、先生は、何度か息子と話をする時間をとってくださり、

「大繩、苦手か~?」

ということも聞いてくださったのですが、本人は、

「普通。」

と、言っていたそうです。

 

「『しんどい時は、無理せんでいいんやで。』という話もしましたが、〇〇君は、『だいじょうぶ。跳べる。』と、言っていました」と。

 

個人の事情による棄権はもちろん「あり」なのですが、クラス全員参加行事に、自分だけ棄権するなんて、息子は考えもしないのでしょうね。

というより、どんなに調子が悪くなろうが、運動会や発表会など、息子は学校行事が好きなのです

勝ち負けのあるものほど、ものすごく真剣になります。

 

発達相談室の先生からも、

「体からこれだけ『しんどい』というサインが出ているのに、本人が気付かず、逆に『やりたい』という気持ちが強いので、周りの大人が注意して見てあげる必要があります。」

と、言われたことがあります。

担任の先生も、そのことを心配してくださっていたようです。

 

クラスメート達は、〇〇と一緒に大縄跳びを跳ぶ一番いい方法を話し合ったそうです。

「〇〇のタイミングで跳び始めることが出来るよう、〇〇が一番初めに跳ぶことにしよう。」

と、いうことに決まったそうです。

 

確かに、途中で大繩跳びに入るには、タイミングを計るのが難しくて、流れを切ってしまう確率が高いかもしれません。

息子は、「自分が大縄跳びが苦手だと思われているかもしれない」と、ちょっと不服そうでした。

 

一番最初に跳ぶということは、一番多く跳ぶことにもなります。

スマートに軽く跳ぶなど、息子には出来ません。

不器用に、足を高く上げ、一回一回全力で跳ぶのです。

 

ある時、具合の悪そうな息子に、担任の先生が声をかけてくださったとき、やはり息子は、

「だいじょうぶ。」

と、答えたそうです。

 

「〇〇は、よく頑張っているな~。

1学期の頃に比べると、本当に成長したよな~。」

との先生の言葉に、うわ~んと、息子が突然号泣してしまったということでした。

 

「嫌なことがあって、泣いているんじゃない。」と、言ったそうですが、

「じゃあ、嬉しいときの涙?」と、聞かれると、

「分からん。」と、言ったそうです。

でも、「嫌な涙ではない。」と。

 

緊張で張りつめていた心が、ふっと緩んでしまったのでしょう。

「頑張ったなぁ」と、私も思います。

 

頑張れたのは、担任の先生のお陰が大きいです。

どんなときも、息子のことを、「頑張っている〇〇」として見守ってくださいました。

決して、息子を問題児扱いすることはありませんでした。

 

あと7日学校に通うと、今のクラスは終了です。

先生とのお別れは、とても残念です。

 

恐らく、思い出作りの意味も兼ねた「大繩大会」

息子のクラスの記録は、228回でした。

1位ではなかったとしても、本当によく頑張りました!!


願いを叶える旅

2017年03月11日 | 旅行

私の父が亡くなったのは、息子が1年生の11月のことでした。

息子が2年生になる2013年の春休みに、父の介護で長い間あまり構ってやれなかったおわびも兼ねて、息子の願いを叶える旅に出かけました。

 

当時、列車が大好きだった息子は、もうすぐ廃止されるという「寝台特急『あけぼの』に乗りたい」と、言っていました。

なので、新幹線「のぞみ」や「はやぶさ」などと組み合わせて、ぐるっと青森を回って仙台に行くことになりました。

仙台入りの目的は、被災地を巡りたいという私の願い

この地にも、6年前の東日本大震災以後、大きな悲しみと想像を絶する苦境の中で生きてこられた人達がいます。

 

6年前の私は、大腸癌の手術後に脳炎を患って高次脳機能障害を持つようにになった父の介護、ひきこもり状態の弟と父の関係が悪化、「多動・注意欠陥による行動障害がある」と言われていた息子を抱え、涙の出ない日はなかったように思います。

私の苦しみなど被災された方々の苦しみとは比べようもありませんが、それでも、絶望の中で立ち上がろうとする人達に大きな勇気をもらい、自分も「負けるものか!」と、前に進んでいくことが出来たと思っています。

 

新幹線で仙台に入り、レンタカーで石巻を訪れました。

途中、道路から眺めた町は、津波の痕でしょうか、更地が一面に広がっていました。

「石ノ森萬画館」に続く商店街らしき道には、所々に仮面ライダーやロボコンなどのオブジェがあり、息子と共に写真に収めながら歩いていきました。

しかし、営業しているお店は一つとしてありませんでした。

 

その日は、「南三陸ホテル 観洋」に泊まりました。

2階の天井まで津波が押し寄せたというこのホテルは、被災者やボランティアの受け入れをするなど、地域復興の拠点となっていたそうです。

 

翌朝、「語り部バス」に乗り、町を案内していただきました。

バスから眺めた景色に言葉を失いました。

震災から2年余り。

あれから随分時間が経過したように感じていましたが、被災地はまだまだこれから、やっと瓦礫やゴミが撤去されたばかりでした。

 

 

津波が3階にまで押し寄せ、イベント中にもかかわらず屋上に避難したため全員が無事だったという「高野会館」

多くの人が犠牲になったという「防災対策庁舎」

ポツンポツンと佇む建物が、余計に津波の恐ろしさを物語っていました。

 

 

今日、ご覧になって感じたことを、何か一つでも、お帰りになってどなたかにお伝えください。

出来れば、防災の役に立てていただきたいと思います。

そして、被災地を忘れないでください。

被災地を置き去りにしないでください。

『被災地に観光しに行くなんて』という人がいますが、お越しいただければ、被災地は元気になるのです。」

 

ガイドさんは、ホテルのスタッフで、実際に震災を経験された方です。

何日も家族に会えなくて、不安の中、全力でホテルに被災者を受け入れていたそうです。

ホテルの方々には、ここで働き、復興を担うという、覚悟と誇りのようなものを感じました。

 

テレビで見るのと、実際に体で感じるのとは全然違いますね。

ここで生きてきた人達から紡ぎ出される言葉、表情。

行き交うトラック、砂ぼこり。

または、一面に広がる静けさ・・・。

 

あれから、もうすぐ4年。

町は、どのように変わっているのでしょうか。

 

いつか必ず、もう一度訪ねてみたいと思っています。

 


女子会

2017年03月09日 | 日記

昨日は、「ベーカリーレストラン サンマルク」で女子会でした。

息子が2年生の時に一緒に療育を受けた療育仲間のお母さん達と、2年半ぶりぐらいに3人で集まりました。

 

こども発達支援センターからグループ療育のお知らせが届いたので、みんなが懐かしくなったのと、グループ療育を受けられるのだろうかと気になって、久しぶりにメールしてみました。

仕事や学校の委員など忙しい中、時間をとってくださり、お店まで手配してくれました。

(結婚してからはファミレスぐらいしか行くことがなくて、お洒落なお店が全然分かりません

食事に焼き立てパンの食べ放題が付いていたので、3時間程の間に、おいしいパンをたくさんいただきました。

 

お二人とも上にお兄ちゃんがいらっしゃるので、思春期の男の子について色々聞いてみることが出来ました。

一人の方は、上の息子さんが思春期特有の「起立性調節障害」になられて、ご苦労されたそうです。

体の成長に中身が追い付かず、自律神経がアンバランスな状態で、頭痛やめまい、動悸や吐き気がして、学校に行くのもままならなかったそうです

息子以上に体の大きな子だそうで、小学校5年生から症状が表れ、高校2年生まで大学病院に通われていたそうです。

中学生の時が一番ひどくて学校にも行けない状態が続いたけれど、成長してホルモンバランスが落ち着いてくると良くなり、今では大学生活を楽しんでいるということでした。

 

頭痛や胸痛など息子の調子が悪くなるのは、「起立性調節障害」とまではいかなくても、自律神経のアンバランスが原因の可能性もあるかもしれない、と思いました。

 

もう一人の方は、上のお兄ちゃんが重度の自閉症で、中学生ですが1年前から施設に入所されることになり、施設から支援学校に通われていて、土・日だけ、家で一緒に過ごされているそうです。

息子さんは、感情のコントロールが難しく、言葉でのコミュニケーションが出来ないこともあり、暴れて壁に穴を開けたり、叫び声をあげたりして、ご近所から苦情が来たり、嫌がらせに近いものもあったらしく、施設に入所されることになったそうです。

 

お二人ともご苦労されています。

親は必死で子育てしているのです。

 

療育仲間のK君は、療育の頃は随分荒れたクラスで学校生活を過ごさなければならず、本人もすごく不安定だったのですが、クラスが変わってから落ち着いてきて、通常クラスのみで元気に学校生活を送っているそうです。

また、塾に通い始めて勉強が分かるようになり、自信が付いたのか、学校の宿題もすらすら出来るようになってきた、と、言っていました。

 

Y君は、支援学級で楽しく学校生活を送っているそうで、地元の中学校に通わせるのか支援学校に通わせるのか悩んでいるところだということでした。

 

息子が2年前から強迫性障害になり、不安がきつくて、毎朝学校に行くのが大変なことを話すと、

「(療育では)一番元気で、活発やったのにね。」と、驚いていました。

 

「あの頃は思ったまま、無邪気というか、あれこれ考えることもなく行動してたから・・・。」

「逆に、うちの子は、あの頃『死にたい』とか、超悲観的なことばっかり言ってた。

今の〇〇君の状態にちょっと似てるかな。

今でも、すぐ、へこむとこはあるけどね。。。」

「特性なんかなぁ。打たれ弱いとこあるよね。」

「あるある、うちも。。。」

 

お二人は、療育卒業後はこども発達支援センターと繋がっていなかったせいか、グループ療育のお知らせが届いたのは、息子だけのようでした。

お二人はデイサービスなどのこともよく知っておられて、色々紹介してくれました。

色んなタイプがあって、療育メインの所や、ただ好きなことをして過ごせばいい所、若いお兄さんお姉さんと一緒に遊ぶ感じの所や、英語やリトミックなど週によって習いもの感覚の所もあるそうです。

 

「支援センターの療育には行かないとしても、家と学校以外に、〇〇君の居場所を見つけてあげた方がいいよ。」

今は、この学校に行かなければならない、って選択の余地がないけど大きくなると、フリースクールとか、専門性を伸ばすところとか、選択肢が増えていって、〇〇君に合ったところがきっと見つかると思うよ。」

過剰にほめてあげたらいいよ

うちの子なんか、『俺かっこええ?』って、毎日聞いてくる。

外見を気にするようになったんか、腹筋始めて、今では毎日200回してるんやけど、服めくって腹筋見せに来るわ。

『すごい!』『かっこええなぁ!』って、親に褒められて喜ぶところがまだまだ幼いと思うけど、この子にはそれが必要なんやと思う。

はまれば、集中してものすごい力を発揮するから。」

と、色々なアドバイスをしてくれました。

 

3時間があっと言う間に過ぎました。

また、次にお会いするときまで、私も頑張ろうと思いました。


一歩前進!

2017年03月07日 | 息子の広汎性発達障害と強迫性障害、適応障害

先週の土曜日は、息子のメンタルクリニックの日でした。

 

息子の不安の原因でもあった理科のサッカーロボ制作に、担任の先生がフォローしてくださるようになってから、少しずつですが息子の調子が良くなってきました。

まだまだしんどそうな時がありますが、クリニックの先生に調子を聞かれたとき、

「確認がなくなった!」

と、息子が言いました。

 

そう言えば、ドアが閉まっているか、とか、リモコンの向きとか、息子に確認されることがなくなっていました。

毎朝、息子の学校への不安が大きいせいか、すっかり忘れていましたが、確認不安がなくなっているってことは、これって良くなってるってことですよね

 

前回、「抑肝散加陳皮半夏」という漢方薬を処方され、診察も4週間後となったので、これは長期戦になるかもしれないな、と、心の中で思っていました。

私も、子宮内膜症に対するホルモン療法が体に合わず、漢方薬を飲むことになりましたが、効き目を実感するのに半年、良くなるのに4年以上かかったからです。

 

「もうちょっとですね。」

と、先生が言われ、「もうちょっとで良くなるのか~!」と、私はガッツポーズで喜びそうになりましたが、

「春休みまで、もうちょっと頑張りましょう!」

と、続けて息子に声をかけていたので、3学期がもうちょっとで終わる、ということらしいです。

 

「漢方薬、飲めてる?」

と、先生に聞かれ、息子が

「う~ん・・・」

と、首を傾げていたので、

「飲みにくそうで悪戦苦闘していますが、頑張って飲んでいます。」

と、私が答えました。

 

袋を開ける時に、ぱ~っと薬が飛び散ってしまったり、苦くて慌てて水を飲むのだけれど、コップの中に薬が逆流してしまったり、飲み終わった後にも水を何度も飲んでいたりと、本当に悪戦苦闘していますが、息子は頑張っています。

そのせいもあってか、もちろん、担任の先生のフォローが大きいとは思いますが、回復へと一歩!

まだまだこれからでしょうが、嬉しい嬉しい前進でした

 

前回と同じく「リスパダールOD錠0.5mg(1錠)と、レクサプロ錠7.5mg(3/4錠)、ツムラ抑肝散加陳皮半夏エキス顆粒2.5g」が処方され、次回の診察も4週間後。

また一歩、回復していますように・・・。

 


サッカーロボ

2017年03月03日 | 日記(息子・小5)

ちょうど1週間前の話になります。

息子の、今一番の不安の原因となっていることが分かりました。

 

息子は、理科の授業の前か途中、終了後に調子が悪くなっているので、

「理科で、何か心配なことがある?」

と、聞いたところ、

「サッカーロボ作ってるんやけど、どうしたらいいんかよく分かれへん。

説明書読んでも分かれへんねん。」

と、答えました。

 

「先生に、『分かれへん』って、言ってみたら?

他にも分かれへん子、おると思うよ。」

「みんな分かってる。ちゃんと作ってる。一人だけ分かれへんねん。」

 

「〇〇は理科の授業を何度か抜けてるから、分かれへんでも当然ちゃう?

先生に相談してみ~。

理科の先生じゃなくても、◇◇先生(担任の先生)でもいいから。」

 

その日は1時間目に理科の授業があるせいか、不安そうな顔で行き渋っている息子にそう言って登校を促し、私も購買ボランティアで学校へ行かなければならないため、一緒に家を出ました。

 

歩くと股関節が痛むので、私は一足先に自転車で学校へ。

そして、ボランティアのついでに、息子から聞いた話を担任の先生に伝えることが出来ました。

 

「なるほど、そういうことだったんですね!」

 

息子の成績は普通ぐらいですが、理科に関しては普通よりもずっと良い方だったので、理科の授業に不安の原因があったとは思わなかったようです。

 

「確かに、〇〇君の調子が悪くなるのは、理科の前後でした。

これで納得しました。ありがとうございます。」

先生はそう仰って、その日から、担当外の理科の時間にフォローに入ってくださるようになりました。

 

続いて、購買ルームに通級の先生が来られ、ボランティアの後で懇談してくださることになりました。

 

通級の先生は、息子がついに休んでしまったと誤解していたようで、

「今、〇〇君は自信を失くして、不安なことから逃げたいという気持ちが強くなっているようですが、どんなに不安がっていても、遅れてでもいいから、学校に来させてください。」

と、仰いました。

 

今のところは、本人も学校には行かないといけないと思っているようで、渋々登校しています。

今日は、私が購買ボランティアだったので、早めに一緒に家を出ました。

1時間目の理科が不安なようなので、『理科の先生でも担任の先生でもいいから、『分からない』と伝えたら、だいじょうぶだよ。』と、息子に言っています。」

と、私が言うと、先生は本当にほっとした表情で、

「登校させてくださって、良かった!

一度休んでしまうと、気持ちが前に進めなくなって、休みがちになってしまう子がいます。

〇〇君もそのタイプのような気がします。

サッカーロボを作り始める前から〇〇君の調子が悪かったので、もしかしたら、理論的なことが分からなくて、『自分にサッカーロボを作れるだろうか』と、不安になってしまったのかもしれませんね。

しんどい授業は出られなかったとしても、その他にも学べることがたくさんあるので、学校には頑張って登校させてあげてください。

もし、お母さんが大変でしたら、授業がない時間に私が迎えに行きますので。」

と、仰ってくださいました。

 

さらに、

「調子が悪くなって、通級教室で過ごすことが増えているので、通級教室で授業以外の学習をすることを了承していただけますか。

学力的には遅れることになりますが、〇〇君が自信を持てるようになることを目標に学習させたいと思います。

爪切りも、以前苦手だと仰っていたので、通級でさせてみますね。

他に何か、お母さんから、こういうことをしてほしいということはありますか?」と。

 

「算数がだんだん難しくなってきたみたいです。

図形や分数にも苦戦していますし、文章題は何を聞かれているのか分からない時があります。

あと、手先が不器用なので、プリントをノートに貼るとか、端と端を合わせてプリントを折りたたむということが難しいようです。

そういうことが出来るようになってほしいと思っています。」

と、お願いしました。

 

最後に先生は、

「この不安を乗り越えることが出来たら一番いいのですが、もし、このまま授業を受けられないことが増えるようであれば、支援学級のことも考えた方がいいかもしれません。

中学生になると教科ごとに先生が代わるので、もちろん意思疎通はしっかり行いますが、先生によってどこまで対応してもらえるか分かりません。

〇〇君にとって、一番いい方法を考えていきたいと思っています。

とにかく、今は、〇〇君の不安をなくすことに力を尽くしましょう。

不安の一番の原因は、『自分に自信が持てない』ことだと思います。

〇〇君の小さな変化も認めて、ほめてあげてください。

お母さん、一緒に頑張りましょう!」

 

ボランティアのついでに一声かけさせていただいただけで、先生方はすぐに動いてくださいました。

その日から1週間、担任の先生が理科の時間に息子のフォローに入ってくださることになり、息子が授業を抜けることがなくなりました。

 

水曜日の連絡ファイルに、担任の先生は、

「自分の出来ない、出来ないという気持ちに、何度も押しつぶされてしまっているここ最近です。

けど、何度でも立ち上がっていってほしいと思っています。」

と、書いてくださっていました。

 

心から応援してくれる人がいる。

そのことが力になります。

きっと、息子も!

 

さてさて、サッカーロボとは、いったいどんなロボットなのでしょうか?

持って帰ってくるのが楽しみです。