やっぱり幸せ♪

日常の色んなこと、特に発達障害を持つ息子との素晴らしき日々を綴っていきたいと思います。

進学先を探す

2020年11月25日 | 日記(息子・中学生)

発達障害があり、中学一年生の二学期から適応障害となって不登校気味の息子。

いよいよ12月下旬に行われる進路懇談会までに、私立の希望高校を決めなければなりません。

 

専修学校3校、近所の全日制高校1校、通信制高校(=オンラインで)2校の体験学習や説明会に、息子と一緒に参加しました。

 

どの学校も、中学校の支援学級や通級学級のように個別に支援という形はなく、放課後や長期休みを使っての補習や相談という支援の形になるようです。

 

ただ、専修学校には中学校で支援学級・通級学級に通っていた生徒さんも多く通われているそうで、その分、分かりやすい説明、個々にあった学習を心掛けているとのことでした。

授業の雰囲気も落ち着いていて、ゆっくりとした感じでした。

スクールカウンセラーが在中していることも安心材料です。

 

息子のように不登校で全く成績の評定が付かない生徒もウエルカムな雰囲気(年度により40%~60%が不登校経験者)で、受験も試験より面接重視、本人に通う意思さえあれば、逆に通えさえすれば、卒業、進路決定までしっかりサポートしてくださる印象を受けました。

 

コンピューター系と商業系、それに、毎日通う専修学校がしんどくなった場合に通信コースへ変更可能な学校の体験授業に参加しましたが、ボーカロイドソフトを使って音楽を作ったり、パソコンでタンブラーのデザインをしたり、壁新聞を作ったり、どの授業も分かりやすくて楽しそうでした。

 

専修学校はビルがそのまま学校なので、運動場がありません。

パソコンなどの設備はとても充実しているのですが、ビル内に体育館(室?)さえない学校もあり、そういう学校は近隣の運動場や体育館を借りて体育の授業を行うので、体育の行われない週もあるらしく、私には少しストレスが溜まりそうな感じがしました。

 

また、学校そのものの規模が小さいので、サッカーなどの人数が必要な部活は人が集まらずに続かないそうです。

e-スポーツや軽音楽、美術などの部活が人気だということでした。

 

唯一、屋上が運動場という専修学校があり、そこは週3で活動するフットサル部があって、息子の中で候補の一つとなっているようです。

 

ただ、息子の本命は、近所の全日制の私立高校のようです。

 

ちょっと頑張れば(頑張れるならですが)、試験も合格の可能性ありで、サッカー部の先輩が通っている高校。

 

本人は、

「(中学校と)あんまり環境が変わると不安。」

と言うのですが、中学校の環境が息子には厳しかったので、同じような環境では、またしんどくなってしまうのではないかと心配です。

 

その高校は、家から自転車で20分もあれば登校出来るので、他の専修学校が1時間半(往復で3時間)ぐらい通学にかかることを考えると、その点もかなり魅力的ではあるのですが。。。

 

「どこも、良いとこと悪いところがある。」

と、息子もよく分かっています。

 

オンラインで説明を受けた2校の通信制高校は、分校というか、塾のような所でレポートを出すための勉強をし、修学旅行などは他校と合同で参加するようで、息子は続かないと判断しました。

 

さらに、この週末には、発達障害のサポートが厚いと評判の通信制高校(専修学校併設)に見学に行く予定です。

やはりここにもサッカー部はなく、部活は、e-スポーツとバトミントンと軽音楽のみということでした。

 

息子の中では、「出来ればサッカーがしたい」というのがあるので、それに代わる何かが見つからなければ、候補に残らないかもしれません。

 

悩んで悩んで最後に息子が決めた高校に進学してほしいと思っています。


若者サポートステーション

2020年11月18日 | 日記

主人に有給休暇を取ってもらった日、弟と若者サポートステーションに行ってきました。

 

来所してすぐに、消毒と検温を行うのですが、弟はなんと37.5℃。

「太陽の光を浴びると、いつも体温がこもって上がってしまうんで・・・。」

と、弟は言っていました。

日頃、光を浴びると気持ちが悪くなるというのは、こういうことなのでしょうか?

 

少し時間をおいてもう一度検温すると、37.4℃になっていたので、中に入ることが出来ました。

弟はほとんど外出をせず、たまにコンビニに買い物に行くぐらいですし、誰とも話をしません。

なので、極めてコロナに感染するリスクは少ないと思います。

 

まずは、若者サポートステーションについて、私が電話で確認したようなことを、もう一度弟と一緒に説明を聞きました。

 

若者サポートステーションは、いわゆるハローワークのような仕事を斡旋する場所ではないなどの、電話でお聞きした説明の他、

・今まで39歳までが利用対象だったが、今年の4月から49歳まで延長になったこと。(弟は41歳)

・カウンセリングや、グループワーク、職場見学や就労体験(一日だけのボランティア体から本格的な長期の就労体験もできるが、給料は発生しない)、面接の練習や履歴書の書き方等、通う回数も月1回から就労間際の方は毎日など、一人一人状況が違うので、どんな支援が必要かを一緒に考えながら職業的自立を目指していく所であること。

・利用するには登録が必要で、来所、もしくはオンラインによる相談も出来ること。

という説明がありました。

 

その後、弟に、

「最後にお仕事をされたのはいつですか?」

と、聞かれました。

 

「高校二年のとき。」

 

「どういうお仕事ですか?」

 

「内装の仕事です。」

 

「どういったことをしましたか?」

 

「・・・・。」

 

「友達の親御さんが声をかけてくれて、ほんの少しの間だけ住み込みで働かせていただいたことがあります。」

と、弟の代わりに私。

 

「期間はどれくらいでしょう?」

 

「2ヶ月ぐらい。」

 

「やめられたのはどういう理由で?」

 

「・・・それは、言葉にしにくいというか・・・。」

 

「言わなくてもだいじょうぶですよ。」

 

「ここに来られる前にどこかに相談されましたか?」

と、聞かれたので、今度は私が、

市役所に電話をしたときに、ここを紹介されました

障害年金の話もされましたが、本人に働く意思があるようなら、まずはこちらに相談した方がいいというような感じで、必要があれば連携しているから、とも言われました。」

と。

「随分前から言うと、児童相談所というか、高校の先生に紹介されて、母や私が相談に行っていました。

保健センターに相談して、家に来ていただいたこともあります。

本人が部屋から出て来なかったので、会っていただくことは出来ませんでしたが。。。

親の会に行って相談したり、私が住んでいる市の市役所に相談したこともあります。

市が違うので、『そちらにこういう方が住んでおられて、お姉さんが相談に来られました、ということは伝えておきます。』と、言われました。

その後、父が高次脳機能障害になってからは、父のことで手いっぱいになりました。」

 

「そうだったのですね。

今回、相談に来られたのはどうしてですか?」

と、聞かれ、

「生活するお金がなくなってきたので、働かなくてはいけないと思ったので。」

と、弟が答えました。

 

「そうなんですね。

どのように働くか、イメージされているものはありますか?

どんな仕事がいいとか、月にいくらぐらいもらえればいいとか。

人によって、1ヶ月生活するのに必要な金額は違います。」

 

「体力的に出来そうな仕事なら、何でも・・・。

7万円ぐらいあれば生活できるので、月にそれぐらいは稼ぎたいなと思ってます。」

と、弟。

 

「毎月はそうですが、他にも、車を持っているので税金や保険代、家の税金も必要です。」

と、私。

 

「立ち入ったことをお聞きしますが、生活費がなくなりそうというのは、あとどれくらい持つと思われますか?」

 

弟が何も言わないので、

「先程、弟が言ったとおりであれば、1ヶ月です。」

と、私が答えました。

 

「長い間お家で過ごされていますが、人と会ったり、話をしたり、外出することはだいじょうぶでしょうか?」

 

「そういう機会がなかっただけで、必要があればだいじょうぶです。

友達の所に行ったりもしていました。」

と、弟。

 

「長い期間の中では調子が悪いときもあって、外に出ると調子が悪くなったり、電車に乗るのが無理で、祖母のお葬式に出られなかったりしたことはあります。」

と、またもや口をはさむ私。

 

「お友達の所に行かれたのは、いつ頃のことでしょうか?」

 

「20歳ぐらいです。」

 

「ありがとうございました。

今日はこれで終了なのですが、お家で過ごされている期間が長いので、いきなりセミナーやグループワークなどに参加されるより、まずは1対1でお話を聞かせていただけたらと思います。

これから、こちらをご利用していただくには、まずは登録をしていただく必要があります。

本日、登録されても結構ですし、書類を持って帰って、もう一度よく考えられてから申し込まれても結構です。」

と、言われ、

「もし、今申し込んだら、次はいつになりますか?」

と、弟。

 

「1週間後でも2週間後でも、また2~3日後でも、◇◇さんのご都合で決めていただけます。」

 

「じゃあ、1週間後でお願いします。」

と、弟は自ら通うことを決め、登録用紙に記入していました。

 

私が一緒に付いていくことが出来るのはこの日だけです。

本当に繋がることが出来るのかは、弟次第です。

 

若者サポートステーションで感じたのは、弟の意思を尊重してくれているということ。

二十数年かけて委縮し固まってしまった弟の心をほぐしてくださるよう、ただただ祈っています。

 


二十数年ぶりに社会と繋がる!?

2020年11月13日 | 日記

ひと月程前のこと、実家の給湯器の電源が入らなくなってしまいました。

4年前にも調子が悪くなり、簡単な修理で直った給湯器も、経年18年なので部品がなくなってしまい、買い換えるしかないようです。

 

そこで、困ったことが分かりました。

実家の弟は長い間ひきこもり状態で、8年前に亡くなった父の貯金で細々と暮らしていましたが、とうとうその貯金が底を尽きそうになっていました。

 

残額、約7万円

弟は、

「給湯器はいらない!」

「お鍋でお湯を沸かせばなんとかなる!」

と言っていますが、寒冷地に住んでいるのに、真冬になればそんなことを言ってられません。

それに、たとえ給湯器を買わなくても、どんなにきりつめて生活しても、必ず貯金は0になっていくのです。

 

以前は、

「お金がなくなったときは死ぬとき。」

などと、言っていた弟ですが、

「さすがに働かんなって気になって、求人誌見てる。」

と、働く気持ちはある様子です。

 

でも、そこからは進まない。

いや、進めないのかもしれません。

 

息子が適応障害になってから、一人で留守番させることも出来ずに、主人が休みの日曜日に、しかも息子の調子が良いときにしか実家に帰れなくなってしまいました。

精々月に2回帰るのがやっと。

しかも長居は出来ないし、何より公的機関はお休みだし・・・。

 

そんなこんなで時間だけが過ぎていくのですが、出来ることをするしかないと、まずは実家のある市役所に電話で弟のことを相談しました。

 

・あと数日で生活が立ち行かなくなるという場合は、保護という形で、生活保護を受けられる場合があること。

・二十数年もひきこもり状態ということは、やはり何らかの困難を抱えていると思われるので、障害年金を取得するお手伝いができるかもしれないこと。

・ただ、(弟のように病識がない場合は)病院の受診を勧めると、余計に社会と断絶する可能性があるので慎重に行わなければならないこと。

・若者サポートステーションでは、障害のあるなしに関係なく、働くことが困難な人が就職に向けての支援を受けられ、本人の来所が困難な場合は家族からの相談も受け付けているということ。

 

そう教えてもらって、主人に一日だけ有給休暇を取得してもらい、その日に若者サポートステーションの相談予約を取りました。

 

そこでは、

・若者サポートステーションは、いわゆるハローワークのような仕事を斡旋する場所ではないこと。

・第一回目は「登録」の手続きのための来所で、本人が手続きするのが一番いいけれど、家族のみの場合も受け付けていること。

・就職に向けて、本人の状態を見ながら支援の在り方を考える所であること。(就職するまでに長い期間が必要な場合もあるらしい)

・本人に働く意思があるようなので、ぜひ声をかけてみてほしい。

ということを言われました。

 

若者サポートステーションと市役所の福祉課とは連携しているようで、必要があれば情報の共有をするそうです。

 

弟は、支援を受けることをよしとせず、これまでずっと一人で頑張ってきました。

私から見ると、息子よりも弟の方が困り感が大きいと感じていたので、支えてくれる人、場所に巡り合えることをずっと願っていました

 

息子がメンタルクリニックに通っていることや、様々な支援を受けていることを、弟には詳しく話してきましたが、それは自分らしく幸せに生きるためには必要なことだと思っています。

息子も、将来はサポートを受けながら働くことになるかもしれません。

息子にも弟にも、自分のため、社会のために、自分に合った仕事をしながら生きていってほしいと願っています。

 

息子が発達障害を持ち、強迫性障害、適応障害など心の病にも苦しむ毎日の中で、昔の私は、弟の苦しみを少しも分かっていなかったことに気づきました。

 

なかなか調子が良くならない息子は、私の考えで息子のために何かしようとしても、うまくいかないどころか追いつめてしまうようです。

心の不調は、私には理解できないような気持ちや体の不調を起こします。

誰も好き好んでそうなったわけではなく、本人が一番苦しんでいるのです。

 

息子と一緒に悩み苦しみ、ただ寄り添うことしか出来ないけれど、そのお陰で少しは弟にも寄り添えるようになった気がしました。

 

弟に、若者サポートステーションのホームページのアドレスを送りました。

数日後に実家に帰ったときに、一緒に行かないかと誘い、もし弟が嫌なら私だけで行くことも伝えました。

 

「行ってみるか・・・。」

 

二十数年ぶりに、弟が社会と繋がるかもしれません。


進学先を考えるストレス

2020年11月11日 | 息子の広汎性発達障害と強迫性障害、適応障害

9日は、息子のメンタルクリニックの日でした。

 

この日のカウンセリングは、息子が50分、私は久々に10分程。

 

「最近の様子はどうでしょうか?」

 

「調子の悪い日が多いです。

先週は、一日だけ登校しました。

波があって、ほとんど起きられない日もあれば、朝から5科目の実力テストを受験する日もあったりです。

頑張りたいという気持ちはすごく見られるのですが、体というか心が付いていかない感じで・・・。

12月中に進路を決めないといけないので、それもあって、不安が強いのかもしれません。

『高校に行けば、環境も変わって良くなる』って、よく言われますが、本当にみなさん、良くなられているのでしょうか?』」

 

「そうですね。

確かに、環境が変わって、そこが自分に合っていれば、良くなられる方は多いです。」

 

合わなかったら、良くはならないってことですよね。

私は、通信制の方が無理なく通えていいのかなと思っているのですが、本人はそう思ってない感じがします。

毎日通えるのか?、1時間以上かけて電車通学が出来るのか?、とも思うし、どこを選べば通えるのだろうと?と不安で、私の不安が伝わっているのかもしれません。」

 

「そうですね。

『環境が変わってしまうのが不安。』

だと言っていました。

それに、本人も迷っているのだと思います。

『お母さんがよく考えてくれてる。』

と言って、ここの高校はこうだけど、こうなんだとか、いくつかの高校のメリットとデメリットを話してくれました。

 

「私が高校の話をすると、すぐ『うわ~っ!』となって、『今は話さんといて!』って言うし、パンフレットも全然見ようとしないので、調子が悪くなるから、高校の話はしない方がいいのかな?、でもタイムリミットが迫ってるいるし、どうしたものかと思っていたのですが、私の話したことは頭に入っているのですね。」

 

「しっかり言語化できていますので、よく分かっていると思います。」

 

「あとは、本人に任せるしかないのでしょうか?

どこを選ぶかによって、良くなるか悪くなるかって思うと、不安で仕方がないのですが・・・。

 

「様子を見つつ、話し合ってください。」

 

そりゃそうですよね。。。

 

診察では、息子は、

「調子が悪いです。」

と。

 

「どんな感じですか?」

と、聞かれ、

「普通のことをするのがしんどい。」

と。

 

「新しい薬(ランドセン錠)は飲まれましたか?」

 

「一回しか飲んでないけど、飲んだときは楽になりました。」

 

「そう、じゃあ、今回は出さなくていいね。

次のカウンセリングは3週間後ですね。

お待ちしています。」

 

エチゾラム錠も余ってきているので、今回は「リスパダールOD錠0.5mg(2錠)と、レクサプロ錠10mg(1錠)、ツムラ抑肝散加陳皮半夏エキス顆粒5g(2包)、ビオフェルミン錠3錠」のみ処方されました。

 

進路を考えるストレスは私も相当感じていますが、初めてのことが不安で仕方がない息子のストレスはその比じゃないのでしょう。

 

少しでも不安を取り除いて、息子が通えそうな学校を探すためには、息子と一緒に学校見学やオープンスクールに参加するしかないのかな。


学習支援に特化した放課後等デイサービスへ

2020年11月04日 | ソーシャルスキルトレーニングとその他支援

息子が学習支援をしてくださる放課後等デイサービスに通い始めて一ヶ月余り。

 

修学旅行後、なかなか学校へは通えない日が続いていますが、週に二回の放課後等デイサービスと、週一回の「脳神経リハビリテーションセンター」には通っています。

 

「脳神経リハビリテーションセンター」に通うようになってからは、もうすぐ一年。

週一回だけなのですが、当初はその一回に通うことも困難でした。

 

息子の意思で通い始めた所ですが、家を出る直前に息子の調子が悪くなって欠席することがよくありました。

欠席の連絡を本人が電話ですることになり、その電話で振替で通う日を決めるようになり、だんだんと通える日が増えてきました。

 

40分という短い時間ですが毎週、同じ先生と話をしたりトレーニングをすることで息子が安心して過ごせる場所になっていって、「脳神経リハビリテーションセンター」に通えているということ自体が息子の自信の一つになっていると感じます。

 

一年前、「脳神経リハビリテーションセンター」に通うために通所受給者証を取得したとき、月に23日までの通所給付費が決定しました。

 

学校へ通えない息子の居場所を探して、フリースクール等を見学に行ったこともありましたが、その頃はまだ、息子がどこかに通えるような状態ではなかったようです。

 

あれから一年・・・。

息子が「勉強したい!」という意欲を見せたことで、再びフリースクールやいくつかの児童発達支援放課後等デイサービスを検討することになりました。

 

「がやがやした感じは嫌。」

「何するか分かれへんのはしんどいから、勉強だけのところがいい。」

という息子の意見から、学習支援に特化した放課後等デイサービスへ通うことになりました。

 

体験のときの面談で、

「英語を勉強したい。」

「小学生のときは、算数が好きやった。」

と息子が話したので、英語と数学を基礎から勉強していこうということになりました。

 

面談の中で、

「中二のときは、テレビを観るのもマンガを読むことも出来なかった。」

という話になり、先生に

「それはどうして?」

と聞かれ、息子は、

「自分が最低、最悪な状況の中で、お笑いとか見ても笑えないっていうか、『なんか違う』『自分はこんな状況やのに』って感じで、全然頭に入ってこなかった。」

と、話していました。

「でも、今は違う。

面白いときには笑えるようになった。」

と。

 

だから、前に進めるようになったのかな。

 

ここでは、

「基礎、基本的な学習を積み上げて、自信をつけていこう。」

ということが目標になっていて、生活支援として、

「色々な先生の話を聞こう。」

という風に個別支援計画には書かれています。

 

火曜日の英語は、その日によって先生が代わるようですが、金曜日の数学は同じ先生が教えてくださっています。

 

勉強以外の話の方が息子には興味があるようで、先生がオーストラリアに短期留学したときの話など、迎えに行った車の中で事細かに私に話してくれました。

日本の常識が世界の非常識だったり、息子にとって世界が少し広がる機会になったようです。

 

現状は週2回ですが、本人が希望すれば月に18回まで通えるので、テスト前に教えてほしい問題があるときなど、自分で連絡して通っています。(親の送迎は必要ですが…)

 

慣れてくれば、週4回通えるといいなと思っていますが、通うべきものを欠席するよりは、プラスして通える今の状態の方が、息子にとってはいいのかもしれません。

 

多くの人に支えられて、息子が歩いていく一歩一歩。

当たり前のことが当たり前にできる幸せ。

 

「面白いときには笑えるようになった。」

ことが、本当に良かった。